色々順不同になってしまうけれど、とりあえず直近のものでフレッシュなものから先に書こうと思う。
死者の方の魂とのやりとりは、とりあえず然るべき形に今は収まっているから、そちらは現在私はノータッチになっている。
そうではない、私側の現在進行形の話を今日は書きたい。
死者の方の言葉を通訳して私に伝えてくれた、ヒーラーで霊視ができるOさんと話した時に、ある1つのキーワードが出てきた。
色々ツッコミどころ満載の話だし、私とて自分のことながら上手く言葉では表現できない部分もあるけれど、とりあえず起こったままを話したい。
初めて死者の魂(=おじいちゃん)とOさんを通じてやりとりした時、おじいちゃんから「おめえは本物としか繋がれねぇんだろ」と言われた場面があった。
私にはその言葉の意味が即座にわかった。
私がこうしたスピリチュアルなことの学びを始めた2010年の夏以降現在に至るまで、私が学ぶ見えない世界のことはとにかく本物の人たちからしか学ばないようになっていた。
スピリチュアルなものもジャンルは色々あって、私はノージャンルのところからスタートしたから、学んだものもジャンル問わず的な感じで学びを進めてきた。
みんながどんな風に学ぶのかは知らないけれど、私はNLP(神経言語プログラミング)と呼ばれるビジネスなんかでも使われるらしい手法を習ったかと思えば、地球外生命とされる宇宙人の人の翻訳本も読めば、医療的な効果も上げているヒーラーさんの講座にも行けば、今回のように死者の魂と通訳ができるヒーラーさんから個人レッスンを受けるという、色々なジャンルにあちこち顔を出している。
(ちなみに、Oさんと東京で勉強会という名の会合を開いていた時には、私はOさんが死者の霊魂の通訳や霊視ができるなんて全く知らずにいた)
全てを挙げたらキリがないからここでは割愛するけれど、私はやたらと色んなジャンルに縁があって、一見脈絡がないように見えるけれども実は深い部分で1本の線で繋がっていたりする。
去年どハマりした占星術もそうした見えない世界の学びだけど、私は全くの初心者で周りにも占星術を知る人が誰もいないにも関わらず、初めての一発目の講座から超すごい先生にいきなり当たった。
何年か前、外国人の直観セラピストの方のセミナーを受けにわざわざ名古屋から東京まで駆けつけた時があったけれど、その時にクラスメートだった1人の女性から言われた。
その方は東京在住で、東京ならではの悩みを口にしていた。
東京にはたしかに色んなサービスがあるし、その数だけサービス提供者もいるけれど、反対に数が多すぎてどの人が自分に合っているのかわからないし、怪しい人たちもたくさんいるから、なかなかこれだ!という人に当たらないと。
その時は私はまだ学びを始めて2年目ぐらいで、にも関わらず、私にとってぴったりの人たちから色々学ぶことができていた。
それを言ったら、その人から大層羨ましがられたことを覚えている。
当時の私は、まだ片手で数えるぐらいにしかセミナーでもワークショップでも個人セッションでも受けたことがなかったから、その凄さがほとんどわかっていなかった。
たまにはずれる人もいたけれど、基本的にそういう人たちは1割程度で、そして単にきちんとした人たちと比較するためにお試し的に取った程度で、ある程度時間なり回数なりを重ねたり、内容を深めたりするものは、私の場合、百発百中と言わんばかりにきちんとした講師や専門家にしか当たらなかった。
だから「本物としか繋がれない」と言ってきたおじいちゃんの言葉は本当に大当たりだった。
Oさんとおじいちゃんのご家族にどう伝えるかを考えるために会話を振り返って検証した時に、私はOさんに聞いた。
「本物としか繋がれない」と言ったあの言葉はおじいちゃんの言葉なのかと。
そうしたら、Oさんはあれはおじいちゃんの言葉でもOさん自身のの言葉でもないと答えた。
