>>>2019/01/24
『第2話のタイトル』
第2話のタイトルは『繋がる。』だった。
それは単におじいちゃん(死者)の魂と繋がったという意味ではあったけれど、私は最後「。」を付けた。
なぜなら、繋がったからそれは未来の話でも予想の話でもなく、「完了」していることを表すために。
>>>2019/01/25
『ギフト』
ふと出てきた。
今回の『奇跡の果実』の最後にくる文章のタイトルは『ギフト』。
なぜなら、今回の一連のことを通じて、私が受け取っているのはまさにギフトだから。
しかも、それはプレゼントというよりも『ギフト』の方が感覚的に近い。
グーグル先生で調べたら、ギフトは価値ある贈り物、天賦の才なんかも指すらしい。
そして、プレゼントは友達とか同士の間で交わされるものだとするなら、ギフトは目上の人から目下の人へ、今回なら天空からの贈り物という感じ。
私の中で一番大きかったのは、今回の一連のことのおかげで、私の中の意識が大きく変化したこと。
これもいつか書きたいけれども、どうして私に心理ワークや引き寄せの法則やアファメーション(言葉を唱えての自己実現の方法)とかが効かなかったのか、それがわかった。
その理由が明確にわかった。
そしてそここそ私が自分のテーマとしてずっと持っていたものでもあった。
そうしたことにも気付かせてくれた今回の出来事。
しかも今それに気付かせてくれたのは、ある1冊の本だった。
すべてのことがすべてきれいに歯車が回っていた。
一見ネガティブなことに見えることも、そうではない事実を知る。
そうした視点がさらに一層強化された。
目の前には本の宣伝がある。
『君たちは何者だ?』
TSUTAYA N店にて
>>>2019/01/26
第3話の『未来と過去の交差点』に追加で書きたかったこと。
本編があまりにも長くて、こっちのウラ話側に入れることにした。
私が最初に行き着いた『本物』の人とのことを思い出したから、あと自分の質問について感じていることを書きたい。
忘れもしない2010年の8月8日、私はコーチングが何かということも知らずにコーチングの説明会に赴いた。
その日に出逢ったのが、後に私がコーチングの個人セッションを2年間受け続けることになったコーチのまんちゃんだった。
まんちゃんは当時40代で、高校生と中学生の男の子2人のパパで、面白い奥さんもいる、まぁ世間一般では普通な感じのおじさんに入る人だった。
最初の数回は、お互いを苗字にさん付けするという何とも距離感ありありな関係でコーチとクライアントという感じだったけれども、いつしか互いをまんちゃんとぶっしーと呼ぶようになった。
コーチングというと、世間一般では目標設定をしてそれに向けたメンタルトレーニングと意図的な行動を多く取り入れるみたいな感じが強いけれど、まんちゃんのコーチングはそれとは全く毛色の違うものだった。
私の希望もあって、まんちゃんと私のセッションはずいぶんと変わっていた。
学校のグラウンド並みに広い有料の芝生広場に行ってそこに2人でひっくり返って青空を眺めたり。
トトロに出てくるような木のトンネルをくぐり抜けてそして見つけた枯れ木と枯れ草だらけの空間に適当に腰を下ろしてそこでおしゃべりしたり。
いつかは熱田神宮でやろうと約束したら、その日は名古屋で雪が降って、雪が降る中、外で2人でサンルーフみたいな屋根付きの場所で池を見ながら甘酒を飲みながらセッションをしたり。
まんちゃんの希望で、私がわざわざオーダーして作ってもらった世界に1つしかない木のテーブルと私の適当料理を囲んでセッションをしたり。
多分世の中で認識されているコーチングとはずいぶんと違うコーチングを受けていた。
ずいぶんとおかしなコーチングだったけれども、効果は抜群だった。
そして目標設定など全くしていなかったのに、文字通り私は仕事で売上も契約率も両方上げまくった。
私はまんちゃんがしているのは、コーチングじゃなくてマンチングというまんちゃんにしかできない唯一無二の魔法だと思った。
そんなまんちゃんがある時大真面目に私に言ってきた。
「僕ね、本当の本当にやりたい職業はサンタクロースなんだよ」
40代の現役バリバリのそして子育て中のお父さんが普通に真顔で言うことじゃないのは、さすがに私もわかっている。
でも、まんちゃんは本気だったし、そしてまんちゃんと知り合った翌年のクリスマス、まんちゃんは飛びっきりの笑顔で私にクリスマスプレゼントをくれた。
木のお皿2枚と木のバターナイフだった。
それをお店で見た時に「これぶっしーにぴったり!」と思った話を教えてくれた。
