2018年4月3日火曜日

魔法の言葉「幸せになるんだよ❣️」

「幸せになるんだよ❣️」は魔法の言葉だった。


2011年辺りから本格的に色んなことが水面下で動き出した。

さっき過去の日記帳を引っ張り出してきて、それが2011年7月24日の夜のことだと判明した。

多分初めての経験だったと思う。

何かがうまく行ってるわけでもなく、むしろ思い通りではないことの方がたくさんで、でもその中で徐々に色んなことを感じられるようにはなり始めてた。

最寄りの駅を降りて、どうして私はいつもと違う方の道を歩いたのかはさっぱり覚えてないけれど、意味もわからず幸福感に溢れていた。

私しあわせだなと感じた。

日記を読んだら色々しあわせに感じる要素があったことがわかったけれど、なんだろう、「生きてるって素晴らしい」と書き出しにあるようにただただ生きてることに感動してそこにしあわせを感じた瞬間だった。

その時のしあわせに感じた感覚や、すべて満ち足りた感覚は今でも覚えている。

夜の大きな国道脇の静まり返ったおにぎり屋さんや郵便局の前の風景さえ覚えてる。

その辺りから「何かがなくてもしあわせになれる」というのを徐々に知って、最近では前よりもっと何もなくてもしあわせを感じる瞬間は増えた。

人からもらった美味しいお菓子を外で敷物敷いて食べてるだけでもしあわせだったり。

そよ風が吹いてる中、冒頭の言葉をくれたSさんにこれまでのお礼を言いたくて手紙を書いてるだけでしあわせだったり。

あの泣くほどの痛みだった頭痛が消えて健康であることがしあわせだったり。

私のしあわせ度数は随分と下がって、だから少しのことでもしあわせに感じられる体質にはなりつつある。

それは本当に時間がなかったりお金がなかったりした時間を過ごしたことで気付けるようになったことでもあった。

特にお金がないなんて極限すぎて(本気で何十円しか自分が持ってる全てのお金を合わせても手持ちがないとかあった)、恐怖も絶望も半端なかったけれど、それでもしあわせを感じる機能が自分に残されてると知った時号泣した。

だから、ある意味何もなくても何も社会的にしてなくてもむしろ色んな人たちに迷惑かけまくっていても、それでもしあわせを感じることができるというのは、自分がそれを幾つも体験してきたからわかる。

でも「幸せになるんだよ❣️」はそれとは全く違う。

自らしあわせを掴みに行く、そんな感じ。

しかも自分の望んだしあわせを自分で決めて、自分自身でその方向に向かって歩いて行く、そんなイメージだった。

私は29歳の時に否が応でも迫ってくる人生の決断の前に絶望していた。

多分私1人で生きていかなきゃいけない。

本気で大切だと想った人とは人生を共にできなさそうというのがいよいよ決定的になって、そこから私はさらなる人生の崩壊が始まるとも知らずに1人の人生に向けて舵を切り出した。

今ようやくこの人生も受け入れられるようになったけれど、私は普通に好きな人と一緒になって専業主婦でもパートでもフルタイムでもなんでもいいから毎日一緒にいられて、子どもを産んで育てて…みたいな人生を夢見てた。

大真面目に専業主婦に憧れてた(周りからは冗談でしょ?と本気で突っ込まれていたけれど、私としては100%本気だった)。

だけどそうではないらしい人生を目の前に、私は人生の仕切り直しをしないといけなかった。

そして日本で通用する資格など1つもない私は、ここで真面目に正社員の仕事にありつかないとヤバイと思って、30歳で日本に帰国した時、人生で初めての就職活動をして、それでとある企業に採用された。

その企業での働き方はブラックの中でもスーパーブラック過ぎてついていけなかった。

何度も退職願を出した。

毎回受理されず、ますます日々何で生きてるのか訳がわからなくなった。

そんな時に出会ったのがコーチングで、私は自分の内面を見つめることを覚えた。

色んな経過を経て仕事は辞められたけれど、2012年の夏から2016年の初夏の間に私の人生は完全に崩壊していった。
(崩壊へのカウントダウンは、2009年から始まってた)

