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2018年4月20日金曜日

ホロスコープにはまる理由

暇さえあればホロスコープ(占星術)の勉強に励んでる。

とにかくテーマが広すぎて、とりあえず気になった項目から調べている。

最初は用語から攻めていこうかと思ったけれど、気になった箇所を調べると必ずわからない基本的な用語が出てくるから、今は出てきた時に都度都度調べて対応している。

用語だけを調べるよりも、他の内容と照らし合わせて用語も覚えていく方が楽しく学べるし必死で用語の意味を解読するのがわかったからそうしている。

ホロスコープをここまで読み解くのには理由がある。

「自分を知る」その一言に尽きる。

そしてその自分を知った上で「自分が望む在り方をこれからの人生でやっていこう」と決意を固める。

怖ろしいぐらいにホロスコープには自分というものが出ている。

私が引きこもりをしていても苦にならなかったことまで書いてあるんだから、ぞっとする(苦笑)。

「無理をして疲れる人付き合いをするよりも、植物や石などの物言わぬ存在と一緒にいるほうが、心が安らぐと感じていることが多いかもしれません。」

はい、その通りです。

「隠れ家的なスペースに長くこもっていても苦になりません。しかし、それは、引きこもりと呼ばれるような、社会生活からの乖離にもつながる傾向でもあります。」

はい、その通りです。

そして言葉通り、引きこもりを苦もなくしていました。

それゆえに、私は人と関わること、人を癒すこと、自分の能力を誰かに役立てること、そんなことをすると充実すると結論づけられている。

はい、目指します。

これは一例だけれど、本当にこんな風に色んなことをホロスコープは教えてくれる。

 

私が勝手に思っていることだけれど、今だからホロスコープの情報がとてもありがたく受け取れると思っている。

これ引きこもりの時に知っていたら、ますます自信喪失して社会復帰は望めなかったと思う。

または、自分の内面と向き合う技術のない時だったら、痛いことを山ほど指摘されて、目を背けて放置したと思う。

今のタイミングは、自分の良い面も否定したいような面も両方冷静に見れるようになって、まぁそういう自分だから仕方ないかと良い意味であきらめもついて、じゃあこれからどうしましょう!?というタイミングでやってきたホロスコープだった。

しかも2月に鑑定を受けた時、私はそこに一緒に添えられていた「サビアンシンボル」というメッセージにはものすごく惹かれて本まで買ったけれど、ホロスコープは自力で読めそうにもなかったから、そのまま放置した。

鑑定士の方が「史子さん、ホロスコープも魂の設定の読み取りも今後興味を持ってやっていくかもしれません」と言われた時、心の中では「絶対にやりません」と思っていた。

明らかに難しそうで、そういう情報を噛み砕くのに一生費やしても終わらないと思った。

それがこの間、その鑑定士の方が一押ししていた「海部舞」さんというホロスコープ界で有名な方のブログを読んで、ガラッと変わった。

その人は、幼子2人のシングルマザーで日給5000円の仕事で福祉の世話にもなりながら生きていたところから、自分のホロスコープの強みを生かして今や仕事もパートナーシップ(とても素敵な方と再婚された)も子育ても自分の思い通りの人生を生きるようになった、たかが2年半で。

その人のブログを読んで、私はその人の心構えややったことを1つ1つ見た。

それで私もとりあえず自分のホロスコープを読み解こう、読み解きたいと思った。

そういうきっかけで私は今自分のホロスコープを真剣に読み解いている。

とってもありがたいことに、世の中でホロスコープを勉強されている・職業にされている方はたくさんいて、本6冊で対応しきれないところはネットで検索する。

色んな方の色んな解読方法がヒットする。

ヒットした中で私がぴんときた情報を採用して、それを高級ノート(税込1166円)に書き写している。

やっていくうちに次に調べたいテーマも出てくるから、それはまたおいおいやっていく。

私は本当に色々手を出したけれど、人生をより良くするのに一番手っ取り早いと今思うのは「自分を知る」ことだと思う。

当然、人間の意識なんて、すべての意識の5%以下しか自分で認識できないから、すべてを知り尽くすなんていうのは最初から無理がある。

だけどそうした深層心理に踏み込む手段としてホロスコープはとても安全だし、ある意味わかりやすい。

言葉として情報は提供されるから、その言葉を読みながらあとは自分がどうそれを受け取って自分に活かしていくかだと思ってる。

今はあまり気にしていないけれど、例えば私の人間関係の特徴の1つに「頭のいい人・変わった人とたくさん出逢う傾向が強い」とある。

これは2月の鑑定の時に言われて、たしかにその通りと思った。

特に社会人になってからその傾向がとても強い。

頭のいい人もちょっといいんじゃなくて、とてつもなくいい人がどんどん周りに出てきた。

ちなみに、私は20代の後半、スペイン語のクラスで一緒だったクラスメートたちは本当にそうそうたるメンバーだった。

早稲田・お茶の水・ニューヨークの大学院・国立の医療大・明治という顔ぶれだった。

なぜそんなクラスに私が組み込まれたのかと言えば、単に英語のテストで高得点だったから。

100人ぐらいいる人たちを上から2つは「スペイン語圏で暮らしたことある・以前に習って知っている」人たちだけを集め、3つ目のグループ以降は英語の成績順で分けられた。

私はその3つ目のクラスに振り分けられたけれど、英語はたしかにできても基本的な学力は全くもって高くないから(日本ならそれどこの大学?と言われるような大学にしか入れない学力)、本当にそんなクラスにいて毎日泣きそうだった。

周りの人たちは私がやっと1つの文法をマスターする頃、2つ以上はマスターしていた。

単語の覚え方なんてどうやってるのか知らないけれど、私が1つ覚える頃他の人たちは10個覚えていた。

歴然とした学力の差・勉強の仕方の差を目の当たりにしたけれど、頭の賢い人たちというのは本当にすごくて、できない・足を引っ張る私のことをとても優しくフォローしてくれ、一度たりともバカにすることがなかった。

そう、この辺りから、頭が良いだけではなく人格も優れている人たちに会うことがすごく増えた。

変わっている人というのも、とても個性的でその個性的なところを社会に活かしている人たちがうんと増えた。

その辺りもこれから調べていきたいけれど(多分そういう人たちと出逢う意味が必ずあると思ってる)、そういうこともホロスコープに出てるとは驚きだ。

外向的・内向的とか(ちなみに私は両方)、興味の広げ方とか(私は色んなことに興味関心を持ちやすい)、まぁとにかく色んなことが書かれている。

ちなみに結婚するとしたら「変わった結婚」をするらしい。

それは占いのおばちゃんにも毎回言われた。

「あなた普通の結婚はしないわよ。

日本で一般的な朱に染まるような結婚、要は赤と白の人がいたら朱に染まっていくんじゃなくて、赤は赤、白は白、個と個として互いに存在する、そういう結婚よ」

「お互いが自由な関係を求める」とホロスコープ鑑定の時にも言われた。

それはなんとなくわからなくもない。

基本的に自分ひとりの時間がないと発狂しそうになるから、そういう意味で24時間べったりなんていうのはちょっと考えにくい(もちろんそういう可能性がゼロではないと思うけれど、傾向として)。

