私も実際にその人がどうやってするのかは、その人の説明しか知らないし見てないからわからないけれど、筋反射をとって年齢とその時の感情を特定し、それを取り除いてしまうとのことだった。
その日の仕事が終わるとラインが入っていて、13歳の頃に定着したものという内容に始まり、あとはマニアックだからはしょるけれど、その人がやって知り得たことをそのまま教えてもらった。
話を聞いていると、キネシオロジーと呼ばれる療法とあと別の療法を組み合わせて使っていると思う。
その人に伝授してくれた人というのが、特定の協会に属することを望まず、だからその人独自のネーミングで技を伝授してくれたのだと言う。
そんなこんなで私は中学生の私を思い出すこととなった。
まず最初にラインで「13歳」と言われた時、私は拍子抜けした。
これまで過去の感情的なトラウマとなっているものを癒すワークなんかは有料無料問わずあれこれやってきた。
自分でも自分に対してやれるぐらいにまでなったから、色んな年齢の時の色んなトラウマ的なものを解き放っていった。
だけどよくよく考えてみたら、私は中学生の頃のことを一度も取り扱ったことはなかった。
いわゆるいじめというものをみっちりと体験した3年間だったけれど、その後から私は人間関係にはものすごく恵まれて、自分の中ではもうその時のことは乗り越えたと勝手に思っていた。
一番わかりやすかったのは、20代の前半または中盤あたりを境に、当時の夢を見なくなったことだった。
中学卒業後も年に2~3回、当時の夢を見ていた。
寝る時に見る夢は、いつもだいたい夢の中で動いている自分とそれを見ている自分と2人の自分がいる。
だから夢を見ながら、「これ夢の中だな」なんて冷静に思う自分がいたりもする。
だけど、いじめの夢だけは、夢の中で動いている自分しか毎回いなかった。
それを見ている自分が完全にいないから、夢の中で私はいじめを追体験する。
そして起きると、自分が一体どこにいて自分が何歳なのかわからなくなっていた。
色んな負の感情の感覚もしっかりと体のあちこちに残っていて、だから余計と色んなことがリアルすぎて、毎回その夢の後は落ち着くまでに少し時間を要した。
そして今はそこにもういないとはっきりとわかると、ようやく安心できるようになっていた。
それぐらいに強烈な夢で、でもそれがある時を境に全く見なくなった。
だからもう私は勝手に自分の中では解決されたもの、乗り越えられたものとして捉えていた。
だから「13歳」と言われ、私は驚いた。
当時の記憶はしっかりとあるけれど、それが自分が思っていた風ではなく、実際にはとても強いトラウマで残っていたということが判明したから。
巷にあふれているような表現をすると「黒歴史」という風になるだろうけれど、私は当時のことを茶化すようなことはできない。
「いじめられてたよ」ぐらいなことは言ったことあっても、それを「黒歴史」なんていう一言で片づけられるようなものではなかった。
人生で最初で最後、自分の手首を切ってみたのもその時だった。
当時のことはとてもリアルに憶えているし、大人になった今も「命を粗末にして」などとは思わない。
そうしたくなる位に追い詰められていたということと、家と学校だけの往復で、しかも学校に行かないという選択肢が自分の中にはなかったから、毎日生き地獄のような日々を過ごしていた。
死ぬ覚悟もなく、誰かに相談するでもなく、学校に行かないなんて当時は物珍しくそして熱が出ても学校に行けなどと言ううちの母親の前で行かないなんてとても言えず、四方八方塞がりの頃でもあった。
今の私は理不尽だったりすると相手に物申したりするし、適当に交わすとか逃げるとか何かしら自分を安全な方へ避難させる術や考えを持ち合わせているけれど、当時の私にはそういうことができなかった。
話は飛ぶけれど、私がセラピーで取り扱っていたのは、自分の中でそれが今現在にまで影響を及ぼしているだろうと思われるものばかりだった。
それで、先に書いたように、私は高校以降から現在に至るまで、本当の本当に人間関係だけはものすごーく恵まれていたから、いじめの体験は体験としてそのままにしておいても全く差し支えがなかった。
だからまさか自分の中でそれが根強く残っていて実は潜在意識の中では強烈に引き継いでいたことを、今回指摘されるまでは全く気付かずにいた。
それを顕著に感じたのは、そのセラピーを遠隔でやってくれた方と電話で話した時だった。
