今、茄子カレーを煮込みながらこれを書いている。
年中問わず、煮込み料理をしながら何かをする時間はやたらと悦に浸れる。
それがとてつもなく贅沢だと感じる。
ガスコンロの上では何かがぐつぐつと用意されていて、それは時間という薬が美味しくしてくれる。
片やわたしはそこから離れて、今自分がしたいことやする必要のあることをする。
2つのことを同時進行でできる感じが好きなのもあるし、両方の行為が時間をかけた分、何かを
生み出してくれるというところも好きだし、とにかくこの「煮込み料理+他事をする」のセットが
昔から好きだ。
関係ないけれど、「ほかごと」という言葉、これは名古屋やその近隣ではよく聞くけれども、
新潟では一切と言っていいほど聞かなかった。
方言なのか、それとも標準語だけど名古屋では使う率が高いのかはわからない。
「他のこと」と呼ぶより「ほかごと」の方が、この場合はしっくりくる。
さらなる悦に浸るため、母お手製の梅シロップを水で薄くした梅ジュースも用意した。
母が梅シロップを作っているとは、つい1週間前まで知らずにいた。
ここ近年、梅に余裕があると作っているようだけれども、梅ジュースを差し出されたのは今年が
初めてだった。
母は、我が家からさらに山に入ったところにあるお宅で毎年梅をもらってくる。
完熟するまでずっと木の上で放置されたもの、それをもらってくるとのこと。
今年ももれなく皮の固いわたしが漬けた梅干しは、多分この完熟具合が足りないのだと思う。
母の漬けた梅干しは驚くほど柔らかい。
話が脇道にそれたけど、この梅の収穫量が毎年まちまちだから、多い年はこうして梅シロップも
作るようだ。
なぜかはわからないけど、梅ジュースを飲むと体の熱が少し下がって涼しい感じがする。
夏にぴったりの飲み物だ。
今日は茄子カレーにしたけれど、この茄子カレーも贅沢だと思う。
今年は例年にないほど茄子の値段が高かった。
いつになったら値下がりするのだろう?と思っているうちにもう夏が終わる。
毎年夏と言えば、ピーマンと茄子のもらいものラッシュが実家では続き、そのおこぼれをわたしも
もらっていたけれど、今年は茄子はもらうものではなく買うものになっていた。
名古屋に戻ってから近所の八百屋さんで茄子が他よりは安く買えたから、それで茄子カレーの
献立になった。
他より安いと言っても、例年より確実に高い。
ここ数年、茄子がくたくたになる位の食感にはまっている。
最近のお気に入りは麻婆茄子だ。
最初に油で茄子をよく炒めるとあのくたくた感が出るとわかり、今回大きな茄子3本のうち2本は、
麻婆茄子として消費された。
麻婆茄子を作れば作るほど、自分好みの食感と味付けに近付けるのもうれしい。
この度作った2回の麻婆茄子は、これまでの中で一番上出来に仕上がった。
脈絡のない話を延々と書いたけれど、こういう感じこそ最高の贅沢だと思う。
気負わず、今頭にぱっと思い浮かんだことを言葉にし、そして扉の向こうでは茄子カレーが
ぐつぐつと煮込まれている、こんな贅沢が大好きだ。
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