まぁとにかくそんなこんなのホロスコープで、もう今全力でその読み解きにはまっている。



2017年11月26日日曜日

自分の名前

1998年の夏か秋だったんじゃないかと思う。

アメリカ北西部のとある田舎町の雑貨屋で私は写真のノートに出逢った。


大学のある町で、その雑貨屋は町で一番おしゃれな(唯一の)雑貨屋だった。

CDから服、雑貨まで色んなものを置いているお店だった。

まさか英語圏の国で、自分の名前と同じ字が書かれたノートを目にするとは思わず、何に使うかも決めずに即決でノートを買った。

1999年の3月に20歳になった時、そのノートを初めて使い、それ以降今に至るまで毎年誕生日の日にだけ書く日記帳として活躍している。

 

2017年の秋、つい先日、そのノートをまじまじと見た。

もうそろそろ買ってから20年経とうとしている。

19歳だった私もそれ以降の私も大してそこに大きな意味など感じず、その言葉の通りだよね~と実に軽く受け流していた。

だけど、この間よくよくそのノートを見て、自分で自分にびっくりした。

 


「史」という文字。

「writing one's own history」

と説明されている。

私は単に「自分の歴史を書く」という意味にしか捉えず、それで「誕生日日記」なんていいだろうと思って始めたのが最初だった。

本当にその通りに使っているけれど、それ以上の意味を見出すことはしてこなかった。

もっと言うと、historyはわかるけどwritingの部分だけは「何で【書く】なんだろう??」という疑問は残った。

アメリカで買ったものだから、「歴史」だけだと言葉が弱いからまた日本語の曲解でもして「書く」も付け足したんじゃないかと思いこんでいた。

勝手に外国での日本語あるあるにしてしまっていた。

 

1ヶ月ほど前だったかと思う。

何かは忘れたけれど、私は探し物をした。

ゴールデンウィーク明け、実家は建て替えに伴い今の仮住まいに引っ越した。

とても狭い今の仮住まいには最低限の荷物しか運びこめなかった。

私は7箱の段ボールを持ち込んだ。

もっと言うと、1年前の2016年の5月末に6年半住んだ名古屋から新潟に帰ってきた。

その時、私は一生使おうと思って買った一点物の木のテーブルと4箱ほどの段ボールを送り、あとは大きなスーツケースに入るものだけを持ち帰ってきた。

これ以上ない位の大幅な断捨離をした。

そして今回の引っ越しの時もまた大がかりな断捨離をした。

その7箱の内訳は
2箱:お気に入りの食器たち(車庫に保管だとカビが生えたら嫌という理由で)
2箱:衣類
3箱:CD、本、ノート類
という具合だった。

CDや本で1箱とすると、私はノート類を2箱持ち込んだことになる。

仮住まいへ持ち込む時は、あまりにもばたばたしていて、私は無意識に「持って行くもの」とそうでないものを分けていた。

少なくとも食器たち以外は自分の生活に必要と思って持ってきたものたちばかり。

私はそのばたばたして思考がいまいち働いていないような状況で、なぜか「書くもの」ばかりを集中的に必要なものと分別して持ってきていた。

この間、その探し物をしていた時に、「書く」ことを目的としたものを実にたくさん持っているその事実にびっくりした。

自分で「異常」だと思った。

数えていないけれど、ものすごい大量のノート類が出てきた。

そして私は、1冊1冊のノートがどういう役割で使われているか又は使われてきたかを言える。

中を見なくても、こういう目的のものとはっきりとすべてのノートに対して言える。

それにプラスして、名古屋から持ち帰ってきた友達や仕事を通じて知り合った人たちからもらったプレゼントが2つを除いてすべて「書く」ことにまるわるものだった、ということにも同時に気付いた。


2人の人は、はっきりと私に
「ぶっしーって思い浮かべると“書く”なんだよね。だからこれを選んだんだ」
と言って、1人は万年筆、1人は高級ノートモレスキンをプレゼントしてくれた。

しかも2人は知り合いじゃなく、それぞれ別々の時にプレゼントは貰っている。

他にももらいものはあれこれあったはずなのに、気付くと私はペンばかりが手元にあって、しかもキャラクター系のペンはそれぞれ私の不注意で一部壊れているにも関わらず、私は捨てずに名古屋から持ち帰ってきた。

そして今回も大がかりな断捨離の時、迷わずに「自分と一緒に持って行くもの」として今の仮住まいに持ってきた。

書くものをプレゼントしてくれた人たちはそれぞれ知り合いじゃないのに、なぜかなぜか「書く」ということが全部に共通している。

そんなことについ1ヶ月前気付いた。

 

そして思い起こせば、私の仕事に「書く」という行為は常に含まれている。

どの仕事も一番のメインの仕事は「書く」ことじゃない。

しかもマニュアルを作っても「書く」ということは多分含まれないか、又はざっくり一言「記録する」で終わりだろう。

特に人と密に関わる仕事だった時は、毎日その相手とどう関わったかを手書きで記録することが業務の中に含まれていた。

私が見た視点でひたすら記録する、そういうことが普通に仕事に含まれていた。

そしてどういうわけか私は、それらの仕事の最後の時は、寝る間も惜しんでひたすら全員に手紙を書いた。

1回あたり30通を超える。

それでも全力で書き連ねた。

何か伝えたいことを言葉にした。

どの手紙も一期一会の手紙で、気付けばそれ以降にその人たちに一度も手紙を書いていない。

今生で会うのは最後というのが予想できる人たちばっかりだったから、私はありがとうの手紙やその個人個人とのエピソードで心温まったものを書いていた。

 

それ以外にも、私には早くから「書く」という機会が与えられていた。

まだ今ほどにSNSも発達しておらずそもそも「ブログ」なんていう言葉がないような頃、私は友達からmixiに招待してもらった。

そこでもたくさん書いた。

mixiが何かも知らずに始めて、私はそこで初めてブログ的なことをネット上で始めた。

そしてさらにその前に、私は日本の福祉の現場で働いていて福祉の個人サイトを開設している人から、アメリカの福祉の現状をレポートで書いて欲しいと頼まれて5回程文章を書いてメールで送ったことがある。

そのまま私の書いたものをその人のサイトでアップしてもらっていた。

もうそのサイトは今は閉鎖されていて、当時の自分の文章が見れないのはとても残念に思うけれど、その時も普通に「書く」ことを見ず知らずの他人から依頼されていた。

またこれは30代になってからのこと。

仕事の自主的な勉強会で、なぜか何人も参加者がいるのに、講師を務めた上司は私に「武士俣書記をしろ」と勝手に決めてノートを押し付けてきたことがあった。

全然苦じゃないから良かったけれど、どういうわけか勉強会に最後まで参加したのは私だけで、そして最後の時にそのノートをどうしたらいいかと聞いたら「武士俣、おまえの好きにしろ、そのままやるから」と言われた。

そのノートは生涯を通じて私の生きるヒントになるようなことがたくさん書いてあるから、私はそれも今の仮住まいに持ってきている。

 

気付けば「書く」ということがいつも身近にあって、自分でも気付かないうちに自然とペンと紙を持っている。

今の仕事は貴重品と携帯さえ持って行けばいいような職場だけど、私はノートを数冊毎日持ち込んでいる。

昼休みに何か書きたくなったりしたら困るから、という私にしかわからないような理由で持って行っている。

それぐらい私には違和感のない「書く」という行為になっている。

 

