100日記録のノート(☆)をパラパラとめくっていたら、Hさんとのやりとりが記されていた。
2012年の秋の日、Hさんが「俺の好きなものだけど…」と言ってポテトチップスとポップコーンを手土産に持ってきてくれたことと、それにより自分の怒りのボルテージが下がったことが書かれてあった。
元をただすとこうだった。
Hさんとは数年来の友達で、色んなことを深く話せる人だ。
当時Hさんは転職し、私から見て本人に合わない場所や人たちと付き合い始めた頃だった。
あの時は本人もいっぱいいっぱいだったのは今振り返ってみてもそう思うし、私は私で自分のことで手一杯だったから、Hさんを気遣ったり思いやったりするような余裕はなかった。
当時仕事を辞めて個人事業へと移行しようとしていた私は、時間の余裕だけはたくさんあった。
当時の手帳を見ないとわからないけれど、多分その年のその期間、事業を一緒にしていた人たち以外ではおそらく他の誰よりも会う回数が多かったんじゃないかと思う。
うちに来てくれるのは交通費や外食代を気にしなくて良かったからとってもありがたかったし、別にHさんじゃなくても私は家に誰かが来てくれる時は私が食べるものと同じで良ければごはんを出したりお茶を出したりは普通にしていた。
一度や二度はまだいいけれど、それが頻繁になり途中から私はものすごく嫌になった。
しかもHさんはいつも手ぶらでくる。
手土産を持ってこいと言いたいのではなく、あまりの気遣いのなさに私は腹を立て始めていた。
いつだったかの約束の時は、私はその前に用事で家を空けているから、お昼は食べてからうちに来て欲しいとHさんに伝えていた。
自分のごはんさえどうなるかわからなかったし、もういい加減色んなことに怒りを覚えていた私は、やんわりとごはんぐらいは食べてからうちに来てくれと思っていた。
その約束の日。
Hさんから何か食べさせて欲しいと言ったのか、私がごはん食べてきた?と聞いたのか覚えていない。
いや、なんとなく何か食べさせて欲しいと言われた気がする。
自慢ではないけれど、私は冷蔵庫にあるものや家にある乾物の類いなんかを見て、ぱっと何かを作ることができる。
自分の普段のスタイルがそうだから、その時だってチャーハンなり何か適当なものを作ることはいくらでもできた。
でも、もうそんなこと1ミリもしたくなかったのと、あれほどごはんを食べてから来て欲しいと言ったのになぜそうしてこなかったのかその無神経さに腹が立ったのとで、私はものすごく葛藤の末、Hさんに食パン1枚だけ出した。
トーストぐらいはしてあげたのかもしれない。
細かくは覚えていないけれど、とにかくたった1枚の6枚切りの食パンを出しただけだった。
Hさんに「ぶっしー何か塗るものある?」と聞かれ、私は「ない」と即答した。
「ぶっしーは普段こうやって何も塗らずに食べるの?」と続けて聞かれ、「そうだよ」と答えた。
バターがあればバターを塗るし、おかずがあれば何も塗らずにおかずと一緒に食べるというのが本当のところだったけれど、あまりの腹立たしさに私はもう何も出さない!と決めて「そうだよ」と返したのだった。
今書きながら私はあまりの自分やHさんと自分のやりとりの滑稽さに笑ってしまったけれど、当時はその食パン1枚にものすごく葛藤したし、多分食パンだろうが何か作って出しただろうが、はたまた何も出さなかっただろうが、今思えばどの選択でも後味が悪かったと思う。
そしてどの選択でもものすごく迷いと葛藤が生まれたと思う。
それでその次に会った時なのかもっと後になってからなのか忘れたけれど、Hさんがポテトチップスとポップコーンを持ってきてくれて、私はそのHさんの行動にものすごく感動を覚えた。
そしてそれまでの怒りが鎮まった。
その当時の一連のことを私はそのノートに記していた。
上のことだけ書くとHさんがものすごく気の利かない人みたく映るかもしれないけれど、実際のHさんはさりげない気遣いができる天才的な人だったりする。
Hさんとはドミニカで知り合ったけれど、私のドミニカ生活を誰よりも評価してくれたのはHさんだった。
日本に帰る前、自分たちの事業報告を各自プレゼンすることになっていて、私も自分のものをした。
他の人たちはbefore afterがはっきりとわかるような改善を行ったり、数値化してどう変化が生まれたかがわかるような内容になっていた。