私はプレゼントもとても嬉しかったけれども、それ以上に私の知らないところでまんちゃんが私のためにプレゼントを選ぶためにかけてくれた時間やまんちゃんの気持ちそのものが嬉しかった。
その年、まんちゃんは文字通り本当のサンタクロースになって、私以外にも色んな人たちに個人的にプレゼントを用意して配り歩いていた。
そうやってまんちゃんは自分の本当の願いを叶えていた。
他にもまんちゃんは気に入った本があると、そしてそれが私に必要だと感じると、本をプレゼントしてくれた。
全部で数冊プレゼントしてもらった。
それも同じように色んな人たちにしてくれていた。
あと、もう1つまんちゃんが超絶ハマっていたものは「謎解き」だった。
普通にミステリーとかの謎解きも好きだけれど、クライアントさんたちと話していて、そこからクライアントさん1人1人の人生で大切にしているものや今あることへのヒントが解けると、ものすごくワクワクするんだよね♪とルンルンしながら言っていた。
だから、まんちゃんがうちに来たのも、そうしたまんちゃんの好奇心があってのことだった。
まんちゃんは宿題を一切出さなかった人だけれど、一度だけ私に宿題を出した。
次のセッションまで1ヶ月あるから、その中でぶっしーがぶっしーの持っている木のテーブルと対話してきてください、というかなりヘンテコな宿題だった。
まんちゃんは私に宿題を出すフリをして、本当のところ、私よりもまんちゃんが私の出してくる答えを楽しみにしていたんじゃないかと思う。
そんな風にして、私はコーチングを受けて、そしてまんちゃんこそが私にスピリチュアルなことを教えてくれた人生で初めての人だった。
そういえばまんちゃんもいつか言っていたなぁと思い出した。
「僕ね、神さまとかそういう存在がいるとするなら、僕はぶっしーのところに遣わされたと思ってる。うまく説明できないけれど、ずっとずっとそう感じてた」
まんちゃんはいつもの静かな口調でそう呟いた。
そう、私はまんちゃんでなければ、絶対の絶対にスピリチュアルなんていう怪しいものには近付かなかった。
私はちょっとのアンチではなく、スーパーアンチだったから(これ!という明確な理由はないけれど、子どもの頃からそうした世界を疑念だらけで見ていた)、近付こうなんてただの一度も思ったことがなかった。
まんちゃんはふざけてるみたいに見えるかもしれないけれど、実はものすごい勉強家で、読書量はもちろんのこと、その小難しいスピリチュアルな本たちを片っ端から読んで、翻訳してくれて、私にその理論を次から次へと教えてくれた。
物理化学の脳みそが全くない私に、量子力学だのアインシュタインの相対性理論だのをものすごくわかりやすく教えてくれたのもまんちゃんだった。
まんちゃんがあまりにもわかりやすくそして面白く紹介してくれたもんだから、調子ぶっこいて私もそうした本を見に行った。
開いて卒倒するかと思ったぐらいに難しすぎて、本気で頭がクラクラした。
まんちゃんなくしては、私のそうした基礎知識は積み重ならなかった。
まんちゃんをスタートにして、私の世界はグンと広がった。
私だけだと怪しいからもう2つ言うと。
他にもまんちゃんのコーチングを受けて人生が激変する人たちは大勢いた。
愛知県と言えば、世界に名をとどろかす企業がいくつかあるけれど、その企業の社長と親交の深い人たちとやりとりしたり、その組織の個人的な活動を支える裏方の仕事をしたりと、実はすごい実力者たちと関わっていた。
また子どももすごくて、愛知県内でも超有名な文武両道の名門校のスポーツ推薦枠で特待生として入っていた。
私も塾の仕事をしていたからわかるけれど、そこは本気の学力とそして抜群の運動神経とそれのズバ抜けた大会成績の両方がないと特待にはなれない。
まんちゃんも奥さんもほぼほぼ個人の自由や生き方を最大限に尊重した子育てで子供と接し、そして子供自身が自分の進路をつかみ取った。
そういう大人に出逢えたこと、それも30歳を過ぎて本気で自分の人生がヤバすぎる(  ̄Д ̄;)という頃に出逢えたことは、私の人生の中でも生涯を通じてトップ5に入るすごい幸運なことだった。
そういう大人に出逢えたことで、私は自分の人生に少しずつ希望を持てるようになった。
おかしな人生でも、何かしら生き方があるのかもしれない、本気でまんちゃんは私にそう思わせてくれた人だった。
『質問』
第3話ではさらりと書いて流したけれども、実は私の質問力こそ色んなことにアンテナを張るためのキーポイントなんじゃないかと最近思うようになった。
