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2020年8月19日水曜日

㉙【おいせさん手帳】獅子座新月ー2020.08.19



朝仕事に行く直前に上手く綺麗に撮れた花
(職場の門近くのお宅のお花)




おいせさん手帳第29回目
担当:私

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


8月19日

自分の心の鍵を外して想いをすくい上げる。
獅子座の新月

獅子座の月は、自分の心の中にある様々な想いや感じていることを外に出したくなる衝動に、救いの手を差し伸べてくれます。
普段ならグッと抑え込んでいるものも今日は月の力を借りて吐き出してみます。
新月だからこそ、自分の本当の願いに耳を傾けてみましょう。
誰にも何にも気兼ねせず、あなただけの望みを自分に聞いてもらいましょう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




たまには日付変更線越えてすぐのアップを目指してみようかと思う。

新月とあらば、より一層すぐのアップがいい気がしている。

午前11時41分に新月になる模様。




自分の気持ちに正直になるというのは難しい。

大人になるにつれて、「大人の事情」をどんどん覚えていく。

大人の事情を察知したり読んだりするのが上手くなる。

そしてそれが上手くなればなるほど、色んなことがやりにくくなる。

さらには、自分の気持ちがわからなくなったり、自分の本音が心の奥底に押しやられて、気付けば何が本音で何が建前かさえもわからなくなったりする。

そんな大人っぽく振る舞う自分にいきなり本音を訊ねても、「?」な反応が返ってきたり、自分の心の声を聞くなんてとんでもなく最初はハードルが高かったりする。

そんな時に私がよく最初の頃やっていたことを紹介したい。



☆何が食べたいかを自分にたずねる

食べたいものはその日によって違うし、外食でも作って食べるでも買って食べるでも、自分で選べる状況にある時は、どういう手段でも食べたいものが何かを自分に聞くことをよくしてた。


☆小さな買物を真剣に選んでみる

コンビニで何かしらのおやつを買うでも、お気に入りのペンを見つけるでも、人に書く手紙の用意でも、とにかく小さな買物を全力で意識して選ぶことをよくしていた。


☆いつもとは違う道を通ってみる

違う道を通ると、普段見ない景色や雰囲気に行き当たったりする。

それは自分の知ってる世界に新しい回路を開く感じと似ている。


☆とにかくダラダラしまくる

自分の気持ちや本音をキャッチするのに、何かに追い込まれていたり、心の余裕がなかったりすると、どうしてもキャッチ力が低下する。

だから、自分の中の空きスペースを作るかのようにダラダラしてゆったりと過ごすのは、自分に余力をプレゼントすることができる。


☆お気に入りのものを身につけたり日常使いする

服やかばん、靴なんかでもいいし、食器やタオルなんかでもいい。

とにかくそれを自分のために用意したり使うことで、自分の中に満たされる感覚とか、心地良い感覚とかが出てくる。




こういうハードルの低いことをすることで、自分の感覚がどんどん磨かれていく。

そして、数を重ねれば重ねるほど、「自己信頼」なるものが積み重なって大きくなっていく。

そういうのは自分の感覚でしかないから、外側から付けてもらうのは難しい。

自分の中で試行錯誤しながらも色々積み重ねるからこそ、自分への信頼が高まるんだと思う。

そうしたプロセスをたくさん経ることで、少しずつ自分の本音とか気持ちに気付きやすくなってくる。

最初からいきなり上手くはいかなくても、徐々にコツがつかめるようになってくる。




せっかくの新月だから、今日は1つ自分に何かを与えるのも自分の声を聴くことになる。

新月の願い事として、自分の好きなものを自分に与えるでも十分願い事が叶うことに繋がる。

私も思いがけない新月に、今日はどんな特別を自分にプレゼントしようかとワクワクしている。

普段はしないような小さな特別を自分のために用意するのもとっても粋なことだなぁと思っている。

2020年7月31日金曜日

㉗【おいせさん手帳】枝豆のにおい








おいせさん手帳第27回目
担当:私

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


7月31日

夏の空気を体にプレゼントする。
自然とたわむれる日

太陽の熱を感じてみよう。太陽の光に目をこらしてみよう。
体を通り抜ける風を感じてみよう。
耳に飛び込んでくる音を拾ってみよう。
「夏のにおい」を探してみよう。
冷たいものを口に入れて、その冷たさをのどで味わってみよう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




この間、仕事用のカバンと一泊用のトートバッグ的なカバンとを探しに行った時だった。

車を運転中に、去年の夏、米の仕事で世話になったヨシダさんから電話がきた。

ヨシダさんとは今も不定期に会っている。

スピーカーにして電話に出ると、飲みのお誘いだった。

明日8月の最初の日に約束をして、電話を切った。




またすぐに折り返しが2回かかってきて、でも気付かずにそのままだった。

着信を見て、今度は車を目的地に停めてからヨシダさんに折り返した。

最初の電話の時に、ちょうどヨシダさんの住んでる町のすぐ近くにいるとは言った。

ちょうど信号待ちしていたから、信号脇の地区名の看板を読み上げたくらいだった。

そうしたらヨシダさんが、枝豆やるっけ!(やるっけ=あげる)と言って、帰りに米の仕事の場所に寄ることになった。




色々と用事を終えてから、ヨシダさんと約束通り、米の仕事場に着いて電話を入れた。

1年ぶりとは思えないくらい遠くに感じたり、はたまたもう1年も経ったのかと驚いたりした。

あいにくの雨で広い空は見えなかったけれど、それでもそうやってヨシダさんを待つのは全く苦じゃなかった。

思い出してもらってもらえることの凄さや縁というものの不思議を思う間もなく、ヨシダさんはやってきた。

畑から採ったばかりの枝豆とミニトマトとは呼べない大きなトマトをたくさん持ってきてくれた。

ヨシダさんの作る作物には前々から興味があったから、まさかそんな風に夏野菜をもらえるとは思っていなくて、思いがけないおいしいプレゼントがものすごく嬉しかった。

ヨシダさんは私に渡すもの渡したら、本当に話もせずにじゃあな!と言ってまた家の方に向かって車を走らせた。



雨の中、車を走らせると枝豆特有の土の匂いと青くさいにおいとがした。

どんどんそのにおいは強くなった。

すっごい好きなにおいとは違うけれど、新鮮なもの特有のにおいだった。

もらうのも食べるのも一瞬だけど、そこまで大きくするのは何ヶ月もの時間がいる。

色んな天気の中でヨシダさんが日々世話したものが枝豆やトマトなんだと思ったら、そしてそれを何の見返りも求めず、私が近くにいるという理由だけで分けてくれるのが本当に嬉しかった。

そして、そのにおいを嗅いだ時に、今日のこのブログにはこのことをおいせさん手帳の内容とからめて書こうと決めた。

書いたものそのものが、車内の枝豆のにおいと重なった。

紛れもない、夏のにおいだった。



家に帰ったら、普段料理なんか全くしない父が枝豆をもいでくれることになった。
(「もぐ」は方言かもしれない。「もぎとる」という意味)

母がいつかの夏に見た枝豆の上手な茹で方で即茹でてくれた。

枝豆もトマトも本当においしかった。

ほっぺたが落ちるとは、まさにそういうことだと思った。

枝豆もトマトもその甘さは他に類を見ない甘さだった。

本当においしかった。




そんな風にして、夏の思い出が1つ増えるのは素敵なことだった。

ふとした時に思い出してもらえることや、こんな風に何かを分け与えてもらえること、そのどれもが本当に貴重なことだとつくづく感じる。

ヨシダさんもいつまでも生き続けるわけではない。

いつか必ず終わりの日がやってくる。

こういう思い出を1つでも多く紡げることの凄さと貴重さを思うと、グッと胸にくるものがある。

今年の夏らしくない夏の一コマは、こんな風にとっても素敵なものになった。

2020年7月28日火曜日

㉖【おいせさん手帳】心のお守り




おいせさん手帳第26回目
担当:私

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

7月28日

あなたの心のお守りを確かめてみよう。
不動明王の縁日

不動明王の梵名を直訳すると「揺るぎなき守護者」という意味になります。自分にとって心のお守りとなってくれる守護者(物)は何でしょう?パッと思い付いた人はその守護者(物)にありがとうと伝えてみましょう。思い付かなかった人は、いないのではなくまだ出逢えてないだけなので、自分にとっての揺るぎなき守護者と出逢うまで楽しみに待っていましょう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




今日のこのメッセージのためのブログを書くにあたって、当初3つほど内容の候補があった。

さすがに3つ全部は書けないと思って、あとは直前になって書こう!と思ったものを選ぼうと静かに決めてた。

数日前は3つのどれもが同率1位みたくなっていたけれど、日を追うごとに他の2つは何かもはっきりと思い出せず、気付けば書くことは1つに自動的に絞られた。

ある意味予定通りだなという感じ。





書くのはいいけれど、またこの話題を書くのかと思うと、多少気が引ける。

痛い人と思われようが、頭大丈夫?と思われようが、しつこいと思われようが、それでも書けてしまうけれど、最近特に話題として多すぎやしないだろうか?とは思っている。

仕事の行きと帰りの車の中で思った。

読み手となる本人からして、自分のことをこと頻繁に書かれるってどんな気持ちなんだろう?って。

もう会わないとなれば、別に何を書かれても恥ずかしくもなければ痛くも痒くもないのかもしれないけれど、とにかく頻繁に同じようなことばかりグルグルと書かれて、それってどんな気持ちで毎回眺めるのかな…なんて疑問に思った。

私の書くこのブログってなんなんだろう?どんな立ち位置のものなんだろう?

そういうことも生涯知ることないんだろうなぁ…と最近はすっかりあきらめモードになっている。

だからこそ、今回の話はもってこいな話題だなぁなんて感じてる。





「揺るぎなき守護者」……自分にとって心のお守りとなってくれる守護者(物)は何でしょう?

心のお守りの最高に素晴らしいことは、そのお守りとなってくれる人なり物なりから許可を得なくていいことだと気付いた。

これが例えば「ごはんに行く」となると、相手の許可が確実にいる。

他の何でも、相手を伴うものは基本的に相手の許可が必要になる。

だけど、心のお守りには相手の許可は要らない。

自分の中でひっそりとお守りのようにしていても、相手の迷惑にはならないし、危害や気苦労も与えなくて済むし、相手も相手でそんなこと知ることも基本はないわけで、どこをどう切り取っても良いこと盛り沢山でも悪いことは1つとして思いつかない。

神社に売ってるお守りとかもそうだけど、お守りの許可はなくても、お金さえ差し出せばお守りを持つことができる。

自分側の意志だけで、自由に自分だけのお守りにできる。

お守りってすごい自由度も高ければ貢献度も高いし、そして持つ側は何の遠慮も謙遜もしなくていいのがさらにすごい。

「お守りにしてもいいかしら?」なんて断らなくてもいいし、「私がお守りにするなんてめっそうもない」なんて言う必要も思う必要もないし、ただただ好きに自分の中に持てるのがとっても素晴らしい。





そんな風に勝手にお守りにして早3年。

何が大きかったかと言えば、私の中の芯、軸のような感じで居続けてくれたこと。

生きることに楽しさを見出せず、何で生きるの?と思うくらいローテンションで、自己否定も激しくて、とにかく不具合満載だった私の人生。

そんな中で、いつも中心にあって、そして何があってもそこをいつも心の拠りどころにできたのはとっても大きかった。

思い通りではないこともたしかにたくさんあったけれど、こと心のお守りに関しては、何ひとつ不具合はなかった。

むしろいつも元気やパワーをもらえていた。

本物のお守りだった。

そういうのって、欲しいと思えばまたは言えば手に入るものとは違う。

すごい確率の中をぬって、このように引き合わせてもらえたことは、ものすごく幸運でしあわせだと断言できる。

2020年6月2日火曜日

⒅【おいせさん手帳】心を開く




おいせさん手帳第18回目
担当:ノム

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


‪6月2日‬
‪心の扉をいつもよりもオープンにしてみましょう。‬
‪横浜港・長崎港 開港記念日‬
‪ ‬
‪1859年の今日、横浜港と長崎港が開港。以後の貿易の要となりました。‬
‪そのような日に乗じて、今日は自分を開く日にしてみませんか?‬
‪普段よりも、少しだけ大きな声で挨拶をしてみる。‬
‪いつもは飲み込む自分の意見を、一言だけでも伝えてみる。‬
‪心の扉を開く鍵をもっているのは、誰あろう自分自身なのです。‬
‪ ‬
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




これを書く少し前に英和辞典をパラパラとめくっていた。

どういうわけか「breakfast」が目に留まった。

そして次の瞬間、人生で初めて「ブランチ」なる言葉を知った時のことを思い出した。

私がブランチを知ったのは、17歳の終わりか18歳になってすぐの頃だった。

なんだかこのテーマに関係ないことを考えてる風だけど、よくよく読むとするりするりと繋がって、なんだかいい具合に書けそうな気がした。

だからこのまま書き続けてみようと思う。

私にブランチを教えてくれたのは、1つ年上ののんちゃんだった。

高校に行かなくて良くなった2月くらいから、私は3ヶ月間横浜に住んで、横浜から東京の阿佐ヶ谷まで通った。

阿佐ヶ谷で英語の語学研修を受けていた。

そこの代表の方の持ち物のマンションを借りて、のんちゃんと私ともう1人の女の子とで3人共同生活を送った。

のんちゃんはニュージーランドに1年間高校留学をして、それで卒業が1年遅れたと本人が言っていた。

年上とは思えない気楽な関係を最初から築けた。

当時の年齢の1歳2歳の差はとてつもなく大きかったけれども、のんちゃんはそんなことを微塵も感じさせない自然体の人だった。

出身も大阪とあって、生の関西弁に初めて触れた私は大興奮していた。

ハーフみたいなお人形さん風な顔立ちで本当に可愛い容姿なのに、「違うねん。うちはかあさんが鹿児島で、その血が濃いから顔が濃いねん。ハーフでもなんでもない、純日本人やねんて」と教えてくれた。

しょっちゅうその質問を受けるようで、本当に答え慣れていた。

そしてある時、のんちゃんが「ブランチ」という言葉を何かの折に教えてくれた。

家の中だった気がする。

「朝と昼兼用のごはん、breakfastとlunchを足してbranchになんねん」

ブランチなる響きに私は酔いしれた。

なんて素敵な響きでなんて素敵なスタイルなんだろう…と思った。

その時以降、私は何回も何回も人生の中で「ブランチ」をした。

もっぱら一人暮らしの時に、午前の遅い時間に食べる時は「ブランチだなぁ」と何の意味もなくそう思って食べていた。




「心を開く」

ブランチのことを思い出した時、「心を開く」にぴったりだと思った。

コテコテの和風の田舎暮らしな我が家では、「ブランチ」なんて文化はなかったし、今現在両親と共にいて「ブランチ」はない。

たとえそれがブランチ的なものになっても「遅い朝ごはん」か「早い昼ごはん」になる。

ブランチというスタイルを自分の人生に取り込む行為は、「未知のものに心を開く」ことに繋がるように感じる。

コロナウイルスでstay homeが謳われ、その後は「新しい生活様式」という言葉を皮切りに、ありとあらゆる分野に新しいスタイルが持ち込まれている。

どちらかと言えば、窮屈で不自由なものが多かったりするけれども、そこに心を開く開かないは個人の自由なんだなと思う。

心を開いたら開いた未知の世界に、反対に心を開かなければ開かない未知の世界に、今は否が応でも対峙することになる。

どちらが正解ということもないし、人によって正解は十人十色で無限大にある。

そんな中で、少しでも面白い方に心を開けたらいいなぁと思う。

同じ未知なら、少しでも体験できて良かった!とか、知れて良かった!とか、そういうのがいい。

ブランチに胸を馳せたような、そういう心の開きはいくつになっても体験し続けたい。





この話の最初に出てくるのんちゃんとの共同生活は「横浜」だった。

今日のノムの言葉の中に「‪横浜港」が出てくる。‬

‪偶然な重なりだったにしても、どうしてブランチを思い出して、それと同時にのんちゃんを思い出して、そしてその人生で初めてブランチを耳にしたのが横浜で…、なんという繋がりだろう。‬