元々その方と知り合ったのは、NLP「神経言語プログラミング」と呼ばれる手法を学んだ時で、その後もお互いに実に色んな話をした。
それこそトラウマ級の話もいくつかしたし、そしてその方は私の小学校1、2年生の頃の壮絶ないじめ体験の時のことを、一緒に寄り添ってくれて悲しんでくれた方だった。
それはある時自分で自分にセラピー的なことを施していた時に、まさかその当時のことが出てくるなんて予想だにせず、私は3日間ほどこれ以上ない位に泣いて過ごした。
本当にあんなに泣けるものかと暇さえあれば泣くぐらいの状態だった。
当時、私は自分の感情をそこでストップ・麻痺させることで、その場をやり過ごすという方法を幼いながらに行っていた。
それが約30年後ぐらいになって、当時の本当に感じていた感情がどばーっと一気に押し寄せたものだから、私はやっとやっと当時本当は泣きたくてたまらなかったこと、怖くて仕方なかったこと、そういうものが出てきて、それでぼろぼろと泣いていた。
その時のことをその人には私の家でお菓子を食べながら珈琲を飲みながら話していた。
話した時は笑い話ではない。
私は言葉に詰まって泣いていた。
だけどその方は私以上にもっと泣いていた。
その人のおかげでどれだけ自分の人生が救われたか計り知れない。
今回電話で話した時も、その人は当時と同じぐらいに悲しみ、ものすごく寄り添ってくれた。
だけれど、今回唯一違ったのは、私の方だった。
自分を強く保とうと、体や頭の方が先に反応していた。
それは中学生の自分のまんまだった。
私は平気ではなかったし、心の中で思うことはたくさんあった。
だけど私は最後の最後まで沈黙を貫いた。
いじめられても一度も言い返さずいじめらるがままだった。
担任の先生は状況によく気付いてくれていて、クラスで孤立していた私に時々
「史子、さみしくないか?」
と言ってくれていた。
猛烈に寂しくて孤独で誰かに頼りたくて…なくせして、私は「さみしくないです。大丈夫です」といつも答えていた。
未来の今、寄り添ってくれる人がいるのに、私はその人と電話で話した時に確実に自分が平静を装うようにしていて、やっと気付いた。
こうやってずっとそこの部分には蓋をしていたこと。
人間関係がうまくいくことと、自分が心の奥底で感じたことが癒されることはイコールじゃないと今回ものすごくよくわかった。
それとこれとは別物で、それで当時の自分に寄り添うこと、それが今の大人の私が自分にできる最大のことだと思っている。
今回のセラピーは多分本当に大きく自分の中の癖やサイクルを変えたと思われる。
まだ頭の方の理解は追いついてないからわからないけれど、体の方はきちんと反応が出ている。
聞いてはいたけれど、セラピーの翌日、それはそれは眠たくて眠たくて仕方なかった。
仕事中もなんと午前から眠くて、そして今の仕事で一度もしたことのない昼休み中の昼寝的な感じのことを10分少々だったけれどした。
机に伏せる感じだから体は楽ではなかったけれど、少しでも目を閉じて寝ている状態に近いものをしないと体がもたなかった。
午後もずっと眠くて、そして仕事が終わる1時間ぐらい前からおなかが痛くなり出した。
帰る頃には相当おなかが痛くなっていて途中トイレに寄ったほどだった。
帰りの運転中もやたらと眠くて、あぁこんなことこれまでなかったなぁと思った。
妙にけだるくて、聞いてはいたから心の準備をしていたこともあってメンタル的にはまぁ可も不可もなく的な感じではいられたけれど、体はとにかく確実に不要なエネルギーを外に出すことに全力で動いていた。
今まで体に付着していた過去の重苦しいものがはぎとられた、そんな感じなんだと思う。
だから体の方が新しい状態に合わせようと、もしくは古くてもう今は要らなくなったものを外に完全に出し切ろうと、動いてくれているんだろうなぁと思っている。
今しかこんな風に書けないなぁと思って書き連ねた。
朝の4時半に目が覚めてしまって(昨日がその異常なほど眠かった日)、とにかくあったこと起こっていること感じていることを今残そうと決めた。
だからこの話、オチがありません。
悪しからず(笑)。
そして私はこれから二度寝してもう一度エネルギー補給をして、今日明日と楽しいことに精を出す。
2018.1.20 夜明け前の朝
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