2015年11月10日火曜日

ばばちゃんの命日 2015

2007年11月10日 21:27 祖母ばばちゃん永眠。

今日は2015年の11月10日だ。もう8年も過ぎた。

ばばちゃんと会えない時間が8年分積み重なったと言うのに、そんな気は全然しない。

時々思い出すからかもしれないけれど、元々一緒に住んでいたわけじゃないし会えても年に数日

だけだったから、8年も会えてないという感覚がないまま8年も過ぎ去った。

この日は毎年色んなことを思い出すけれど、今年はやたらと最初のお墓参りの場面を思い出す。

あれが一体何の行事なのかは今もわからない。

というのも、ばばちゃんの住んでいたど田舎のその集落では、葬式にかけるエネルギーも半端なく

何日にも渡って色んな式を行うのが定例のようだった。

だからそのお墓参りの場面も、一体何でそんなことをしたのかはさっぱり思い出せない。

しかも通夜から初七日に至る1週間の間の出来事だったから、まだばばちゃんの遺骨は墓には

入れない。

だけどあの11月の冷たい雨の降る日、たしかにみんなでお墓参りをしたのだった。

その場面で鮮明に憶えているのは、3人のおばあちゃんだった。

近所と言うには遠すぎる近所に住んでいるおばあちゃんたちなのだろう。

隣りの家まで50メートルは裕にある土地柄故、近所と言っても数分なら「近く」て、歩いて10分

以上かかったとしても不思議ではない。

何せ隣りの家もそんなに離れているから、私はばばちゃんの家の近所さん達を見たことがない。

ばばちゃん一家はそれはそれは横の繋がりが強いだろうけれど、わたしのように年に1度ないし

2度しか訪ねないような外孫には近所の相関図など知る由もない。

だからあの日の3人のおばあちゃんたちもどこからやってきてくれたのかはわからない。

3人ともそれぞれ1輪ずつ花を持っていた。

その花だって葬儀屋さんが渡してくれた花じゃない。

各自が家から持参した花だ。

片手には傘、もう片手にはお墓に添える1輪の花を持って3人とも横並びに立っていた。

寒い中、親族一同がぞろぞろと墓場にやってくる前から待ち構えていたような気がする。

わたしもそのおばあちゃんたちと二言三言言葉を交わしたような記憶がある。

それよりも3人が1輪だけ花を持って立って待ってくれていた様子の方が強烈に記憶に残り、

実際のやりとりは大まかにしか憶えていない。

おばあちゃんたちはぽろりと涙を流したり涙目になりながら、ばばちゃんの死を偲んでいた。

年をとったから死ぬのが当たり前じゃなく、本当に一人の人の死を気持ちのままに悲しんで、

そしてその気持ちをわたしたちにも言葉で伝えてくれた。

たくさんは話していない。

だけどあの瞬間瞬間が今も、8年経った今も、ものすごく鮮明に残っている。


ふと自分がどんな風になりたいか?とこの間人に聞かれた時のことを思い出した。

わたしは有名になりたいも何かを成し遂げたいもなく、本当に何もぱっと思い浮かばずにいた。

でも例の3人のおばあちゃんの姿を鮮明に思い出した時、自分もあんな風に誰かの死を心から

悲しんだり、悲しめるだけの人間関係を誰かと築きたい、特にうんと年を取ってからそういう自分

でありたいと、それだけはものすごく強く思った。


今日は空が澄み渡っているらしく、名古屋の明るい空の下でもいくつか星が見えた。

ばばちゃんの死の後、日本からドミニカに戻る時、飛行機の中からすぐ自分の真横に見た

オリオン座を思い出した。

すんごく遠くにしか見えないオリオン座が、すぐ自分の真横にあった。

自分がいる高い位置よりももっと遠くにばばちゃんはいるのだろうけれど、あの時だけは

ばばちゃんがものすごく近くにいるように感じた。

今日見えた星も全く手に届きそうもない高さにあったものの、ものすごく久しぶりに見えた星たち

に、ばばちゃんの存在がふっと浮かび上がるようだった。

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