今年1年のしめくくりに相応しい話を今日は1つ。
事の発端は、ある人とのやりとりだった。
その人が取り組む心の課題に関して、パッとひらめいたことがあったから、私はそれをそのまま伝えた。
後になって補足することが出てきて、それも伝えた。
ところが、その内容が本人にほとんど伝わっていない。
内容は伝わっているけれど、それがどれだけ深い内容なのかがさっぱり伝わっていなかった。
傲慢だけど、私の伝え方の問題じゃなく、相手側に受け取るだけの器がない、そう感じた。
最初は怒りさえ湧いた。
どうしてわからないのか、ましてや相手は素人じゃない、そうした心のケアに多少は関与している。
なのに、その内容の深い意図が説明してもわからないことに愕然とした。
内容は伏せるけれども、私がしたことというのは、その相手にとって心の課題となっているものにどう取り組むか、その具体的手法を伝えることだった。
本人の性格や思考パターン、理解度、行動力の具合とか諸々を含めて、この方法ならいけるだろうというものを伝えた。
私は自分が言ったそのままのことを、試しに他の人にも言ってみた。
他の人からは「それ、本当に深いね。その内容を言えるって相当なことだよ」と言ってもらえた。
その人はお世辞を言う人じゃないから、本当に感想をそのまま言ってくれたと感じた。
前置きが長くなったけれど、私はそこで気付いたことがある。
私自身が自分の持っているものに対して自信を持てるようになったこと。
その時に過去の色んなことを振り返った。
私がここまで自分のやってることに自信が持てるようになったのは、過去の積み重ねのおかげだった。
塾の時のことが、わかりやすく回数を出せたから、それをやってきたからこその今だと気付いた。
塾に勤めていた頃、毎日その日来る子ども1人1人にその日にやるカリキュラムを組んで、それをカリキュラム表に書いていた。
少なく見積もって1日20人分(少ない日は20人切るけれど、多い日は30人越えする)、掛けることの週5日(実際は6日稼働)、それで1週間あたり最低100回はカリキュラムを組む。
2年半勤めた中で最初の2ヶ月と最後の1ヶ月は研修でやらなかったと考えて、最低2年とする。
年間52週のうち盆と正月除いた50週は確実に稼働しているから…
100回×50週=5000回。
5000回×2年=10000回。
最低10000回のカリキュラムを個別に立てていたとわかった。
さらに、同じ回数だけ連絡簿に子どもの様子を書いて渡してた。
塾での子どもの様子がわかるように書くもので、それは毎日必須だった。
私が実際に自分の教室を持つまで、色んな教室に研修に行った。
その時に、色んな人たちが書いた連絡簿を読ませてもらったけれど、私は研修の身のくせして「つまらない」と思った。
「今日は数学は連立方程式をしました。英語は受け身の文法問題を解きました。中間テストが近いので、テストの目標を話しながら計画を立てました。そのようにやっていけるようにサポートしていきます。」
おおよそこんな風だった。
「つまらん!」と思った私は、自分が書くようになってから、連絡簿だけはやたらとこだわった。
私は何をしたとかは書かず、代わりに子どもの様子がわかるように書いた。
例えばこんな風。
「前回解けなかった連立方程式の問題に今日再度取り組みました。宿題をきちんとしたことで本人の理解度も上がり、今日は同じ問題と別の似たような問題、両方をクリアできるようになりました。本人の力が定着するように、今回も同じ部分を宿題にしています。」
それとか、宿題をしてこなかったという時は、
「宿題をしてこなかったと本人より素直に報告がありました。前回のように、やったと嘘の報告はなく今回はありのまま伝えてくれました。やらないことはこちらで話をしましたが、素直に話をした部分に関してはほめました。お家でもその部分についてほめてもらえると助かります。よろしくお願いします。」
とか。
この作戦は功を奏して、実際に何人かの保護者から直接お褒めの言葉をいただいたし、それが親子の会話のネタになっている家もあったし、子どもにしてみても変なことを書かれるとそちらの方が家に帰ってから自分の首を絞めることになるわけで、よく私と色んな交渉に励んでいた。