10年前、ばばちゃん(祖母)が亡くなった時。

地球の裏側から日本に帰国するその時も、私はとっさに日記帳を小さなスーツケースに入れた。

行きも帰りも飛行機の中で私は日記を書いた。

私はちょっとした日帰りの旅でも、数泊宿泊が伴う旅でも、絶対に日記帳を持ち歩く。

なんなら、私のかばんを選ぶ1つの基準が、日記帳が入るかどうかだったりもする。

それぐらい、貴重品と並んで私にとっての大切な持ち物になっている。

私は携帯を家に忘れても取りには戻らないけれど、書くためのノート類を忘れると家に取りに戻る。

それぐらい「書くもの」は私の中の貴重品というか必須アイテムになっている。

 

話は戻って、最初に書いた誕生日日記の「史」の字のところに繋がるのだけれど。

私にとって「書くこと」は当たり前で、私はしないからわからないけれど、多分毎日ストレッチや運動をする人が普通に毎日するような感覚に近いと思う。

そんな私が、2016年の夏から2017年の9月前後まで、書くことをほぼほぼ止めた。

理由は特になかった。

表面上は、ネットがない環境だからブログをアップしない、という感じだったけれど、実際はそれ以外の理由もあったと思う。

なんとなく書かなかった。

全く日々の記録がないのは怖いから、月に一度は気をつけて日記をささっと書く程度だった。

書きたくないのとも違っていて、単に「書かない」という行動に過ぎなかった。

私の中で「書きたくないから書かない」という感覚が明確にあるから、それとは全く別の感じだったことだけはわかる。

 

私の「書く」が再スタートしたのは、ひょんなことからだった。

その時だって「書こう」と思って書くことを始めたんじゃなかった。

もう体の方が先に書くことを始めていて、書くことを止められなかった。

人生で初めて書いた特別な手紙が先だったのか自分の何十ページにも及ぶ日記が先だったのか忘れたけれど、とにかく私は自分の手を使ってひたすら書いた。

ちょっと冷静になった時、「あれ?私書いてる!書くことを始めてる」と気付いた具合だった。

手紙の相手は本当にただただその場に存在しているというタイプの人だったけれど、どういう影響なのか私はその人と出逢ってから書くことを再開した。

本来の自分の姿に戻っていく、そんな風だった。

その人に出逢わなくても書くことは再開したように思うけれど、ただずっと書くことを20年近くやってきてその中で1年以上まるっと書かないみたいな時期があって、その再開のきっかけが今回はその人にあったのは本当だった。

少なくともその人に出逢わなければ、私はこの今年の秋ぐらいに書くことを再開することはなかったかと思う。

そして「書く」ことを自然にしている自分の姿を客観的に捉え始めたそのタイミングで、誕生日日記の「writing one’s own history」をきちんと心で捉えられるようになった。

「史子」の「史」は、父と同じ漢字だとか、「歴史」とかだけではなく、「書く」という意味が入っていること。

そして私は名前の通りに書くことをものすごく自然体でしていたこと。

それも自分では気付かずに、それを生活の一部として普通にずっとやってきていた。

しかもプライベートだけではなく、仕事でもなぜか「書く」ことをやたらと求められることが多かったのも偶然ではないと思う。

そういうことに気付いたから、私は今自分の名前の意味をもっと客観的な事実として知りたいと思っている。

それは自分でも気付いていないヒントがあるように思う。

私がこの2ヶ月ほどしている人生の棚卸しと書くこと、そして自分の名前、そういう情報1つ1つが全て繋がっていく、そんな気がしている。

〝Look in thy heart and write"
~なんじの心を見つめなさい、そして書きなさい~
(誕生日日記の裏表紙より)




