これはいつかの秋口に行った図書館での感想。
持参したノートにいくつか図書館の本の内容をメモするために、学習室を利用した。
そこの図書館は、社会人用と学生用の学習室が分かれてなくて、
その日はどうも定期テスト直前だったらしく、9割がた中高生で満席になっていた。
前から3列目くらいの席に腰をかけたけど、
そこの席からでも10人以上の子どもの姿が視界に入ってきた。
教科はそれぞれ違っているようだったけど、やっている作業は皆同じ。
問題集やらワークやらを開いて、解いて、解答見て丸付けして。
その作業をどの子も延々と繰り返している。
作業を眺めていてとても不思議な気分だった。
もちろん自分も同じような道をたどって、小中高とテスト勉強をした。
大学で初めて、自分の意見を言うことがテストで求められるようになった。
今となってはその機会に感謝しているけれど、
もし、自分で意見を言う=自分で考える、自分で答えを出すことをしないまま
大人になっていたら・・・、と思うと怖くなった。
私自身もそうだし、そこにいた子どもたちもそうだけど、
もうあらかじめ答えは決まっていて、その正解に辿り着けるように問題を解く。
でも、大人になるにつれ、1+1=2というような、わかりやすい答え、決まり切った答えではない
答えを出す場面が圧倒的に増えてくる。
ある程度の年齢になったら、もう答えなんか一切載っていない問題集を手にすることになる。
教育論を論じるつもりはないけれど、その答えのない問題集を手にした時に、
どれだけ自分で自分だけの答えを導きだせるか、
そしてそこに至るまでのプロセスを組み立てられるか、
そしていくら答えやプロセスの枠組みを作っても、その通りに事が運ばない場合もあるわけで、
そういう時にどれだけ臨機応変に知恵を働かせて自分が動けるか・・・
そういう力がものすごく必要になるということを、大人になってから初めて理解した。
基礎学力を養うという意味で必要な学習だとは思うけど、
それとは別に、生きてく力というんだろうか、そういうのはもっともっと大事だなぁ・・・
なんて近くの勉強に励む子どもたちを見ていて思った。
0 件のコメント:
コメントを投稿