ちなみに上のようなことを書かれると、素直な報告よりも宿題をしていないことが露呈するわけで、子どもからは明らかに不評だった。
親に見せていない子ももちろんいたけれど、今となれば毎回違うことを書くにはそれだけ子どもとのやりとりを細かく見ないと書けないわけで、人を見る力があの時に養われたと思う。
10000回以上のカリキュラムと10000回以上の連絡簿の積み重ねがあって、それが私に個別の対応力を付けてくれたことの8割を占めてると感じた。
さっきの話に戻って、心の課題に関して具体的な手法を伝えても反応がいまいちだった時、私は初めて自分の力の方ではなく相手の理解力を疑った。
と同時に、自分がそこまで力がついたんだと客観的に認めることができた。
そして、もう1つ気付いた。
もう誰でも彼でも情報を出すのではなく、本当にそれを必要とする人に限定して出そうと。
じゃないと、私の心が消耗する。
そうしたことにも気付けるようになったところに、今度は今年最後の癒しのレシピを書くことになった。
2018年12月29日 23:29
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以下、『奇跡の果実』と連動させての続きの話。
(1月23日加筆)
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2018年最後の癒しのレシピは予定もしてなく、頼まれてもなく、それで当初私は無視をした。
それはヒーラーのOさんのもので、内容が本気のお節介な上、私はその内容のどれ1つもOさんに向かって言いたくなかった。
Oさんは自分の仕事に関して、私に「相談」してきたのではなく、あくまでも「私の意見」を求めてきた。
武士俣さんはこれについてどう思いますか?という問いかけで、私は最初「Oさんの思った通り決めた通りでいいと思います」みたいな返事を返していた。
小骨が引っかかったような小さな違和感は覚えたけれども、そんなのは無視しておけば良かったし、そのまま私はやりとりを終わらせる気満々でいた。
ところが、次の日になると、無視していたものたちが無視できないほどに一気に押し寄せてきて、そこに対する情報が雨あられのようにやってきた。
モヤモヤしたから、最初は単なるそんなことを思っている自分が嫌なのかと思っていた。
でも、内容が強烈な割に私自身はそれに対して全くと言っていいほど気持ちが動かなかった。
私はOさんに言いたくないという一点においてモヤモヤしているだけで、内容に関しては何とも思っていないことに気付いた。
これがもし自分のことなら、内容に対してもっと心が動く(内容的に、今回ならすっごく乱れる)ところ、それが全くなかった。
そこで私は「もしや!?」と思ってペンジュラムで確認したら、やっぱり内容は私の考えや意見ではなく、Oさん自身の潜在意識や魂からもたらされたものだった。
私の考えや意見にも通じるところがあったからわかりにくかったけれども、正直なところ、そんな私の個人の意見だと流せばそのまま流せるはずなのに、いつまでもしつこくやってきた数々のメッセージたちが私の中から消えないことに気付いて、それでようやくOさん自身のものだとわかった。
本当に言うのがすっごく嫌だったけれども、Oさんに事の次第を説明して、そしてOさんが聞きたいという意思があれば来たメッセージたちをそのまま伝えます、と言った。
そうして伝えることになった年内最後の癒しのレシピだった。
『癒しのレシピ』に関しては、名前を変えようかと思ったぐらいに、Oさんの内容は強烈極まりなかった。(Oさんには『癒し』という言葉を一切使わなかった)
余談だけれど、今回のことを通じて、メッセージが相手から来た時に関しては、私が伝える伝えないを選んではいけないこと、必ず相手にその部分の選択肢を委ねることも学んだ。
ちなみに言いたくなかった一番の理由は、内容もさることながら、要は弟子的な立場の人間が師匠に物申す、しかも喧嘩をわざと売ってるのか?と言われるような内容を申すというとんでもない様相だったから。
一般の会社で想像して欲しい。
