2018年4月5日木曜日

過去の振り返り〜本の初版の日より回想〜

2017年1月12日

この間買った占星術の本の初版の日。

重版になっているらしいから、初版のものが買えたというのは奇跡だと思う。

関係ないけれど、私は「奇跡」という言葉が本当に好きなんだと思う。

それはこんな今みたいにスピリチュアルなことを学ぶもっともっと前から、多分10代の終わりか20代に入るぐらいから好きだった気がする。

ちなみにその頃(去年の1月)の私は何をしてたかというと、人様の納税額をひたすら調べるという非常に苦痛な作業をしてた。

何が苦痛だったかというと、例えば佐藤太郎(仮名)さんの納税額を調べるのは時間にして1、2分で終わる。

しかもたくさん見てると高額納税者でもない限り単なる数字にしか見えず、見ていても全く面白くない。

それを1日中朝から晩までするから、時間など全く経たず、本当にこれをしてる意味があるんだろうかと思ってた。

税金には興味がなかったけれど、佐藤太郎さんの人となりがわかるようなものを読み解くのは面白かった。

調べてるのは税金でも、そこから色々見ていくとその人の人生の一部が見えるようになってた。

そちらの方は興味があったから、調べる必要はないのに私はわざわざ調べることを自らやりまくってた。

上司もそれを知っていたけれど、全然お咎めがなかった。

なぜなら私は誰よりも速く税金チェックが終わっていて、それで暇を持て余すの半分、ただでさえ人より多くやってるところさらにその苦痛な作業が増えるのが嫌で、ペースを緩和するためにも違う項目も積極的に見ていた。

違う項目の方が調べるのは面白くて、そちらの方はどんどんハマっていった。

私がいた9ヶ月で10数回のグループ編成が行われた。

それは上司のやり方で、私はそんなにもグループ編成=業務内容の変更がある仕事に就いたのも初めてだったから、大半の人は嫌がったけれど、私はその状況をけっこう楽しんでた。

特に変更後の人間観察なんて最高に面白くて、私は毎日何しに仕事に行ってるのかわからないぐらいだった。

その時、上司に税金のチェックは本当に苦痛だからその担当から外して欲しいと多分3回はお願いしたと思う。

だけど外されることはなく、グループ変更の度に周りは業務変更するのにいつまでも業務が変更しないのは非常に残念だった。

それが実は壮大な計画の中にあったとは、最後の方で知った。

私は終わりの2ヶ月切るあたりから特殊な仕事に当たることになった。

上司の決裁が必要な特殊な案件があった。

その数たるや凄くて、それを上司が見る前に私のところに一度来て、私はそれを上司の指示の元で調査・判別する作業に当たった。

それはとても楽しかった。

私だけではなく、もう1人ないし2人とも組んで、お互いに見合ってその判断が正しいか間違っているかの検証もした。

そのうち最後の2週間は、私1人だけさらに特殊な任務に当たることになった。

そこはもっともっと楽しかった。

ちなみにその仕事はみんながするのを嫌がった。

だから私以外は誰もやらなかった(40人以上いる中で私しかしてなかった)。

私は嫌になるどころか「ありがとう」と言われる仕事ゆえ喜んでやった(喜んでやってたけど、周りから浮くのが嫌で「大変」とか適当なこと言って合わせてた)。

私がしたのは、一度決定が下されたものに関して「実は反対の方の可能性があったんですよ」と伝える仕事だった。

反対の可能性を伝えて、再度そのプロセスをもう一度相手にしてもらうことへの誘導で、みんなはその決定をくつがえすことも、それを説明することも、そしてその後さらに相手に手間取らせることも嫌がった。