じゃあ誰の言葉なのかと聞いた時に、Oさんは「もっと上の存在からの言葉です。でも今これを説明しだすとすごく大変だから、それはまた今度機会があった時にでも説明します」と言われた。
私はOさんの説明の詳細が気になったけれども、とにかくご家族に向けて色々準備することが最優先だったから、つっこむことはやめた。
ご家族に無事会えて何とかOさんとご家族を繋げることまでできた後、諸々の細かいことをOさんに報告するために電話をした。
その時に私は、今度は聞いてもいいかなと思って、一通り報告した後にOさんに同じ質問をした。
「本物としか繋がれない」の言葉の出所を。
Oさんは全てをこの場で説明することはとても難しいというような前置きをされた上で、「強いて言うなら『啓示』に近いところから来た言葉です」と言った。
とりあえず「けいじ」が「啓示」と漢字で書くところまで確認した後、本当のことを言えばそれがどういう位置のものかも確認したかった。
だけど、それを確認したらOさんは私に小一時間は割かないといけないように感じて(Oさんもその辺りを説明するのはとても時間がかかるというようなことを言っていた)、質問したい気持ちをグッと抑えて、それで考えに考えて私は1つだけ追加で質問をした。
「そうした霊界や見えない世界の者たちの階級って言うんですかね?それぞれの立ち位置とか意味、役目とかを説明してくれてる本があったら教えてもらってもいいですか?」
Oさんはある1人の人の名前を挙げた。
私はその名前を知っていた。
精神世界コーナーには必ず置いてある人の名前だった。
Oさんにはお礼を言って、そしてあとは自分でその本を探したらいいと思った。
私の質問がとても変な質問のように見えるかもしれないけれど、その辺りは私が前々から興味のあったものでもあった。
正直細かいところはどうでもいいけれども、私はOさんに出会う何年か前に、Oさんのように霊視ができる人の勉強会に参加したことが2回ある。
その方が私にとって、人生で初めて目の前で霊視なるものを勉強会で見せてくれた人だった。
その方は基本的に不特定多数が参加する場では霊視を行わない。
でもその時は、ある参加者の方の質問によって霊視が必要になって、それでやむを得ずしたという感じだった。
だから、私も棚ぼた式にたまたま霊視の実際を見れて、ラッキーとしか言いようがなかった。
その方というのが、元々私が自分の調べ物の途中で見つけたブログの筆者の方で、なんなら調べ物は首の痛みに関してだった。
それでヒットしたのがその方だった。
本当にきちんとした信念体系と専門知識を持っている方だというのはブログを読んですぐにわかったから、愛知県に勉強会で来ると知って、それで2回参加した。
その時も説明されたし、ブログなんかでも時々同じような説明を繰り返しされているけれど、見えない世界のことに関わるのであれば、その見えない世界の者たちがどういった存在で、どういう風に影響があって、そして体のどの部分でどんな風に情報を受信する側が受信しているのかをきちんと知っておかないといけないと説明されていた。
ちなみに、よく偽者(にせもの)たちが「神からこんな風にお告げがあった」とか「龍の神からこんなメッセージを受け取った」とか「伊勢神宮の神よりこう告げられた」とか、まぁ色んな言葉で表現されるけれど、あれは本当に無知の人が言葉だけ並べているというのがプロからすると一目瞭然らしい。
その方いわく、私たち生きている人間が神と交信することは基本的にできないらしい。
それこそヒエラルキーのようにそのトップに神がいるとするなら、その下の下の下の下の…という下がいくつもいくつも連なって、そしてうんと下の方にいる見えない世界の存在の中で私たち人間でもようやく交信することができる者からようやく神から伝えられている内容に触れることができるとのこと。
人間側も人間側で、私のように全く霊感などがない人がその交信に参加できるわけもなく、そうしたことをする人というのは本人がしたいしたくないに関わらず、やらなければいけないお役目として回ってくるもの、と言っていた。
