ドラゴンボールのカメハメハは、ずっと漫画の中だけに存在する技なのかと思ってた。
22歳の当時、私は本物のカメハメハに出合った。
それは忘れもしないアメリカ最後の夜だった。
シアトル経由で日本に帰る前の日、私はシアトルに引っ越した大学の時の友達、ケーリブのアパートを訪ねた。
アメリカ人の素晴らしいところは、「◯◯(自分の住んでいる町)に来ることがあったらいつでもおいでよ!うちに泊まりなよ!」ということを、本気で言って、そして本当に行きたいと言うとそれを必ず喜んで受け入れてくれること。
ケーリブは日本人が思い描くような典型的な超スーパーフレンドリー&明るいタイプのアメリカ人ではなく、日本人に近い物静かな感じで、でも和を乱したりすることなく、そこに一緒にいるとその時間も空間も心から楽しむ、そんなタイプの人だった。
最初に書いた典型的なアメリカ人の「◯◯に来るならうちにおいでよ!」という言葉はケーリブもアメリカ人らしく言う人で、私はシアトル経由で日本に帰るからその時に泊めて欲しいとお願いすると、二つ返事でいいよと返事をもらった。
ケーリブは友達の友達で最初知り合った。
その後は共通の友達と開催するパーティーと言う名の飲み会で何度も何度も顔を合わせて仲良くなった。
だけど、私がケーリブのアパートを訪ねるまで、よく考えるとケーリブがどんなことに興味があってどんな人間なのかほとんど知らずにいた。
その日の夜、必要なもの以外何もないケーリブの大きなアパートで、「気」について話した。
I'm learning "ki" now.
と始まったと思う。
「気」を習ってるんだよって。
最初私は、空手や柔道のように気を習ってるのかと思ってた。
アメリカでは日本の格闘技が大流行してたから、気もその一種なのかと勘違いしてた。
けどケーリブは全くもって別物だと説明しだし、なんなら今見せてあげるよ!と言って実演を始めた。
それがカメハメハばりのすごいものだった。
ケーリブは目を閉じて瞑想のような精神統一みたいなのを始めた。
そしてこれから気を出すからねと言いながら、両手と両手を胸の前でお祈りするみたいに合わせた。
徐々に右手と左手の距離を離していった。
離しながら、また右手と左手を近づけたり遠ざけたりを繰り返していた。
「フミコ、気が発生したよ!
僕の右手と左手の間に手をかざしてごらん!」
とケーリブが言ってきた。
側から見てた時は、ケーリブの動きの意味なんかさっぱりわからず、当然霊視なんかできない私には何も見えなかったし聞こえなかった。
まさかそこに何かがあるとは思わず、ケーリブが言うように手を入れてみた。
手を入れた瞬間、度肝を抜かれた。
本当に目には全く見えないのに、たしかに見えない力を皮膚で確実に感じた。
そこには何かが確実に存在していた。
そしてケーリブが真ん中にある私の手に向かって、両手を近付けたり遠ざけたりを繰り返すと、あのアニメドラゴンボールの中のカメハメハと全く同じ原理のようなものが発生していた。
テレビで見るドラゴンボールのように、身体中の気を集めて1つの大きな力を生み出す様がそっくりだった。
ケーリブの手が近付くと私の手はその見えないカメハメハに押されるような感じになった。
当たり前だけど、ケーリブは私に指1本触れていない。
なのに、その見えないカメハメハに私はタッチというよりプッシュされてる。
私は「ドラゴンボールのカメハメハみたいだね‼︎」と興奮気味にそのままの感想を口にしたら、気を出し続けながらもケーリブはニコニコしながら「でしょでしょ!カメハメハでしょ!」みたいに返してくれたような記憶がある。
ケーリブのその何もないアパートの部屋は、まるで四角い宙に浮いたみたいな空間で、映画マトリックス並みの空間に放り込まれた感じがした。
そこだけ異次元空間で、だから目に見えない力が発生する、そんな風だった。