‪長崎港とは違うけれども、私やのんちゃんに宿を提供してくれた当時の代表の方は「小倉」さんと言った。‬

‪これもまた九州の地名だなぁって今いま思い出した。‬

‪当時の小倉さんは今の私か私より少し上くらいだったと思う。‬

‪小倉さんは、親の家業を引き継ぐことになって、鉄工所だったかの製造関係の会社の社長がいわゆる本業だった。‬

‪なんだけど、本人にとってアメリカ留学は大きな転機であり、人生の中でかけがえのない時間だという自負があった。‬

‪だから、そちらの道を拓く仕事を開拓した。‬

‪本当に熱意と気持ちがなければやれないことだと、本人の口からもそれとなく聞いたし、営業マンのうちの父からもそんなことを聞いた記憶がある。‬

‪あの人は、本当に気持ちだけであの仕事をやっていると。‬

‪小倉さんも、未知の世界に自分の心を開いた人だった。‬

‪それも本業があるにも関わらず、自分の夢をどうしてもあきらめられなくて、すべてに全力で向かった人だった。‬

‪私が大学に行っていた間に、小倉さんは事業を畳んだ。‬

‪私やのんちゃんをはじめ、各地に旅立ち大学生活を始めた各々は、もうサポートは不要だった。‬

‪それぞれがそれぞれの道で自力で立てばいいだけだから、アメリカに行くまでのようなサポートは要らなかった。‬

‪だけど、日本にいる親たちはそうじゃない。‬

‪うちの父の話だと、小倉さんは事業を畳んだ後も、親たちへの情報提供や相談なんかのサポートは続けたようだった。‬

‪今書いてて思い出したけれども、大学を卒業して社会人になった1年目とか2年目、もしくは3年目くらいだったかもしれない、父と私と2人で東京に出向いたことがあった。‬

‪小倉さんが有志を募って、自分が世話した学生たちとその親を集めて会を開いた。‬

‪もうその時が最後だからということで、小倉さんが開いた会だったように思う。‬

‪うちの父は、曲がってることは本当に嫌いなタイプで、当時の事務局の逃げた別の人のことはとても嫌っていたけれども、小倉さんのことは信頼を置いていて、その会には最後だから出ようと私に言って、それで2人で東京に行って、どこかの会場でちょっとしたパーティーみたいな感じの会に出た。‬

‪父と私と小倉さんの3人で話した時間があった。‬

‪記憶もかなり曖昧だけど、1つだけ憶えている。‬

‪小倉さんは私が子どものいる施設に勤めたことを大層喜んでくれた。‬

‪小倉さんが私のことをフミコと呼んだかフミコさんと呼んだかは記憶にないけれども、少なくとも2回ないし3回くらいしかゆっくりと話す機会なんてなかったと思うけれども、その時に私が子ども相手の仕事をしたいと、スクールカウンセラー的なことをしたいと言った話をきちんと覚えていて、それで私の当時の仕事に就いたことを心から喜んでくれてた。‬

‪父があの時言った言葉が今書いたことで思い返された。‬

‪本当に小倉さんという人は、気持ち1つで仕事をしていた人だった。‬

‪重責な本業の経営もありながら、留学の道を拓く事業を本気で全身全霊でやっていたことがわかる。‬

‪すごい大人に会わせてもらえていたんだな…と40も過ぎた今初めて気付いた。‬

‪何の話なのかよくわからなくなってきたけれども、心を開いた先にはいつも素敵な何かが待っている。‬

‪そんなことをこれを書きながら思い出した。‬

2020年5月23日土曜日

⒄【おいせさん手帳】心コミュニケーション




おいせさん手帳第17回目
担当:ノム

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


‪5月21日 ‬
‪内なる子どもの興味のまま、行動してみませんか?‬
‪太陽が双子座へ‬
‪ ‬
‪今日から双子座のシーズンの始まり。双子座は、好奇心旺盛なエネルギーです。‬
‪見るものすべてが新鮮な“子どもの目”を取り戻してみませんか?‬
‪いつもと違う道を冒険するような気持ちで選んでみる。‬
‪思っていることを、人目を気にせずに喋ってみる。‬
‪公園の芝生を裸足で歩く。自分の中にいる内なる子どもと遊ぶように過ごしてみましょう。‬

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




私が話す時の基準の1つに
「これを言ったら相手はどう思うだろうか」
というのがある。

それは相手への気遣いではなくて、自分がどう思われるかとか、相手が私を非難したり否定したりしないかという心配からくる。

その辺りの慎重さや神経質な感じは、子どもの頃からの癖で筋金入りだから、表面上適当に取り繕えても心の中では実はすごい警戒していたり相手の様子や態度を観察している。

そんな私がノムと話す時はガラッと変わる。

まずは、「こんなこと言ったら…」とかいう心配をすることがほぼほぼない。

もし気になるような何かを言う時は、「もしかして気になってしまうかもだけど」とか「こんなこと言って不快にさせたらごめんね」とか、こうして言葉にして書こうとすると何という風に具体的に言っているのか思い出せないけれど、何かしら前置きをしてから言っている。

それはノムも同じで、ひと呼吸置く言葉を言ってから本題に移っている。

もちろんいきなりそんな風になったのとは違うけれども、お互いに気にして、気にしながらの言葉も互いに伝え合って、確認し合って、その積み重ねの中で「話して大丈夫」という絶対的と呼んでもいいくらいの安心感を手に入れた。

今でも相変わらず確認する時はするし、何か前置きの言葉があった方がいいと思う時は前置きの言葉を言う。

なんだけど、言いながら実のところ、心の深い部分では「大丈夫」と確信しながら話し始めてるような気がする。





ノムと話す時というのは、ほぼほぼ雑談がない。

ごくたまに「何を食べた?」とは聞いても、気付けば常に中身の濃い話をしているから、実のところノムの日常の細かいことはほぼほぼ知らない。

ノムが家にいることや何かを書くこと描くこと、ぽつんと一軒家が好きなテレビ番組の1つなこと、ごはんはミッチーが作ってくれること、2人のお風呂の順番、マニアックなことはあれこれ知っているけれども、多分だけど、世の中でよくされるタイプの雑談はしない。

ほとんど全ての会話は、「自分の中にあるもの」を中心に繰り広げられる。

それは日常の中にある出来事の場合もあるけれど、それだって導入にしか過ぎず、そこからどんどん自分の深いところに潜るような話を延々と2人でする。

私は仕事の悩みや困ったことをあれこれノムに話すけれども、それも多くの場合ノムの知恵が欲しくてとか、そこから感じる自分の内面を放ちたくて、それで話している。

単なる愚痴とはだいぶ様相が違う(ノムはどう見ているかは知らないけれども)。

2人でする話は、どこからどこまでも自由で枠がない。

枠があるとするなら、「自由に話すこと」になるかと思う。

2人の中の暗黙の了解がある。

「否定しないこと、傷つけないように気をつけること」

別にそれは相手がノムだからとか、相手がぶっしーだからとかいうことじゃない。

相手が誰であろうとそれだけは自分でも気をつけるように普段から心がけているし、ノムもそれを日常的に実践していることは話を聞いていたら伝わってくる。

だからこそ安心して話せる。

否定されないって知っていたのなら、本当にどこまでも安心して自分の思ったことや感じたことを話せる。





これをアップする何日か前にノムからメールが来た。

「ぶっしーにも送りたい! ってまた衝動。」と言いながら、ノムが昔書いたという小説が送られてきた。

ノムいわく10000文字近くあるとのこと。

それを躊躇せず送ってもらえたのもとっても嬉しかったし、そして私は私で「ノム昨日は小説をありがとう❣️あれはね、夜中目覚めた時とか週末の夜明け前とかに読もうと計画中!読んだ後にもう一眠りできる状況下で読みたいなぁと。」と返した。

ノムはそれに「ぶっしー、メッセージありがとう!  光栄だなんて、こちらこそ光栄だよー!  その、読みたいシチュエーションも完璧!笑   なんというか、もう、小説世界にチューニングしてくれているって感じてほんとにうれしいし、すごい感性だなあって思う😍」と返してくれた。

こういうノリ、いいなぁと心から感じる。

自分の創作したものを人に届ける、ってすごい勇気がいる。

人生の中でもハードル高めのことの1つと言える。

私は普通に読むシーンを想像してそのように書いたけれども、それだっていつもなら言う言わないをものすごく迷う。

ノムならそれに乗ってくれるというのがわかるから、だからそんな風に返信することができる。

躊躇せず不安にもならず、思ったまま思ったことを言えるのって、大人になればなるほどその価値の重みを感じるし、そういう人に1人でも生きている中で出会えたのならウルトラスーパーラッキーになる。





私は予告通りノムの小説を週末の朝、外は明るいとわかるぐらいだから5時前頃に一度目覚めた時に読み始めた。

双子座の新月を過ぎて3時間くらいの、土曜日の朝早くに、まだぼーっとした頭でピンクの文字を目で追った。

ぼーっとしたままだけど、どんどん物語の中に吸い込まれていく。

しかも、何も見ずの状態で、変な時間に目覚めてその後二度寝ができる環境下で読みたい!と思った私の野生の勘は大当たりで、まだ起き上がっていない時間に読んでその後にもう一眠りするにはこれ以上ないしっくりくる話だった。

細胞にやさしく語りかけるみたいな感じで、ノムに聞いてこのブログで紹介するなりリンク貼るなりしたいなぁと思う。

まだはじまりのところしか読んでいないけれども、その中に「死ぬ間際に思い出す会話」みたいな言葉が出てくる。

ノムとの会話のどれかは間違いなく「死ぬ間際に思い出す会話」の1つに出てくる気がする。





本当は、おいせさん手帳の当日にアップしたかったけれども、その日もその翌日も寝落ちして書けなかった。

だけど今回はどうしてもアップしたいことで、その中の「‪思っていることを、人目を気にせずに喋ってみる。」の部分に焦点を当てて書ききりたかった。‬

‪本当はもっともっと言いたいこともあったけれども、あれこれ講釈を垂れるよりも、ただ‬ただ思いついたまま書いたこのスタイルの方がしっくりくる。

今朝(5/23)の新聞のコラムに、私とそんなに年の変わらない映画監督が、コロナによって信じていたものが色々覆されて何も信じられない時代になってきたみたいなことを書いていた。

何も信じられない、何もかもが嘘の上に成り立っていて今はそれが暴かれている、そういう流れだというような内容だったかと思う。

私はそれを流し読みしながら、猛烈に「違う」と思った。

私は逆だった。

たしかに色んなことが明るみに出てはいるけれども、その中でも絶対的にあるものがある。

嘘や虚構の上に成り立っていた多くのものももちろんあるけれど、それでも確実に残るもの、それでもいつでも真実を貫き通すものがある。

「‪思っていることを、人目を気にせずに喋ってみる。」‬

‪これができるというのは、どれだけの大きな可能性で希望だろうと思う。‬

‪そこにプラスして、それをシェアできる誰かが現れることを私は本気で信じていたし、今も信じている。‬

実際にノムという人が現れて、お互い好き放題に喋ってシェアしている。

まさに奇跡のような瞬間に巡り合って、そして可能性や希望は現実のものとして今目の前にある。

ありのままをシェアできる誰かがいるんじゃないか…という希望を捨てたくなかった自分に、「願えば叶う」こと、「信じたもの勝ち」な世界をノムは見せてくれた人だった。

絶望感たっぷりの自分の人生に私は光をどうしても見出したかった。

絶望するために生まれてきたわけでも生きているわけでもない。

どこかに明るいものや心安らぐものがあるはず、そしてそれを共有できる誰かもこの世に必ずいるはず、それを信じ続けた自分に降って湧いたプレゼントだった。

ノムの書く文章にこれまでもたくさん触れてきたけれども、今回のおいせさん手帳の言葉には別格の想いがある。

もしかして、おいせさん手帳が存在しなければ、今回のノムの言葉もこの世にこんな風には生み出されないままだったかもしれないし、そしてそこからこんな風に私が色々と感じることもなかったかもしれない。

すべては贈り物だなと思う。


(今から約10年前に書いたとのこと)

2020年5月12日火曜日

⒃②【おいせさん手帳】ノードが運ぶご縁




おいせさん手帳第16回目
担当:ノム


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

‪5月12日 ‬
‪人とのご縁の結び目が、切り替わりました。‬
‪ノードが蟹座から双子座へ‬
‪ ‬
‪太陽と月の軌道が交わるポイント“ノード”が、先週から切り替わりました。‬
‪ご縁が結ばれる人たちの雰囲気が変わり始めるかもしれません。‬
‪たとえば、ホームパーティーを楽しんでいた仲間から、‬
‪街をいっしょに散歩する仲間との時間が増えていく、そのような切り替わり。‬
‪初夏の気持ち良い風を感じながら、新たな出会いに心をはずませてみましょう。‬

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




太陽と月の軌道が交わるノードは、別名「ドラゴンヘッド (ノウスノード)」「ドラゴンテイル(サウスノード)」と呼ばれる。

この世に生きるすべての人が生まれた瞬間にドラゴンヘッド とドラゴンテイルが与えられる。

諸説あるけれども、ヘッドは今生のテーマ、テイルは過去世から今世に引き継いだもの(資質や能力)と言われている。

テイルは得意分野だったりするから今生は反対に力を入れるのではなく、そこを手放してヘッド側のテーマをやるようになると言われている。

私個人の例でいくと、ヘッドとテイルは2つでセットだと思う(2つは180度対角線上に位置する)。

私の感覚だと、私はヘッドよりもテイルのテーマが苦手だったりする(通常は逆のことが言われる)。

私のヘッドはオカルト能力を指すもので、テイルは自分の持っている専門知識を人に教えることになる。

これは私が思っていることだけれど(そんな説はどこにもないから、本当に完全な私個人の考え)、オカルトのテーマをテイル的なやり方でやるんじゃないのかなと思っている。

だから、オカルト的なものを人と分かち合うなり人のために使って、人に知ってる情報を教えるみたいな、両方ともやって初めて魂のテーマが完成する、そう思っている。

で、すごい繋げ方だけれども、「魂のテーマ」と呼ぶだけあって、ノードが絡むタイミングというのはご縁を運んできやすいと言われている。

占星術講座を受けていた時に先生から説明されたのは、こんな風だった。

どの人も18〜19年に1回ノードリターンと言って、ノード回帰を迎える。

自分が生まれた時のドラゴンヘッドの位置に、今現在のドラゴンヘッドが同じ位置に帰ってくることをノードリターン(ノード回帰)と呼ぶ。

で、先生いわく、そのノードリターンの時というのは、ご縁の扉が開いて、一度開いて入ってきた縁についてはもう後戻りはできない、強制的な力でその後も続いていく、はたまたはその続く縁の中で自分の魂のテーマをやるようになる。

そんな風に説明を受けた。





ここからは私の話をしたいと思う。

私が前回のノードリターンを迎えた頃は、37歳と2ヶ月半位の時で、これは後々わかったことだけれど、ノードリターンのその日に私は名古屋を引き払って今の新潟の実家に帰ってきた。

あれから4年ほど経った今思うことは、あの日これまでの環境や人間関係が幕を閉じて、次の新たなフェーズに入るようになっていたんだなと思う。

ノード回帰のその日に新たに人に出会うということではなく、その前後から少しずつ色んなものが変化していったことが今ならわかる。

実家に戻る2週間ほど前に、私は自分の相棒となるペンジュラムを手に入れた。

ペンジュラムは本当に、私と色んな人やモノを繋げてくれる最強の相棒になった。

ノード回帰の日に新潟に戻って、本当にふてくされるぐらいに新潟に住むのは嫌だったけれども、その後から今に至るまで言葉にはできないくらいたくさんの出会いと運命ーー命が運ばれるーーに出会わせてもらった。

やっぱり色々あっても、断トツで人に恵まれた。

死ぬ間際に思い出す人、思い出すシーンの中にいる人、そういう人たちが4年前のノート回帰の後から増えたように思う。

そういう人たちに出会えば出会うほど、出会いの完璧さを思う。

寸分の狂いもなく、本当に出会うべくして出会う人たちにピッタリのタイミングで会わせてもらえる。




今日はどうしても筆が進まない。

こんな風に不完全な日があってもいい気がする。

また日を改めて書いてもいいし、仮にそれを忘れ去って日常に埋もれるのもこれまた1つのあり方としてOKだと思う。

2020年4月27日月曜日

⒃①【おいせさん手帳】前に進むことよりも、ずっと大切なこと





おいせさん手帳第16回目。
担当:ノム


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


‪4月27日 ‬
‪自分にとって、本当に大切なものは何でしょう?‬
‪冥王星が逆行‬
‪ ‬
‪占星術で「破壊と再生の星」とされる冥王星が、昨夜より逆行を開始。‬
‪自分の根幹をなすような部分に“待った”がかかるかもしれません。‬
‪あたりまえに続けてきたことを疑問に感じ始めるかもしれません。‬
‪一見、それは“停滞”と、ネガティブに思うかもしれませんが、‬
‪前へ進むことよりも、ずっと大切なことと向き合える恵みの時です。‬