私の中でいつも答えに困る質問の1つに「ぶっしーはどうやって質問を考えているの?」というのがある。
コーチングやカウンセリングの講座を受けると、絶対に「質問」に関しての理論は避けられない。
実践でも必要になる。
それは福祉の現場も同様だった。
ちなみに私は質問を考えたことがない。
自分が気になったことや疑問に思ったことをそのまま聞いているだけだから、「質問しよう!」と思って質問していない。
だからどうやって質問を考えているの?なんて聞かれると本気で困る。
しかも自分でも自覚しているけれども、私の質問は脈絡がない。
潜在意識側では意図があっても、自分で認識できる顕在意識の上では全く意図がない。
言うなら得意の「なんとなく」としか言いようがない。
で、前置きが長くなったけれども、私がある1冊の本に辿り着くまでにまず必要だったのは、疑問だった。
単純に、おじいちゃん(死者の魂)から語られた「お前は本物としか繋がれねぇんだろ」がどうにも引っかかって、その言葉がいつまでも自分の中に残った。
それを伝えてくれたヒーラーのOさんに質問をすると、それは啓示的なもので上の存在から伝えられたものだと説明された。
それで「啓示」が気になって仕方なかった私は、Oさんにそうしたことを勉強するための本を教えて欲しいとお願いした。
それが結局回り回って、私に必要な本と私とを引き合わせてくれた。
まさかそんなことを意図して聞いたわけじゃないから、結果そういうものが出てきて心底驚いた。
よく自己啓発や精神世界の分野では、「質問が人生を変える」と言われる。
私はどうもその考え方も苦手で、なんだかビジネスとかでバリバリやります!的な、それも本人がそうしたくてと言うより、例えば会社で認められたいとか、お客さんから高く評価されたいとか、どこか他人の評価も含まれている感が拭えなくて、その「質問が人生を変える」思想に違和感を覚えていた。
でも、今回「啓示」がどうにも気になって、Oさんに質問(詰問)し、そういうのを学べそうな本を教えてもらい、本を探しまくったら結局は自分が一番必要としている本に当たった、という結末になった。
自分の中でどうにもこうにも気になって仕方ないものに関して、私は自分が納得できるまで追い求めてしまう。
そうした質問、というより疑問は、人生を変えるかどうかは別にしても、自分にとって大切なものへと導いてくれると思う。
私はやったことがあるからわかるけれど、相手に良い気付きを与えよう!なんて意図して質問なんかした日には、大概しょうもないことを聞いていて、質問よりも私の誤った意図が伝わって、下手すると事態が悪化することもある。
だけど、単純に自分が気になったことをそのまま聞いたら、それの方が相手もハッとなることが多い。
だから、質問しようとか、疑問を持ってみようとかいう意図はせずに、ふと心に浮かんだもの、どういうわけか気になって仕方ないもの、そうしたものを追いかけていくと、思わぬ形で必要なのものに巡り合う、私にはそんな風に感じる。
>>>2019/01/27
ただ今第4話執筆中。
自分の中では相当書いたつもりでいたら、まだまだ前半とわかって撃沈( ´Д`;)\\…。
私の中では、1月中に書き終えたい!と一応の目標はある。
たくさん書いた気でいるのは、このウラ話も書いているのと、あと今年に入ってから書いているものの大半は、この『奇跡の果実』を構成する話たちと連動しているからだと思う。
どハマりしている動画を昨日も見た。
カードリーディングをされる方のもの。
その方は動画で必ず視聴者向けに四択のカードを用意して、それぞれ好きなのを私たち視聴者は選んで、そしてそれぞれのカードからのメッセージをその方が読み解くというコーナーがある。
私は勝手にその方と以心伝心(o´艸`)と勘違いするほど、とにかく毎回その時にピッタリなメッセージをその方の動画からもらう。
昨日の夜見たのもまさにそうで、そしてテーマは「今取り組んでいるもの」という意味での読み解きだった。
真っ先にこの『奇跡の果実』が頭に浮かんだ。
私の中で、このストーリーだけは絶対に他の人たちと共有する必要のあるもの、と認識している。
そんなことしたところで何の意味も今のところないけれども、むしろもっと他のことしろよ!という話もなくはないけれど…。
それでもこれだけは絶対にやりきらないといけないと感じている。
私が見ているもの・私が感じているもの、それらを言葉にすること、そして発信することが大事だと感じている。
そうしたら、その動画でも全く同じことをメッセージとしてその私の大好きなカードリーディングされる方が話してた!