そこに至るまでもいくつもの段階が当然あって、そして実際に私たちが交信する場合、本当にきちんとした手順や手法を踏まないととても危ないことや、いい加減な感じで交信するとそれこそ低級霊なんかとも繋がったりするらしい。
だから実際は、私なんかが思っている以上にシビアな世界だし、きちんと筋を通さないと本人だけでは済まされない大きな問題に発展していくこともわかった。
その方自身もどうにもできない人生の流れで今の仕事を個人事業主としてされているけれども、しなくて良いなら普通にサラリーマンとして自分の好きな職業で食べていくと断言している。
この説明をしてくれた方は、神官になるための専門的な学びもきちんとされた方で(国が指定する何かしらの資格も持っていられたと記憶している)、実際に伊勢神宮で神職として奉職もされていた方でもあるから、神社参拝の方法やその他細かな霊界や霊団のこともものすごく詳しく知っていられる方だった。
その辺りになると私は究極の無知な上、元々神社や寺をお参りする習慣がないからさっぱりで、なんなら私はつい数年前まで神社とお寺の区別がつかない人だったから、今書いた内容の言葉の説明が違っていたらごめんなさいだったりする。
話がだいぶ逸れたけれども、そういう見えない世界の通訳をする人から本当にごくごく一部の情報を得ていたから、だからOさんが言った「啓示」が何に当たるのかを知りたかった。
私は生涯を通じてそちら側にはいかないのは知っていても、今回のやりとりを経て、本当に入口だけでもいいから少しでもその見えない世界のものの概要を知りたいと思った。
それがどれだけの情報量なのかど素人の私にはわからないから、だからOさんに説明を求めるのは酷だと思って細かくは聞かなかった。
だから代わりに(自分の知りたい欲求を少しでも満たすために( ̄∀ ̄))、そうしたことを基礎として知れる本があれば紹介して欲しいとお願いした。
霊感ゼロの私には細かいことは一切わからないけれども、Oさんと話していると、その私が最初に出会った霊視ができる方が説明されていたことを忠実に実践されている感じがしたから、それでOさんに本の紹介をお願いした。
(ちなみにその2人も霊視は霊視でも厳密には全く違うジャンルを担当する人たちなんだと思う)
かなり説明が長くなったけれども、そうしたいきさつがあったから、私はその本を探しに出た。
市内の専門書を多く置いている大型書店2つを見たけれど、置いていなかった。
もう一つ専門書の在庫をたくさん抱えている店があったけれども、なんと知らぬ間に店舗縮小をしていた。
電子書籍が普及しつつあることも関係しているのか知らないけれど、売り場の半分はなんと100均のお店に生まれ変わっていた。
名古屋にいた頃はどこでも見ていただろうそのシリーズがとにかくどこにもなくて驚いた。
次に私は30キロほど離れている大型書店に行くことにした。
そこはどういうわけか、精神世界系の品揃えがとても良い。
しかもそこは占星術の本も本格的なラインナップで、だから私の中ではそこが一番の本命だった。
なのにそこにもなくて、とりあえず近隣で探すことはあきらめた。
代わりに、私はそうした内容を説明してそうな書籍を探すことに切り替えた。
別に本を買う予定はなく、私は「啓示」含めその辺りの細かな分類を説明してくれてるものであれば何でも良くて、そしてそれは当初から立ち読み程度で済ませる予定でいた。
だから、目を隅から隅まで光らせて、本棚を一段一段丁寧に見ていった。
だけど、そこでもお目当ての本はおろか、そうしたマニアックな内容を説明してくれる本にも出合わなかった。
その離れた書店にもなかった私は、次にそういう本を持っていそうな友達に連絡をして、そのシリーズを持ってないかを聞いた。