*氏名に繋がる本との出会い



2016年2月26日金曜日

朝の書き物

最近ようやく体の調子が戻りつつある。

寝る時間は相変わらず9時台10時台に集中しているけれど、早く寝た分早く起きれるようになって

きた。

正月明け辺りからずっと早く寝ても起きる時間はいつも遅め、ギリギリまで寝てしまうことが多く

自分の時間が全然取れずにいた。

それがこの1週間位で、徐々に朝型のペースが作れるようになった。

今日は大きなものを運搬する関係で、満員電車になる時間を避けて朝早く家を出る予定だ。

それゆえに早起きしようと昨日の夜に決めていたけれど、まさか5時に目覚めるとは。

暗い時間からパソコンを立ち上げて、久しぶりに文章を書いた。

この文章が3つ目の文章だったりする。

単純に楽しい。

何せ生活のリズムが大きく崩れていたがゆえ、書き物すらままならない状況だった。

それが今、また少しずつ書き物のペースが戻ってきている。

書きたいもの、自分の中であれこれ整理がつかないもの、とにかく何でもいいから書きたい衝動に

駆られる。

そして朝の暗い時間から始める書き物は、近所も静かで物音ひとつしない。

時々聞こえる鳥の鳴き声と、あとは何かの物音ぐらいなもので、ほとんどの時間は静寂に包まれ

ていた。

しかも起きてすぐだから、余計な雑念や心配事などもなく、ただただ自分の内面と対峙して言葉を

紡ぎ出すことに没頭できる。

すごく気持ちの良い行為だ。


ペースが戻ってきた理由の1つは、今月末でいったん今の仕事から退くことが挙げられる。

多分自分が思っていた以上に重圧だったのだろうと思う。

それが消化できずに悶々とし、決して時間的な拘束がきつかったわけではないのに、いつまでも

わたしは仕事でのことをずるずると引きずっていた。

今年は父から素敵な手帳(父ももらいもの)をもらったのに、白紙の週がいくつも続いた。

別に何もしていなかったわけじゃない。

そこに何かを書き留める余力さえ残らなかった。

だから今純粋にまた書き物を再開できることに、嬉しい気持ちがふわ~っと内側から湧いてくる。

2015年11月21日土曜日

好きな音

先日初対面に近い方々に普段どんな番組を見ているかだったか、そのような質問をされた。

テレビを持っていないと正直に答えた。

テレビなし生活ももう6年は過ぎたかと思う。

実家に帰ればテレビがあるから暇さえあればずっとテレビを見ている。

テレビが嫌いなわけでは全くない。

むしろ好きな方だ。

だけど、なければないで生活できるもので、なくても全く気にならなくなった。

続いて「家に帰ったら、無音ですか?」と聞かれ、そうですと答える。

わたしも子どもの頃、家にテレビを置いていないという噂の先輩の家を思っては、一体全体

どのようにして日々を送っているのか不思議でたまらなかった。

面白いアニメやドキュメンタリーやドラマ、あれらを見ずにどんな風に家の中の生活が回るのか

テレビっ子のわたしには全くと言っていいほど理解できなかった。

だから、テレビがないと言うと、9割の人には驚かれるのはいつも想定内だ。

ちなみにテレビなしの生活は始めてみるとすごく快適で、わたしが自分一人だけで暮らす間は

これからもテレビを買うつもりはない。

冷蔵庫並みにないと困るのであれば買うけれど、今のわたしにとってテレビはなくても困らない

ものになっている。

くだんの質問の「無音ですか?」で思い出したことがひとつある。

わたしは生活の中に存在する音がすごく好きだ。

例えば今なら、一文字一文字ノートパソコンのキーを打ち出す音が好きだし、パソコン内部から

発している「働いていますよ」的アピールの音は好きではないけれど生活の一部になっているし、

朝なら鳥の鳴き声、風や雨の音も好きだし、料理の時に生まれる音も好きだ。

亡くなった祖母が使っていた小さな目覚まし時計の秒針の音も時々耳に届く。

お湯を沸かす時の音や、ホーロー鍋からカップへお湯を注ぐ音も好きだ。

シャワーの音も好きだし、寝返り打つ時の布団がぱさぱさ言う音も好きだ。

さすがにそんなことは説明しなかったけれど、気付くと日々の生活の中にたくさんの好きな音が

溢れている。

たしかにテレビはないけれど、完全な無音ということはありえない。

何かしらの音が必ず耳に毎瞬毎瞬届いている。

そしてそれら生活の中から生まれる音は、子どもの頃からずっとなじみがあっていつもほっとして

心を和ませてくれる。

2015年11月7日土曜日

冬の料理

久しぶりにじっくりと時間をかける料理を作った。

1つは白菜とコーンを和風だしでコトコト煮たもの。

もう1つはポットロースト。

ポットローストは、肉、じゃがいも、さつまいも、りんご、玉ねぎを土鍋に入れてあとはオーブンに

入れて焼くだけ。

どちらもほとんど料理らしい料理はしていない。

少しだけ切って、あとはガスと電気に任せてコトコトするだけ。

すっごい簡単なのにすっごいおいしくなるのは、冬の料理の特徴だと思う。

今さっきポットローストの中に入れたりんごを1つ味見した。

悶絶級のおいしさでびっくらこいた。

この料理のレシピに出逢ったのは春先で、りんごの季節はとっくに終わっていた。

だから今回初めてりんごを入れての調理になった次第。

作った人たちみんながりんごを絶賛していたけれど、今食べてみてよくわかった。

アップルパイに入っている少し柔らかくなったりんご、あのりんごの味と食感になっている。

ものすごくおいしい。

これを書いたら、肉やいもたちと一緒に食べるけど、さぞかしおいしく出来上がっていることだろう。

この料理の唯一の欠点は、塊肉がなかなかお安くならないこと。

今度特売の時に塊肉を見つけたらまた買って試したいと思っている。

冬だからおいしい料理、今年もあれこれ試してみる予定。

それだけで冬が少し待ち遠しくなれるのは、食いしん坊の特権だと思う。

2015年11月1日日曜日

優雅な湯気とブランケット

今このブログを珈琲を飲みながら書いている。

珈琲から立ち上る湯気に感動してしまう季節に突入した。

気付けば今日から11月。

昨日からぐっと冷え込んで、温かい食べ物が恋しくなり、水で手洗いするのが辛くなってきた。

食べ物から立ち上がる湯気も好きだけど、この珈琲から立ち上る湯気は食べ物の時とは違った

良さがある。

見ていて優雅な気持ちになれる。

食べ物からの湯気に食欲がそそられたり懐かしさを憶えたりすることはあっても、「優雅だなぁ」

なんて絶対に思わない。

ところが、珈琲の湯気は、それを見ているだけで何となく優雅でリッチな気分になれる。

湯気から伝わる温かさにほっこりしているのもある。

秋と冬限定の風物詩だなぁと思う。


いよいよ寒くなってきたから、膝掛けブランケットもつい先程クローゼットの天井部分から出した。

「深紅」という言葉が似合うようなワインレッドに近い赤いブランケット。

今から多分12年前に母がどこかからもらってきて、それをそのまま譲り受けた。

最初の5年半は、ずっと車の中に置かれていた。

運転用の膝掛けとして毎年大活躍してくれていた。

途中2年間は亜熱帯の地域に住み、このブランケットは実家のたんすにしまわれたままだった。

経緯は忘れたけれど、名古屋に持っていこうと自分で実家から今の場所へ持ち運んだのだろう。

今はもっぱら家専用の膝掛けブランケットとして毎年冬になると活躍している。

今年の春、衣替えの時期にこのブランケットを手放すかどうかずいぶんと迷った。

もう1枚別のチェック柄のブランケットは、たしか春先に思い切って処分したかと思う。

この深紅のブランケットは何となく手元に残そうと思って残したのだろう。

今考えると、このブランケットはこれから傷まない限りはずっと手元に置いておくような気がする。

干支が1周してもまだわたしの手元にあるという、稀少な1枚だ。

色も好きだし柄もないからデザインに飽きることなく、これからもずっと使い続けていくだろう。

毎年同じものを使い続ける、好きでそれを使い続ける、そういう楽しさを覚えたのは30代に入って

からだ。

たくさんの物に囲まれているよりも、自分の好きなものをずっとリピートして使っていくことの方が

粋だなと思うようになったのも30代に入ってからだ。