これでいいんだと思った。
しかも、昨日の動画はいつもとさらに違っていて、なんと絵柄と絵柄のタイトル、二字熟語2つ、月の形、その4つの要素だけで、あと残りは全部その方がオリジナルで読むスタイルだった。
例えば私が選んだものは、
・絵柄:大きなキノコをモチーフにした創作物
・タイトル:大きなキノコとアリス
・二字熟語:構築・創造
・月の形:first quarter (新月を経て上弦の月になるところまで)
この材料だけでその人は自分の感覚だけで読み解くわけだから、半端なくすごい。
これ、世の中で彼女のように読み解ける人は限りなくゼロに近いと思う。
もう1人友達で彼女並みにカードの読み解きができる人を知っているけれど、彼女のスタイルと友達のスタイルは全く違う。
超フリースタイルで読み解く彼女の口から語られる言葉を聞きながら、この話を完成させようと決意を新たにした。
だって上に書いたものから彼女の感性で読み解いたメッセージと今の私の状況とが見事にマッチするなんて、スピリチュアル的には普通にありだけど、通常の世間一般的な視点から見たら有り得ない。
彼女からのメッセージを要約するとこんな風だった。
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自分の中で大きく育っているものに対して、ためらわずそれをそのまましっかりと作っていく。そしてその上に自分のアイディアや行動をのせて、その育っているものを確かなものにしていく。そのためにも、その調子でどんどん積極的に進める。
今現在何かしらの成果や豊かさ、実りを手にしている状況。その実りを独り占めせずに、自分なりの形で周りにも還元していくことが大事。
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これは最後に書こうと思っていることだけど、まさにこの話は『メッセージ』なんだと思う。
見えない世界は、時間も空間も存在しないと言われるだけあって、物事の動き方が尋常じゃない。
有り得ないことがいくつも重なるし、有り得ないスピードで物事も動いている。
私は今回の一連のことは、単なる私たちが生きている現実の中だけに存在していることだと思っていない。
死者の方の魂だけじゃなくて、もっと大きな意図、それは神様とか天界とかそういうレベルのところからの何かしらのテコ入れがある事柄だと思っている。
神様とか天界とかって書いたけれど、それは何でもいい。
私が指しているのは、とにかく私たち人間だけでは到底動かせない力が働いている、その力を発動させる主のこと。
そちら側は言葉を持たない。
言葉は持たないけれども、事象として私に色んなことを見せてくれる。
そして、私にできるのはその事象を言葉で説明することと、その事象から見えている景色・メッセージを私の言葉で表現すること。
と思いつつも、ぶっちゃけ1つ1つを振り返って、細部に宿るものを拾い上げていく作業はかなり面倒くさい(←おいっ!)
書きたい気持ちもあるし、面倒な気持ちもある。
ちなみに第4話に関して言えば、本当に分刻みで物事が寸分の狂いもなく起こっていたから、それを検証するためにも今LINEを過去に遡って見たり、音声を再生して聞いたりして、時間や出来事を整理している。
(↑これこそが本気で面倒くさい)
私も自分で何を言ってるんだろう?と思うけれども、今頭に浮かんだからそのまま書いてしまう。
多分、今回のことは、こうした面倒くさいとかいう愚痴や私の個人的なやらかし具合も話に入れないといけないんだと思う。
基本的にネガティブに見えるものも含めてのストーリーtellerになることが大事なポイントのような気がしている。
綺麗事だけを伝えてはいけないんだと思う。
いくらでも隠すことはできるけれども、そうではなく、あえて綺麗事では済まされなかった部分も全て表に出すことが大事なんだと思う。
それがどういう意味かなんてのは今はまだわからないけれども、多分私のこの感覚で当たりなはず。
全て書き終えた時に多分その意味もわかるんじゃないかと期待している。
ということで、これから第4話の話に戻る。
(心の声は相変わらず「面倒くさい」の一言に尽きる…(  ̄Д ̄;))
>>>2019/01/28
今第5話を書いている。
当初第5話のタイトルは『仕切り直し』だった。
すべて一旦整理して、そこからまた再出発するシーンが中心に描かれる予定だったから、「仕切り直し」という言葉がぴったりだった。