友達は著者名を言うとすぐにわかってくれて、友達は持っていないこと、でも市内のT書店になかった?前にそこで見た気がする、というような返事をくれた。
どうやら以前は置いていたようだった。
ないとは思ったけれども、図書館の蔵書検索でも引っかからず。
冬場で道路状況が読めないから、60キロ以上離れた県立図書館に行く気はなくそちらには頼れない。
で、ないのは行く前から予想がついたけれども、TSUTAYAに行って何かしらの専門書があればラッキーだなと思って、TSUTAYAに行くことにした。
ガソリンも節約中の私は、往復で35キロはあるTSUTAYAに行くためだけには出かけないから、友達の娘の家庭教師の日に合わせてTSUTAYAに行ったのが昨日。
ちなみに、その友達の家の方面に行くなら、4店舗TSUTAYAが数キロ内に密集している。
こういう時って不思議なもので、「ここ」という店舗がパッと頭に浮かぶ。
その時もそうで、もはや当初探していた本はTSUTAYAにはどう考えてもないだろうことはわかっていたけれども、なんとなくそもそも私が探している情報のヒントとなるようなものはありそう!という店舗がそこだった。
近さで言えば友達の家から徒歩圏内に1つあるし、もう1つも1〜2キロ以内にある。
でもそこではないなぁという感覚で、そしてそこは得意なペンジュラムで確認したら、やっぱり頭に浮かんだ店だけがYESで他はNOだった。
そのYESの店舗に行った。
予想通り探していた本はなかった。
次に私は、少しでも霊界や見えない世界について専門的に説明してくれてそうな本はないかと探した。
もはやタイトルだけではわからないから、これなら書いてるかも!?と思う本は、片っ端から開いて見てみた。
何冊目かの本で、これはどうだ?と思って手に取った本があった。
他の本たちとは違っていて、なんとなく何かありそうな感じを醸し出していた。
その本だけを持って、近くの椅子に移動した。
読んでビックリした。
そもそもの目的の霊界云々の情報は皆無だった。
そこはまぁ想定内だったから驚きはしなかった。
驚いたことは、今回の死者の魂とやりとりする一連のことを経て私なりに見えてきたものと、そして今の自分に至るまで私が色々体験したことから得た教訓みたいなもの、そうしたものが書かれていた。
ざっくりと言うと(←ガチで書くなら、シリーズにして書けるぐらいたくさん言いたいことがある)、私が今最大に注目していることは、受け入れ難い自分や受け入れ難い出来事をどう自分の中で受け入れていくかということ。
ここに多分すべての鍵があるとさえ私は思っている。
で、その本というのが、ネガティブなものを肯定すること、どんな自分も受け止めること、そうしたことがきちんと書かれていて、何ならやり方さえも伝えてくれてる。
例えばの話。
この手の精神世界系の本の鉄板と言わんばかりの言葉の中に「自分を愛しなさい」というようなのがある。
自分でも書いていて引き気味( ̄ཀ ̄;;)ではあるけれど、この言葉には実は深い意味がある。
もう少し付け足すと「どんな自分も愛しなさい」になる。
さて、「どんな自分」となった時、私は自分を見ていていつも思う。
上手くいっている時の私は、別に放っておいてもやることはやるし、自分の気持ちより先に体が動いているからいい。
だけど、「こんな自分は本気でありえません」となった時、「こんな自分のことは大嫌いです」となった時、そういう時こそ自分ケアが超絶大事になる。
これを怠って目標設定とかしても絶対に上手くいかなくて、とにかく最高に嫌ーー!となった自分のことを全身で受け止められないことにはどうにもならない。
ちなみにそれは自分を操縦することでもないし、自分を甘やかすことでもないし、自分を弱者に仕立てるのでもない。
とにかくそういう自分を大切にする、としか今の私には言えないけれども、そうした時の自分を大切にする方法がきちんと書いてあって、そしてそれこそが私が何年もかかってやっていることそのものだった。