平社員が社長に何か言うとか、年商1000万円の人が年商1000兆円の人に何かを言うとか、そんな風だった。
Oさんより私が上回ってるのは本当の実年齢だけで、スピリチュアルな知識も専門性も技術も、本気で私の方がどうにもならないレベルで下なのは肌身で感じていたから、絶対にそれらの言葉を言いたくなかった。
で、結果的に言うことになってそれにはものすごく感謝されたけれども、今度は細かな内容を聞かれた。
私自ら、質問があれば、言葉に関しては私が書いているから答えますとは言っていた。
内容については、私のことじゃないから答えられませんと伝えていた。(要は、本人には意味の通じる話でも、私にはその話の意味やそれが具体的にその人の何を指すのかがわからない。)
話は少し飛ぶけれど、私はそのやりとりを年賀状のバイトと並行してやっていた。
たしかに私は癒しとは呼べない癒しのレシピを書いて渡したし、そこに付随する質問も答えられたは答えられたけれども、とにかく細かい内容だったから、相当しっかりと内容を吟味して伝える必要があった。
だからたかが1通のメールでも仕上げるのに平均して3〜4時間ほどかかっていた状況だった。
それを全部で4通渡していて(←内容がヘビー過ぎて時間的に1日がかりのものもあった)、そして4通目を渡した時に私はOさんに自ら進言した。
概要的な説明なら今のまま対応することは可能だけれど、もしOさんに合わせた個人的な対応を希望なら私から有料セッションを受けて欲しいと言った。
Oさんに必要なものは、検索ワードだけ伝えるから自分で調べてやれるならそれで大丈夫なことも伝えた。
だけどそうではなく、ガチの個人対応希望なら有料でセッションの申込みをして下さい、とこれまたおかしな事態ではあったけれどもそう言った。
私の体力気力がもたなかったのと、年賀状のバイトをしていない空き時間でOさんの個人対応をするとなると、もうどう考えても私が無理なのがわかった。
というそこまでの状況が上手い具合に生まれて、それでOさんから個人セッションの申込が入って、そしてその後の『奇跡の果実』の話に繋がっていった。
だから、年賀状のバイトはとても大切だった。
私がもしその時、何も仕事をしていなかったのなら、Oさんの対応はこれまでのお礼の意味も込めて全部無償でした。
ところが、たとえ頭を使わなくても体は使う年賀状のバイトで拘束時間があって、さらに年末年始の妹たちや姪っ子の帰省で家事の量も増え、とにかく予定がみっちりで忙し過ぎた。
もう色々と回せないとわかって、それで私も「うわぁー、恩知らずな発言だわ」と内心思いつつも、反対に超マニアックな対応がOさんに合わせて必要なのもわかっていたから、あえて有料セッションを案内した。
(一応詐欺に間違われないように言うと、私は私で専門的に心理やら心のセラピー的なものを学んで実践してきたのと、他にもたくさんのマニアックな知識を総動員して、1人1人に合わせたプログラムを組んで個人セッションは提供している)
それでOさんが私から個人セッションを受けることになった。
ちなみにもう1つ言うと、年賀状のバイトに行ったことで、どんな仕事なら食べる方を支える仕事としてやれるのかもかなり明確になった。
極力人的ストレスが少なく(←最重要事項)、業務内容も覚えることが少なく、さらには仕事以外の時間は綺麗さっぱりと仕事のことを忘れられるもの。
年賀状はまさにそういう条件にぴったりと合致していたから、Oさんとあれこれやりとりしていても、ギリギリ仕事の方は仕事の方で集中してやれて良かった。
反対にOさんに対することも全力でやれるほどの体力気力を保てるところにあったから、どちらも邪魔することがなくて良かった。
そして、年明けOさんと日時を決めて行った個人セッション当日。
Oさんは基本的に何でも検証や分析を行う人だから、電話の会話も音声が欲しいだろうなぁと思って、それで私は壊れたiPhoneを起動してボイスレコーダーを使って録音することにした。
そもそも個人セッションということにならなければ、Oさんと私が電話することもなかったし、そして音声を録音することもなかった。
冗談抜きで、その時がOさんと私が出会って以降、初めて電話をした日だった。