クレームの可能性ももちろん存分にあった。

私はそこは全く違う見方をしてた。

決定がくつがえされることで相手の利益に繋がるのは知っていたから、そこが伝わるように話した。

それは本人たちにとってもプラスだから、私なら多少の手間が増えてもそのプラスが手に入るならいいと思うかな…と考えた。

色々突っ込まれることもあったけれど、そういうところの対応力は私はとても高かった。

私はその時は話を聞くふりをして、なんと質問に答えないという手法を取った(上司と打ち合わせた作戦)。

代わりにその人にしてもらうことだけを丁寧に説明して、それで案内が到着してもわからなかったらまた連絡くださいと逃げた。

みんな質問を忘れるのか、私の誘導に引っかかるのか、私が答えなくても誰1人として突っ込んでくる人はいなかった。

クレームにもならなかったし、その後手続きの質問の電話は稀にあっても、変な電話には繋がらなかった。

3ヶ月ほどひたすら毎日税金チェックしてたのは、その後の特殊任務に繋げていくための大事なプロセスだったことを後から上司に教えてもらった。

特殊任務はただすればいいということではなく、調査の時も税金以外のこと、要は私が暇を持て余して見ていた内容がすごく重要で、そちらを読み解く力が必要だった。

そして読み解いた後もその特殊案件たちをどう扱うのか、それを考えないといけなかった。

全体の1%にもならない特殊任務は、本当に楽しくて、そして一番良かったことは自分がしてきたことの色んなことが複合的に生かされることだった。

私の職務経歴書は基本的に一貫性がない。

唯一「人と関わる」ことだけが共通点だけど普通に見てもそんなこと書いてないから、言葉通りに見ると「何をしたかったんだろう、この人」と言われるような感じになる。

実際にあれこれ面接で突っ込まれたこともあった。

もちろん上司は私の過去のことは何も知らない(派遣会社の方で人選をする形態が取られてたから、上司は私の過去を知らなかった)。

だけど、私が任された仕事は、それらすべてを複合的に組み合わせると実にピッタリな仕事で、そして私もその仕事を通じて好きなことがいくつかできるようになっていた。

さらには大学で学んだことやその後の仕事で専門的に知識を持ったことも非常に優位に働いた。

派遣の仕事とは思えない非常に不思議な流れでやってきた仕事だった。

当然契約書にも書かれていないもので(もちろん契約内容の範疇には含まれる)、そんな仕事日本中探したってそこしかないなというのはわかった。

さらに良かったことは、その特殊任務は、数年に渡って展開されていたプロジェクトの中で、その上司が絶対にやり遂げたいと思い続けていたことだった。

それまでは色んな条件が揃わずにできずにいたとのこと。

それが最後の最後、条件も揃い、私のようにその仕事に対して違和感を持たずにやれる人が来たわけだから、上司にとってはそれを実行するまたとないチャンスだった。

だから辞める時にその上司からも、長いことプロジェクトに関わっていた人たちからも、私はビックリするぐらいに感謝された。

私は逆に、自分を活かしてもらうポジションに就かせてもらえたこと、そしてその組織では絶対にあり得ないことを成し遂げるプロセスを見せてもらえたことに心から感謝した。

私のしたことは、上司にとって降格人事になりかねないリスクを伴うような綱渡り的な仕事、だけどそれは絶対に人のためになることで信念がなければできないものだった。

だからそこに携われたのは、そして99%普通なら起きることのないことが起きる、まさに「奇跡」の瞬間のプロセスを見れたことは、本当に嬉しかったし面白かった。

そんな特殊任務にも関わらず、私は契約期間の関係で志半ばでそこは去った。

だから夏の終わりのある日、上司を訪ねて、私のことは当初から本当に5月末で終わりにする意思だったのかどうかを聞いた。

終わりになったことはどうでも良くて、それよりも5月末で終了・6月からは次のところに行くその流れが本当に必要で起こっていたかどうかを知りたくて、それで聞きに行った。

次のところに行かないとそこでしかない出逢いにたどり着けなかったから。

上司にもそのように説明して、だから本当のところを教えて欲しいとお願いした。

上司は、ぶっちゃけ私のことは残したかったこと、自分のプロジェクトを完遂するのに私には最後までいて欲しかったこと、だけど誰を残すか決める時はまだその特殊任務が始動してなく、そして自分としてもこんなに条件が揃ってそちらが可能になるとは思ってなく、だから残処理の方の係のエキスパートたちを残したことを教えてもらった。