そういうことに感動出来るようになったから、先述の珈琲の湯気にも優雅な気持ちを抱くのだと

思う。

年を重ねないと絶対にわからないものというのがあって、そういうものを1つまた1つと知っていく、

このプロセスが楽しくてたまらない。

2015年10月23日金曜日

粋な朝の秋の時間

これまで毎年秋から冬になると、朝の暗さがとても残念で何ともがっかりな1日の始まりなどと

思っていた。

あの空の暗さに気持ちが呑み込まれてしまいそうで、あまり好きではなかった。

ところが最近、この暗さに惹かれている自分がいる。

最近は5時半~6時過ぎに目覚めることが続いていて、そのままうだうだと布団で過ごし、そして

頭がすっきりし出す少し前にノートを取り出し書きものを始める。

いっぱい書くわけではないし、1行書いてはぼーっとすることも多いけれど、その何とも言えない

暗さに電気スタンドのぽっと灯った感じ、そして体はまだ布団の中というその全部が粋だ。

最中に「粋だ」なんて感じるほどに頭も体も起き上がってはいないけれど、なんとなくそのまったりと

した感じと空の暗さがマッチしていて、こういうのもいいなぁと思う。

もちろん町全体はまだ眠っている雰囲気が漂っているから、外は静かだし、近くのアパートの貯水

タンクと思しき音が時折聞こえるぐらい。

外の明るさが増し出すと、1羽2羽と鳥の鳴き声も耳にする。

春や夏のような元気で軽快な鳥の鳴き声とはいかなくても、少しずつ夜明けになっている感じが

鳥の声を通して伝わってくる。

夜が明けるまでが長いだけあって、そのペースに自分も合わせてゆっくりと起きる。

中にはがばっと起き上がる日もあるけれど、基本はゆっくりだ。

秋の夜長というのは1日の終わりの夜だけじゃなくて、朝を迎える直前の夜も含まれている気が

してならない。

夜が長い分、静かな時間も増える。

静かな時間に目が覚めて、自分だけの世界にどっぷりと浸り、そして少しずつ目覚めていく。

こういうのを粋と思えるようになったのは、なんとなく大人の階段を上った気分だ。

これからますます寒さも増し、布団から体を出すのが億劫になってくるけれど、今年はこれまでに

体験しなかった「暗さ」を満喫したいと思っている。

2015年10月9日金曜日

銀杏と食わず嫌い

夕方、近所のあるお宅の前を通ったらシチューの匂いがした。

シチュー特有の匂いが体に染み渡る季節になった。

昨日は昨日で、イチョウ並木の大通りを通った時、銀杏特有の臭いがした。

わたしはつい数年前まで、銀杏が大嫌いだった。

子どもの頃、父と母がなぜ銀杏をとてもありがたがって食べているのか理解に苦しんだ。

母なんかは休みの朝の早い時間に、車通りの多い道のイチョウ並木の下の銀杏を採りに行くと

言って、出掛けていた位だった。

市販の茶碗蒸しの中に銀杏が入っていることもあったけれど、それも好きではなかった。

食べれないほどではないにしても、あの味がどうも道に充満している銀杏の臭いとリンクして、

ゆっくりと味わうなんて絶対にしたくない食べ物の一つだった。

それが突然美味しい!と目覚めたのは、数年前友達の家での飲み会の時だった。

あの時、友達は人からもらったと言って、紙袋に銀杏を入れてレンジでチンして出してくれた。

臭いはあの銀杏特有の臭いだ。

出されてもあまり気が進まないものではあったけれども、友達が「美味しい!」を連発。

この友達とは食べ物の好みがものすごく似ている。

その友達が言う位だから、と思って一粒パクリ。

「!」

ほんと、言葉にならない感じだった。

不味いと思い込んでいた銀杏が、ものすごく美味しかった。

友達と競うようにして銀杏を食べたのは言うまでもない。

こんなに銀杏って美味しかったの!?とびっくりした。

これまでの自分の思い込みが大きく覆された瞬間だった。


元々あまり好き嫌いはない方だけれど、大人になってから好きになったものは多い。

銀杏の他にも、もつ煮、たけのこ、ニシン、みょうがなんかがある。

見ての通り、飲兵衛の父親の好きなものが我が家の食卓にはよくのぼった。

だけど、子どもの頃はいまいち好きになれず、それらのメニューがメインにのぼるとものすごく

がっかりしたことも憶えている。

今ではそれらが食卓にのぼると、ものすごく嬉しい。

たけのことニシンの煮物は、母にリクエストする位に好きになった。

苦みとか渋みとか旨みなんかは、大人になってからの方がうんとわかる「味」なのかもしれない。

ちなみに、目下苦手なままなのは、今のところパクチーぐらいだ。

いつかパクチーにも目覚めるんだろうか…。

2015年9月17日木曜日

繕いもの

「繕(つくろ)う」という漢字がとても好きだ。

分けて考えると、「糸で善くする」で「繕う」になる。

繕いものをする度に、まさに字の如くだなぁと思う。

今回も久しぶりに繕いものをした。

今回の主人公は、A4書類も楽々入る大きな布製のトートバッグ。


写真の通り、服とこすれ合う部分に穴が開いてしまった。

反対側はきれいなまま、いつも体と接触する内側の部分だけがとほほな状態になった。

最初布をあてようかと思ったけれども、手持ちの布で合うものがない。

ということで今回は、こんな風に繕ってみた。


繕う前


さらなるほころびを防ぐために周りを糸でくくる


モチーフ編みしたものを糸で固定する


完成


全体図で見るとモチーフが浮いた感じになるけれども、とりあえず穴を塞いだから満足。

今回も思ったけれども、毛糸はいかようにも誤魔化せるから、多少の失敗もわからなくていい。

図書館からモチーフ編みの本を借りてきて、2時間位で完成させたと思う。

毛糸の図案とか、根性で読解している。

普段の生活では見られない集中力を発揮する。

モチーフをバッグに糸でくくり付ける時も、適当にやって適当になるから助かる。

素人ゆえ、きちんとした方法なんかわからない。

だけどとりあえず思い付いた方法でやれば何とかはなる。


「繕いもの」の作業、好きだなぁと思う。

針と糸持って、縫ったり補強したり、あの無心になれる感じも好きだ。

今回のバッグは、1泊程度の泊まりにも使えるし、大きな荷物を運ぶ時も活躍するし、ちなみに

明日ノート数冊を持ち運ぶ予定があってそれでようやく繕った。


繕いものが増えるのは困るけれども、次の繕いものが楽しみ。

2015年8月28日金曜日

贅沢な執筆タイム

今、茄子カレーを煮込みながらこれを書いている。

年中問わず、煮込み料理をしながら何かをする時間はやたらと悦に浸れる。

それがとてつもなく贅沢だと感じる。

ガスコンロの上では何かがぐつぐつと用意されていて、それは時間という薬が美味しくしてくれる。

片やわたしはそこから離れて、今自分がしたいことやする必要のあることをする。

2つのことを同時進行でできる感じが好きなのもあるし、両方の行為が時間をかけた分、何かを

生み出してくれるというところも好きだし、とにかくこの「煮込み料理+他事をする」のセットが

昔から好きだ。

関係ないけれど、「ほかごと」という言葉、これは名古屋やその近隣ではよく聞くけれども、

新潟では一切と言っていいほど聞かなかった。

方言なのか、それとも標準語だけど名古屋では使う率が高いのかはわからない。

「他のこと」と呼ぶより「ほかごと」の方が、この場合はしっくりくる。

さらなる悦に浸るため、母お手製の梅シロップを水で薄くした梅ジュースも用意した。

母が梅シロップを作っているとは、つい1週間前まで知らずにいた。

ここ近年、梅に余裕があると作っているようだけれども、梅ジュースを差し出されたのは今年が

初めてだった。

母は、我が家からさらに山に入ったところにあるお宅で毎年梅をもらってくる。

完熟するまでずっと木の上で放置されたもの、それをもらってくるとのこと。

今年ももれなく皮の固いわたしが漬けた梅干しは、多分この完熟具合が足りないのだと思う。

母の漬けた梅干しは驚くほど柔らかい。

話が脇道にそれたけど、この梅の収穫量が毎年まちまちだから、多い年はこうして梅シロップも

作るようだ。

なぜかはわからないけど、梅ジュースを飲むと体の熱が少し下がって涼しい感じがする。

夏にぴったりの飲み物だ。


今日は茄子カレーにしたけれど、この茄子カレーも贅沢だと思う。

今年は例年にないほど茄子の値段が高かった。