そしてOさんも私も当日個人セッションが終わるまではずっと個人セッションに集中していたし、裏側では別の意図が動いていたなんてOさんが言ってくれなければ私は一生気付くこともなかった。
Oさんはセッションが終わってから、「実は…」と話を切り出してきた。
年配の男性が私宛てにメッセージを伝えたがっていること、どうやらその人は死んでいること、身内っぽいこと…、そんな風にOさんが特徴や状況を私に説明した。
とにかく2時間以上も前から、ずっとずっと私のことを「ふみこ、ふみこ」と呼んでいる、私の方からその人が誰なのかということと何を伝えたいのかを質問しながら特定して欲しいというような要望がOさんを通じて伝えられた。
全く意味がわからなかったけれども、Oさんが「決して悪い感じの霊ではない」ときちんと説明してくれたおかげで、私も安心して質問を投げかけることができた。
こんな風にして、Oさんと私が後に「おじいちゃん」と呼ぶおじいちゃんが登場してきた。
詳細は省くけれど、それこそが今回の一連の流れの鍵を握っている人物、私がペンジュラムで行方を探した方の霊魂だった。
当たり前だけど、Oさんも私もおじいちゃんとやりとりすることなんて1ミリも意図していなかったし、今回はOさん個人の話がメインだったゆえ、それ以外の内容に触れるなんて思ってもいなかった。
しかも、今振り返るとあまりにも出来過ぎな設定だった。
1、そもそもは、Oさんが自分の仕事に関してテコ入れをしようと考えたところに端を発する。
↓
2、Oさんなりに結論を出して、それに対して私の意見をOさんが求める。
↓
3、その時に私がOさんの潜在意識なり魂なりからのメッセージをキャッチする。
(ここ1ヶ月近く検証しているけれど、どうも相手の人が自分の状況を私に話すなり伝えるなりすると、それが相手からの情報をもらうための相手側からのGOサインとなって、そして情報を私に受け渡すための扉が開いて←もちろん扉が開いてるなんていうのは私にはわからない、そこから一気に色んな情報が私の元に届くシステムになってる模様。)
↓
4、Oさんに私のところに来た情報を伝える。
↓
5、Oさんがそのことに関して細かく質問をする。
↓
6、概論的な内容は伝えられても、個人対応になるものの場合、有料での個人セッションを私に申し込んで欲しいとOさんに伝える。
(例えばの話。怒っていることに気付かない人がいたとする←まるで私(  ̄Д ̄;)。で、怒りを解放するなり消化するなりすることが大事だし、そういうのは「怒り 解放」とでも検索すれば色んな方法がネットでヒットする。ここまでは私の中で無償で提供できる範囲。だけど、その人に合わせて怒りの感情をケアする場合、まずはその人の状況、適正、能力、強み、苦手なところなどとにかく色んな角度からその人を見て、そしてその人のセッションへの入り具合を見て、どうその怒りと向き合うか、その場でプログラムを具体的に立てる。こういうのは完全に個人対応になるから、そこは有料セッションになる。
Oさんにもそのように説明して、最低限の情報は伝えられるけれど、個人対応を希望ならそこは有料だと説明した)
↓
7、Oさんから個人セッションを申し込まれる。
↓
8、Oさんと私で個人セッションを電話越しに行う。
↓
9、その際におじいちゃん登場。
↓
10、Oさんから誰か(=おじいちゃん)が私宛てにメッセージを送ろうとしている、と伝えられる。
↓
11、色々探っていった結果、おじいちゃんと判明する。
これだけのプロセスを踏んで、初めておじいちゃんの魂とOさんと私とが繋がった。
しかも、Oさんには11月の時点で私がペンジュラムを使っておじいちゃんの居場所を特定するお手伝いをする前に、個人的にいくつか専門的なことを相談した。
だからOさんにとっても全くの見知らぬ人ではなくて、少しだけ状況を知ってくれていた人だった。
(Oさんは、以前に私が話題に出したこともない、Oさんにしたら会ったこともない人物のことをベラベラと私の目の前で言い当てて、なんならその人の影響が仕事にどう出たかについてまで言及して大当たりしたことがあったから、今回おじいちゃんの存在をOさんがOさんの感覚で特定したことに何の違和感も抱かなかった。)