たらればの話になるけれど、もしその特殊任務がその決定前に始動してたら私は残ることになっただろうし(実際に継続可能なら継続を希望した)、上司も私を残す決断を下しただろうし、そしてその後に行ったこの3月までする仕事には就けなかった。

だから私の決定権などほとんど意味がなくて、仕事の全体の流れとか6月から行く仕事の求人が出たタイミングとか、それらはまさに神がかり的なタイミングで全てが水面下で織り成されていた。



2017年1月12日、私は2009年以来、一番落ち着いた時間を過ごしてた。

先々のことは何も決めてなくても本当に穏やかで、その後に来る怒涛の日々のことなど一切知らずのほほんとしていた。

まさか1年3ヶ月後にその本に出逢うようになっていて、そしてその数ヶ月前から意味のわからないことがたくさん起こりまくるなんて、そんなこと想像さえしていなかった。

昨日ずっとお世話になってる愛知のSさんと電話で話した。

Sさんと2人で「憧れの職業は専業主婦!未だに不動の1位ですよ!」と互いに笑いながら言い合った。

Sさんと出逢うことも必然だったとわかる。

望んで今のところに着いたわけじゃない。

何だかよくわからないことが山ほど起こって、完全に自分の意思とは関係ないところで色んなことが用意されていて、そこをくぐり抜けるしか選択肢はもはやなかった。

そのどんな時もSさんは私の近くにいてくれて励まし支えてくれた人だった。

今も距離があってもこうして変わらずに支えてくれる。

Sさんは私の様々な人生の流れを見て、いつの時も「ぶっしーちゃん、完璧よ!大丈夫、絶対に大丈夫だからね!」と言う人だ。

引きこもってた時も、他の大きな選択をした時も、名古屋から新潟の地元に戻ると決めた時も、そして私がどこで何をしてても「完璧」と言い切ってくれる。

私が私にとって必要な体験をしてるから、それでいいんだよ、合ってるんだよ、とずっと言い続けてくれるとても貴重な方だ。

私は今また決断の時にいる。

正直、何を決断するかはわからない。

怖いことも不安なことも山ほどある。

だけど、いつのどんな時も私に必要なことしか起こらないし、反対に不必要なことはどんなに望んだところで叶わない。

それもわかってるから、その中で自分で何かを決める、それを今しようとしてる最中だ。

多分その流れを信じられるようになったのは、色んな体験ももちろんのこと、でもその中でも魂的な繋がりと呼ばれる人にきちんと人生の中で引き合わせてもらえたことが大きかったと思う。

過去の様々な選択が一ミリとしてズレがなかったこと、そして相手の人もその会社に入るところから始まってそしてそのタイミングの転勤とか諸々の条件が重なること、ほとんどが自分の意思とは関係ないところで動いてたことが重なった結果、その出逢いは生み出された。

個人の決定だけではどうにも動かないことたちが無数にあって、そしてその流れの中にポンと入ることになった先にその人がいた。

もちろん、そんな人がいるとは知らず、むしろやったことのない事務仕事への不安は半端なく、何で私採用された⁉︎と思いながらも行った矢先の出来事だった。

そういうものは自分が頑張って手にすることでも、計画して手にすることでもないというのがよくわかった。

魂的な計画には含まれていたのかもしれないけれど、普通に生きてる日々の中では一切計画なんてしていなかった。

だから、本当に必要な人とはどんな風にでも引き合わせてもらえるだろうし、本当に必要な体験ならそれをする流れに入ることになると思う。

混沌とした人生の流れを10年弱過ごしてみて見えてきた私なりの人生の法則みたいなもの。

そしてここから先は、せっかくの人生だから少しでも自分がしあわせを感じたり自分が納得できたり自分が居心地が良かったり、そういうことを基準に選ぶ生き方をしていきたい。

ようやく心から少しずつそう思えるようになった。

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