私の理解度が上がってそういう言葉を本の中から拾えるようになったのかもしれないけれど、多分その本はそうした系統の本の中ではすごく珍しいタイプ。
自分を愛するという行為に関して、ポジティブな形態で書かれているものや、指導的な感じで書かれているものは多数ある。
だけど、それはポジティブなこともたしかに書いてはあるけれども、ネガティブなことに関してもそのネガティブだけではない側面も紹介していて、それに対して私が「これだ!」となる視点をとても自然にそしてわかりやすく紹介してくれてる。
しかもその本は、ネガティブ思考やネガティブパターンを一切否定しないどころか、ポジティブと同じぐらい大事なものとして取り扱っている。
しかも自分が全部くぐり抜けたプロセスを中心に書かれているから、とてもよくわかる。
新しく手法を取り入れるよりも、どちらかと言えば知っていることをもっときちんと言葉にするとこれだよ、という内容になっている。
何で同じ言葉でも言葉がこれまで入ってこなかったのかということもわかった。
言葉を入れる前に余計なものが多すぎて、それで入っていかなかった。
私がこの数年、のらりくらりと暗中模索状態でしていたことは、この余計なものたちを取り除いたり何か別の自分が受け入れやすい形にする作業だった。
そして、その余計なものたちがある程度整理されてきて、そして新しく空いたスペースができたからこそ、その本の中でも謳われている「自分を愛しなさい」「自分を大切にしなさい」メッセージがどこまでも響きまくった。
それがその本の中、パラパラとめくっただけだったけれども、今の私だからわかる言葉があちらこちらに書いてあった。
ふと気になって、私はその場で店舗の在庫確認をした。
4店舗中その本が置かれていたのは、私が行ったそこだけだった。
そしてペンジュラムがYESを出したのもそこだけだったし、途中で行くのが面倒になって行くことさえも止めようかと考えた時、ペンジュラムは「行かない」に対してスーパーNOを即座に出してきた。
すべて合点がいった。
私はTSUTAYAのその精神世界系のコーナーにはちょくちょく足を運ぶけれど、今回みたいな経緯がなければ絶対に手に取らないタイプの本だった。
タイトルは全く惹かれないし、似たような教えの本なら過去にたくさん読んだし(←開くまで似て非なるものとは知らなかった)、とにかく絶対に自ら手に取って中を見るタイプの本じゃなかった。
しかも、約5年前に出版された本だから、かれこれ5年はそこに鎮座していたかと思われるけれど、私はただの一度もその本に目が向いたことがなかったから、そんな本が置いてあるなんて今回目にするまで知らずにいた。
あくまでも私が追い求めていたのは「啓示」という意味を紐解くための情報だった。
だから、Oさんに紹介してもらった本が新潟の田舎町では実物さえ見れないと知って、私は代わりとなる情報探しに切り替えた。
余談だけど、私の本気の無知度とそもそも知識がゼロに近いから検索するための言葉さえも知らないことのおかげで、ネットでの検索は難航したからすぐにあきらめた。
だから、本から情報を得るのが今回の場合は一番近道なんだと思う。
そうした経緯もあって、私はやたらと躍起になって本探しをした。
しかも、友達も持っていないし、図書館にもない、さらにはブックオフとか中古本取扱店を3店舗回ってそこにもなかった(代わりに、マニアックなホロスコープの本が2冊見つかって、2つで150円という破格の値段で手に入れた!)。
さらに私は、今年の仕事始めとしていただいた個人セッションのお金からその本を買わせてもらうことにした。
それはとても良いお金の使い方だった。
自分から有料セッションを提示して、そして相手の方からも希望があって受けてもらい、さらには当初私が示した金額では安すぎるからと言って、実は倍以上のお金をいただいた。