いつになったら値下がりするのだろう?と思っているうちにもう夏が終わる。

毎年夏と言えば、ピーマンと茄子のもらいものラッシュが実家では続き、そのおこぼれをわたしも

もらっていたけれど、今年は茄子はもらうものではなく買うものになっていた。

名古屋に戻ってから近所の八百屋さんで茄子が他よりは安く買えたから、それで茄子カレーの

献立になった。

他より安いと言っても、例年より確実に高い。

ここ数年、茄子がくたくたになる位の食感にはまっている。

最近のお気に入りは麻婆茄子だ。

最初に油で茄子をよく炒めるとあのくたくた感が出るとわかり、今回大きな茄子3本のうち2本は、

麻婆茄子として消費された。

麻婆茄子を作れば作るほど、自分好みの食感と味付けに近付けるのもうれしい。

この度作った2回の麻婆茄子は、これまでの中で一番上出来に仕上がった。


脈絡のない話を延々と書いたけれど、こういう感じこそ最高の贅沢だと思う。

気負わず、今頭にぱっと思い浮かんだことを言葉にし、そして扉の向こうでは茄子カレーが

ぐつぐつと煮込まれている、こんな贅沢が大好きだ。

2015年8月24日月曜日

好きな活字と嫌いな活字

1週間以上パソコンのメールチェックをしなかったら、メールの受信箱が溢れ返っていた。

数十通の中で本当に対応する必要のあるメールは1通のみで、残りの大半はメルマガだ。

薄々気付いてはいたけれども、どうも今購読しているメルマガが好きじゃない。

1通として開こうとしていない自分がいる。

ためになる情報があるだろうことは、これまでの流れで想像はつく。

だけれども、1つとして開いて読もうという気にならない。

これはそろそろ解約する時期なのかもしれない。

必要か不要かと言われたら、必要。

読みたいか読みたくないかと言われたら、今は読みたくない。

好きか嫌いかと言われたら、気付いたら嫌いになっていたような気がする。

多分それらのメルマガからの最大の影響は、自分の心の声がかき消されることだと思う。

ためになるし、わたしにはない視点をくれるから気付かされることも多い。

きちんと線引きしながら読んでいたら良かったけれども、気付いたら「○○をしなきゃ」というような

強迫観念の方が強くなってしまった。

ぶっちゃけて言えば、疲れたんだと思う。

読んでも楽しくないし、小さなプレッシャーを自分で勝手に感じて、気付いたらそれがとてつもなく

大きくなっていた、という感じかもしれない。


本の読書の方にも同じようなことが起こっている。

今手元に図書館から借りてきた本が数冊ある。

帰省前に借りてきて、当初は読む気満々だった。

途中まで読み進めている。

今本を読む時間はある。

あるけれども、それを開こうと思わない。

なんとなく、気が進まない。

メルマガとは違うけれども、似たような感情を抱いているのは否めない。


じゃあ活字ゼロの生活をしているのかと言えば、そうじゃない。

この1年ではまりにはまった日常が綴られたブログは読んでいる。

何て事の無いある人のある日常(×数人分)だけれど、読んでいて面白い。

毎日が色んな表情に溢れていて、本当に淡々と日常だけを綴っている。

何かを自慢したくて書いているものとは違う。

自分の身の丈に合ったことをそのまままっすぐに発信しているから、読んでいる方も気負わずに

楽しんで読める。

笑いも涙も怒りも悲しみも、すべてを含有した生きている記録。

それに今も変わらず惹かれている。


好きな活字と嫌いな活字が今ほどに明確になったことは、頭の中の記憶を辿っても過去にない。

上に書いたのは、すべてわたしの日常の生活の中に含まれていた。

なんとなく全部があっての日常だと思い込んでいた。

でも、そうではないらしい。

たかが1週間程度のリセットでしかなかったけれども、この1週間がもたらした好き嫌いの基準は

想像以上に大きかった。

好きな活字は、これからも日常の一部として存在し続けるだろう。

一方の嫌いな活字は、どこかのタイミングで手放していくのだろう。

2015年7月29日水曜日

綿100%

20代の頃はまった某生活雑誌で、時々「綿100%」の特集が組まれていた。

当時は何がそんなに良いのかさっぱりわからず、そして素材にこだわっている人たちをどこかで

面倒くさい人とか、細かいことにこだわる人、という風に捉えていた。

唯一こだわったことは、手入れが面倒かそうでないか位だった。

洗濯の度にごわごわになったり、毛玉が発生しやすかったり、アイロン掛けが必要なんていうのは

それだけで手間がかかり、そしてそういう手間を面倒だと思うわたしには論外の選択だった。

そして綿100%の服を着ていても、その触感の良さには気付かずにいた。

最初に綿100%の触感の良さに気付いたのは、多分今から3~4年前。

1枚の長袖Tシャツだった。

着た瞬間にその肌触りの良さがわかった。

それまでの綿100%が何だったのかと思ったほどに、全く異次元の触感だった。

それから気をつけて見ているけれども、どうも同じ綿100%でも当たりはずれがあるらしい。

加工の仕方が違うのだろうけれど、毎回毎回当たりというわけではない。

この春、定価1万円台という高級ルームウエア的なズボンを1枚母から譲り受けた。

母は服の修整会社に勤めている。

その会社では、一旦完成したもので不具合のあるものを直すことを主に行っている。

扱う製品が、それこそデパートに並ぶような衣類が大多数で、そして最終的に引き取り手がないと

母たち社員に格安で売られたりする。

デパートで買うのが馬鹿らしくなる位の値段で引き取られ、そのおこぼれをわたしがもらった。

綿100%のズボン、値札には5桁の数字が並んでいた。

はじめはブランド製品だからその値段だと思ったけれども、履いてみてそれは素材も高級品だと

わかった。

去年の夏、泣く泣くそれまで愛用していた5分丈の短パンを手放し、それ以来「これ!」というもの

に出会わずにいた。

今回母からもらったものは、長ズボンだ。

夏だから履かないかなと思ったけれども、とりあえず去年の代用品に出会うまでは履こうか、

ということで履き始めた。

繋ぎで履こうと思って履き始めたものの、これがものすごく良い。

長ズボンなのに、風通しが良いし柔らかい。

今の季節なら、その日に洗濯してその日に乾くから、他のものは履かずにそればかりを繰り返し

家で履いている。

すっかり綿100%に開花したわたしは、この間ユニクロで3枚綿100%のノースリーブを買った。

これも大当たりだった。

触り心地がとっても良い。

最近のユニクロで綿100%の品物を見つけるのはけっこう至難の業だ。

そんな中、たまたま見つけた上にしかも夏物終わりで特価で出ていた。

ものすごく良い買物をした。


こういう素材の良さに気付けるようになるのは、実は大人になってからなのかもしれない。

早い人は子どもの頃から気付くと思うけれども、わたしなんかは10代20代の頃は素材よりも、

デザイン重視だった。

大学生の頃だったと思うけれども、年配の人に「若いうちは色々冒険して着てみたらいいわよ。

年を取ったら着れないものって必ずあるから、何でも今のうちよ。」と言われたことがあった。

誰に言われたかも忘れたけれど、たしかにその通りで、原色のものとか奇抜なデザインとか、

とにかく好き放題に服を選んで着ていた。

当時はもう少し大人になったら違うものを好きになったりする自分が想像すらできなかったけれど、

今の自分は当時とはまた違った落ち着いた色を好むようになった。

そしてデザインも、飽きずに繰り返し着れるもの、色んな服と組み合わせられるものを選ぶように

なってきた。

そこにプラスして今は素材、特に触り心地も選ぶ際の大事なポイントとして入るようになった。

ちなみに、唯一変わらないのは、手入れが簡単であること。

これはやはり年を重ねようが、元来の面倒くさがりな性格はそのまま引き継がれ、衣類管理の

ストレスを極力減らすことには相変わらず余念がない。

2015年7月26日日曜日

舌の記憶

事の発端は、冷蔵庫の中にあった使いかけの「シュウマイの皮」。

使い切れなくて、保管していたことをすっかり忘れていた。

おそるおそるサランラップを剥がし、中の様子を伺うと、なんと使った当時のまま!