そうして幾つものことが重なりまくって、100日以上は私のところに滞在していたと思われるおじいちゃんと私とが初めて繋がった。
ちなみにOさんいわく、これは憑依とは別物らしい。
私的な解釈としては、おじいちゃんは気付いてもらえるまで待機していたんだと思う。
ここから、おじいちゃんとOさんと私との3人でのやりとりが始まった。
まだあの日から2週間なのに、ずいぶんと時間が経過したように感じる。
それぐらい濃密な時間だった。
そして、おじいちゃんが現れたことで、一気に色んなことが動き出した。
「ご加護」なんて言葉を使うのはあまり好きではないけれど、今回だけは本当にご加護があったと感じている。
グーグル先生いわく、「加護」は「神仏が力を与えてまもり助けること」とある。
本当にそういうレベルで物事は起こっていたし、おそらく今も感知できてはいないけれど、その流れの中にあると思う。
だから、半分霊界、半分人間界みたいな境界線のような場所を垣間見ることになって、人間的真理みたいな領域のことを今回知ることになったんだと思う。
話は変わるけれど、最後にOさんに渡した癒しのレシピからどんなことが生まれたか、それについて少しだけ触れたい。
私がものすごく抵抗しまくりだった「言いたくない」Oさんへのメッセージに、Oさんはものすごく感謝してくれた。
Oさんはその理由を「(自分の)伸び代に気付かせてくれたから」と言った。
私はOさんのその一言で、癒しのレシピの本当の目的がわかった。
そう言われてみたらこれまでの癒しのレシピも全てそうで、基本的に内容がきつかろうが厳しかろうが、それら全てに共通して、当人の可能性や今よりも良くなるためのヒントになっている。
決して表面上の言葉に囚われてはいけないし、真の目的は相手を落とすためではなくその人自身の潜在意識なり魂なりがその人に向けて伝えたいメッセージを私に託しているだけなんだと知った。
それは大切な自分自身に向けてのメッセージで、悪いもののわけがない。
可能性やヒントを伝えてくれるものだとはっきりとわかったから、これからは私はもう迷わずに伝えられる。
自分の至らなさにも気付かせてもらえて、私が勝手にメッセージの良し悪しを判断してはいけないし、ましてやそれを伝えたくないなどと愚図るのも論外の話だった。
そして、これからはその意図(←本人側の意図)も伝えられるから、キツイ内容に見えたとしてもそれは必ず良くなるためのヒントだと私も補足説明できる。
OさんはOさんで、その後自分の中を整理されて、サービスの質が向上したとお客さんに言われる機会が増えたと私に教えてくれた。
サービスの変更も決定して、そして今またさらに成長されてるし、新しい取り組みも始められた。
私が凄い!と言いたいところだけれど(笑)、当然そんなことはなく、Oさんが自分で気付いた分変化が生まれている。
と、こんな風にして、変化を見る機会にも恵まれた。
すごいまとめ方だけれど、おじいちゃんが関係しているストーリーはどれも本当にやさしさに満ちている。
私がご加護などと表現するぐらいに、神がかり的なやさしさをあちらこちらで見る。
そして、色々あっても、本当は全部愛に包まれているんだよ、と言われてるみたいに見える。
それぐらい、やさしさとか愛に溢れている。
2019年1月23日
#つぶやき#
この文章を書きながらおでんを仕込んだ。
多分、私が人生でおでんを作ったのは片手で数えるくらいの回数。
今日は味付けと言い、しみっしみの大根と言い、全て上手くできた♪٩(๑ᴖ◡ᴖ๑)۶♪
大根を下茹でしている横でねじりこんにゃく(三つ編みみたいなこんにゃく)を作ったり、きれいなゆで卵になるように画びょうで茹でる前に殻に穴を開けたり、練り物をさっと茹でて油抜きをしたり。
妄想は止まらず、「専業主婦みたい(o´艸`)」と1人で悦に浸りながらこの文章を書いた。
おでんをコトコト煮ながら好きな文章を書く…、まさに私が思い描く専業主婦業。
良いこといっぱい書いてる風だけど、やっぱり私が憧れる職業ナンバーワンは専業主婦♡。
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