そこからまたさらに私の学びを深めるためにそのお金が使えるというのは、本当にありがたいことだった。
しかも、当初からそのお金の一部で一生モノとなる本を1冊買おうとは思っていた。
その本は間違いなく一生モノになる。
何度でも使えて、そして読むたびに自分の心に触れる部分、響く部分が変わると読んですぐに確信した。
そして私の学びが深まると、今度また別の人に個人セッションを提供する際、さらに情報を多く持っている状態でのセッションになるわけだから、未来の誰かにもプラスになることが想定される。
いいこと尽くめの1冊になってくれる。
当初、一生モノとしてホロスコープの教科書的な本を買おうかと思ったけれども、そちらよりも今回の本の方が私の人生において大切な気がした。
ちなみにこの本を買う決定打は、もちろん内容も自分の中にスルッと入ってくるというのもあったけれども、それ以上にどこかの部分を読んで涙が出たからだった。
それが3箇所ぐらいは最低でもあったと思う。
その涙は、自分でもよく説明のできない涙だった。
精神世界系の本は、頭を抱えたくなるほど難しいと思うことや、全く意味がわからないと感じることはたくさんあっても、読んで涙が出ることはまずない。
その手の本をペンジュラムに聞いたところ、どうやら私は400冊近く読んだらしいけれども←色んな本を年間100冊ペースで読んでた時期が何年かあるから別に不思議じゃない、とにかくその手の本を読んで泣くことはない。
だから、涙がふわっと目に浮かんだ時に、その本が只者ではないことはわかった。
さらにその涙の種類も、ある時に流れる種類の涙に似ていた。
2017年の夏にさかのぼる。
その時に出逢った男性にまつわる涙と似ている。
自分で言うのも恥ずかしくて仕方ないけれども、もう会えなくなって自分の世界にはいないその人を想う時に出てくる涙がある。
悲しいとか切ないとか寂しいとかそんな単純な気持ちだけで出てくるのとは違って、胸の奥の方から訳の分からない感覚や気持ちが湧き出てくる。
自分が何で泣くのかもわからないし、じゃあそれは恋煩い(わずらい)でしょ?みたいに片付けられるようなものとも違う。
何度涙を流しても私にはその涙の意味もわからなければ、言葉にすることもできない。
最近はますます一層意味がわからないものへと発展し(苦笑)、自分でもとりあえず困るわけじゃないからいいかと開き直っている。
そういう涙と似た涙がその本を読むと出てきた。
それが決定打になった。
そんな風に涙が出るなんてまずないから、だからこそその本が何か特別な意味が私にはあるんだと思う。
いつになるかは知らないけれど、私の言葉で本を紹介できる時がきたらこのブログでも紹介したいと思う。
今はそのまま出すと普通にドン引きされてもおかしくないものだから、だからドン引きされないぐらいに自分の言葉で説明できるようになったら普通に外に出してもいいなと思っている。
もう1つ、その本を自分のところに迎えようと決めたポイントを言いたい。
先月あたりから、私はとある方のカードリーディングの動画を時々見ている。
カードの読み解き方も超絶参考にしているけれども、それ以上にその方の言葉の使い方にメロメロになっている。
本気で「恋してます(♡´艸`)」級のメロメロ具合。←相手は同性。
その人のこれまでの人生での体験がなければ絶対に言えない言葉ばかりで、とにかく1つ1つが沁み入って仕方ない。
その中でも最近とりわけヒットした言葉がある。
「その体験によってしか手に入らない知恵を手にするために経験した」というような言葉。
私の人生経験の中でも、年齢が下がれば下がるほど、どうしてそれが起こったのか理解できないものがある。
それは「いじめ」という枠だけでは到底語り尽くせないほどの壮絶さがあった。
私は今この年になっても、これだけ色んなことを赤裸々にブログに書いたり人に話したりできても、当時のことを口にすることはできない。