本当に怖ろしい光景だった。

その崩壊の最中に「しあわせを感じる」方法みたいなのは体で心で覚えていった。

『ホームレス中学生』という芸人の人が書いた本がある。

私はあの中で一番覚えてることは「お湯が出てしあわせを感じる、自分のしあわせ度数はそのくらい低く設定してある」みたいな部分だった。

お金に関しては本当に底を何度もついたから、普通に家があってガス水道電気が払える奇跡に大真面目に感動した。

相当な底辺事態もいくつか超えてきたから、そのお湯が出るしあわせはわかる(自分の名誉のために言うと、ガス水道電気は一度も止められたことがない。家賃も滞納を一度もすることなく払えてた。色々あっても毎回お金がきちんとやってきた奇跡も何十回と見てきている)。

話がだいぶそれたけど、とにかくそんな風だったからしあわせを感じる機会はとても多かった。

大変なことが多いほど、苦しいことも泣くことも多いけど、その代わりにしあわせを感じられるレベルもうんと低くなるからしあわせも増える 笑。


だけど、「幸せになるんだよ❣️」はそういう幸せとは抜本から違っていた。

「幸せになるんだよ❣️」と言われた時、私は初めて『私、しあわせになっていいんだ』って思った。

これまではどんな状況下でも良いことを見つけてしあわせになる感じだった。

自らしあわせになるんじゃなくて、ない中で何かを見つけてしあわせを感じる、そういう風だった。

でも幸せになるんだよというのは、自らしあわせを選ぶ。

自分で自分にしあわせになることを許可する。

私は小さなことではしあわせを感じられる体質になったけれど、こと仕事とパートナーシップに関しては「幸せになっていい」とずっとずっと思えなかった。

むしろ「幸せになってはいけない」ぐらいに無意識では思ってた節がある。

例えば仕事なら、親にアメリカの大学まで出してもらったのにそれを全くと言っていいほど活かしてない自分に対して、ものすごく罪の意識があった。

片田舎の町工場のような会社に勤めてる両親の年収からは考えられない教育費を捻出してもらって、それで出してもらった大学だった。

なのに私はそれを「見える部分」では一ミリも活かしていない。

ちなみに見えない部分ではあの4年間で体験したこと見てきたことは思わぬ形で活かされてる。

見る人たちにみんな褒められるぐらいだから、多分相当高度なことをやってるんだと思う(自分の中では普通にできてるからすごいとは思ってない)。

そんな私が仕事を通じてしあわせを獲得するというのはずっとイメージとして思えないことだった。

いつか詳しくここでも書きたいけれど、私の場合セルフイメージがとても低くて、自己肯定感が低いのはもちろん、自己否定が強烈に強すぎた(今はだいぶ良い感じで自己肯定感が高まり自己否定が緩まった)。

そもそも私はオール1の子どもだったから、その私がアメリカの大学に行くとか、今普通に社会人できてるとかいうのが奇跡的で、今の私を知る人たちは「賢い」とか「頭がいい」などと言ってくれるけど、元はそうじゃないから努力して今のところにまでたどり着いてる。

だから色々できるようになっても、私の場合は元が良くてできたわけではないから、自分の中の「できない自分」というのはいつもどこかにいる。

そして何かがかなり高いレベルでできるようになっても(例えばTOEIC925点叩き出したこととか)、上には上がいるのを知ってるから、そこと比べては自分はまだまだという、今考えるとしなくてもいい背比べをして自分を下に見てしまう癖は長いこと抜けなかった。

そしてもう1つ。

努力の末手に入れた評価はあっても、ダラダラしてる自分や社会から離脱してる自分を評価されることはなかった。

13ヶ月の引きこもりやそこに至るまで、その後も、色々できない自分に対してたくさん批難を浴びたし、正論だけどそれは私には人格の全否定並みの言葉の凶器となってやってきたものもあった。

