エープリルフールの午後からにわかに頭痛が始まった。
私は年間通じても片手で数えるぐらいしか頭は痛くならない。
最初は、気の進まないことがメンタル的なストレスとして頭が痛くなってるのかと傍観してた。
そのうち本当に頭が猛烈に痛くなって、熱が出てもご飯を普通に食べれる私が、気持ち悪くて少しだけ食べてすぐにごちそうさまをした。
ロキソニン系の薬を飲んで早々と布団に入った。
薬を飲んだらますます頭が痛くなって、布団に横になろうと目を閉じようとあまりの痛さに泣けてきた。
私は痛みには強い方だと思うし、基本的に体が痛くて泣くことはない。
だけどあまりの痛さにボロボロ泣けてきて、その痛みで発狂しそうな中、自分の体にひたすら謝りひたすらお礼を言い、そして大丈夫大丈夫と自分を抱きしめるようにしばらく過ごしていた。
何か体の中の毒が外に抜けようとしてるとしか思えない、本当にありえない痛さだった。
人生で初めて頭が痛くて泣いた。
本当にすごい痛さで、そして痛みを伴ってもまだ生きてるのが不思議で、途中からは痛み以外の理由でも泣いていた。
途中で私は意識を失ってそのまま寝入った。
5、6時間後に目を覚まし、頭の痛みが抜けたことに気付いた。
まだ重たくて鈍い感じはあったけれど、あの泣くぐらいの痛さはなくなっていた。
あの猛烈な痛みのさなか、私は自分の体をいつもなら思わないようなことを思って見ていた。
この体を選んで生まれてきたんだなって。
色々不満もあるものの(顔とか体型とか体質とか、って全部色々ある 苦笑)、この体を選んで今、日々生きてる、生かしてもらってる、そう思った。
本当に丈夫にできていて、この体で自由に動いて自由に感じているんだなって。
ネガティブな自分もブラックな自分もいるけれど、心根は基本的に優しいと思うしそんなに悪くない。
愛も持ってる。
愛の器がある。
私色々ある中で十分頑張ってるなって。
いつになく自分に自分の体に優しいことをたくさん思った。
これは翌日2日に気付いたこと。
翌日は気分爽快、半日前の頭痛が嘘のように消えていた。
スッキリしていて、本当にあの頭痛は何だったんだろうと思った。
2日の夕方、とてもお世話になってるSさんと色んな件についてラインでやり取りをしてた。
最後にSさんから
「幸せになるんだよ❣️」
という言葉をもらった。
数年の付き合いの中で初めて言われた言葉で、そしてその言葉が心に染み入り、最後はすごいことに気付かせてもらった。
そこは書くと長いからまた別記事で書く予定だけど、その言葉やその言葉の裏にあるものを受け取るために頭が痛くなったんだと思った。
「何か体の中の毒が外に抜けようとしてるとしか思えない」と上に書いたのは、Sさんからメッセージをもらう前。
そう、余計な毒を体外に排出することで、体内にスペースができる。
そのスペース作りのための頭痛だった気がする。
「余計な毒」という言い方も絶妙で、私は今回どれだけ長い時間、自分の中に毒となるような考え方を持っていたかに気付かされた。
本当に毒となるような思い込みに浸かり切ってた。
そしてそれを当たり前と思ってることさえ気付いていなかった。
その毒みたいな考え方を外に出すんだから、膿を出す時に痛みを伴うのと一緒で、毒のような考え方や価値観を外に出す時も痛みを伴ってもおかしくない。
そうやって考えると、エープリルフールの頭痛も頷ける。
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