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




夏の日を思い出す。

ノムが書いた文章の中でも、圧倒的な強さで心奪われた文章だった。

「前へ進むことよりも大事なこと」

自分に向けられた言葉みたいだった。

もっと早くにこの言葉に出会いたかったくらい、本当に引き込まれた。





30代の10年間は何度立ち止まったかわからない。

それも数回、そして短くても数ヶ月、最長は1年半立ち止まった。

本当は1年8ヶ月と書こうと思ったけれど、1年半過ぎた頃に米の短期の仕事に行ったから、だから「動いた」という意味で1年半に書き直した。

本当にしんどい日々で、立ち止まっていた間は、笑ったり楽しんだりした瞬間もたしかにあったけれども、基本はしんどかった。

「動き出さなきゃ」

常に自分にそのように声をかけて、それで何とか自分を保とうとしていた。

何も決められない自分、何が楽しくて生きているのかわからない自分、今日でも明日でも人生が終わってもいいと思っている自分、そんな自分といることのしんどさと言ったらなかった。

何度も何度も「動きたくなる瞬間」を待った。

「動きたくなる」というのは、社会に出るだけじゃない。

布団から出るのに、トイレに行きたいでもおなかが空いたでもいい、そういう生理的欲求で構わないから、何か一歩を踏み出すきっかけが欲しかった。

私がしんどかった理由の一番は、何もしたくないのに何かしなきゃいけないと思い込んでいたことだと思う。

働かなくていいとも思えなければ、このままでいいとも当然思えなかった。

色々限界だったくせして、その自分の本当の気持ちをずっと無視し続けたんだなと思う。

日本にいて、何もせずじっとしているというのは、常日頃から自己評価の低い、自己否定の塊(かたまり)みたいな私からすると、生き地獄みたいな感じになる。

健康体で難解なことでなければある程度労働も提供できるくらいの能力はあっても、それでも働かない自分、何もしない自分は最低だと何度も思った。

なんなら親が家が建つくらいのお金をかけて私をアメリカの大学にまで出してくれたことさえも全部無駄にしているみたいで、もうただただ生きているのがしんどかった。





そんな時にもしノムの今日の文章に出会えていたのなら、どうだったんだろうと思う。

20代の終わり頃だったと思う。

1冊だけ鬱になった作家さんの小説を読んだ。

図書館で本を見たら絶対にわかるけれど、タイトルも著者名もうろ覚えだから、全く思い出せない。

どんな内容か知らずに手に取った本が、たまたま鬱になった作家さんの、おそらく実体験を元に書かれた小説だった。

その中の一節にこんな話がある。

その小説の中の主人公なり準主人公なりも鬱になる。

それに対して、その時じゃなきゃ、うんと下に屈んで(かがんで)みないと見えない景色がある、みたいなことを言っているところがあって、それにどれだけ救われたかわからない。

その時もだし、ノムの今回の文章もだけど、立ち止まることの偉大さを教えてくれてる。

20代の頃に一度だけかかった精神科でうつと言われた頃だった。

ある日の仕事帰りに、私は近くの土手を散歩した。

平日の昼間にそんなところを散歩している人なんて誰もいなくて、ゆっくりと歩いていた。

途中でアリの集団が穴の中と外とを行き来してみんなで食糧を運んでいるところを見かけた。

私はその場にしゃがんで、ひたすらその様子をじっと眺めていた。

それを見ていて、何か泣きたくなってしまう自分もいれば、生きてることそのものにも、そして自然の習性でそのように動いているアリたちにも、色んなものを見せてもらっている、そんな気持ちになっていた。

それから数年後、武道家の友達にその話をしたことがあった。

友達は笑い飛ばしてくれるのかと思いきや、真剣な顔して私に言った。

「ぶっしー、それ、しんどかったね」

友達はこんな風に続けた。

そんなことにまで目を向けて、そのアリの様子をじっと観察して色んなことを感じてしまうくらいに、それだけ神経が心が過敏に反応していたら、それは本当にしんどいよ、しんどかったね、よくやってきたね…、そんな風にとても静かに私を包むようにして言葉を伝えてくれた。

武道を何十年としている友達には、人の動きの1つ1つが次の動きに繋がるまで何重にも重なって、それでようやく1つの形になるということを体感覚的に知っているから、それを心の方で同じように感じ取った私をそこに重ね合わせて見てくれたんだと思う。

諸刃の剣みたいなもので、この細かさが人への心くばりとかそういうものに使われる時はものすごく良い方に向かうけれど、そうではなく使う先を見つけられず、さらには自分でも動けなくなると、その細かさは自分の心にとって凶器みたくなる。

当時は仕事をしていたとは言え、心は完全に疲弊していた。

何度も何度も私が立ち止まることになったのは、色んな理由が考えられるけれども、一番のことは「自分にやさしくする」ことがずっと長いことできなかったからだと思う。

30代の半ばくらいまで「自分にやさしくする」なんて考えたこともなかった。

だから、正しくは「できなかった」と言うよりも、自分にキツく当たりまくっていることにさえ気付かなかった。

そこに気付いた時から、たとえ引きこもりでもずいぶんと気持ち的に変わったと感じる。

自分にやさしくできないことにも私なんかは超ダメ出ししまくりだったけれども、そのことにさえ気付かなかった頃と比べたらものすごく進歩していた。

そして、そこが変わってからは、要は自分にやさしくするように努めてからは、徐々に雲が晴れるみたいな感じで、心の感触も変わってきた。





‪【あたりまえに続けてきたことを疑問に感じ始めるかもしれません。‬
‪一見、それは“停滞”と、ネガティブに思うかもしれませんが、‬
‪前へ進むことよりも、ずっと大切なことと向き合える恵みの時です。】‬

‪ノムが言うように、自分にやさしくすることは、私の場合、前に進むことよりもうんとうんと大事なことだった。‬

‪なんとなく動けていてなんとなく周りが求める結果も出していた頃、私の頭の中は「前進」ただあるのみだった。‬

‪前に進むことや成果を出すことが大事だと思っていた。‬

‪それは間違いではなかったし、それで実際に役に立つこともできたわけだから、全部を否定するつもりはない。‬

‪だけど、心はもうとっくに限界だった。‬

‪逃げ道のない自分という存在から四六時中ダメ出しを食らうわけだから、そりゃしんどくて仕方ない。‬

‪私は自分に「もっと」を求め続けた。‬

‪他の誰かではなく、私自身が私に「もっと」を求めた。‬

‪そうしているとは知らずにいたから、何で自分が動けないのか、何もしたくないのか、何だったら今日でも明日でも死んでもいいと思っていたのか、今ならよくわかる。‬

‪前に進まなくてもいいから、自分にやさしくすること。‬

‪結果が出せなくてもいいから、自分を他の誰よりもまずは大事にすること。‬

‪私の場合は、そこにすべての答えがあったと言ってもいい。‬

‪自分にやさしくできてからの前進やら結果やらが今の私には大事だったりする。‬





‪立ち止まることも時には大事ではなく、立ち止まることは本当にものすごく大事だと今の私は思う。‬

‪それは動くことよりも、もっともっと大切な何かがある。‬

‪特に動き慣れている私みたいな人は、立ち止まるのが本当に怖い。‬

‪立ち止まったらますます自分の存在価値が危うくなる気がしていたから、立ち止まったら終わりみたいに思っていた。‬

‪何度も何度も、合計するとおそらく30代の4年ほどは立ち止まって社会から離れたところで引きこもっていた時間、本当にしんどかったけれども、私は立ち止まって良かったと心底思っている。‬

‪また立ち止まることになったら怖いとも今も思うし、またいつ引きこもりだすかもわからない。‬

‪恐怖もある。‬

‪だけど、立ち止まっても色々何とかなったことは大きかった。‬

‪何にもどうにもならなくても、死なないし死ねないってわかった。‬

‪そして、なんだかわからないけれども、生き続ける限り、家でもお金でも食べ物でも必要最小限は何らかの形でもたらされる。‬

‪究極すぎる立ち止まりを推奨する気はないけれども、立ち止まることで初めて見える景色や気持ち、自分自身は必ずあると言えるし、そうしたものたちこそが自分を救ってくれたり後々に前を向けるようになる小さな投石になったりもする。‬

‪うつと言われた20代半ばの頃、友達がある時言ってくれた。‬

‪私がその場でずっと足踏みしているみたいで何も進んだ気がしないし、前に進める気もしないと言った時のこと。‬

‪「飽きるまで足踏みしたらいいよ!」‬

‪足踏みすることを否定しないどころか、そうした私のことも全身で大きなマルを作って「それでいいんだよ」と言ってもらえてるみたいだった。‬

‪私の勝手な予想だけど、今コロナで足止めを外から食らっていたり、これまで通りとはいかない状況にある場合、そこに向き合ったら向き合った分、それが自分に返ってくる気がする。‬

‪冥王星は破壊もするけれど、それは次なる再生に繋げるための破壊で、冥王星は単なる破壊だけをもたらすことはしない。‬

‪必ず再生とセットで色んなことをもたらす。‬

‪だとするなら、これまで通りとはますますいかないコロナ渦では、どれだけその上手くない状況に向き合えたかが再生への鍵になる気がする。‬

2020年4月20日月曜日

⒂【おいせさん手帳】あたたかな世界





おいせさん手帳第15回目
担当:ノム


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4月20日 
五感を研ぎ澄ませ、目の前の世界をさらに豊かに。
牡牛座の始まり

牡牛座の始まり。牡牛座は“五感”を意味する星座です。
今日からのひと月は、五感を研ぎ澄ますことを意識してみると良いでしょう。
新緑の鮮やかさ、その匂い、手ざわり、初夏の風……。
感覚に意識を向けるほどそれは大きくひらいていきます。
そうして過ごすうち、自分の目の前に広がるさまざまな豊かさに気がついていくでしょう。


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夏の日に届いたノムの手書きのお手紙。

今もまだノムとミッチーの家のどこかにあるだろう黄色い紙に書かれた私宛ての手紙は、生涯忘れることはないだろうと思う。

ノムとやりとりするようになってすぐぐらいの頃だった(今日付を見たら、1年前のアメリカの独立記念日、7月4日だった)。

ノムと私は今でこそ自由にお互いにやりとりしているけれど、最初はもちろん手探り状態だった。

どの程度何かを差し出しても大丈夫なのかは知らないから、そのあたりを探り探りしていた。

最初にそこを打ち破って自由スタイルを持ち込んでくれたのはノムだった。

なんとノムは、私に手書きの手紙を書いて、そしてそれを写真に撮って送るという、過去に一度も当たったことのないとっても斬新な方法で私にメッセージを贈ってくれた。

「書く」ということに関しては、ノムと私は自分たちの持っている全ての手段を使い分けている。

LINE
メール
ショートメール
手書きの手紙写真バージョン
手書きの手紙郵送バージョン

ノム以外にその全てのジャンルを制覇している人など誰もいない。

お互いになんてことない日常の写真も送れば、昔撮った写真も送る。

とにかく自由という自由をとことん利用して楽しんでいる。

よくよく考えたら、こんなにも自由スタイルでやりとりする人なんて他に誰もいない。

話は戻って、1年前の7月4日に届いたノムの手書きの手紙の写真。

その中にこんな言葉があった。

「実は傷ついたり怒っていることもあるし、そうした反応(?)は、他の人にしてみたらほんとーにささいな一言だったり、言葉にもしていないしぐさやエネルギーみたいなものだったりして…」

この言葉に心底惚れ込んで、そして心底救われた。

ノムの言ってくれた言葉は、まさに私が長いことずっとずっとモヤモヤしてきたことで、それを初めて誰かから言葉にしてもらえたことだった。

私が過去から今現在にかけて、ずっとどこかで感じてきたことだけど、それを言葉にしたこともなければ、それが誰かによって言葉で表されていたこともなかった。

どんな心理の本にもスピ系の本にも書かれていない、だけど確実に私が日々色んな場面で色んな人たちから感じていることだった。

相手のしぐさやノンバーバル(無言語)な部分の相手がかもし出す空気とか雰囲気とか、そういうものを敏感にキャッチしてしまう、何もしてなくてもそういうものに気付いてしまう自分の感覚が、ノムの言葉によって初めて救われた。

そういうのは気のせいなんかじゃ絶対にないし、実際に私が感じてるように相手の心の中にはそれらしい感情が渦巻いていると思うけれど、そういうことをあまり人と話したことがなかった。

そもそもそんなマニアックな感覚をわかってもらえるなんて全く思わなかったから、誰かと話すことさえ自ら放棄しているようなところもあった。

ノムの言葉は私を救っただけじゃなく、理解してくれる人がこの世に確実にいるということも教えてくれた。

同じ感覚を共有できるってものすごいことで、このノムの言葉からさらに一層私はノムに信頼と好意を寄せるようになった。(好意はもちろん人としての好意。相手が異性だからと言って、すべてにおいて異性愛みたいに捉えてくる人の多いことも苦手で、なんで異性だからと言って「好意」と言うと恋愛的な好意とイコールにされるのか、それも個人的に納得できない(苦笑)。)

今日のおいせさん手帳を読んだ時、ノムとやりとりしたこのことが真っ先に思い出された。

ノムが夏の日に書いてくれたことは、まさに五感とか心で感じるもので、実際のところ実態はない。

実態はないけれど、心がザワザワしたり落ち込んだりする。

そうしたことをないものにするんじゃなくて、ちゃんとあるよって自分の中でしてあげると自分が楽になる。

ノムが言葉にしてくれたことによって、私は自分のその感覚を否定しなくて良くなった。

そうであることをそうだと素直に認められるようになったし、そうすると自分を肯定することにも繋がって、本当に気持ちが楽になれた。





ノムの見ている光と影の世界が本当に美しい。

なんてことない日常の風景をノムはよく写真に撮って送ってくれる。

なんてことないのに、子どもの頃から知っている原風景みたいな、見ていると泣きたくなるようなそんな気持ちにさせられる、そういう写真たち、風景たちがやってくる。

ノムが言う「新緑の鮮やかさ、その匂い、手ざわり、初夏の風……。」は、ノムにしかわからない風景がある。

色も匂いも手ざわりも風の感触も、ノムにしか見えてない感じてない景色がある。

その景色を時々写真に、時々絵に、そしてたくさんの言葉にして私にノムの世界を教えてくれる。

その世界観に自分が救われている。

小さい頃から色々居場所のなかった自分の中の色んなことが、ノムとの出会いによって大きく変わった。

もちろんこれまでだって素敵な人たちにたくさん出会わせてもらえた。

だけどノムはそんな次元ではなく、自分の中の根底から自分を肯定するために現れてくれたBuddy(仲間)みたいな、そういう存在だった。

自分のよくわからない感覚を私はどこかで否定していたし、そしていつも「誰からもわかってもらえない」とあきらめていた。

もちろん寄り添ってくれた人たちも私からしたらたくさんいる。

それ以上を望んだらバチ当たりだと思うくらいに。

だけど、一番やわらかくて一番繊細な部分は、誰とも分かち合わずにきた。

ものすごく気が合うと思っていても、小骨とも呼べないものが小さく突き刺さると、私はいつまで経ってもそのことが忘れられない。

忘れたフリをしても、絶対に忘れていない。

そういうものをずっと抱えてきたし、そしてそれを生涯1人でやり過ごす覚悟もしていた。

誰だって孤独があって、誰だって誰にもわかってもらえない何かがあると思っていた。

ノムはその部分を言葉にしてくれる人で、そして言葉にできるということはその感覚を自分の感覚として知っていて持っている人だった。

ノムが生きている世界、ノムが見ている世界、そこと交わると自分もただただいるだけであるだけで癒される。

それこそ五感やその五感を超えたところで自分が癒される。

ノムがこの牡牛座メッセージに込めているものは、五感という名の自分の感覚、しいては自分を大事にしてねという互いに向けたエールを同志に呼びかけているみたい。

ノムの撮った写真の景色は、もう二度と同じ景色の色にはならない。

「今」という瞬間を切り取って、例えば明日も同じような天気で同じような時間に同じ場所で写真を撮っても、それはもう二度と同じにならないことをノムの写真はいつも教えてくれてる気がする。