ところが書いているうちに「繋がり」の方がより強く感覚として出てきて、そして「繋がり」を中心軸に据えて全体を眺めると、たしかに「繋がり」だと気付かされた。
冒頭に書いた第2話のタイトル『繋がる。』とは違う。
>>繋がったからそれは未来の話でも予想の話でもなく、「完了」していることを表すために。
それに対し、第5話は『繋がり』になる。
これには私の中でこういう想いがある。
『繋がり』は完了じゃない。
過去も今も未来もすべて含まれている。
過去からの積み重ねたものが今に繋がっていて、そして多分それが未来にも繋がっていく。
現在進行形でありながら、過去形も未来形も全部を含んでいる。
未来形に関しては「未来も繋がれたらいいなぁ」という私の願いも含まれるけれど、基本的には今の積み重ねを未来に引き継ぎたいと切に願っている。
そういう意味を込めて『繋がり』になった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
顔がニヤつきそうな勢い(o´艸`)。
私を「ぶっしーさん」と呼んで私を萌えさせてくれる男の子のお母さんからとっても素敵な言葉をいただいた。
「あの子が今、唯一頼れるのは、それも自分から頼れるのは、ぶっしーちゃんしかいないんだから!」
脳が昇天するかと思ったぐらいに嬉しかった。
これは本当に嬉しい。
私はその子が今、長い長い孤独な戦いを1人でずっとしていることを知っている。
初めて会った時は高校生だったと思う。
あれからもう6年、7年になる。
私はその子に初めて会った時のことをとてもよく覚えている。
会って言葉を交わしてすぐに只者じゃないことはわかった。
忘れられないぐらいにインパクトのある子だった。
同じ人間なのに、どうしたらこうも興味が向かう方向が違って、さらにその子の興味の矛先というのがものすごくマニアックで、多分私は生涯を通じて同じものに興味のある人には出会わないだろうと確信した。
本当にズバ抜けた能力を持つ子どもを「ギフテッド(gifted)」と呼ぶけれど、その子がまさにそうだった。
その子は正真正銘のギフテッドだった。
で、もう1年近く連絡がなかったけれども、今回のこのタイミングでその子から連絡がきて、またちょっとの間だけ英語を仲介役としてその子と関われることになった。
だから、多分だけど、今この子と関わることがまた1つ大きな意味があるんだと思う。
早速お節介ババアとして、超積極的に、頼まれてもいない癒しのレシピを作るという手段を講じている。
全て事後報告かのごとく、後から形だけの了解を本人から得てやっている。
(言い訳すると、色々その子に関しての情報が来てしまったから、放置するわけにいかなくて、それをカモのようにしてその子に積極的に連絡を取っている)
はっきり言って私は、英語関連の仕事や手伝いが全く好きじゃない。
だけど、それを媒介役としてこうして素敵な男の子と関わらせてもらえるなら、英語の手伝いも全然嫌じゃなくなる。
むしろ、英語様様になる。
いつもこうして素敵な人たちに関わらせてもらえる時、思う。
本当は間でやりとりする手段や道具なんて何でもいいんだろうなぁって。
それがペンジュラムでも英語でもご飯でもいい。
手段や道具じゃなくて、誰と関わり合いになるのかや、どう目の前の人と時間を共に過ごすのかだと感じる。
自分の人生のテーマ「一期一会」の教えが、いつも事あるごとに頭の中をこだまする。
ある時、その人は私に言った。
自分にとっての一期一会は、単に出逢うというだけの意味じゃなくて、その出逢った人と過ごせるのがこれが最後だとするなら、その人に今自分は何ができるだろうって考えて、そしてその考えを行動に移す、それが一期一会だと語った。
ちなみにその人は本当にそれを体現している人だった、全身全霊で。
私はその人の足元にも及ばないけれども、そうしたことを本当に頭の片隅に置いて少しでもそれに近付けるようになりたい。
ちなみに男の子のお母さんと「奇跡の果実」が「禁断の果実」にならないように気をつける!と大笑いしながら、明日以降またその萌え萌えな男の子とやりとりをする(o´艸`)。
>>>2019/01/29
今回が人生で3度目。
多分今、自分の中の細胞が入れ替わろうとしている。
人生が大きく変わるポイントの時、どういうわけか私の睡眠はおかしなことになる。
1日平均して通常の半分から6割程度で足りてしまう。
今回も数日前から1日あたり4時間ほどしか寝てなくても夜もやたらと夜ふかしをしても平気だし、朝も朝で目が覚める。
昼寝なしでも全然いけていて、そしてあまり疲れない。
