今日が35歳最後の日だ。
35歳の後半部分の半年は何もせずにいた。
いわゆるニートというやつだ。
だけど、この日々が今となってはとても大切な教えに変わり、
そして自分自身で長いこと悩んでいた「ありのままの自分の価値」の答えに辿りつく結果となった。
独身で彼氏もいない、仕事もしていない、要は社会的な役割がゼロになった。
妻でも彼女でもなく、成人しているけど社会人でもなく、とにかく名のつく役割がない時間だった。
もしかしたら羨ましいと思う人がいるかもしれない。
でも、私はもう一度この半年を繰り返したいなんて思わない。
役割がないというのは、今色んなことを感じられるようになったから良かったけど、
最初は色々戸惑ったし、精神的にしんどくなることも多かった。
特に、そういう状態を理解できない人と会うなり電話なりで話すと、
わたしの許容量では許容できない言葉の暴力と呼んでもいいだろう、そんなものも浴びた。
気にしなきゃいい、と今は素直に思えるけど、当時はそんな風には思えなかった。
本当にここ最近、ようやく「ありのまま」とは何かについて自分なりの明確な答えが出てきた。
「何かをしているから価値があって、何かをしていないから価値がない」
このような呪縛に長いこと縛られていた。
わたしは自分以外の誰かが何かをしていなくても何とも思わないのに、
いざ自分が何もしていないとなると、強烈に自分を責めた。
五体満足で、精神も病んでいない、介護とか育児とかまっとうな事情を抱えているわけでもない、
そんな35歳の人が働かないなんてどういうことだろう、と思った。
何の役割も持たない自分に罪悪感も感じていた。
自由からは程遠い精神状態がしばらく続いていた。
でも、今ははっきりと自分の中で言い切れる。
何かをしているから価値があるわけでもないし、
何かをしていないから価値がなくなるわけでもない。
そしてもっと言うと、どういう状態の自分であっても、自分自身の価値は何一つ変わらないと。
もしかしたら、周りの評価は変わるかもしれない。
でも、それはわたしの評価じゃない。
周りの評価や自分の思い込みであれこれ自分の価値が変わる、というのは絶対に違う。
自分であるということが、他の何にも代えられない価値なんだということが、
ようやくこの年齢になってわかった。
ありのままの自分でいい、と思えるようになると、これまでぐらぐらしていた軸の部分が、
一本の筋が通った感じになってきた。
今までいつも不安だった、このままでいいの?何をこれからもっとがんばったらいいの?
どこに向かったらいいの?
本や人から教えてもらった通りだった。
このままでいいし、何かをがんばる必要はない。
向かう先は、強いて言うなら、楽しいと思えること。
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