2020年4月2日木曜日

⒁【おいせさん手帳】自分の感性という贈り物


桜2019



おいせさん手帳第14回目。
担当:私


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4月2日

唯一無二のあなた自身への贈り物。
桜開花の季節

桜の花を毎年心待ちにする気持ちは、日本人特有の感性です。桜の蕾から散る桜の花びら1つにまで日本人はそれらに心を向けます。この素敵な大和魂は、日本に生まれ育ったからこそ育まれる感性です。あなたの中に流れる感性は、あなたの中にだからこそ魂を宿しました。その感性は、あなたが生まれた時にあなたの命と共に贈られたギフトです。

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さくらのことで面白い話がある。

ドミニカ共和国にいた時のこと。

日系人のご夫婦のお宅におじゃましたことがあった。

2人とも子どもの頃にドミニカに渡ってきて、当時はおそらく若くて60代、もっと上だったような気がする。

数年に一度は日本に帰国するという。

その話の中で面白いことを言っていた。

「いつかの年、春に日本に帰って桜を見たんだけどね。日本人が毎年桜を心待ちにする、あの気持ちがわからない。たしかに綺麗だったよ。だけどまた来年もその次の年も見たいかって言ったら、そんなことはなくてね。だけど日本じゃ毎年楽しみにしてるって言うじゃない。不思議な感覚だよね」

私はこの話を聞いて、心底驚いた。

ご夫妻は生粋の日本人で、ある時までは日本国内で普通に日本人として生活していた。

ところが、ドミニカに渡って、少なくとも成人以降はずっとドミニカにいるし、今さらもう日本で生きていきたいとは思わないみたいなことも言ってた。

ドミニカは年がら年中半袖でいけるような気候で、四季がない。

雨期と乾期があると言っても、雨季は1日の中で多少雨が降るという程度で、私はあの国で最後の最後まで傘を使った記憶がない。

傘さえも持ってなかったかと思う。

とにかく四季がない風土だから、日本のように毎年桜を心待ちにするなんていうような感性もない。

その日系人のご夫妻が特別なのではなく、ドミニカにいる人たちなら皆似たようなことを言うのかもしれないなと思う。

それを聞いた時、初めて「桜を毎年心待ちにする」とか「桜を愛でる」とかいうのは、日本に住み続けることで自然と培われる感覚なんだと知った。





私が自分の感覚を、意識して一番に据えるようになってから2年くらいになったと思う。

前は自分の色んな感覚に全く自信もなければ、自分の感覚があまりにも世間のものさしとは違いすぎるとドギマギしてしまっていた。

自分じゃなくて世の中が正しいような気持ちにしょっちゅうなっていたし、自分は何かを間違えているんじゃないかと不安にもよくなった。

いつの時が本当の意味での転機となったのかは今となれば思い出せないけれども、ある時から「自分はこう感じてる」のその自分の感じ方を大事にするようになった。

周りは私に対してどう反応するかはわからなくても、私は少なくともそのように感じてる以上誤魔化すことができなかった。

今思うと、そのようにしていたからこそ、自分のオカルト的な感覚もどんどん増すようになったと思う。

私にとって自分の感覚を信じることは、すなわち色んなものをキャッチしてしまう見えない世界のものに対するパイプも太くする結果となった。

自分だけは自分のことを信じよう、そう思えるようになったことがとっても大きかった。

そう思えるようになってから、自分自身もとても楽になれた。

自分を疑うというのは、今振り返るととても骨の折れることで、ものすごい労力を必要とする。

それは自分を否定していることにも繋がっていたから、余計としんどかったなぁと思う。

今も自分を疑ったり否定したりはするけれど、以前に比べたらうんと良くなった。

そして、自分の感覚を肯定すればするほど、それで間違えても仕方ないと思えるようになったし、自分自身も「これでいいんだ」って思えるようになった。

自分の感覚を基準にできるというのは、周りに惑わされず自分の信じるものを深められて、自分にとっての安心感が得られる。

ここに来るまで本当に長かったけれども、ようやく自分を信じて大丈夫だなというのが少しずつ増えてきて、増えた分生きづらさが減って生きやすさが増した。

こんな風になって思うのは、自分の感覚というのは自分にプレゼントされたものだと知る。

誰でもその人にしかない感性がある。

その感性に正解も不正解もない。

正解も不正解もないなら、その自分の感性をいかに好きかやいかに居心地良くいられるかが大きな鍵となると思う。

2020年3月25日水曜日

⒀【おいせさん手帳】色んなI(私)を愛おしむ

↑最近、なぜか写真が横になる




おいせさん手帳第13回目
担当:私


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3月25日

自分の内に宿る色んな「I 」を愛おしむ。
牡羊座の新月から一夜明けて

「I am(私は…)」に続くものにどんな自分を思い浮かべますか?
評価の高い自分だけではなく、隠したい自分に目を向けてみて下さい。
その自分も大切なあなた自身を形作る重要な1パーツです。
否定したくなる自分自身もこれまでずっとあなたと二人三脚してきました。
これからの時代の開運の鍵は、そうした自分にも光を当ててあげることです。


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自分が書いた文章の中でも、これはかなり好きな方に入る。

トップ3に入りそうなくらい。

文章そのものも「上手く書けたな(o´艸`)」なんて思っているけれども(笑)、それ以上に内容がとても好き。

そして、みんなに言い回ってこの考え方を広めたいくらいに良いものだと思っている。





自分の内面を見続けてる中で、自分の中でブレークスルーと呼ばれるようなタイミングは、ここに書いたメッセージのように、自分の嫌だと思うところを受け入れられるようになったあたりだった。

コーチングの個人セッション、人生はワクワクすることにあると提唱した本の勉強会、コーチングスクール、NLP(神経言語プログラミング)受講と大きくその流れを3年くらいかけて経た後、ある程度人生は上向いたけれど、その後も私の人生は色々と崩れた。

ちなみに上向いたのを、言葉にあえてするなら
・内臓疾患の服薬治療終了
(服薬で効果が出なくて悪化したら手術と言われていたものが、どういうわけか数値も大きさも標準値となって寛解した)
・仕事の売上と契約率大幅アップ
・働き方改革成功
・契約社員になった後、過去最高のボーナス支給(正社員の頃よりアップした)
・コーチングスクール受講に際して、某奨学金制度が通って、半分は返済不要の奨学金でスクール代金賄う
とかいう感じで、なかなかなミラクルをいくつも体験した。

自分で書いてて思ったけれども、そういうことがあっても尚生きづらさを感じていた私は、生粋のひねくれ者か社会不適合者なんだと思う( ̄∀ ̄;)。

奇跡の体験も色々させてもらえたけれど(本当に悲喜こもごも、実体験による話のネタはいくらでもある)、それでもまだ心の芯の部分にはいつも生きづらさがあって、何かに追われるようにいつも落ち着かないものが鎮座していた。

今ならその正体がわかるけれども、当時はどうしていつまで経っても生きやすくもならなければ、心の奥底から安心できないのか、さっぱりわからなかった。

ちなみにその正体は、
・ダメだと思う自分を何とかしなきゃいけないと思っていること
・「良い」とされる基準に自分を合わせることが大事だと信じていること
・生きているからには、好きなことや興味のあることを仕事にするのが良き生き方だと信じて疑わないこと
・人生が良くなれば、パートナーもお金も自然とやってくると信じていること
・よろしくないと思う自分の側面は、何とかして「よろしい」自分に変えていかなきゃいけないこと
なんかが含まれていて。

そして、それらを一言でまとめるなら、「それらが出来てない自分はダメだと、自分にいつもダメ出ししまくっていること」。

これは落ち着くわけがない。

自分に「それってダメだよね」と言い続けている限り、自分といる時がめちゃくちゃ居心地が悪い。

そりゃ自分といるのもしんどければ、自分といるだけで具合も悪くなれば、そんな自分と24時間365日なわけで、心が安らぐわけがない。

だから、いきなり「自分を受け入れよう!」となったのとは違ったけれども、極力自分にキツく当たらないように、ダメだと思っている自分もそれが自分だからと思うように、とにかく自分を丁寧に扱うことを始めた。

当たり前だけど、そんなのいきなりできるわけもなく、初期の頃は「自分を受け入れられない自分は、さらにダメすぎる」と二重三重にダメ出しをしていた。

「自分を受け入れるってなんだろう?」っていうのもよく思っていたことだった。

こういう時どうしたらいいか?ともし聞かれたのなら、「あ、また否定してるな」とただ思うだけ、気付くだけにすることって今なら答える。

自分を否定している自分自身に気付いてあげるみたいな感じ。

そんなこんなを繰り返すうちに、そしてさらに個人の人生として色んなことが厳しさを増してもうどうにもならないとなったのを何百回と繰り返したのち、色々ある中で「自分だけは絶対に自分の味方でいよう」と思うようになった。

冗談抜きで四面楚歌状態で、誰も彼もが私のニート状態に否定的で、受け入れてくれてた風の人も、言葉のはしばしで私ではない別の誰かを否定して、それと同じ状況の私もひそかに傷ついていた。

外に何かを求めてもダメだと深く悟った私は、それを自分に求めることに切り替えた。

人は変えられないけれど自分は変えられる、の典型的なものだった。

そういうことを本当にするようになってから、私の生きづらさはずいぶんと軽減された。

いきなりは軽減しなくても、時間や手間をかけた分、じわじわとその効果を感じられるようになった。

これまでダメだと思っていた自分についても、ダメとは思わず「そういう側面のある私」と思うようになった。

それが良い悪いで判断していたから苦しくなっていたけれども「そういう自分」とだけしておけば、可も不可もない。

他人に迷惑となるならば考えものだけど、そうでは無さそうなら、まぁ仕方ないかと年々流せるようになってきた。

あと、私のためと言ってあれこれ言ってくれる人たちの言葉をシャットアウトしたのもある。

これは気をつけて聞かないといけない。

「私のため」と言いつつ、相手は相手の価値観を押しつけていたり、今の私を否定していたりする。

自分が傷つく時は、「それは私の考えには合わない」とすることにした。

反論するのは面倒だし骨も折れるからしないけれども、心ではなるべく相手の考えと自分の考えに線引きするようにしている。

色んな流れの中で気付いたけれども、本気で私を受け入れようとしてくれる人たちの言葉は本当にやさしい。

相手の懐の深さや人間としての心の奥行きみたいなのがものすごくある。

そしてそういう人たちの言葉や態度には否定がない。

私がニートだろうが、社会から離脱してようが、ほぼほぼ引きこもっていようが、そんなことで私を判断しない。

私という人間をまるっと見て、それがぶっしーだねと、まるで私の苗字が武士俣だとか、今の住まいが新潟だとかいうのをそのまま受け入れるのと同じノリで、「だから何?」と言わんばかりにサラリと受け止めている。

そういう奇跡的な人種に出会えたこともとても大きかった。

そういう仙人みたいな、マザーアースみたいな、そんな人たちがこの世に存在していることにとっても感動した。

話がいつものごとく飛躍しまくりだけど、とにかく自分を受け入れること、否定している自分に気付いたらそれさえも自分だということを、とにかく腫れ物に触るかのように自分をそっと包んでいくことが一番の生きづらさを少なくするためのヒントかなと思っている。

時間はかかるものの、効果は抜群だから、私も堂々と薦められる。

最初に書いたような、健康や仕事、お金に関してのプラスの変化を手にした時よりも、こうしてダメな自分との付き合い方を会得した今の方がうんと生きやすくなった。

自分といて居心地が悪くなくなってきたし、変な強迫概念も薄れたし、これが自分だから仕方ないかと良い意味であきらめられるようになったし、自分に対してキツさが薄らいだ分楽になれた気がする。

社会からはみ出しがちな自分は今も変わらずあるけれど、それさえも仕方ないかと思っている。

だってそれこそが自分だから。

一説には、今後は私みたいな人がとっても生きやすくなるらしい。

☆*:.。.٩((*⁰▿⁰*))۶.。.:*☆←期待でギラギラ
キラキラじゃない、「ギラギラ」(笑)

自分の中の不一致感を減らした先の自分が、社会と調和してくれるとこの上なくありがたい。

でも間違いなく、このコロナ騒ぎをはじめとして、世の中の価値観は大きく変わっていくのは間違いない。

これまで通りとはならない。

そしてもっと見えない部分にフォーカスが置かれることになると思う。

そうした時に、色んな自分、色んな「I」私を受け入れられると、かなり生きやすさが増すのではないかなと思う。

外の価値観に振り回されない自分が自分の中にあったのなら、いつどんな時も自分だけは自分の絶対的な味方になれる。

そして外が周りの環境がどうであろうと、自分の内側は平和を保てる。

そうした諸々の実体験と想いとを込めて書いたのが今回の【自分の内に宿る色んな「I 」を愛おしむ。】になる。

2020年3月13日金曜日

⑿【おいせさん手帳】心の平和




おいせさん手帳第12回目。
担当:ノム。


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‪3月13日 ‬
‪世界平和は、自分の心の平和から始まります。‬
‪比叡の大護摩‬
‪ ‬
‪世界の平和や災害被災地の復興を願う法要、「比叡の大護摩」が行われる日。‬
‪今日は、1日のどこかで世界の平和を“担って”みませんか?‬
‪たとえば通勤電車、お風呂の中、寝る前のたった数分でもかまいません。‬
‪目を閉じ、ゆっくりと深く呼吸をして、自分自身を「平和」にすること。‬
‪世界平和は、自分の心から始まっているのです。‬


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ノムが「平和」と言うと、とあるエピソードを思い出す。

今となれば、それこそがノムとミッチーと仲良くなる一番のきっかけだったかもしれない。

去年の7月の初めだった。

ノムから、人間関係について相談されたことがあった。

言葉は忘れたけれど、ノムは最初からきっちりと「相談したい」だったか「話を聞いて欲しい」だったか、具体的に私にヘルプを求めた。

そんなことは初めてで、それは「これから僕たちは仲良くなります」とか、「僕はぶっしーを信頼しているよ」とか、そんな風に言われてるみたいでとても嬉しかったことを今でも覚えている。

その時は、ノムも恋人のミッチーも2人ともがものすごく悩んだ人間関係のあれこれがあって、それについて私がどう思うか、どう見立てるか、実に好き放題におしゃべりした。

当時の電話の時のこと。

途中からミッチーも加わった。

ノムも色々悩んでいたけれども、ミッチーは食べれない、眠れないくらいに悩んでいた。

ミッチーの一言で、私は事の重大さを初めて実感した。

ノムの話を聞いてた時も「それ大変だな」とは思ったけれども、ミッチーの食べれない、眠れない発言によって、それは一気に超重たいものだと知った。

言葉にすれば「人間関係の不具合」になるけれど、受ける側からすれば、自分の健康も日々のリズムも脅かされる、凄まじいエネルギーの大打撃で、それに直面直撃している2人は本当の本当に参っていた。

ノムもミッチーも最初は「大したことない」と思おうとしていた。

単に合わないとか、自分たちの受け止め方がちょっと大袈裟でそんなに騒ぎ立てるものじゃないとか、とにかく2人それぞれのやさしさで最後まで相手ではなく自分たちの感じ方に問題があると思おうとしていた。

だけど、そうしようとしていた2人の心の中は、ちっとも平和じゃなく毎日嵐が吹き荒れていた。

2人それぞれは、自分たちがどれだけそのことで心が掻き乱れて、日常はもはや日常のリズムを失い、本当にそんなことしてまで自分たちは今目の前に横たわっているものを続けたいのか?と問い始めた。

答えははっきりと出ていた。

そこから離れること。

そのことをやめること。

痛みや諸々のことがあっても、それをこれから先もずっと続けていくことの方が自分たちにとってマイナスで、そして今ある日々のしあわせさえも感じる余裕がなくなることの方が大きな痛手だと簡単に想像できて、最後は「おわり」を決めた。