だから頑張り続けないと社会の中では生きていけないと勘違いし(今はそこがだいぶ変わってきた)、そういう意味でも自己否定が私は強かった。

何もない何もしてない自分には価値がないとものすごく長いこと信じてた(今は違う風に思ってる)。

それにプラスして過去の色んな出来事により、私は二重にも三重にも自分がダメな人間なんだと思わざるを得ないようなことを体験してるから、余計と自己否定が強かった。

そういう色々なこと、そして何をしても長続きしない自分を見て、仕事の上で成功するイメージというのがほとんどと言っていいほど持てなかった。

成功するには頑張りというものがセットみたいに見えていて、そこまでして何かを成し遂げたいとは一ミリも思えなかった。

これにもぜーんぶ色んなカラクリがあって、本当の自分の道に行くための伏線だったと気付き出したのは最近で、だからとにかくそんな自分がしあわせになっていいとは思えなかった。

パートナーシップはもっとダメージが強かったから、もう見て見ぬ振りをずっとずっとしてきた。

この度本気で心から惹かれる人と出逢えてもまた事態は自分の望む方に行かず、私はそれに対しても止まない気持ちとは裏腹に実はそっと目をつぶることをしてた。

惹かれて仕方ないものの、現実的には何1つ望んだ関係にはならず、もう直視するとあまりにも辛くなってくるから、だから目をつぶることをしてた。

気持ちは相手に向いてても、現実のことは違うから、その折り合いをつけるべく痛みから自分を遠ざけることで何とか誤魔化してた。

だから私は魂的な繋がりなんかよりも普通にやり取りできる関係に憧れた。

私よりも何百倍も真っ当な社会人をしてる相手に「私たち魂的な繋がりがあるんだって!」なんて言ったら(言わないけど)、ますます頭のおかしな人として見られるし、それこそそんなの絶対に意味がわからないと思う。

まぁそんなこと伝える機会もなくここまできてるからいいけれど、仮に機会があっても私はそのことは相手が何かを感じて口にしない限り自分から言おうなんて思わない。

そのおかげか何なのか、現実離れしたハリーポッターみたいな摩訶不思議な世界の体験は雨あられのようにやってきたけれど、私が欲しいのはそんな体験じゃなく、好きな人と共に穏やかに小さな生活を営むことだった。

それさえも叶わない自分の小さな願いって何なのかと真面目に思った。

その状態があまりにも悲しくて、みんな周りが普通に結婚してるのに私は何でそのみんなができることができないのか、そしてダメならダメで次に進めないのか、もうあまり手をつけたくない分野だった。

その人云々じゃなくて、過去からずっと続いてる傷が大爆発しそうな雰囲気をプンプン醸し出してるから、私はさすがにそれは触りたくなくて「逃げる」ことにした。

関係ないけれど、心理の療法を学ぶ中で私は「逃げる」ことも大切な1つの手段だということを覚えた。

逃げちゃダメなんて思うと余計にキツくなるから、逃げ道があるなら逃げていい、それが今の私のモットーになってる。

とにかくそんな風で、パートナーシップを結んでしあわせになるとか、もうそれこそ考えたら一番具合が悪くなるから、考えることからわざと遠ざかっていた。

そうやって自分の身を守っていた。

でも「幸せになるんだよ❣️」の一言で私は気付いた。

私、しあわせになってもいいんだなって。

これまではそれを自分に許してなかっただけだって。

エープリルフールの日、人生で初めて泣くぐらいに頭が痛かったのは、そうした自分の中に蓄積された負の思い込み(=自分にとって有害な毒)が抜けるために起こってたんじゃないかと思った。

あまりにも無意識下でそうなってたから、そんなことを普段から思ってる自分にさえ気付かなかったけれど、多分もうそんな考え方要らないよね!ってなって、体から抜けてくれたんだと思う。

仕事を通じてしあわせになってもいい。

パートナーシップを結んでしあわせになってもいい。

今すぐどうこうなるとかではなくても、少なくとも「しあわせになれない」とか「しあわせになっちゃいけない」ではなくて『しあわせになってもいい』って思えたことは私にとってとてつもなく大きかった。

だから「幸せになるんだよ❣️」は私の頑な心を溶かす魔法の言葉だった。

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