カビが生えてるんじゃないかと思ったけど、大丈夫だった。

ちなみに保管方法は、袋に入ったままのシュウマイの皮を袋ごとサランラップで包み、それをタッパ

に入れていた。

それで丸2週間きれいに保てた。

ということで、その皮を使い切ろうとアレンジを考えるため、クックパッドを開いた。

シュウマイは作る気になれず、かと言ってスープにしたり何か別のものを巻いて焼く気もなく。

クックパッドはそういう時に大いに役立つ。

そこに「ラザニア」がヒットした。

ラザニアはいいかもしれない。

若干手間はあるものの、そこまで大変じゃないし、スープや焼くよりも全然いい。

その流れでラザニアを作ることになった。

大学時代、ラザニアはわたしの中で定番料理だった。

数え切れないぐらいの回数作った。

ただ当時は、ミートソースのみを使ったラザニアで、ここ最近見かけたラザニアのレシピで、

「ミートソース+ホワイトソース」

という2段仕様もあることを知ってそれを試してみたかった。

両方作るのはあまりにも手間すぎる、ミートソースだけは市販のレトルトを使って楽をしよう、

そう決めて、おそらく人生で初めてレトルトのミートソースを買った。

結果から言えば、このレトルトのミートソースが全ての味を台無しにした。

食べれない味ではないし完食したけれども、とにかく市販のミートソースの不味さにびっくりした。

冷凍食品もレトルトもあれこれ食卓に並ぶ家で育ったけど、気付けばミートソースは母がいつも

手作りしていた。

そしてミートソースは手作りするもの、というのが定着しているから自分でも普段は作っている。

何をどうしたら今日口にしたレトルトのような味になるのかわからないけれど(材料はそんなに

自分が作るのと変わらない)、全く別物だった。

この舌の記憶は実に不思議で、例えばシュウマイなんかはわたしはつい最近まで「自分で作る」

なんていう発想は一切なく、常に出来合いのものを買ってレンチンしていた。

実家も同じで、母なんかはシュウマイを一度だって手作りしたことない人だと思う。

味噌汁のだしは、顆粒だしの代表「ほんだし」だ。

だから何でもかんでも手作りにこだわってもいないし、楽できる物は楽をしている。

ただ、子どもの頃からずっと慣れ親しんだ「レトルト」はOKでも、手作りで通してきたものは今さら

舌の方が受け付けないらしい。

そんなこと考えて食事を日々取っていたわけではないけれど、いつの間にか自分の舌には好み

が生まれていて、「レトルト」でもおいしいものとそうでないものがある。

ちなみにわたしが大いにはまっているコロッケは、スーパーで1個18円で売っているものだ。

値段も魅力的だけど、味がすごく好きだ。

実家ではそんなのは出てこなかったけれど、これももしかしたら冷凍コロッケの名残なのかも

しれない(冷凍コロッケはどんなに少なくても1ヶ月に1回は食卓にのぼった)。

食事は毎日のことになる。

基本的に食べることが大好きだし、好き嫌いもゼロではないけれど限りなくゼロに近い。

ただ、「舌」の方は知らず知らずのうちに「この味は好き」「この味はいまいち」というのを記憶

していて、今日みたいな「レトルト」に当たると、食べ慣れていないせいか不味く感じる。

反対に、食べ慣れたものであれば、レトルトでも美味しいと感じる。

その基準が何なのかはわからないけれど、それは間違いなく母が日々手掛けた食卓が大きな

土台となっている。

2015年7月20日月曜日

最近の美味しいもの

ここ最近はまっている食べ物たち。

①ムフス

中東の料理らしいけど、日本名に直すとしたら「ひよこ豆のディップ」。

そもそもそんな洒落たものを作ろうと思って作ったのが最初じゃない。

今考えたら破格値の乾燥ひよこ豆、1kgはあったと思われるそれが250円で売られていて。

買って食べられるように戻したところまでは良かったけれど、これまで積極的に使ったことのない

ひよこ豆。

カレーとサラダにしてしばらくは食べたけど、食べても食べても減らない。

ちなみに、ひよこ豆は冷凍保存可。

しかも、全く風味も味も食感も落ちない。

それを何とかおいしく食べられないだろうか、と思っていた矢先に「ひよこ豆のディップ」なるムフス

が某ブログで紹介されていた。

オリーブオイル、すりごま、にんにく、しょうが、レモン汁(又は酢)、塩、胡椒、ひよこ豆をミキサーに

入れて回したらあっという間に完成。

コンビニやスーパーで100円で売ってるタコスにつけて食べたらそれはもう絶品!

しかも、パッと見、手が込んでいるように見える。

おもてなしにも使える。

ひよこ豆の缶詰はそんなには出回っていないけれど、カルディのような輸入食材店だと100円台

での購入が可能。

それでも作ったけど、問題なし。

しばらくマイブームが続きそう。


②イタリア産乾燥スパゲッティ

これまでどんな乾燥パスタも、そんなには変わらないと思っていた。

ばか舌なのか、基本的な違いがわからない。

でも、とあるイタリア産乾燥スパゲッティを食べたらあまりの美味しさにびっくらこいた。

これまで食べていたものが何だったのかと思う位。

単にカルディで安く売っていたから買っただけで、全然期待なんかしていなかった。

むしろ、外国産だから「はずれ」ではありませんようにと祈った。

外国産のパスタは、当たりはずれがある。

はずれは、パスタに使ってる小麦粉の種類の問題だと思うけど、変なにおいがついている。

シナモンのような、うっすらだけれども、そのにおいが嫌いなわたしにはすぐにわかる。

それだったら嫌だなぁと思っていたけれど、大丈夫どころかとっても美味しい。

これからは常備しよう!と思っていたにも関わらず、カルディの店舗にはもう姿かたちすらなく、

どうしたことかと思い、念のため写真におさめたパッケージを店員さんに見せて聞いた。

店員さんがご丁寧に色々調べてくれて、そのスパゲッティはもう生産中止のもので日本に入って

くる予定がないとのこと。

これにはショックを受けた。

たまたま別のイタリア産スパゲッティがセールになっていて買ってきたら、これも美味しかった。

しばらくイタリア産のスパゲッティをあれこれ試してみたいと思っている。


③ファミリーマートのドーナツ

コンビニのドーナツが美味しくて安いという記事をどこかで読んだ。

そんなこと忘れて近所のファミリーマートに行ったら、そのドーナツを見つけた。

たしかに税込108円と安い。

半信半疑で試しに食べたら、これがとっても美味しい!

しかも、ボリュームもしっかりあって食べ応えがある。

今日が2回目の購入だったけれど、常時在庫を切らさないようにしているようで、それはそれは

ありがたい。

コンビニスイーツとかよくわからないけれど、今回のドーナツは大当たり。

個人的には、ミスドよりも好き。


④わらびもち

今年の流行は、わらびもち。

これまでも好きだったけれど、こんなにも好きでリピートして買ったことがない。

スーパーで売ってる100円ちょっとのもので十分おいしい。

この間、抹茶わらびもちとバニラアイスとあんこがセットになったパフェを食べたけど、やっぱり

断トツでおいしいのはわらびもち。


⑤ベーコンとエリンギの炊き込みごはん

炊き込みご飯のレシピは、当たりとはずれの差が激しい。

基本的に紹介されている位だから、まずいことはないけれど、自分の好みストライクか、アウトか、

その差がいつも激しい。

ベーコンとエリンギの炊き込みごはんも、やってみたい!と言うより、たまたま全ての材料が

家にあったという理由で炊いた。

これが大ヒット!