おわりはすなわち「心の平和」だった。




あの時、「心の平和」を選んだノムとミッチーは、今とても健やかに平和に生きているように感じる。

もちろん色々あるだろうし、今は今で悩みや辛さはあると思うけれども、それでも根っこの部分は平和がきちんとあるって思う。

2人とやりとりする時、ノムもミッチーも芯の部分が常に平和でやさしいから、私もその空気に触れるだけで平和ややさしさをもらえる。

自分もホッとしたりほっこりすることができる。

平和ってお金で買えないもののひとつに数えられるけれど、こういう風に自分以外の誰かから分け与えてもらえる平和は、その中でも極上中の極上だといつも思う。

夏の日、電話越しのノムとミッチーが決めたことは、まさかそれから3つ季節を越えたら、おいせさん手帳シリーズに出てくるとは思いもよらなかった。

こんな風に思い出が増えることも、それが当時はとてつもなく切なくて、もしかしたら今だって思い出すとシクシクするかもしれないけれども、それでもそうした瞬間を共有できた思い出は、なんだかとっても嬉しい。

2020年3月1日日曜日

⑾【おいせさん手帳】菜の花と小さな幸せ




おいせさん手帳11回目。
担当:私。


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3月1日

あなたの小さな幸せを見つける。
菜の花の見頃

温暖な地域では菜の花が見頃を迎えます。菜の花の花言葉には「小さな幸せ」や「豊かさ」というものがあります。あなたにとっての「小さな幸せ」や「豊かさ」は何でしょう?それはあなたにしか絶対に知り得ない秘密の答えです。今日はその秘密の答えを1つ、自分の日々の暮らしの中に見出してみましょう。


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「菜の花」を思い浮かべる時、必ず思い出すシーンがある。

名古屋に移った最初の年だったと思う。

塾の仕事は本当の本当に色々強烈だったけれど、その中の1つチラシ配りもとても苦手な仕事だった。

どうして午後から教室に入って仕事しなきゃなのに、午前中は別の地域に行ってチラシ配りをしなきゃいけないのか、私には全く理解できなかった。

移動するだけでも大変なのに、行ったら行ったで今度はチラシ配りを3時間ほどして、その後全く好きでもない人たちとお昼を共にして(←超苦痛)、その後自分の担当教室に移動して授業の準備はじめ諸々をする。

本当にしんどいの他の何ものでもなかった。

しかも私は当時担当教室が決まったばかりで、そうでなくてもそちらが不慣れすぎてどうにもならなかったのに、さらにチラシ配りとは会社の配慮のなさに本当に辟易とした。

ちなみにそんな無茶ばかりをしていた頃よりも、平日4日と土曜午前のみの週4.5日の勤務に切り替わって、チラシ配りや会議なんかも全て免除、ただ昼過ぎから教室に行けばOKってなってからの方が、断然売上も上がって安定して、そして契約率もずっと高い数字を維持して、反対に退会数(塾を辞める子の数)は毎月ほぼゼロ、出ても1人とかいう有り得ない数字をずっと出し続けていて(周りは普通に数人単位の退会が当たり前だった)、本当の本当に会社の売上に大きく貢献した。

それはそうと、その一番余裕のない時にチラシ配りをしていた時だった。

ちなみに教室を持ってすぐは私ももれなく大量の退会数を出して(たしか10人をひと月で出したと思う)、そのクレーム対応までしないといけなくて、本当の本当に強烈極まりなかった。

ある日の、それはまだ2月になったかならないかの頃だった。

新潟にいたのなら毎日雪と格闘している頃。

太平洋側の名古屋ではほぼ毎日晴れの天気で、だからこそチラシ配りもなくならないという全くありがたくない天気の恩恵だった。(実際に雨の日は記憶がないけれど、中止にはならなかった気がする。)

今でもはっきりと覚えている。

そこは小高い丘の上で、住宅街の中の小径の坂を登りきったところに辿り着くと、目の前に街路樹的な木の周りにだけ咲くようにして菜の花が咲いているところがあった。

冬なのにもう菜の花が咲くというのが、新潟県民にはこの上なく珍しく、それを見てものすごく感動した。

生きていることさえ本当に嫌になっていたような時で、退職願は受理されない、休みももう何週間もない、仕事はやりたくないこと満載、本当の本当に嫌だった。

社会人した中で、仕事内容だけに限定して言うと、塾の時のクレーム対応が一番強烈な仕事だった。

塾を辞めた後に私はコールセンターの仕事をしたけれども、みんなが嫌がるコールセンターのクレーム対応は私は基本的になんてことない人だった。

なぜなら、塾の時のクレーム対応というのは、対面な上に、私個人に対するクレームなわけで、自分がいかにダメなのか、いかに子どもにとって親にとって色々不適切だったり相応しくないあり方なのかを延々と聞かされる。

自分の存在そのものを否定されてるような、本当にこの上なくしんどいもので、言われた後もしばらくずっと長く長く残り続ける。

最後の方、退会数も少なく多くの保護者の方たちと信頼関係ができた時に、お金を払ってでも私のところに子どもを通わせてくれる親たちには心底感謝しかなかった。

大量の退会数を出していた頃の私とその後安定経営になった頃の私とではっきり言って何も変わってなんかいなかった。

手際も悪いままだったし、子どもにもよく怒っていたし、子どもたちも何を好きこのんで私のところに通ってくるのかよくわからなかった。

そこは塾の激戦区とまでいかなくてもいくつか大手から個人まで競合他社が多くて、別に私のところじゃなくても他にも塾の選択肢はいくらでもあった。

成績が上がった子もいたけれど、そうではない子もたくさんいた。

それでも通い続けてくれたのは本当の本当にすごいことだったし、何人かの保護者からは「子どもがここが良いと言うんで」ということも言われた。

成績のことは絶対によく思ってないのは知っていたけれど、子どもがどういうわけか塾を辞める気はない、あそこに行き続けると言ってくれてたことで首皮1枚で繋がっているようなものだった。

最後の方は、手際が悪くてもそこは全部子どもたちがフォローしてくれるまでになった。

私が手際良くなるんじゃなくて、手際の悪い私に子どもたちが合わせて、私の足らないところは子どもが根回しして動いてくれたり配慮してくれたりするという、どっちが大人で子どもかよくわからないことになっていた( ̄∀ ̄;)。

今となっては、本当の本当に貴重な仕事をさせてもらっていたと思っている。

チラシ配りはやりたくないし、毎日ヒヤヒヤしながら数字や子どもの親に向き合うなんてもう二度としたくはないけれど、それでも本当に大切なことをたくさん教えられて、私の中の基礎力みたいなのも付いた感じがする。

当時長く見た子どものことは今でもはっきりと覚えているし、時々ふと元気なのかな…なんて思い出すこともある。

「菜の花」を見ると、当時の真冬の菜の花を思い出す。

そして、本当の本当に生きてるのが嫌になっていたのに、その時だけは生きてることの良さみたいなのを感じていた。

その心の風景と共に、小高い丘の上の住宅街の中にポツンと咲き誇っている菜の花の黄色が毎年菜の花を見かけるたびに思い起こされる。





時は変わってあれから10年。

「小さな幸せ」や「豊かさ」について最近思ったこと。

つい昨日も仕事のことで遠く離れた友達というか、友達というには少し遠慮してしまうような、だけど思いついたら連絡できる人に連絡をして、それで聞いてみた。

私は今のやってる仕事があまりに色々とありえなさすぎて、他業種と言えども商品カタログを作っていたことのあるその人に、カタログやもし取説なんかも扱っていたのならどういう風にやっているのかを聞いてみた。

少しのやりとりだったけれども、それだけでどれだけありえない内情にいるのかがよくわかった。

「海外で事故がおきたり訴訟になったりしないと変わんないかもですね」

そうまで最後に言わしめた状況なんだと知って、状況はわかったから、自分は今自分のやれることをするしかないと気持ちを新たにした。

ふとそのやりとりの後に、私は自分が今手にしているものの凄さを思うと同時に、それを手にするだけのことを自分自身もずっとがんばってやってきたんだということにも気付いた。

私はたしかにどこでどんな仕事をしていても人には恵まれている。

これは本当にそうで、必ず誰かに助けてもらったり気にかけてもらったりと、とにかく良くしてもらっている。

今も色々あるけれども、やっぱり周りから色々助けてもらっている。

そして長い付き合いの友達になればなるほど、私はそんなにも何か良きものを差し出せるような人とは違うけれども、それでもなんだかんだとみんな絡んでくれる。

それの大元は、やっぱりそういう人との関係において、私も私で相手に対して誠意を持って関係を作ろうと努力しているからだと思った。

たまたまラッキーが重なって今も関係が続いているんじゃなくて、相手にしても「関係を続けたい」と思ってもらえるような人間であろうとする努力を私も少なくともしている。

それは今の仕事で色んな人たちとやりとりしたことで気付かされた。

数えてはないけれども、私は少なくとももうすでに20人は越えたと思うけれども、そのくらいの人数の技術者たちとやりとりしている。

相手を信用できるできないという価値基準は、本当に小さなことだとわかる。

私は別に何も超完璧な説明とか、わかりやすい説明を求めてるのとは違う。

そりゃわかりやすいことに越したことはないけれども、そもそも技術的なことをど素人に説明することにどの人も慣れてないだろうから、たまに超わかりやすい人に当たる時、それこそが超絶ラッキーなだけで、そうでなくても大して気にはならない。

だけど気になるのは、お願いしたことを守ってもらえないこと。

そもそも相手側が依頼してきていて、何かあったら聞いてねのスタンスのはずなのに、いざ聞きに行くといなくて、手書きのメモをそういう時は置いておく。

誰のデスクの上でも、私は自分以外の人が手書きのメモを置いてるのなんて見たことがない。

だからそれだけで目立つのはわかる。

そのメモのやりとりの時、とにかく必ずすぐに返してくれる人とそうでない人とがいる。

各自の事情はもちろん知らない。

なんだけど、どんなに役職が上でも返してくれる人はいつもすぐに返してくれるし、反対に役職なんかなくてもルーズな人はルーズで何も返さない。

メールも同様で、返す人返さない人とがいる。

冗談抜きで技術者でなければ顧客の注文の細かな仕様なんてわからないのに、その確認を怠るとは何事かと思う。

この間、私はパソコンの不具合の修理をお願いしていて、その担当者が忘れてしまった時があった。

その担当者は私のところに来るなりまず第一声は「忘れててごめんね」だった。

なんて清々しいのだろうと思った。

何せ周りの人たちの仕事の忙しさを私は知らないから、忘れてるだけなのか忙しいのかその差がわからない。

別に忘れたなら忘れたで、私は仕方ないと思っている。

だけどそうした時にいかに誠意を持って対応できるかどうかじゃないかと思っている。

相手に100%の非があるにも関わらず、謝らないどころか無視するとかは、そんなのはもう自らが信用失墜行為に精を出しているとしか言いようがない。

私は自分が実際にどうしていたかはわからないけれども、少なくとも約束は守ること、遅れたり守れない時は謝ってきたと思うし、とにかく誠心誠意対応するしかバカの一つ覚えのようにできないから、そうしてきたわけだけど、結果的にそれが良かったと思う。

私が今ある人間関係とか、その人間関係の上で手にできた情報なんかは、間違いなくそうした日々の積み重ねだと思う。

さらに愚痴のような話になってしまうけれども…( ̄∀ ̄;)。

今の仕事である人から「大変なら話を聞くよ」と言われたことがある。

最初はすごく嬉しかったし、心強いと思った。

ところが私はそう言ってくれた人には1つも話をしていない。

なぜなら、その人は噂好きで自分が直接関わっていなくても変な話を聞けばそれを周りに吹聴するという人で、人として全く信用できない。

さらに気分屋さんと噂には聞いていたけれども、私も先日その洗礼を受けて、本当に驚いたのと嫌だったのとで、この人とは付き合えないと思った。

基本的に裏表がある人、良い意味ではなく悪い意味での裏表がある人は苦手で仕方ない。

そういうことを目の当たりにすると、とにかく全てはいかに誠実に相手と付き合うかが全てな気がする。

そこさえクリアしていれば、大概のことは上手くいく気がする。

反対に、どんなに能力が高くて色々できても、人の部分がいただけない人は(もちろんそれは私の主観だけど)、やっぱりそれ相応の対応になる。

ちなみにこれは私の個人的な統計だけど、そもそも人柄も良しな人は仕事もできる。

そして仕事がものすごくできてもそれを鼻にかけないし、自分を大きく見せたりもしない。

淡々とやっているだけでもオーラがまるで違うから、なんとなく「この人できる」感が滲み出ている。

訳の分からない話になってきたけれども、とにかく私なんかは提供できるものに限りがあるから、とにかく誠心誠意、誠実に対応するしかできないなぁと思う。

ある種打算的ではあるけれども、誠実に対応した分だけ基本的に人間関係も円滑にいくと思っている。

だから今後もそこだけは手抜きせずにやっていきたいと思っている。

2020年2月29日土曜日

⑽【おいせさん手帳】「無いこと」の無敵さ






おいせさん手帳10回目。
担当:私。


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‪2月29日 ‬

‪自分に時間をプレゼントしましょう。‬
‪うるう年‬

今年は1日=24時間分、例年より多くの時間が与えられています。1日多く与えられた分、何かを自分の為に調整することができます。あなたは何にこの1日という時間を使いますか?カフェタイムでも休息日でも、何かを頑張る日でも、又は何もしない空白の日でも、今のあなたにピッタリとくる時間を自分にプレゼントしましょう。


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時間の話とは少し違うけれど、これが今思っていることだから書く。




私はこれまで「無いこと」は悪いことのように捉えていた。

時間でもお金でもあった方がいい、ずっとずっとその価値観が根強くあった。

ところが今回、お金のことでハッとさせられたことがあって、無いことでしか得られない体験だったことに気付かされたことがあった。





明日、友達と40歳を振り返る会をする。

彼女の方が先に41歳になって、その何日か後に私も41歳になる。

なんとなく誕生日後よりも誕生日前に振り返りを兼ねてのやりとりをしたいなと思った。

それで、誕生日プレゼントを用意しようかなと思ったのがこの2日3日だった。

元々長い付き合いだから誕生日プレゼントを贈ったりは普段しないし、お互いに何かをプレゼントするとかも余程のことがなければしない。

私が彼女にプレゼントしたのは、2年前にオルゴナイトを渡したのが最後だったと思う。

それも誕生日プレゼントとしたというよりも、そのタイミングでオルゴナイトを手にしたから、そして誕生日がたまたま近かったからプレゼントしたのが本当だった。

話は変わるけれど、今指折り数えてみて、思い出せるものだけで2月は15本の英訳をしている。

昨日(2/28)その中でも5本の指に入る大掛かりな2本合計で19枚の英訳を出した。

それは外注に出された後私が内容チェックしたものだったけれども、結局私も全文を確認して違うものはすべて書き換えて、さらに内容が怪しいものは技術者に確認を取ってその意味となるように作り直して…、で、ほぼほぼ自分もやらなきゃいけないようになっていた。

しかも過去の中で内容的に1番2番争える難しさで、私なんかは日本語読んでもさっぱりわからなかったけれども、英語で読んだらやっと内容が多少は理解できたという有り様だった。

そんなことを1ヶ月近くずっとやって、多少腹の立つこともあったけれども、とにかくやっとやっと終わった。
(担当者から無視されたとか。こちらが問いかけても本気で音沙汰なくて、別の人を頼らざるを得なくなって、結果その別の方が英訳用の素晴らしい資料をプレゼントしてくれたから、事はトントンで良かったけれども、ただ了解しましたとかそういう言葉はないのかと思った。だって自分が依頼主じゃん、それはどうなの?って思う。忙しいのはわかるから別に他の人に振ってもらって良くて、だけど一言でいいからわかったとか何だとか言えないの?と思った。)

脳内で色んなことが処理できないのか、実はほぼ毎日夢の中でも英訳をしていた有り様で、自分が感じている以上に心身に負荷がかかっていたかと思う。

平日は気が張っているのか、とにかく眠りが浅くて、まともに4時間眠れたことがない。

細切れに1時間〜2、3時間おきに目覚めて、全部足しても5時間眠れてないままその状態で仕事に毎日行ってて、自分でも色々変なのはわかってた。

そんな風だったことも手伝って、そしてそもそもが時間も作れないような状況下で、友達への誕生日プレゼントはギリギリになった。

そして、先に言うと、私は今回用意することを見送った。

日曜に会うから、土曜で休みの今日、買いに行く時間もお金もある。

なんだけど、多分このまま行かない。

自分なりに思うことが色々あって、それで今のままならやめようと思った。

形だけ揃えても仕方ない。

心がそこについて行ってないなら、何か違うから、今慌てて何もしなくていいと思った。




これは昨日金曜の仕事の途中にふと一息ついた時に思ったことだった。

昨日は会社の規約で定時に上がらないといけなくて(そしてもちろん手持ちの英訳を全部定時内に提出しないといけないのもあって、そもそも残業の予定はなかった)、それなら誕生日プレゼントを探しに行けると思った。