私のはそのどちらからも程遠く、自分が何をしてそしてあとは具体的な個人エピソードを披露するという方法をとる他なかった。
「実績」というものさしで見るなら、私のものはその土俵にさえ上がれないほどのレベルだった。
本当にその通りだから私はそれを隠すこともせず、ありのままを伝えた。
発表が終わってみんなそれぞれ和やかな雰囲気になっていた時、Hさんがわざわざ私のところにやってきてこう言ってくれた。
「ぶっしー、ぶっしーのやったことって本気ですごいやん!」
私はHさんに、他の人たちみたいに後世残るようなことは一切していないというようなことを言った。
そうしたらHさんはたたみ返すように伝えてくれた。
「ぶっしー、ぶっしーは人1人の人生を変えたんやで!それってほんますごいことやん!」
Hさんは本当にそれだけを伝えるために私のところにやってきた。
そしてHさんの一言で、私のドミニカ生活はものすごく肯定された。
Hさんというのは、そういう数字とか視覚では見えない部分をきちんとキャッチして言葉にしてくれる人だ。
それも感じたままを感じたまままっすぐに伝えられる人。
またある時は、Hさん含めて男女4人で30歳の誕生日を祝うための旅行に出かけた。
その時私はおなかを壊し、途中でトイレに長時間こもることになった。
いくら気心が知れてるとは言え、同世代の男性に延々トイレから出てこない私を待たせるというのはさすがに恥ずかしいものがあった。
みんな待たせてごめんねと私が言う前に、Hさんはトイレから戻ってきた私に「ぶっしー大丈夫?」と開口一番言ってきた。
そういう気遣いがさっとできる人だから、Hさんは女性陣にえらい好感をもたれていた。
だから、食パン1枚ごときでアホみたいに葛藤していた当時の自分も、そして本来色んな気遣いをものすごくさりげなくする人なのにそういうことが雲隠れしていた当時のHさんも、どちらもおかしかったと思う。
ちなみに、食パンやポテトチップスの後、Hさんの人生の大きな決断の時に私は思いっきり水を差して、それから絶縁に近い音信不通の状態が何年も続いた。
連絡先も変わったHさんの消息は、共通の友達からもたらされる情報だけで、もうこのまま会わないんだろうなぁと思っていた。
うちに来てもらうような距離ではお互いになくなったし、連絡を取るような何かがあるわけでもなかった。
そうしたら2017年、共通の友達が2人も結婚式をあげたことで、Hさんとは2回再会した。
1回目の結婚式の時は、連絡のとりようがなくて少し話しただけだった。
2回目の結婚式の時は、連絡先を交換してあったから式の前の夜に待ち合わせて一緒に飲み食いした。
最後ものすごくわだかまったまま音信不通になってたから、きちんと顔を合わせられる時に話をした方がいいような気がしていた。
それは当時のことを謝るとかそういうことではなく、何か大事なものを確認する、そんな感じだった。
近況報告の時に私がした質問はいきなりHさんを不機嫌にさせた。
不機嫌を通り越して「怒りに火をつけた」と言っても良かった。
あぁ私はまたやらかしてると思いつつ(最後の時もそんな風だった)、話をしていくうちにふっと空気が緩んだ。
それぞれに積み重ねたものがあるから昔と同じとはいかなくても、元々Hさんが持っている朗らかでまっすぐなところが自然と出てきた。
そこからはどんどん話が弾んで、気付けば夜中の1時を回っていて、明日があるから解散しようとなって解散した。
2人で本当に色んな話を自由にしたけれど、そういうところは今も昔も何一つ変わらなかった。
食パン1枚で葛藤していた自分が懐かしい。
食パンどころかもっとでかいこと、Hさんの生き方そのものを単刀直入に聞いてそこから気まずくなって音信不通となり。
そしてまた時間が経ってまた色んなことを話す。
もしかしたらその夜中の1時を過ぎたあの夜がHさんとの人生最後の顔合わせになるかもしれない。
いくらでも連絡は取り合えるけれど、もうお互いに近くに住むこともないだろうし、有志で集まろう!なんてことでもない限り、Hさんと顔と顔を合わせて話す機会はないような気がする。
でももう食パンのこともポテトチップスを持ってきてもらったことも、その後ずばずばと核心をついた質問をしてHさんを怒らせたことも、なぜかすべてがとても良い思い出になっている。
0 件のコメント:
コメントを投稿