味付けは、しょうゆ、オリーブオイル、コンソメ、酒、塩。

しょうゆとオリーブオイルとコンソメ・・・なんとも変な組み合わせと作る前は思ったけど、これが

ものすごくいける。

スパゲッティでも応用したけど、同じく美味しい。

個人的には炊き込みごはんの方が好き。

ただ、あんまりにもストライクで食べ過ぎてしまうから、これはお楽しみで時々炊くことにしている。

2015年6月25日木曜日

買い出しメモが好き


基本的に食料品の買物は、その日その時に安いもの(特売品・値引き品)を買っている。

だから買い出し用のメモは、日用品関係か今日のように調味料関係が切れない限りは書かない。

もう何年もこのスタイルを採用しているから、すっかり慣れている。

今日久しぶりに買い出しメモを書いてみて、実はこういうメモを書くのが好きなんだと気付いた。

写真のメモ用紙は、知人の方からのスペイン旅行のおみやげでいただいて、裏が全面マグネット

になっていて普段は冷蔵庫の扉にぴたっと貼ってある。

その都度、なくなった調味料・なくなりそうな調味料を書いておく。

そうすると次の買物に行く時に忘れない。

ちなみに一緒に写っているボールペンは、友達のRがわざわざ職場の備品をプレゼントしてくれた

もので、これももう長いこと重宝している。

このボールペンはパイロット製のものだけど、今手元にあるのは3代目か4代目。

少し前のように仕事で酷使することがなくなったから、このボールペンはとても長生きしている。

メモ帳もボールペンも両方使いやすくて気に入っているのと、なんだろう、買い出しメモの場合は

買い出しメモ特有の雰囲気があってそれが好きだ。

言葉では説明できないけれど、他のメモと違っていてなぜかワクワクする。


いつだったか友達数人とどうやって日々の献立を決めるのかを話したことがある。

メニューを予め決める派とその時その場で決める派と半々だった気がする。

わたしは後者だ。

毎日、冷蔵庫の中身と自分の食欲の欲するところの掛け合わせでメニューを組み立てる。

今日はチキンナゲット(←初めて作る)にしようかと思っていたけれど、体は別のもの、もっと

さっぱりあっさりしたものを欲しているから、冷たい麺類になる気がする。

チキンナゲットも、昨日買物に出た時、半額のはんぺんを購入してそこから決めたものだ。

はんぺんをこれまでに試したことのない方法で調理してみたいと思って調べたら、チキンナゲット

がヒットした。

何せ毎回特売品やら値引き品を買うから、献立も毎回行き当たりばったりだ。

でも、これが個人的にとても好きなスタイルで一番楽ちんだ。

今回のようにアレンジして使いたければ、インターネットという強い味方がいる。

そこから自分で作りたいものを探し出して、実験的な感じで試すのも好きだ。

ただ、どういうわけか実験的な感じで試したメニューが定番化したものはほとんどない。

30近く試して1つ出てくるかこないかだ。

ちなみに他者考案のレシピで定番化するものは、むしろネットではなくて友達や職場の方から

個人的に教えてもらったレシピが多い。

そういうレシピは、個人の人が日々の生活で繰り返し作っているだけあって、真似して作ると

ものすごくおいしい確率が高い。

そしていつの間にかわたしの定番メニューにもなる。


買い出しメモの話から随分とそれたけど、買い出しメモを書くことも、料理の実験も両方とも

とても好きなことにはまちがいない。

2015年6月10日水曜日

今年も梅仕事

3時間ほど前、スーパーの梅と目が合ってしまった。

今年もどうしようどうしよう・・・と思いながら、ここ多分2週間位色んなスーパーの梅を眺めていた。

去年初めて手作り梅干しのデビューを果たした。

想像以上に作業は楽しくて、そして部屋中に充満する梅の匂いにもこれまた打ち砕かれた。

年に一度のとっておきの楽しみ、と言っていた料理家高山なおみさんの言葉に大きくうなずいた。

ただ、まだ手元には去年の梅干しが残っているし、梅干し歴40年の母特製の梅干しもある。

これ以上梅干しを増やしてどうすると言うのだろう・・・。

去年の1kg分の梅干しが半分ほど残っている。

これから数ヶ月で一気に消費するとは考えにくい。

ちなみにいまいち消費が進まないのは、硬さが好きな硬さじゃないから。

ほろっと崩れる位に柔らかいのを目指して漬けたけど、そこからは程遠い硬さに仕上がった。

そんなちょっとした失敗も手伝って、今年の梅干しをどうするかずっと考えあぐねていた。

ちなみに、今年の梅に手を出さずに済んだのは、値段が高かったから。

この値段の高さがわたしにストップをかけさせてくれて、それはそれは有難かった。

そして先ほど3時間前の話。

何がいけないのか素人目にはわからないけど、なぜか1kgの和歌山産南高梅が398円だった。

たしかに真っ青ではなく、いくつかは黄色になり始めている。

それでも全体的に青の方がまだうんと強い。

茶色の斑点もゼロではないけど、限りなくゼロに近い。

とりあえずかごに入れて、スーパーを一周しながら考えようと決めた。

ふと、保存用の瓶がないことに気付いた。

梅仕事をやらないための理由が1つ浮かび上がったのに、次の瞬間、そういえば去年も瓶に

移したのは秋以降だったことを思い出し、今すぐは要らないし、秋までには瓶の1つ2つが手に

入るだろう、と1つ目の理由は却下された。

ちなみに1kgしか漬けないわたしは、ジップロックに入れて去年は漬けた。

2つ目の理由を考える間もなく、足は塩売場へと向かった。

これまた丁度良く準備されたかのように、300gの塩が陳列棚にあった。

はかりを持っていないわたしは、基本塩を目分量で測るしかない。

たしか、梅1に対し15~25%位の塩で漬けると思ったけど、300gの袋であれば測りやすい。

やらない理由探しはやめて、300gの塩を1袋かごに入れてそのままレジに向かった。

さきほど、梅たちを透明の袋から床に新聞紙を広げて置いた。

1年ぶりの梅の匂い。

やっぱり買って良かったと思う。

去年の梅干し記録を引っ張り出して見たら、去年より2週間早く購入していることが判明。

細かく梅干しの記録を去年付けておいて良かった。

特に失敗事項をあれこれ書き残していて、今年はその教訓を生かそうと思ってる。

ということで、今年も梅仕事始動。

2015年6月4日木曜日

贅沢な読書

久しぶりの雲ひとつない晴天の日に恵まれた今日。

本や日記、筆記用具を持って出掛けてきた。

気温もそこそこ高かったとは思うけど、それ以上に風が強くて外はとても気持ち良い空気に

包まれていた。

大きな公園のベンチで読書をしようかと思ったけど、それよりも誰もこないし座りもしない木々の間

の木陰のところで読書したら気持ち良いだろうなぁと思い、実行してみた。

少し離れたグラウンドでは小学生の子どもたちがサッカーしているし、反対側ではランニングや

ウォーキングの大人たちが途切れることなく通っている。

だけど、その木陰の場所だけは、切り取られたかのように静かで誰もいない空間だった。

葉っぱの匂いがものすごく強かった。

何せ休むことなくひっきりなしに風が吹いているから、それに匂いも乗せられてるようでむんむんと

緑いっぱいの空気になっている。

葉っぱのざわざわ感が半端ない。

そよそよ…ではなく、ざわざわ。

上を見上げれば真っ青な空が顔をのぞかせる。


これが午後5時すぎの空だ。

6月って「夏」なんだと思い出す。


ここが読書した木陰の場所。

本を立てかけた木に寄っかかりながら思う存分読書をした。

読んだ物語の中に、丁度今自分がいる場所とリンクする表現が出てきて感動する。

自然の中で好きな作家さん(よしもとばななさん)の本を読むって、ものすごい贅沢だと感じた。

誰にも邪魔されることなく、空見たり本見たり風を感じたりと自由気ままにふるまえるこの時間が

とてつもなく優雅で甘美だった。




上の2枚は読書には関係ないけど、iphoneにしてからの楽しみのひとつ。

iphoneで太陽に向かって写真を撮ると、太陽光の線がきれいに写る。

持っているデジカメだと、この線は写らない。

何でiphoneだと写るのかわからないけど、毎回写真を撮っては感動している。