その時に思った。

今は金銭的なことを言えば余裕がある。

余裕があるけれど、大きく違うところを感じた。

この2年近く、少なくとも2年前にしていた派遣の仕事を辞めた後から、特にお金の使い方に関して相当シビアなものがあった。

秋に米の仕事をしていた時もそうだった。

けっこうな人数がいたから、最後仕事が終わった時にどうしたらいいのかを考えながら、お菓子を用意した。

それ以外にも、カツカツのお金の中で、いかに少しでも相手に喜んでもらえるか、そのことをものすごく考えさせられた時間だった。

お金にものを言わせての豪華さは演出したくてもできない懐事情だったから(苦笑)、頭をフルで使う他なかった。

その時はお金がないってなんだか切ないとか、選択肢が限られてくるとか、お金を稼ごうとしない自分はなんなんだ?とか色々思ったけれども、そういうことじゃなかったなと今になって気付いた。

たしかに色々な制限があった。

本当にあとちょびっとだけプラスのお金が欲しいと思ったことはものすごくたくさんあった。

そのちょびっとだって、1万円とかじゃなく、千円とかそういうレベルだった。

その時は「無いこと」に目が向いていたけれども、今思うとその極限状態はもっと違う回路を私にプラスしてくれてた。

お金に限りがあるからこそ、じゃあその中で何を相手に渡せるか、何だったら相手も喜ぶものを贈れるか、それをものすごく真剣に考えていた。

そしてお金で解決できない部分は、手紙を添えるとかして、ちょっとしたメッセージをプラスすることで許してもらおうじゃないけれど、それで気持ちが伝わるといいな…と計算も働かせた( ̄∀ ̄;)。

どういうものが良いかは知らないけれども、とにかく1つ何かを用意するにも自分をフル回転させてそのことに向き合っていた。

物理的な事情はさておき、無いことでしか得られないことを私はたくさん経験していたんだなと思った。

これは時間にも言えることで、朝7時に家を出て、夜はその日のうちに帰ってこられたら良いという超ブラッキーな仕事をしていた頃、とにかく時間がなかった。

それを選んでいるのは自分だと周りから言われた時、本気で泣きそうだった。

当時退職願を毎週又は隔週のごとく提出していて、それでも辞めさせてもらえず、そして人相手の仕事でバックレるわけにもいかず、四方八方塞がりでしかなかった。

その極限状態の時、私は自分の流れを変えるのと心にちょっとした楽しみを与えるのとを意図して、小さなお楽しみ時間を日々の生活に取り入れることを始めた。

それは移動中に地下鉄からバスに乗り換える時、本屋さんに立ち寄ってそこで5分程度本を適当に手に取って眺めてくることだった。

それなら無理なくしかも楽しんでやれることだった。

それをやるしかなかった。

ものすごく限られた時間ではあったけれども、ただボーッとバスを待つよりも5分でも本を見ていることの方が楽しかったし、気持ちも少しだけザワザワしたものから離れることができた。

そうやって、「無い」とか「制限がかなり強めにある」とかいう状況を経て、私はその中で自分のためにできることや心をネガティブな方から少しでも明るい方に向かわせるやり方や方法をものすごくたくさん身につけた。

これは「有る」や「持っている」時にはなかなかやらないこと。

お金でも時間でも、あればあった対応をするし、何もそんな苦行みたいなことはしなくてもいい。

無い時こそ、本当の意味での真価が問われるようにも思う。

最初の方に書いた、仕事の担当者から何も言われなかった話。

今社内で大きなプロジェクトが動いていて、担当者がその中枢メンバーの1人だというのはなんとなくわかる。

だから異常な忙しさなのも想像できる。

置き手紙をしたその日か次の日に、私の席のものすごく近くまで別件で来ていた。

私のところにもついでに何かを言ってくるか見ていたけれども、それをしなかった。

正直ガッカリだった。

無理なことを言う気はない。

時間的に作れないのであれば、部下に押しつけてもらったって構わない。

やり方は1つじゃないから、自分ができないのなら誰かに振って、そしてそれをただ「今対応できないからこうしたからよろしく」で良いと思う。

別の人がヘルプで入ってくれて何とかなったこと、そちらが終了次第私も提出できることをこれまた私は本人不在で置き手紙をした。

それは嫌味というよりも、その人もその人で気に揉んでいたら悪いから、せめてもの報告だった。

何とかなったよと知れば本人だって知らないよりはるかに良いと思った。

言葉1つだと思った。

その人からしたらたくさん抱えている仕事の1つにしか過ぎなくて、私のものはその中でも優先順位が低いのはわかる。(正直なところ、一般常識的にこれ優先順位を低くしたらダメでしょ!!!的なものだけど。社内の一大プロジェクトこそ、概要さえも知らない私からするとそんなのはどうでもいいでしょ!?って思う。いい加減にすることで迷惑が社外的にかかるのは、普通に考えて私のやってる方じゃないの?って思う。社内プロジェクトは、それが上手く回らないならこれまでのやり方で最悪対応できないわけじゃないから、それは社外に迷惑にはならんでしょ?って思う。迷惑がかかると大御所たちはみんな思っているようだけど、そもそも準備不足過ぎるものを発動させてることを「今日が開始日だから始めます」なんてやるからおかしくなるわけで、「まだ準備が整わないからそれは準備でき次第始めます」が、本当に対外的なものを考えるなら一番迷惑がかからないということに気付かないのか言わないのか、真面目に馬鹿すぎると思って見ている)

今回の担当者からして、たとえ優先順位が低くて完全に無視するというすごいことをやらかしてくれてるけれど(依頼してるのはその人で、私は依頼されたことをしてる立場)、一言でいい、何でもいいから言葉があればそれで和らぐ。

相手は無視してるつもりはなくても、もしかしたら気にしてるかもだし、私に一言話しかけたらそのまま捕まるかもと思って話しかけるのをためらっているのかもしれないけれど、私から見たら「無視」の他の何物でもないわけで、残念すぎることになっている。





途中から仕事の愚痴に変わったけれども( ̄∀ ̄;)。

とりあえず形だけ整えるプレゼントは絶対に違うと思った。

もちろん何であっても選ぶ行為がプレゼントの裏にはあるけれども、それを心を込めて行うのか、とりあえず体裁整えるためにやるのか、それは全く別物になる。

そうした色々を思った時に、何が良いか考えようと思った。

適当にするのではなく、本当に相手の喜びそうなものを後れてもいいから用意することの方がうんと良いのかな…なんて思った。

田舎ゆえ買える店も限られていて、時間があれば行こうとしていたところは彼女お気に入りの足しげく通っている店なのは話を聞いてて知っているから、そこは避けようと思った。
ーお昼前ー




ー夜ー
あの後私は考えて、プレゼントが決まった。

とても久しぶりに星読みをしてそこからメッセージを引き出すことにした。

ホロスコープは見ずに、太陽の位置からわかるものを頼りに、そこからメッセージをまずは英語(レニーさんのサビアンシンボル)から、わからないものはさらに英語のサイトをいくつか辿って、そして後は日本語で私が感じたものを書くことにした。

たった1つの太陽のことから、色んなメッセージを受け取る。

どうしてそうしようかと思ったかと言えば、今年1年は間違いなく誰にとっても激動の1年で、その時に自分の芯みたいな場所に帰ってくることはものすごく大事になる。

その芯となるものは変わらなくても、自分を取り巻く環境や起こってくる出来事はその時その時で変化する。

そして、その変化する中で星読みは1つのメッセージやヒントをもらうのにこの上ない力を貸してくれる。

誕生日以後の1年のメッセージだから、今日だけのものとは違う、ずっと寄り添ってくれるものになってくれると思う。

太陽からメッセージを、しかも英語のサイトを読んで、さらにそこから私が感じたものは私にしか引き出せない。

それを読み解いて書いたものをプレゼントしようと思った。

そしてそこにあとは美味しい洋菓子屋さんの小さなお菓子を添えて、それで完成する。

ちなみにホロスコープを見ない理由は、ホロスコープというのはその人その人に刻まれている魂からのメッセージで、私からするとパンドラの箱のようなものだと思っている。

良くも悪くも学びが途上の私には、ホロスコープを見た時にその中でも何が目を引くか瞬時にわかってしまうことがある。

私はそれをその人本人から本人に向けてのメッセージだと思っているから、それを大事に扱うのが大事だと思っている。

そんなものがわかってしまう以上、あまりたやすく他人のホロスコープを見るのは私が好まない。

だから差し障りのない「太陽」の位置なら大体を出すための一覧表を持っているから、それで調べて、あとはそこから年齢分足した状態で今現在の位置を知ることができる。

そしてその位置を「サビアンシンボル」と呼ばれるものから色々調べれば、必要なメッセージがやってくる。

久しぶりにレニーさんや英語の星読みをしたけれど、そこからまた色んな回路が自分の中で繋がって、メッセージが来てくれるのは変わらなかった。

それも知ることができて嬉しかった。

きちんと必要なメッセージなら、たとえブランクが空いても必ずやってきてくれる。

色々感じながら最終的に星からのメッセージをプレゼントのメインにしようと考えたこともそう決められたことも私は嬉しかった。

お金があってもなくても、心をそこに送り込む、それだけは忘れたくないなと思った。




オマケ。
先日、長年の友達たちと交わしたグループライン。
あまりにもくだらないけれど、こんなことで盛り上がれる誕生日プレゼントもいいなぁと思う!







2020年2月26日水曜日

⑼【おいせさん手帳】「生きようとしている」感覚







おいせさん手帳第9回目。
担当:ノム


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2月26日 
これまで自分を支えてくれた存在への感謝を意識しましょう。
母倉日と神吉日

何事にも吉日とされる縁起の良いとされる母倉日。
本日は、母倉日であり、参拝に良いとされる神吉日でもあります。
今の自分がどのような状態であったとしても、
これを読めているということは「生きている」ということ。
今日まで自分を生かしてくれた目に見えない存在や周囲の人に感謝を伝えて。


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【これを読めているということは「生きている」ということ。】

ノムはこの一文をどんな気持ちで読んでいるんだろう?と想像する。

直近で話したこととこのメッセージとがとてもリンクしている。

何かよろしくないことが起こる時、又は自らがそうした状況を作っているというかその中に自分の身を置かざるを得ない時、生きていることそのものに苦しさや辛さ、しんどさを覚えることはたくさんある。

ニートの時に私は何度も何度も働かない自分を責めて、健康であることすら後ろめたくて、社会に出ようとしない自分は人間失格のように思えて。

そんな時、「生きているって素晴らしい」なんて思ったことはほぼほぼなかった。

何か嬉しいことがあっても即、日常のリズムに戻ると一気に気分が急降下してドンと落ち込むなんてことも、1年の9割はそんな風だったと思う。

もしかしたら、ひねくれマックスな私の時なら、読めている、すなわち生きていることに対して、感謝どころか「生きたいなんて思ってない」と悪態をついたかもわからない(十分にありうる)。

それくらいに心が落ちていた時もたくさんたくさんあった。

この話とは関係ないけれども、今しきりに頭の中に当時のことが蘇るから、それを書こうと思う。

名古屋にいたいつかの時。

現金が底をついて家賃払えないどころか生活もできないとなったいつかの時。

そういうのも、本来なら1回で懲りたら良いものの、私は懲りないというよりも、それ以上に「生きたい」気持ちが上回らなくて、その都度やばい状況というのを何回か経験した。

そうした時のある1回の時。

その日の午後、私は何を思ったか家から歩いて行ける距離にあるショッピングモールに出かけた。

お金はないから何かを買いに行くわけじゃない。

ウインドーショッピングでもない。

現実逃避の為の散歩みたいな感じでもあれば、いても立ってもいられずに外に出ただけだったかもしれない。

細かいことは何にも覚えていないけれども、大好きなスーパーの近くのこれまた好きな雰囲気の大きな公園を抜けて、一般道の歩道に出た時だった。

「どうにかしなきゃ」

突然ものすごい強さでそう思った。

そしてそう思ったすぐ次に、
「私、生きようとしている」
って思った。

そう思ったら本気で涙が出た。

生きようとしている。

死のうとはしていない。

どんな手段使ってでもいいから生きよう、生きようとする自分を見て、希望を感じた。

絶望真っ只中でいつ死んでもいいと思っていたはずなのに、「なんとかしなきゃ」と思った私は生きることを考えていた。

死にたいというのはなくなったけれども、私は長いこと「生きたい」がなくて、この「生きたい」と思えないことは本当に恐ろしいことだった。

自分を支えるものが何もなくて、そんな中、何でもいいから「生きたい」理由があるって、私からしたらとっても難しいことで、そのことで悩んだ日々は数知れない。

そういうことで悩めるってすごい贅沢なのかもしれないけれども、私にはその悩みはいつも重たくて、悩みと言うよりも何でもいいから「生きたい」気持ちになれる何かが欲しかった。

アイドルの追っかけでも二次元の世界のキャラにハマルでも、何でもいいからそういうものに浸かれる人たちが心底羨ましかった。

私の心の枯渇具合は自分でももうどうにもできないぐらいに酷い有り様で、生きる希望がまるっとなかった。

そういう日常が常態化していて、そしてある時本当にお金が底をついてどうにもならないぐらいヤバくなった時、「何とかしなきゃ」と真剣にものすごく強くそう思った自分を見て、「生きようとしている」そう思って、その自分、絶望の中でこれ以上ない希望を見出している自分になんだかものすごく感動して涙が出た。

今でもあの時のことははっきりと感覚として覚えている。

「何とかしなきゃ」と思うことが自分の中の生きる希望になるなんて、想像さえしたことがなかった。

生きてることに感動はしなかった。

だけど、「何とかしなきゃ」と思っている自分には感動した。

生きようとしている。

どんな風でも生きようと決めてる。

そういう自分を見て、自分で自分に感動するっておかしな話なんだけど、本当にそんな風だった。




ノムの今日のメッセージを読んでそんなことを思った。

今日は自分がどんな時に「生きたい」って思うのか、「生きてる」って感じるのか、そんなことをあれこれ考えてみようと思う、12時間勤務のかたわらで( ̄∀ ̄;)。

今日朝起きたらの1日は、「生きたい」よりも「早く終わらせたい」だろうなぁと思う…( ̄∀ ̄;)。

読まずにこのままアップ。

(これを書いた)所要時間:30分ほど。

2020年2月21日金曜日

⑻【おいせさん手帳】目に見えない大切なもの




おいせさん手帳第8回目。
担当:私

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2月21日

形のないものを大切に育む。
太陽が魚座へ

目に見えない「ご縁」や「愛」は、形はないのに心惹かれます。
そうしたものに共通しているのは、「心で感じる」ということです。
正解も不正解もなければ、計画的に手にできるものでもありません。
ですが、そうしたものに出逢うと、心を通じてわかります。
心を通じて感じたものを大切に育む、それがご縁や愛となっていくでしょう。


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この文章を書いた時の感覚をとてもよく憶えている。

ノムと分担して星にまつわる話をそれぞれ書いたけれど(ノムにわざと多く振ったけれども( ̄∀ ̄;))、この魚座のエピソードは自分の中で何も難しく考えることなく、スラスラと言葉が出てきた星の話だった。

「魚座」と聞いてまず連想されたのは「目に見えないもの」だった。

目に見えないものの領域を司るのが魚座と言われている。

目に見えないもの
目に見えないもの
目に見えないもの…

「ご縁」と「愛」がポンと浮かんだ。

そして残りはスルスルと出てきた。

魚座のこの文章は、担当者の方Aさんから、星座の話が全種類ないのは構成上違和感があるから、全種類揃うように第1稿になかった星座は追加で書いて欲しいと言われたものの1つだった。

その連絡をAさんに入れる時、ノムがちょうど2人展の開催中で、在廊アンド最終日で連絡を入れられなくて、代わりに私がAさんに初めて連絡を取れる機会をもらえたり、そして依頼された分に関しても私がノムと私とでどこを分担するか決めることができた。