この間、小学校1年生から2年生の時にいじめに遭ったとされる女の子とそのお母さんが無理心中したニュースをテレビで見た。
女の子の受けたいじめの内容を見て、もし私がニュースにされていたとするならどう報道されるんだろう…と思った。
そういう比べ方は好きじゃないし普段はしないけれども、私が受けたモノはその女の子が受けたモノの比ではなく、もっとえげつなく非道で鬼畜で非人道的で残酷なのもので、一生そんなものを晒して生きるのは無理だと思った。
それぐらい私には口外できないほどの強烈さが今もなお記憶に残っている。
で、そんな体験をもれなくした私は、やっぱりどうしても納得できなかった。
どうして自分がそのターゲットになってしまったのか、自分が引き寄せてしまったんだろうか、自分の何が本当にいけなかったんだろうか、自分はどんな悪さをしてしまったのか…。
とにかく答えがなかった。
これが大人になってからのことならまだわかる。
だけど、6歳7歳の自分が何をしたというのか全くわからなかった。
強いて言うなら、やられてもやられっぱなしだったのは自分にも責任がある。
だけど、そもそもの事の発端は私は何もしてないところから突然そうなって、どうしても解せなかった。
こういうスピリチュアルなことを学ぶようになって、それは前世の行いが悪いとか、過去世で私が誰かをいじめてその因果応報だとか、生まれてくる前に自分が体験することを設定しているとか、そういうことも言われた。
たとえそうであっても、今を生きる私には何の癒しにもならない、さらに傷をえぐるような言葉でしかなかった。
私がスピリチュアルな考え方の嫌いなところの1つに、そういう考え方が挙げられる。
ある程度自分で解決できる年齢になってからのことは自分でもどうにかするし、それに対してしのごの文句は言わないようにはしているけれども、自分でもまだどうにかできる状態にない年齢域で起こることは私には正直どうしてそんなことを自分が体験しなければいけなかったのか、どうしても解せない。
ただただその理由が知りたかった。
そうした時に最近出逢えた言葉が「その体験によってしか手に入らない知恵を手にするために経験した」だった。
これにはめちゃくちゃ癒された。
そう、その時の体験は最低最悪だし、二度と体験したくないし、そして他の誰かにも同じ体験など絶対に身の上に降りかかって欲しくない、そういうレベルのものなのには違いない。
だけど、それが私にとって、その体験からしか得られない知恵を得るために起こったとするなら、仕方ないなぁ…と思える。
私の中では、過去最高に癒しとなった言葉だった。
そしてそのような内容がその本にも書かれているところを見つけた。
言葉は違うけれども、自分の色んな体験がそれで良かったんだよ、内容はどうであれそれが自分の生きる道に必要があって起こって、そしてそれが自分に向けられた大切な何かだよというようなことが、もっと沁み入る言葉で書かれていた。
(私のうろ覚えだと、言葉が陳腐すぎる(  ̄Д ̄;))
という本でもあったから、まぁ涙も色々な意味で出てきただろうし、これ何度も何度も手に取って読みたいな!と思った。
で、話のオチというか、ここが一番のポイントだけど・:*+.\\( ̄∀ ̄)//.:+
本の定価は、【2500円+税】だった。
単純に、高い!!!!( ̄ཀ ̄;;)
いや、内容を見てもその価値があるのはわかる。
だけど、今そこまで出す意味があるのかと問われると、それなら市民税に…とか、来月から始まる怒涛の家族三連チャンの誕生日プレゼントに…とか、友達の娘の高校入学祝いに…(←家庭教師で2年ほど見てる子)とか、頭の中はすごい勢いでそろばんをばちばちはじき出した。
で、ふと「そういえば、TSUTAYAオンラインから500円クーポン券が届いていた気がする!」ということを思い出した。
メールを確認するとあったし、そしてTSUTAYAのオンラインでもきちんとその本の取り扱いがあった!
