この友達とはサインの話をよくする。
サインというのは、芸能人のサインとかではなくて、何かしらのメッセージという意味のサイン。
ちょうどホットな話題じゃないけれど、つい何日か前、3月まで行ってた会社の親会社の名前が入った電気工事中の看板を家の近くで見たという話をしながら、それが私にとってどんな意味でどんなサインだったのかを口頭で説明した。
写真なんて見せる必要なんてなかったけれど、「ほら、この看板だよ」と言って見せると、友達が「あっ!」と大きな声で驚いた。
「私、この看板、昨日の土曜日に見て読み上げたよ!」
通った道にあったと言う。
すごい偶然だね〜などとお互いに言って、それで話は違う話に移った。
それから数時間後、友達がまた
「あーっ!ウソ⁉︎そんなことってある⁉︎」
と言い出した。
友達は先の看板の話の流れを思い出して、
「そんなことあり得ない。あり得ないけど、本当にそうだったから否定できない」
と言い始めた。
「待って。思い返せば思い返すほど、あの看板変なんだけど。絶対にあり得ない!」
と友達は私に言ってるのか大きな独り言なのかわからないことを言い始めた。
そもそも友達が車を運転してる最中その看板を見て読み上げたとか言った時点で、私にはその状況が皆目見当がつかず、なんか言葉の言い回しが変だなとは思ったけどスルーした。
しかも私は、私が見た「電気工事中」の看板と同じものを見て、友達は社名を読み上げたのかとずっと思ってた。
普通に考えて、どうやったら運転中に道路すれすれの下の方に書かれた看板の中の社名を読み上げるのか、どんな必要があったんだろうと疑問に思ってた。
友達は、自分が読み上げた看板はその看板じゃなくて、建物の上に大きく掲げてあった看板だと言う。
私はそんな看板の存在を在籍中に聞いたことがなかったし、私が行ってた事務所にはそんな看板なかったから何だろう?と思ってた。
友達には一度2人で一緒に出かけた時、たまたま職場の近くを通ったからここだよなんて紹介したけれど、友達はそこを通ったわけじゃないし(通ったとしても建物の上に大きい看板なんてない)、自分が看板を見たところは普段通らない道だからどこだかわからないと言う。
友達は記憶を繋ぎ合わせて言った。
「あー!そもそもこれ変なんだよ。変すぎる‼︎
だって、私は普段仕事中外に出ることもないし、ましてや車を運転することもない。
そもそも車を運転しなきゃ、その看板を読み上げることになんてならなかったから」
喋りながら友達はまた「えー⁉︎ウソーー⁉︎」と言い出した。
「ねぇ、ぶっしー、私そもそも昨日の土曜日休みだったんだよ‼︎休みだったのに急遽出勤することになって、それでその看板を読むんだよ!っていうか、その看板を私に読ませるためにこれ全部起こってる?」
話しながら友達は両手を目の周りに当てて記憶を呼び起こしてた。
「待った。
これ本気でおかしい。
思い出せば思い出すほどおかしい」
友達は時系列を土曜日から順にさかのぼったけれど、思い起こせば確かに看板を読んだのは土曜日だけど、事はそのもっと前、最初は金曜と言ったけれど、違う、木曜日から始まったことだと言う。
友達の話はこうだった。
友達は今、工房のようなところで働いている。
受注形式で物を作る。
受注した物は木曜日にベテラン職人さんが作った。
その工房は美術関係のものを取り扱うから、必ず受注品を作る前に試作品を作る。
試作品にGOサインが出ると、次は本当の作品を作る。
今回10枚の受注で、ベテラン職人さんは木曜日に作り終わって、友達は木曜日からその梱包作業を始めてたと言う。
金曜日になって残り2、3枚という段になって、たまたま近くを通った他の職人さんが「これ、なんか色違うんじゃねえ?」と言い出し、そんなわけないはずなのに、見本と見比べると確かに色が違うらしい。
ベテラン職人さんは当たり前だけど、必ず見本を見ながら色は付ける。
本人が塗ってた時そんな色の間違いは絶対になかったと最後まで言い張ってたらしい。
友達も自分がその仕事に就いて1年以上経つけれど、これまで一度も起こったことのないミスらしく、「そもそもそれさえも変なんだよ。絶対に変だし、そんなことまずそのベテランさんなら絶対に起こらない」と言った。
とにかくその神がかり的なみんなも「何で…?」と思うようなことが起こったのは仕方なく、とにかく作品10枚分の色直しが始まった。
友達はさらに重ねて言った。
「私たちの部署は、それを最後仕上げて梱包するから見本が手元にあるわけじゃないし、普段っていうか今まで一度も手元に来た時点でそんな意味不明な状態なのが届くこともなかった」
「さらにその私が最後の2、3枚を梱包するのに、たまたま近くを通った人がいて、その人が気付かなきゃ直しも発生しなかった。
結局お客さんのところに届いて直しが発生することになるにしても、あの時点で言ってくれないと私が土曜日出ることにまではならないんだよ」
土曜日に仕事に出ることになったのもこういう理由だった。
「普段なら運送屋さんから集荷に来てもらうから、社内で直接渡して終わる。
だけど発覚したのが金曜で直しが終わったのも金曜の夜遅くで、そうなると出荷は土曜日。
だけど土曜日は集荷の人が来ないから自分たちで運送屋の配送センターまで直接届けに行かなきゃいけない。