7つの星座が追加となって、私の決め方は今思い出すと粋なのかシュールなのか面白いと思うけれど、ペンジュラムでノムが私がどちらがどれをするのか決めたんだった。

まさか手帳を手に取る人たちも、どの日に誰が書くかをペンジュラムを使って選んだとは思わないだろうと思う(笑)。

だから追加分として書いたこの日は、字数制限があることも全部知っていたけれども、とにかく魚座のこの文章はスラスラと書けた。

言葉の神さまが降り立ったみたく、本当にスラスラと何のためらいもなく書けた。




全部で20ちょっとの文章を書いたかと思う。

文章を書く時に特定の風景や人が思い浮かんだものも中にはある。

これもそうだった。

私がこの文章を書いた時に、「ご縁」と「愛」、そしてそれらが【「心で感じる」ということです。正解も不正解もなければ、計画的に手にできるものでもありません。ですが、そうしたものに出逢うと、心を通じてわかります。】というところまで書いた時、私の中にははっきりと1人の人物を思い浮かべて書いていた。

最後の【心を通じて感じたものを大切に育む、それがご縁や愛となっていくでしょう。】は、残念ながら現実にはそうならなかったから自分の願望も含まれていたけれども、少なくとも【「心で感じる」ということです。正解も不正解もなければ、計画的に手にできるものでもありません。ですが、そうしたものに出逢うと、心を通じてわかります。】の部分は、明確に1人の人が私の中にあった。

心で感じたこと。

自分でもどうにも止まらない、だけど心はそのようにものすごい勢いで感じていたこと。

正解も不正解もなくて、だけど心は正解だからご縁や愛を感じるものじゃなくて、誰かこの人が自分にとって大切であれば、そうだとわかるように心が全力で自分に知らせてくる。

正解だから縁となって愛となるんじゃない。

そうしたものを飛び越えて、縁や愛となっていく。

そして、そういうものはある日突然もたらされる。

「素敵な出会いが欲しい」と言って、出てくるものじゃない。

計画なんか全くしてないところに、突然自分の人生に相手は現れてくる。

そして、その人がその出会いがそうだとわかるのは「心」を通じて。

心が、心臓が勝手に動くのと一緒で、心も勝手に動く。

「この人のことを良いと思いたい」とか「この人のことを愛したい」とか「この人のことを大切にしたい」とか、そういうのって考えて又は計画してそうなるものじゃない。

本当にそうなる時は、自分でも止められないし、その止められない何かにものすごく抵抗や違和感を覚えてもそれでも止まらない。

心臓が勝手に止まらないのと一緒で、心で感じているものも止められない。

そのようなことを私はずっと1人のことだけを思い浮かべて書いていた。

相手の人は、何もない時は私の気持ちは何も知らなくて涼しい顔をしていて、いつも私1人だけが心臓をバクバクさせてた。

私が近づこうとごはんに誘ってみたら、突然冷たく、なんていうかわいいものじゃなく、徹底して嫌そうな感じになってしまって私の心はボキボキと折れまくったけれども、それでも私の中にあるものは何ひとつ変わらなかった。

その人がいた色んな風景を逡巡しながら、そしてもう二度とは巡ってこない日々に自分の気持ちのやりどころのなさを感じながら、それでも最初から最後まで書きながら頭の中にあったのは、その人のことだけだった。

私がこんなことを書いたところで、おいせさん手帳を本人が手にして、そのページをめくってその部分を読むことなんか絶対になくても、私が新潟のこの地で自分の小さな部屋の中で書き下ろしたそれは、その人のことが自動で出てきて書き上げたものだった。

育む機会も手にできなければ、愛と呼べるものを手渡すことも何もできなくても、だから実際に書いたことと現実とがずいぶんと乖離している部分もあっても、それでもその文章はその人の存在やその人がいた風景に直結するものだった。

本人に伝えられるような状態にあれば、私は本人に「見て見て!」と冗談のように何かを言ったかもしれないし、何かしらのエピソードを自分の口から語ったかもしれない。

そのどれも叶わないから、今の現実になっているわけだけれど、それでもこの文章はある1人の人と結びついている。

今世界の人口が何人なのかわからないけれども、最後に世界の人口を調べた時は70億人前後だったと記憶している。

そんなにたくさんの人がこの世界のどこかで生きている中で、たった1人の人だけが思い浮かんでその文章を紡いで発信する、それも公共の電波じゃないけれども、公の印刷物を通じて発信する、そんな機会、もう他にないだろうなぁと思っている。

その人に向けて書いたものではないけれども、その人のことが文章の中にずっと入り込んでいて、その風景やその人自身も一緒に織り込まれて言葉となったものだった。

もしかすると、その人に出逢っていなければ、私は今日のこの文章は全く違ったものになったかもしれない。

ご縁だの愛だのではなく、自分の心の奥深いところに潜るだの、境界線を越えて人と繋がるだの、そんな内容になったかもしれない。

少なくとも、その人を思い浮かべて文章を書くことは絶対になかった。

この短い言葉の中に、この世に今生きている誰かを想って書くというのは、ものすごく特別なことだと思う。

今の仕事の関係で知った何かの単位(←何かは早速忘れた)は、1ミリのさらに1000分の1だと説明されたものがあった。

ミクロの世界のもので、そこに一発である道具を命中させるなんてことはできない、その難しさを教えてもらったことがあった。

その人が私の人生に現れて、そして本人はとっくのとうに私の人生からいなくなってもそれでもこんな風に文章という形で現れるなんて、まさにミクロの確率のものに一発でそこに命中させるぐらいのありえないことだとわかる。

その人と私とがこんな風にどこかで交差して出逢う、すれ違っても今度は言葉の中に現れる、それがどれだけすごいことなのか、その重みや凄みはその人が日々私の生きている世界にいた頃よりもいなくなった今の方がもっともっと強く感じている。

そんなこんなの気持ちや想いがのった文章が今日の分だった。

一期一会。

もう二度とはないもの。

悲しみよりも、そんなすごい一期一会に出会えたことのすごさを今これを書きながら感じている。

2020年2月5日水曜日

⑹【おいせさん手帳】自分の心にそおっとノック





おいせさん手帳第6回目
担当:私

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


2月5日

自分の心の深いところに向かってノックしましょう。
立春後、春分に向けて

節分・立春を過ぎた今、自分の中のモヤモヤした気持ちを整理してみましょう。紙とペンを用意して、気になっていることをそのまま箇条書きにしてみます。自分の中だけに溜め込んだものが、文字を通して初めてあなたに「こんにちは」をします。あなたに知ってもらえたモヤモヤは、少しずつ糸がほどけていきます。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




これもわりと最初から書く事を狙っていた内容だった。

モヤモヤを吐き出すのに書くことがすごく私には合っていて、何人かにそれとなく薦めると、実際にやった人たちからも好評だった。

書くことで自分の中にしかなかったものが何かわかって、それでスッキリしたり、ただただ吐き出した行為そのものによって心の重荷が軽くなったり、効能は色々期待できる。

わたし的には書いたもの、それがたとえネガティブなものでも、嫌でなければ取っておくといいと思う。

最近はもうずっと新しい精神世界や心理系の本を読んでいないから傾向はわからないけれども、私が読みまくっていた2010年ぐらいから2016年辺りまでは、ネガティブな内容は紙に書いても捨てるようにと指南する本が多かった。

私はそれが嫌でそうはしなかった。

なんとなく、ネガティブなものも役立つことがあるかもしれない…、直観的にそう思って私は全てを取っておいた。

今もすべて手元にある。

今だからわかる。

ネガティブなものを捨てなくて正解だった理由。

自分の中で「ネガティブ」とレッテルの貼られたものは、持っていて決して気持ちの良いものではない。

例えば、いつまでもいじけている自分とか、いつまでも切り替えのできない自分とか、誰かに腹を立ててそれがずっとしこりのようになっている自分とか、イライラして誰かに八つ当たりした自分とか。

そういうのは、全くもって「ないことにできたらどんなに良いだろう…」と思わず思ってしまう代表的なものだと思う。

だけど、そういう自分も自分なわけで、その自分は気に入らないからないことにしますってするのは、自分への最大の報復だと思う。

自分いじめと呼んでもいいかもしれない。

例えば、世の中は美男美女だけが存在していいですよ、なんてなったら大変なことになる。

もしくはノーベル賞受賞できるくらいの頭脳明晰な人だけが世の中で生きてていいですよ、なんてことももちろん大変なことになる。

今いきなり思い出したけれども、この間地元の某企業が男性の育休を超積極的どころか、必須としている会社があって、それのインタビューが夕方のニュースに出た。

社長は私と同じくらいか少し上くらいの人かなという感じだった。

その社長いわく「子どもの頃の夢で、絶対に『屋根屋になりたい!』なんて子ども、誰もいないわけですよ。でもうちは屋根屋なわけで、仕事自体は夢のある仕事じゃない。だけど、大事な仕事だし屋根はなければ困るもので。だからこそ仕事そのものが夢あるような内容ではない中で、何で社員たちに『ここで働きたい』って思ってもらえるかと言うと、そこはもう福利厚生の面で何とかするしかないんです。だからうちは、男性社員全員、子どもが生まれたら必ず育休を強制的に取らせています」と言っていた。

見ていてすごいなぁと思ったのは、男の人だからおなかが大きくなるわけでもないから妊娠したしないなんてわからない。

それは風の噂で社長が耳にしたら速攻でその社員のところに行って、予定日とかを聞いて、それでその場で本人に育休宣告をして、その後から調整しているみたいだった。

多分それは嘘やヤラセじゃないと思うけれども、テレビに出ていた働き盛りの男性たちはみんなそれぞれ育休が(たしか1ヶ月だったか3ヶ月)取れたことで、子どもや奥さんの面倒を自分も見ることができて、それが奥さんにも喜ばれて家庭円満になったと、それぞれの人たちがインタビュー受けてた時に口を揃えて言っていたから、それは本当にそうなんだと思う。

話が飛んだけれども、その取り組み自体もすごいと思ったけれども、社長が言った「誰も屋根屋になりたいとは思わないけれども、大事な仕事」だと言った言葉がすごく印象的だった。

すごいまとめ方だけど、しかもそんな美談な話とは違うけれども、どんな自分もやっぱりそれは自分なわけで、その自分も大切な一部なんだと今は思えるようになった。

いじけたり切り替えができないというのは、それだけ何か大事なことが自分の中にあるってことだし。

怒るのは自分を守る大切な手段だし。

八つ当たりする自分は後味悪すぎるけれども、それも「ダメな自分」で追い出すのではなく、そうなるほどに何か自分の中に苛立ちや余裕のなさがあって、それを教えようとしてくれるものだったり、誰かがいてくれる、存在してくれてることに気付くことかもしれないし、その時は無理でも少し落ち着いた時にそうしたことは必ず何かしら自分のためのヒントになる。

自分でも書いててウットリしていたけれども(笑)、特にこの部分
【自分の中だけに溜め込んだものが、文字を通して初めてあなたに「こんにちは」をします。あなたに知ってもらえたモヤモヤは、少しずつ糸がほどけていきます。】
が大事だった!

何が大事って、自分が自分の気持ちに気付いてあげること!

自分の気持ちが、それがたとえ小さな小さなものでも、気付いてあげられるようになると、自分の心が少しずつほぐれてくる。

キュッと硬くなって、いつの間にか感じることもやめてしまったような自分の心が、自分がそこに関心を少しでも向けることで頑なさが溶けてくる。

時間はかかるけれども、自分が目を向けた分、そっくりそのままそれが自分に返ってくる。

怒ったり悲しんだり憤慨したり自分責めたり…、色々あるけれども、それをほんの少しでもいいから気付けるようになると、確実に自分が自分の味方になれるようになる。

筋トレみたいなもので、今日やって今日すぐに実感は湧かなくても、少しずつ少しずつ積み重ねていくうちにある時「こんなに自分にやさしくできるようになった!」ってなる。(特に私のように、自己否定や自分責めが超強めな人ほど、実感できた時は相当変わっている時だし、超喜べる(笑))

題名にもある通り、「自分の心の深いところに向かってノック」する感じで、トントンって本当にそおっと小さくノックするみたいに入っていくのがコツ。

いきなり、勢いよく自分に向かうと、向かい撃ちに遭う( ̄∀ ̄;)←経験者は語る。

で、それの手っ取り早い方法が、紙にとにかく思いつくままに書くこと。

かなりオススメ☆
(実際は、超オススメ(笑))

2020年2月2日日曜日

⑸【おいせさん手帳】心の鬼と心の福




おいせさん手帳第5回目。

今回はノムの言葉。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


2月2日 
出来事のポジティブな面を見る目を養いましょう。
上弦の月

本日は牡牛座に位置する上弦の月の日。
上弦の月は、満月へと向かいふくらんでいく月です。
明日の節分を前に、必要以上に自分へ厳しい“心の鬼”を追い出し、
自らを喜ばせる“心の福”を大きくふくらませていきましょう。
あらゆる出来事は見方次第。物事の明るい側面に意識を向けて。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




今回は少し趣向を変えて書こうと思う。

ノムと個人的にやりとりするようになったのは、ちょうど去年の今くらいだった。

そこからまた4ヶ月ほどしてから、2人で初めてお茶をした。

それが去年の5月の終わりで、その辺りから少しずつ個人的な密なやりとりが始まった。

今もだけど、最初の頃は特にノムからの言葉にものすごくたくさん癒された。

こんな素敵な言葉を吐ける人がいるんだ、と本当の本当に心から心酔した。

ノムと話しているとわかる。

ノムの口から出てくる言葉はどれも全部、ノム自身の気持ちや心、信念に直接繋がっている。

ノムが信じていること、信じたいこと、これまで経験したこと、そういうもので成り立っている。

だからその言葉に自分の心が救われる時、それはすなわちノムの信じてる何かと自分が繋がった気持ちになる。

そして、自分自身もそれを本気で信じたい人の1人なんだということに気付かされる。






「心の鬼」について、ノムとやりとりした過去のことが思い返されたから、その話をしたい。

「自分否定鬼」は多分誰の心の中にも棲まわっていると思う。

もちろん私もノムも例外じゃない。

自分否定鬼もジャンルが多岐に渡るけれど、その中の1つ「過去にそれについて他者から否定されたり、否定されなくても理解されなかったりしたこと」がキッカケとなって、それがそのまま自分の中の自己否定鬼になってしまった例もあると思う。

特にそうしたことはデリケートな内容に多くて、自分では大切にしている価値観を頭から否定されたり、全然理解されなかったりした時に大きく成長してしまうものだと思う。

で、その手のキッカケで自己否定が始まったものは、自力で解決できないとは言わないけれども、自力だけで肯定に持っていくのは相当難しい。

だけど、それを肯定してくれる自分以外の誰かに出会えた時、初めて「この価値観をわかってくれる人がいる!」と感動を覚えたり、「自分の信じてる価値観でいいんだ!」と自信に繋がったりする。

その手のエピソードを1つ紹介しようと思う。

これはまだノムとやりとりして、片手もしくは両手で回数を数えられるくらいのやりとりの頃にノムから告白されたことだった。

ノムにつっこんで聞いてないからわからないけれど、予想するにノムはこの話をするにあたって、けっこう勇気を振り絞って切り出したと思う。

なぜなら、「その感覚わからない」と私が言うなり、又はそうは言わなくても反応が薄い可能性も多大にあるわけで、それらを見据えても話すことはやっぱり大人だって勇気がいる。

いや、大人だからこそ勇気が余計といる。

これは私が思っていることだけれど、子どもよりも大人の方が心の傷をこじらせやすいし、そして柔軟力も大抵の場合子どもの頃より低下しているから、一度受けた傷は大抵いつまでもしこりのように残っていく。

そして大人になる過程で、あきらめたり、無かったことにしたり、はたまた心の中で相手を否定したりして自分を何とか保つうちに、自分の本音が往々にしてわからなくなったり、自分の気持ちなのに自分の中で掻き消されてしまうこともある。

さらに言えば、小さな子どもが小さなことにこだわるのは「子どもだから」で許されても、同じことを大人がすると「大人げない」とか「あの人は心が狭い」とか、あれこれ言われてしまいがちだから、余計と小さなネタは口に出しにくくなってしまう。

だから、あの日のノムは電話の向こうでかなりドキドキしながら切り出したんじゃないのかな…なんて想像する。





「あのね、僕が気になっていることの1つに。ものすごく小さいことだし、そんなの気にしてる人なんか誰も他にいないかもだけど、そしてそんなこと気にしてるの僕だけかもしれないけれど…」