Amazonや楽天やメルカリも調べて、そしてある事実に行き着いた。
実は私が手に取った本は、1991年に最初出版されていて、それが約25年後の2014年に翻訳者が変わってそして新たに内容も追記されて再版されたものだった。
Amazonのレビューを読むと(←2つ合わせて32件全部読んだ)、初版の翻訳の方が良くて再版の訳者の訳がかなりボロクソに書かれていた。
あまりにも気になって、私は昨日の夜、家に帰ってきてから、それぞれの翻訳者を調べた。
なるほど納得した。
私も人間性で言えば断然最初の人の方が好きだった。
そして再版の人は、どちらかと言えば苦手で、スピリチュアル的なことをちょっと悪い方向にも使っていそうな事柄がいくつか見受けられた。
初版本はもう今絶版だから中古でしか手に入らない。
なんだけど、何せ上に書いたような色んな背景もあって、どうしても新品が欲しかった。
一晩寝て起きたらまた決めよう!と決めて、昨日は寝た。
今朝目覚めてから、やっぱり新品で再版(改訂版)を買おうと決めた。
改訂版には、改訂版の翻訳者の実体験の話が最後に数ページ載っている。
実はその部分を私は最初に読んで、そこが良かったというのもあった。
それは初版本には絶対にない。
そして、その本を読んだ人たちのブログとかないかな…と思って探したら、出てきた。
しかも、初版と改訂版と両方、なんなら英語で書かれた原本まで持っている人の本の紹介ブログだった。
その方がとても素晴らしい解釈をしてくれていた。
その方もAmazonのデビューでボロクソ書かれていることについて触れていた。
だけど、それでもその人は改訂版の方の訳の良いところもきちんと書いてくれていた。
現在の時代背景からしたら、改訂版の方がよりフィットしていること。
そして、それぞれ読み比べるとそれぞれの良さがあるとのことだった。
しかも思い出した。
昨日TSUTAYAで読んだ時に、改訂版の翻訳者自身も、わざわざ訳者を変更してまで出す意味が最初わからなくて、とても混乱したことを自ら語っていた箇所を見つけた。
細かいことはわからないけれども、その本には色んな事情があるようだった。
なんなら、初版の翻訳の人は、自分が訳した本の一覧からその本を除外している。
初版の方の人間性を思うと、多分除外した理由がきちんとあると思う。
それらを総合的に見て、私は決めた。
まずは、TSUTAYAオンライン上で、税込2700円になっているものを新品で買うこと。
そして、今すぐには買わないけれども、それを読み込んだ上でいつかは初版のものと英語原本とを手に入れること。
英語で読むなんて考えたこともなかったけれども、多分この本は英語で読んだらもっとエネルギーが真っ直ぐで純度が高いように思う。
日本語に訳してもそれだけの良いものを放つということは、間違いなくその原文はもっと良いはず。
という計画まで立てて、朝からTSUTAYAオンラインで注文をした。
注文しながら、「そういえば、先月もクーポンが来ていて“使うかもしれない…”と考えてメールを残したはず!」と思い出して、メールをチェックした。
来たーーーーーーー\\\\٩( 'ω' )و ////
2個のクーポンを同時に使えるのかわからなかったけれども、ダメならエラーが出るだろうと踏んでクーポン番号を入れてみた。
なんと、2つ合わせて【1000円分】の割引がいけた(((o(*゚▽゚*)o)))♡
さらにTポイントも使えて、プラス200円分引いて、合計で1200円もの割引適用!
おかげで1500円まで下げられて!、朝から超ホクホク顔になった♪٩(๑ᴖ◡ᴖ๑)۶♪
というようなことが起こったから、『奇跡の果実』シリーズ、順番を変えてのアップになった。
私はこの『奇跡の果実』が、とんでもなくすごいパワーを発揮して今の私に色々影響しているとしか思えない。
色んなことたちが絶妙なバランスで成り立っていて、そして1つ1つは色んなやさしさを届けてくれる。
本当に色んなことたちから守られている、それを強く強く感じる。
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