体がそれで保たれてるところを見ると、今回は体までもが協力してこのシリーズを書き上げることが大事なんだと思っている。
現実の私はどこかで「で、仕事どうするわけ?」と考えるかたわらで、このシリーズをとにかく他のことを最低限しかせずにひたすら書いてる。
最低限の家事と必要に応じて必要な方たちとやり取りして、それで今日常を動かしている。
お金や仕事に結びついていないとわかっていても、それでもこれだけは絶対にやりきらなきゃいけないことだと思っている。
何でそう思うのか、何がそこまで私を駆り立てるのかは知らない。
だけど、何かとてつもなく大きなものと結びついて、これだけのことが起こっている、そんな気がしている。
>>>2019/01/29
今日は、この『奇跡の果実』シリーズではなく、例の私を「ぶっしーさん」と呼んでくれる男の子に向けての癒しのレシピを書いていた。
それだって奇跡の果実から続いている流れの上にあると感じている。
今回の癒しのレシピは、奇跡の果実の資料を作った時並みに気合いを入れまくって作った。
書きながらわかっていた。
多分その言葉をその子の人生の中で今伝えられるのは、私だけだろうなということ。
今回はまさに人1人の人生がかかったタイミングでのメッセージで、癒しのレシピと言うよりも人生のエールって感じだった。
多分その子にこうして伝えるのは、今回が最初で最後だと感じた。
そして私もそれに賭けた。
すごい能力に対して本人がそこに気付いていくタイミングなんだと感じた。
だから、それを伝える、そうしたすごい局面に居合わせるその幸運を思った。
本人が自分の能力に気付いて、どんな風に化けていくのか今から楽しみで仕方ない。
今私がこういうことができるのも、自分も色んな人たちからビックリするぐらいたくさん助けてもらったから。
今度は自分が逆の立場になりつつあるんだということに、今回気付いた。
立場が変わるとか言っても、やることはどんな時も基本一緒で、自分にできることをやる、ただそれだけだといつも思っている。
タイトルを『ウラ話①』にしたのは、多分②も書きそうな気がするから。
まだシリーズ半分は書けてないけれども、3分の1は終わったと思う。
1月中の完成は無理だから(T-T)、せめてあと1週間とかで終わらせたい。
ついでの余談。
今日、癒しのレシピを作る前に、部屋に掃除機をかけて、テーブルも整えて、それから始めた。
木のテーブルの上には、10年以上前にメキシコで買ってきた伝統刺繍がほどこされたランチョンマットみたいなのを敷いて(←最近見つけて、今日初めて使った)、その上にペンジュラムはじめいくつかの私のパワーグッズを並べた。
何か神聖なものを始める前の儀式みたいでいいなぁと思った。
そのパワーグッズの中に、自分のオルゴナイトと未来のプレゼントとして準備した別のオルゴナイト、そしてお守りのようにずっと持っている名刺も置いた。
名刺にペンジュラムで問いかけると、名刺もそこに置かれることを好んでいるとのことだった。
普通に考えて、紙切れ1枚にパワーが宿っているなんておかしいかもしれないけれど、私にはものすごい大事なものだから、基本的に自分の近くにいつも置いている。
名刺に刻まれている名前の人に、ずっと助けられてきたんだなと思う。
直接じゃないけれど、それでも本当に大事な場面では必ず何かしらの形で助けてもらっている。
「繋がり」
私が望む形での繋がりではないけれど、それでもこの繋がりがあっての『奇跡の果実』シリーズだというのも身に染みてわかる。
名刺の主だって、まさかそんな風に私が自分の名刺を使っているなんて想像さえしていないだろう。
しかも渡したのだって、ビジネスマナーとして私に手渡しただけで、渡した本人だってそれがこんな風に役立っていくなんて全く思っていなかったと思う。
当たり前だけど、直接手渡してもらったんだよね…?、と今さらなことを自分に確認してしまう。
もう自分の記憶の中にしかいないその人と、手元にある名刺と、2つ重ねるとすごく変な感覚になる。
名刺が何であるのか、わからなくなる。
人はいないのに名刺だけがある、その感じがすごく変に感じて、現実に本当に起こったのかどうか、現実に本当に出逢えていたのかどうか、わからなくなる。
おじいちゃんの霊が登場して感じたことがある。
基本は、生きているうちにしか互いに伝え合えないということ。
死んだら基本的には伝えられない。
でもじゃあ、生きているのに伝え合えないのは、さらにどうしたらいいんだろうと思う。
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