それで私と上司が土曜日出ることになったんだよ」
「しかもそれだって変だったんだよ!」と友達はさらに続けた。
「その上司は工房のすぐ近くに住んでるから仕事には車で来ないんだよね。
だから私しか車なかったから私が車を出すことになってね」
友達の職場をA地点、集荷センターをB地点とする。
「で、直しが終わった作品たちを集荷センターに持って行って、私はそれでまっすぐ帰るつもりでいたんだよ。
そしたら上司がついでだからお客さんへのお土産買いたいから◯◯菓子店に行ってくれとか言い出して、そこまで連れて行ったんだよね」
◯◯菓子店は集荷センターのさらに先にあるC地点にある。
ついでとは言え、何でそのタイミングで菓子折りを買うのかさえ意味がわからない変な流れだと友達は言った。
買い終わって、友達は普通にC→B→Aの順で戻る予定でいた。
ところが上司が「こっちの方が近道だから」と言って、助手席から友達に道を指示したらしい。
あの角を曲がると言われて友達が曲がろうとしたらそこじゃなくてその次の角だと言われ、その次の角に大きな看板があって、友達はその看板を見て「『◯◯◯◯●●●●』っていう看板のところですか?」と看板の文字を読み上げたのだと言う。
「◯のところは漢字で、●のところはカタカナ、あのぶっしーが見せてくれた写真の中の看板の社名と全く一緒の名前が書かれた大きな看板をわざわざ声に出して読んだから覚えてたんだよ!」と言われた。
しかも菓子店に寄らなければ、そんな近道と言われ案内されたこれまで一度も通ったことない道を通ることもなかったと言う。
集荷センターから会社に直帰するなら元来た道を帰るだけだったから、その看板さえもその道さえも登場しないと言う。
私はそのデカい看板が何なのか、幻なのかと疑ったけれど、友達の話を聞く限り集荷センターの近くらしいから、多分協力会社の建物じゃないかと踏んでる。
あの辺りにあるというのは聞いてたし、私もその近くを通った時、その協力会社の名前が入った道案内の看板は見たことがある。
だけど、そんなデカく、協力会社の名前じゃなくてあくまで大元の会社の名前が入ったデカい看板を掲げてるなんて知らなかったから、そのことさえもビックリした(それで合ってるかどうかも知らないけれど)。
「ねぇ、ぶっしー、本当に思い起こしたらそれがどれだけあり得ないことだらけで、でもそのあり得ないことの上に成り立っていたかが私は目の前で全部見てたからわかる」
「そもそも私はこれまで一度も仕事中に外に出たことがない。
いつも工房の中にいる。
当たり前だけれど、車だって仕事中に運転することもない。
さらにこれが他の人であれば車があるから私が出すなんてしなかったけれど、上司が普段から車のない人だから私が出すことになった。
その車で単に集荷センターだけに行く予定が、上司が菓子店にも連れてってくれと言ったから、まっすぐ帰らずにそこまで行った。
そしたら帰り道、通ったこともない近道とかいうのを案内されて、それで曲がるところを間違えそうになって。
だから確認するために目の前にあった大きな看板がその社名の看板だった。
そして私はまた間違うと悪いからわざわざ声に出して『◯◯◯◯●●●●』って読み上げるんだよ、看板の文字を!
そんなことってある⁇」
「ねぇ、もっと言えばさ。
そもそもそのベテランさん、この道何十年の人が間違うところから始まるんだよ。
それも前代未聞のみんなも首を傾げるミスだよ。
そしてそれに気付いたのが金曜だったから集荷に間に合わなかったんだよね。
もし木曜の時点で気付いたら金曜の集荷に間に合ったから、私と上司が土曜日出勤しなくて済んだんだよ。
そう、それさえもわかるのが他の曜日じゃなくて金曜でなければダメだったんだよ。
だから集荷センターに行く用事に繋がったから」
「さらにさ、ぶっしーが写真見せてくれなきゃこんなこと忘れてた。
だってぶっしーが行ってたところの会社の名前知らなかったから、まさかその会社の名前を読み上げてるなんて知らなかったしね。
でもそのぶっしーが撮った看板の写真見て気付いたんだよ」
私はいつに撮った写真なのか確認した。
水曜日だった。
私はそんな看板さえも見たのは初めてだったし、記念に納めておこうと思って写真を撮った。
サインの話も、元々は別のところから始まってる。
何かの話の流れでこの話に繋がってる。
友達は言った。
「ねぇ私さ、確かに仕事で土曜日出たけれど、本当の目的は仕事の方じゃなくて、あくまであの意味不明なことたちがいくつも重なって、それで最後はあのデカい看板を読むために出たんじゃないかなと思い始めてる…。
そして看板を読んだことやそこにまつわるあり得ないストーリーをぶっしーに伝えるために行ったような気さえしてる」
「だってうちらだってさ、今日集まったのは、ぶっしーが前の日にオルゴナイト作家さんに会って話を聞いてくるから、それをタイムリーに話をしたいねって言って会うことになってたじゃん。
まるでそれを見越したかのように、ぶっしーも看板を見て、私も同じ名前の別の看板を見てくる。
それも普段なら絶対にあり得ないことがいくつも重なって。
だからこれは本当に必要があって起こってることじゃないかと思う」
「これさぁ、もしかして私使われてる?