ノムはおおよそそんな感じで切り出したと記憶している。

「僕たちのところに何回か来てもらって、それでいつも気になってしまうんだけどね。
ミッチー(ノムの恋人♂)がいつもコーヒーをみんなで飲むために淹れてくれるんだけどね。いつも必ず残すんだよね。
僕はミッチーがいつも丁寧にコーヒーを淹れてくれるのを見てるし知っているから、もし飲めない時は残しておいて、後から温めて飲んでるんだよね。
もちろん、そんなことお客さんはできないし、きっちりと飲み干して!なんて思わないし無理強いだってできないけれどさ。
もし量が多いなら『少なめでお願いできる?』とか言えばいいわけだし、自分の飲める量ぐらいある程度わかるだろうから、無理してまで飲まなくてもいいから飲めないなら飲めないって言うとか、多すぎるならそれとなく量を調節してと言えばいいし。
いつも普通に何も感じずに残しているみたいに僕には見えて。
本当に些細なことなんだけど、そして自分が何て心が狭いんだろう…とも思うけれども、やっぱりミッチーが丁寧に淹れてくれたコーヒーを毎回普通に残してそれについて何も言わない、そのことに僕はいつも引っかかりを覚えるんだよね」

この話の難しさがわかってもらえるだろうか…。

私はこの話がよーくわかる。

たかがコーヒー、されどコーヒー。

小さな出来事みたいな話でも、これはされる方は相当しんどい。

私も家に色んな人が遊びに来てくれたからわかるけれど、その辺りの感覚がズレている人はいる。

みんな同じである必要はないけれど、そんなの育った環境が違うから色々違って当たり前だけれど、それでもそこは気付ける人と気付けない人とでは一緒にいる時の居心地の良さが全く違ってくる。

私も色々手料理出して一緒に食べていたからわかるけれども、全部食べてとも思わないし、苦手な味とかがあれば無理して食べてもらう方が申し訳ないからそんなことしなくていいけれども、大抵の人たちは「おなかいっぱいで食べれない」とか「もっと食べたいけれど、おなか入らんわ」とか、あとは苦手なものは黙って手を付けなくても他のものをもりもり食べて「これすごい好き!」アピールをしてくれたり。

とにかく何かしら反応があるし、あとそうだ、私は基本的に個人盛りにせず、大皿に盛って出して、あとは各自が食べたいものを食べたい量だけ取る方式にしているから、取り皿に基本的にお残しはない。

大皿に残ったものを見て「もっと食べたいのに!」とか嬉しいことを言ってくれる人たちも多い。

だから過去に何人でもないけれども、そうしたことに無反応な人に遭遇した時は、あれ?と思ったし、そういう人たちとは結局それだけじゃなく色んな価値観がズレているから今は何の関係もない。

話が逸れたけれど、私もそれを毎回普通にされたら基本的に嫌だなぁと感じるし、しまいには相手との関係性も見直すことになりかねない。

それはそうと、ノムのその告白には、聞き手側がその感覚がわかる人なのかどうかの大きな違いがあるし、そして仮にわからない方に当たった時はこれ以上話を広げることはできないし、永遠に交じり合わない価値観同士だということを理解する必要ももれなく付いてくる。

それと、ノムのこの話の先には、単なるミッチーのコーヒーの話だけじゃなく、自分たちが相手の人から大切に扱われている気がしないというもっと大きなテーマも後ろに控えていた。

だからこそすごく繊細な内容で、そんなことを気にしている自分はおかしいのではないかとか、そんな了見の狭いことを言う自分は何なのかとか、そのことと今回の件とは関係ないんじゃないかとか、色々自分の考えを打ち消したり否定したりしたことも数え切れないくらいあったと思う。

とにかくこうした正解のない話は、そしてそこに個人の価値観が千差万別と種類のあるものは、ものすごく話をしにくいし、話を出す時はもしかすると相手の普段の行いを否定する可能性も無きにしもあらずでそれがまた厄介だし、色々リスクが高すぎて話すことさえはばかられる。

ましてや当時のノムと私はまだまだお互いにお互いのことをよく知らぬまま話していたから、ある種手探り状態みたいなところが今以上にうんとあった。

だから、ノムがその話を私にするのは、ものすごく勇気の要ったことだと思う。

ちなみに私にはそれがわかって、そしてそこからさらに一層ノムと私とは話すテーマが深まった。

私にしてみても、その辺りの感覚が似ていることと、普段なら人に言うことさえはばかられるものでもノムならそれを言っても大丈夫!、という安心感や信頼感に大きく繋がった。

何が言いたかったかと言うと、そうした自分否定鬼を何とかしたいと思った時に、自分1人だと難しくても、誰かがいるとその自分否定鬼のパワーを最低でも1以上は減らせるかもしれないということ。

告白するのは勇気が要るけれども、そうしたこと、それが言いにくいことであればあるほど、そしてそれが小さくてはっきり言ってどうでも良さそうに自分から見えてしまいそうになっていても自分は超絶気にしていることである時、誰かにわかってもらえたり、それ自分も同じ気持ちになる!って言ってもらえるとものすごく心強くなれる。

ノムとこんなに短期間で打ち解けたのは、こうした些細なことを互いにシェアしてきたことがかなり大きい。

自分の中で大きくなっている「心の鬼」を誰かと共有できた時、それは「心の福」も同時にもたらされる。





童謡『ぞうさん』の作詞者のまどみちおさんの本、『詩人まど・みちお100歳の言葉 どんな小さなものでもみつめていると宇宙につながっている』より、この話にピッタリな詩が出てきたから紹介。



【小さいものほど
大きな理由がある。】



(余談:この本だけは唯一私がAmazonでレビューを書いたもので、良かったらAmazonのレビューも見てください。
見たら一発で私がどれを書いたかわかる名前になっています(笑)。)

2020年1月23日木曜日

⑷【おいせさん手帳】自分を信じる力、自分を守る力






おいせさん手帳の第4回目。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


‪1月23日 ‬

‪自分を信じる力・自分を守る力を育む1年。‬
‪月読神社大祭‬

‪「月読神社」の名にちなんで、今年の星読みを1つ紹介します。今年は空の天体たちに20〜数百年に一度しかない重なりが起きます。その影響は、この星に生きる私たち個人個人にも及ぶと考えられています。激動の1年かもしれませんが、そうした時こそ自分の底力が大切になります。自分を信じる力、自分を守る力をゆっくりと自分のために育みましょう。‬


‪☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆‬



今回はサクッと紹介。

本当は前の日の1/22の夜にしっかりと書く予定が、なんと朝出勤したら、翌日(=1/23)の海外顧客とのミーティングに向けての資料を英訳して欲しいと依頼が来た。

( ̄ཀ ̄;;) ( ̄ཀ ̄;;) ( ̄ཀ ̄;;) ( ̄ཀ ̄;;)

どうしてこんなにギリギリ!?

しかも色々内容がいつもとは違う毛色のマニアック具合で、何でこんなにいきなり手渡されるのかふーしーぎー(  ̄Д ̄;)~~~~。

海外の相手は1月8日に連絡してきてますが、何で前日に!?

とかいう状況になって、やむを得ずこちらはショートバージョンでアップ。




今回の分は、分担が決まる以前から書きたいと思っていたものだった。

2020年というのは、東京オリンピックイェーイ!なんてことだけではなく、そもそも天体の配置が超ウルトラスーパーヘビーのハード仕様だというのは、占星術界ではまことしやかに粛々と語り継がれていた。

秋口に海外の占星術サイトを見ていた時にも書いてあった。

「今年(2019)も天体配置が地獄だけど、来年2020年はもっと地獄よ!」

英語ネイティブでさえhellー地獄と呼んだ今年の空模様。

わかりやすい現象として、大学入試の形式が来年度から変わるにも関わらずまだ要綱が決まってないとか、今は決まったけれども東京オリンピックのマラソン・競歩の開催地が急遽変更、そしてコースがその後もしばらく決まらなくて右往左往とか、全世代型社会保障なんて絵に描いた餅状態だし。

とにかく社会を抜本から改革、見直す動きが色んなところに出ている。

天体的に説明すると、その強烈な地獄とさえ呼ばれる配置は、多分一番は「破壊と再生」担当と呼ばれる公転周期冥王星が大きいところだと思う。

元々20年に1回の割合で公転周期29年の土星と公転周期12年の木星が同じ位置に並ぶ。

それ自体は20年に1回あるから、まぁたくさんはなくても珍しくはない。

だけど、そこに公転周期249年の冥王星までもがすぐ近くに並ぶとなると、そんなのは数百年(500年とかいうのをどこかの記事で読んだ)に1回、少なくとも今生きている人たちは一生のうちで1回しか体験しない。

そしてさらにはそれが水瓶座になったばかりの水瓶座(土星木星チーム)と山羊座(冥王星)のはざまみたいな位置で起こるんだけれども、12星座あってそれがそんな位置で起こるなんてもうあとは死ぬ時までない。

水瓶座は自由や革新を好む。

山羊座は逆で、社会の中においてきっちりとすることを好む。

山羊座は12星座の中で一番社会的にきっちりとすることを好む。

しかも、それは体裁とかいう基準ではなく、社会という大きな枠組みの中で社会にとって他者にとって又は自分たちにとって、本当に有益となる「きっちりさ」を採用しようとする。

例として、吉本興業の芸人さんたちの待遇とか、各スポーツ界のパワハラとか、政府の桜を見る会とか、そういう問題が今次々に暴かれているけれども、あれはどれもそのまま継続して良いものではないから、制裁が入っている。

まさに破壊と再生。

それらの問題を見ているとわかるけれども、どれもまずは現体制を激しく壊されるような情報がリークされる。

まさに「破壊」。

だけどその後はこれまでのやり方ではなく、少しでも良い方向に向かおうとしているのが特徴。

「再生」しようとする。

個人的には桜を見る会の今後の展開が楽しみだけど(どう再生されるのか、はたまた血税を使ってそもそもする必要がないと判断されてなくなって、その分浮いた税金をそれこそ全世代型社会保障とかもっと必要なところにお金が回されるのか。なんならカジノ関連のように政治家から新たな犯罪者や犯罪的な組織ぐるみの何かとんでもないものが出てくるのか←もはや私にとっては星検証のためのエンターテイメント( ̄∀ ̄;))。

関西電力の裏での献金問題とか、ゆうちょの保険関連のずさんな管理や顧客からの搾取みたいな違法的な取引とか、そういうこれまでなら闇に葬られていたものが今はバンバン出てくる。

でもそんな対岸の火事的な話をしたかったのではなく、個人の人生レベルにも今は必要なものとそうでないものとの決断が迫られることが多いし、やり方や在り方がよろしくないものは容赦なくメスが入ったりテコ入れされたりする。

とにかく先が読めないこと、これまで当たり前だった価値観や常識は淘汰されたり刷新されたりすること、その分本当に色んなことが混沌とするし不安や心配にも駆られやすいかと思う。

そうした諸々の流れが星的に見えていたからこそ、「自分を信じる力」と「自分を守る力」を言葉にして届けたいと思った。

いつか年明けてからノムと話した時に、ノムは今年2020年をこんな風に表現した。

【外に求めていたものがなくなっていく。
無くならないものを自分の中に打ち立てる】

まさに!!!だと思う。

例えばこれまでは終身雇用が当たり前の働き方として世の中に浸透していたけれども、これからはというより既に今も終身雇用なんていうのは本当に一部の大手企業とか公務員にほぼ限定されていて、大手企業でさえもいつ倒産したり吸収合併されるかわからない時代になっている。

「全世代型社会保障」なんて聞こえの良い言葉だけど、じゃあ今の私みたいな現役世代が年金をもらえるのか?となると、先行き不透明すぎる。

とにかく色んなことが外側に求めても仕方ないみたいな時代になってきている。

30代の10年間は、とにかく欲しいものや叶えたいものはとことん手にすることができず、代わりに頼んでもいない訳の分からないことがバンバン起こったり、あとは「何もしないこと」要はニート時間をかなり頻繁に持った。

そうした時間を色々くぐり抜けてみて、何かを外に求めてもそれはすごく不安定なものだと知った。

外側は時代もだし環境もだけど、色々変化する。

ましてや、自分以外の誰かに求めるのはその中でも一番無理がある。

人の気持ちを変えて私の方を向かせるとか、相手を私の意の通りに動かすとか、そんなことは絶対にできない。

そうした不安定なものに何かを求めても仕方ない。

だからこそ、何かあっても、反対に何かなくても、「自分を信じる力」と「自分を守る力」を自分の中に育むことが大切だと、これは私が自分の人生を通じて痛感したことだった。

どちらもすぐには身に付かない。

時間はものすごくかかるし、何か不安や心配、焦りなんかがあると一瞬で崩れる。

だけど、少しずつ少しずつ自分の感覚を大事にしていくと、それがいつからか自分の自信になる。

文字通り、自分を信じる力になる。

そして、「自分がそれが好きかどうか」「自分がそれで心地良いかどうか」「自分にとって不快かどうか」、そういうのが基準になってくると本当に自分が楽になってきて生きやすくなる。

周りの賛同や共感は得られないこともある。

それでも自分にとってのNOはどうひっくり返してもNOだし、YESは自分だけにしかわからない良さでもやっぱりそれも自分のYESになる。

その自分の感覚を否定して生きることの方が本当に苦しいんだと感覚的にわかるようになってきて、何があっても自分だけは自分の味方でいようと心がけるようになってから、段違いに生きづらさが以前に比べてうんと軽減された。

周りから否定されるよりも自分で自分を否定することの方が実はかなり堪えていたんだと気付いた。

自分を否定しないことが何よりも自分を救う。

そんな体験から得たことを、おいせさん手帳の今年の早い時期のどこかに組み込みたいと思った。

それは、それこそ去年の夏の花火が上がる頃、ノムから一緒にやろう!って誘ってもらって決まる前から頭にあったものだった。




さて、自分を守る力の凡例としてv( ̄∀ ̄)v。←ピースしてる場合じゃない。

昨日(1/22)の急な英訳を終えて、今日(1/23)の午前中はそのことに関しての今度は逆依頼の資料を作って、上司に提出した。

本気で丸投げな依頼で、実はその中にクレーム対応も含まれていて、その件に関して誰も明確な答えを持ってなくて、その答えのないものが実はお客さんに手渡される資料だと後から知って、それに対する改善を訴えた。

九死に一生を得るじゃないけれど、会社の東京本社の顧問級の超お偉いさんがそこを私に代わって英訳対応してくれたから事無きを得たけれども、本当にそんな超ウルトラスーパーありえないラッキーが舞い込まなければ、冗談抜きで私1人でそのクレームに対する繊細すぎる英訳を担当することになろうとしていた。

そう、ちなみに思ったけれども。

資料を見た人たちにはわからなくても、私には英語を見た時点で「超クレーム」だっていうのがすぐにわかってしまった。

だから本気で上席のそうそうたるメンバーから確実に指示を仰がないと私にはお手上げだった。

昨日は英訳とは別に数名の部長席行脚に精を出してた( ̄∀ ̄;)。

多分、私くらいの年齢の男性社員ですら、そんな1日で部長数名のところに相談確認するなんてしないだろうと思う←もはや私は何要員なのかわからない変な立ち位置にいる。

でもそれくらい困っていた。

そんな折に東京本社の海外部門統括のお偉いさん(←初対面)が私の英訳添削をしてくれることになって、超超超助かった。

わぁわぁ言ってみるもんだなと思った( ̄∀ ̄;)。

自分が困りそうだからわけもわからず指示を受けるままにこちょこちょ動いていたら、想定外すぎるヘルプがやってきた!

☆*:.。.\(*⁰▿⁰*)/.。.:*☆

っていうか、本当に大切な、会社にとって大切なものだからこそ、予期もしない形でヘルプが入るんだなと思った。

他にも何人かの人たちから助けてもらって、事無きを得た。

今回はたまたま上手く運んだけれども、こんな綱渡りみたいなことは嫌だから、それで資料を作成した。

部長の顔が私が行くたびにヒヤッとしてるのは、見間違いとかではないと思う。

本気で毎回苦手なんだろうなぁと思うけれども、めげずに自分ファーストでいこうと思う。

ちなみに、苦手そうにはされていても、部長は素晴らしい人で、きちんと毎回対応してくれる。

私の個人の戯言ではなく、本当に会社にとって大切なことの訴えで、それに対してきちんと対応してもらえるからものすごく恵まれている。