私が人生で初めて目に見えないものに触れたのは、そのケーリブとのやりとりが初めてだった。
私はケーリブの人柄を感覚で知っていたから、そのカメハメハばりの見えない力について1ミリも疑うことがなかった。
むしろ、見えないのに何かがあるその何かに魅せられていた。
ケーリブが信頼できる人だというのは、物静かでたくさんの言葉を交わしてなくてもそれは感覚的にわかっていた。
下世話なことを言えば、ある意味同年代の異性が家に泊まりに来るなんておいしい状況なのに、絶対に手を出すようなことはしない人だった。
私では好みじゃないとか生理的に受け付けられないとかいうこともあるだろうから参考にならないかもしれないけど、本当に魅力的な女の子でもケーリブは多分あのケーリブのままで、同じように手を出すことはしなかっただろう。
多分私じゃなくてもケーリブが友達認定してる人たちには一切手を出さないことをきちんと守ってると思う。
実際に周りには誰とでも寝ちゃう女の子がいたけれど、その子もどういうわけかケーリブにだけは手を出さなかった。
顔や背格好は一般的に「モテる」部類に入る人だけれど、ケーリブはそういうところがすごく真面目で誠実な人だった。
だから私も安心してケーリブを訪ねることができたし、そのカメハメハばりの見えない力についてもケーリブが見せてくれるままに純粋に楽しむことができた。
ケーリブが見せてくれたものは、ある種の誘い(いざない)だった。
私はその10年後ぐらいに今度は日本でそういうことに徐々に触れていくようになっていった。
本当は名古屋シリーズを書いた後にケーリブの話は書こうと当初思ってた。
だけどなぜかケーリブのことが先に浮かんでそれがまたどういうわけか頭から離れないぐらいにちょいちょい出てくるから、それで先に書いた。
そして名古屋シリーズの完成を待ってるうちにもうケーリブのことが書けなくなるかもしれなかったから、だから最初に書いた。
書こうと思ってても私のことだから面倒になってそのままお蔵入りする可能性も否めなかった。
でもそうしたくなかったから、それで頭の中に何度も浮かぶ今、先に書くことにした。
ケーリブは私の人生で最初に目に見えない世界を教えてくれた人で、その時のことは何年経ってもずっとずっと覚えてて、当時は重要だなんて思わなかったけれど、気付けばそこが起点になってたと思う。
私はそういうものを信じるタイプでもなければ興味もなく、むしろそういう目に見えないものは怪しいと思ってた。
だけど、ケーリブが実演してくれたカメハメハは怪しいものでも怖いものでもなく、本当にあったからそれを否定する要素はどこにもなかった。
そして最高に良かったのは、ケーリブはそれをとても楽しそうに紹介してくれたことだった。
何か楽器を習って弾けるようになった人がそれを紹介するみたいに、ケーリブはkiを紹介していた。
自分の記憶に強く残るものって、後々の人生で何か意味のあることと繋がってるような気がする。
ケーリブのカメハメハも例外ではなく、まさかそういうものに触れる人生がのちにもっともっと展開するなんてその時は考えもつかなかった。
しかも何がどうしてそんな流れに当時なったのかわからないけれど、少なくとも飲んだくれの会の時にはそんな様子を微塵も出していなかった。
もしかしたらシアトルに行ってから習ったのかもしれない。
ケーリブの家に泊めてもらうことや、その時にたまたまとしか当時は思えない見えないものに触れてくること、そもそもケーリブが気に興味を持って気を習ってたこと、それら全部が揃って初めてあの瞬間が成り立つ。
ケーリブが見せてくれたカメハメハは、そういうものが本当にあること、そしてそれは怪しいものじゃなくて何か役に立ったり別の良い意味で存在するものだということをとても自然に伝えてくれたものでもあった。
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