このメッセージをぶっしーに届けるために、そのメッセージを伝えたい人から私使われてるのかな?」
友達はとても感性の高い人だけれど、基本的に自分の身に起こることや自分が考えることに対してはとても懐疑的で、ぶっ飛んだ発想とかはしない。
だけど、今回のことは友達の日常においてあまりにもあり得ないことだらけで、もはや何のために色んなことが起こっていたのかと考えると仕事の枠を超えたところに本来の意図が、それは見えないけれどあるように思うと言った。
はっきり言って、神がかり的な一連の流れで、友達は「あり得ない」と「変すぎる」ということを何回も連発してた。
目の前で友達の表情がみるみるうちに驚愕の色を示すのはよくわかった。
私も聞けば聞くほどビックリした。
友達は最後(=物事のはじまり)の木曜の辺りまで記憶を蘇らせた時、「全身鳥肌が立った!」と言って体中をさすり始めたぐらいに驚いてた。
まさか水曜日の看板がこんな風に全く違う人にも別のストーリーが起こっていて、そして日曜日に全部のピースが揃って初めて全貌が見えた時、私もこれはもう何か次元の違う力が働いてるとしか思えなかった。
しかも今回の体験者は私じゃない。
友達が体験者となりメッセンジャー的な役割を果たしてる。
水曜日に看板を見た時、「あの人は元気なんだな」ぐらいに勝手に解釈して思ったけれど、友達から聞いた話は単に「元気ですよ」の意味ではなく、もっと別の意味のように感じる。
それが何かなんてわからないし、意味なんてそもそもないと思うこともできる。
ここには書けないけれど、実はもっとおかしなことがこの話にはくっついてる。
私もさすがに何も意味がないとは思えない。
だけど、不安不安不安ばかりの私にそうではないものを見せてもらえた。
ここには書けないことを目の前で見聞きした時、私は小さな希望の種をもらった。
種が育つかどうかなんてわからない。
発芽しないかもしれない。
だけど、その種を持ってるだけで私は不安な中でも生きる希望みたいなのを持って日々生きていける。
水曜日、私は本来の目的が一つも果たされず家に帰ってきてそれで2軒隣りの家の前に置かれた看板を見かけた時、その看板を見ることが、見てその先に思ったことが、その日の外出の本当の目的なのかもしれないと思った。
そして日曜日の昨日、その看板に新たな看板のストーリーが追加されて、99%起こることのなかったストーリーを友達が体験してそれを私に教えてくれた。
さらにその先の追加の追加ストーリーから私は希望の種をもらった。
私はもう何にも知らない。
自分のことはわかっても、自分以外のことは何も知らない。
色々納得のいかないこともあった。
何でごめんなさいで、何でできませんなのかも知らないまま。
もうそれが現実だから、私が意味を知ろうが知らまいがそれが現実なんだから、それを受け入れて後は自分の道を歩くことだと思った。
常に自分の中にせめぎ合う2つの気持ちがある。
封印とか否定とかなかったこととかにしようとする気持ち。
もうそのまま感じたままを受け止めたいという気持ち。
でもそのどちらも本音じゃない。
私は本当は一緒に生きていたい。
それだけシンプルなことが全部だった。
だけど私は言えなかった。
そんなこといきなり言うのはおかしいし、何も知らないし、理性を持った大人になりきって振る舞った。
大人として正しいことを選んだ。
本当は自分にとって正しいことをしたら良かったのに。
もう色んなことを後悔しても後の祭り状態で、私はなるべく自分が辛くならないよう苦しくならないよう、そんなことを中心に見据えてたところがある。
だけど、昨日の一連の話とその後のことで、私は小さな希望の種をもらった。
それを見て、私は小さな希望の種を大切にして、それを持つことで「信じる」ことをしたいと思った。
疑うこと・排除することの方が簡単だけど、そうではなく自分の純粋に感じてる部分の気持ちを大切にする、それを自分のペースでしていこう、そう決めた。
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