どういうわけか無料で一般開放のライブで、お金を出してまで聞きたいものではなく、
無料でついでにその場所で他の用事も足せるなんてラッキー位に思って見てきた。
そのバンドは、最初本の中で知ったバンドだ。
バンドの人と本の著者とが仲良しのようで、時々行き来があるとのことだった。
わたしは著者の人がとても好きで、それで興味を持ったバンドだった。
いつだったかCDを借りてそのバンドの音楽を聞いた。
二度三度聞きたい音楽ではなかったけど、優しい感じは良かった。
そして今日初めて生演奏を聞いたけど、CDで聞いた時の方が良かったという、
ちょっと残念な感じで終わってしまった。
比べるものではないけれど、もう何年にも渡って足を運んでいる森山直太朗のコンサートとは
まったく異質のものだった。
直太朗は逆で、生の歌声の後ではCDはとにかく物足りない。
そして、観客の雰囲気も、みんな「直太朗の声」を聴きに行くだけあって、
静かな歌とアップテンポで明るい歌とでは聴き方を変える。
会場内の雰囲気ががらりと変わる。
静かな歌の時は、みんな固唾をのんで見守っている、そんな風だ。
今日はとにかくわたしみたいに興味本位で行く人も、通りすがりの人も、もちろん熱血なファンも
入り混じっていたから余計と調和のない感じで、あぁまぁひとつの経験と思えばいいかな・・・
と無料で聞かせてもらったくせに態度でかい感想を持ってその場を去った。
驚いたのはその後だ。
その後たまたま読んだ本に、ズバリ言い当てられてびっくりしたものがあった。
「何か違うなぁ・・・というサインを受け取っていたにも関わらず、そのまま突き進んで結局は
やっぱり違っていたという経験が過去にあったなら、どんなものか?」
要約するとそんな感じの質問が本には書かれていた。
今日のそれこそがまさにそうだった。
普段乗らないバスに乗って会場まで向かったのだけど、そのバスが大幅に遅れたのだ。
それはいつもなら降りるバス停で、反対にそこからバスに乗り込むことは過去に一度あるか
ないかだったと思う。
なんとそのバス、14分遅れでやってきた。
どんなに道が混んでいても5分遅れたら相当遅れてる。
これまでに10分以上も遅れてきた路線バスは、一度も当たったことがない。
最初は、バスが来る時間の1分前位に着くように行ったから、乗り過ごしたかもしれないと思った。
ただ、乗り過ごしたなら、正面にバスが通る道をずっと見ながら歩くから、見えるはずだ。
来週は名古屋マラソンでそのバスは運休だという知らせがあったけど、
今日はマラソンの日じゃない。
10分経過した頃、バスは止めて電車で行こうかと思った。
ただ電車に乗り換えるにしても、雨は降り続けているし、そこまでして行きたいかと言うと
そうでもないし、ついでの用事も今日でなくていいし・・・行くのやめようかな、
とそこまで考えていた。
ごちゃごちゃ考えているうちにバスがやっと到着して、それでようやく出発できた、
そんな過程を経ての今日の生ライブだった。
自分の好みではなかったことがわかったり、ついでの用事もきちんと足せたり、
もちろん得るものはあったけど、あのバスの遅れの時に「行くのやめようか」と思ったのは
あながち間違いではなかったんだなぁと思う。
大したことではないけど、あぁこんな風に小さなサインがぽんとやってくる、そのお手本のようだと、
そしてそのお手本通りのことを一通り体験した1日となった。
0 件のコメント:
コメントを投稿