2018年4月12日木曜日

20代からの引き継ぎと癒しの予定

書店である1冊の本が目に止まった。

多分最近の新刊なんだと思う。

見たのは3回とか4回目だと思う。

その本は過去の古傷を刺激する感じがプンプン漂っているから、いつも目に入っても無視してた。

手に取るのに若干勇気のいるタイトルでもあるから、いつもそっとしておいた。

今日は滅多に行かない書店でその本を見つけて、そして周りに誰もいない閑散とした店内だったから、そっと手に取って見てみた。

1ページとして読まなかった。

パッと開いたページには、過去の私と同じ悩みを持った女性たちが登場してた。

その女性2人はそれぞれ自分の悩みを告白していた。

まるで私の過去の1ページをそっくりそのまま切り取ったかのような話だった。

もうそれだけで十分で私は本を閉じて店を出た。

車を運転しながら何年経つんだろう?って数えた。

ピークの頃からは15年、始まりは約20年前近くになる。

もうそんなに経つのかと驚きつつも、そこからあまり何も変わってないことにも多少は驚いた。

大人になってからわかったことの1つに、悩みの種なんかは一度撒かれると特に何もしてなくても平気で何年も経つ。

悩みの種が日常生活に差し支えるものだと何とかしようとするけれど、差し支えないなら放っておく。

うっかり肥料を与えたりすると、悩みは種から発芽して次の段階へ行こうとするから、それを避けるべく私は「その状況さえも作らない」という壁のようなものを自分の中で作ったりもする。

壁を作ろうが何しようが自由だけど、悩みの種は自分の中から取り払わない限り、とにかく在り続ける。

休耕期間みたいなのももちろんあるから、特段その悩みに振り回されてなくても別に解決したわけじゃないから、結局のところ何年も持ち越すことになる。

だから今日計算してそんなにも経ったことに驚いた。

それこそ休耕期間みたいなのもあって、全く触らない時期が数年単位である。

だけど、今日みたいに当時の自分を彷彿させるような他人の悩みに触れると、瞬く間に自分の記憶が戻る。

普段の物忘れ具合の速さと言ったらないのに、そういう時には物忘れという素晴らしい能力は一ミリも発揮されず、何なら記憶は鮮明という、相変わらずの痛々しさを見せつけられた。

だけど、今回はちょびっとだけ違ってた。

「この傷を癒す機会が必ずやってくる」ということを、ある意味前向きに予測することができた。

きちんとした根拠はないけれど、少なくともホロスコープを見る限りでは多分その機会もやってくるような気がする。

自分のホロスコープの読み解きを初めて2週間ほどになる。

生年月日と出生時間と生まれた土地の緯度経度から出した太陽・月をはじめとする色んな天体の図から、私という人物が如実に出るから、それを必死に読み解いてる。

この2週間でわかったことの1つに、「傷を癒すこと」と「2つの異なるものを統合して1つの何かにしていくこと」が私の場合、人生の中でも大きなテーマになってると思う。

そんなことばっかりが何を読んでも出てくる。

他の人たちのものは読んでないからわからないけれど、ホロスコープ系のブログで例に出されてる人たちなんかのテーマと比べると、明らかに私とはテーマが違うのがわかる。

私は1つの仮説を立てた。

39歳になるこの時までに、私の中ではすでに傷の癒しが完了してるものもある。

ものによっては、私に合ったとても優しいやり方で解放されそして癒された。

今日書店で見てきたものは、ずっと触れてないし、自分でも積極的に向き合いたいものでもないから、ずっと何年もというか10年以上も放置してるけれど、でもこれ多分私に合ったやり方でいつか癒される機会がやってくるんだろうなと思う。

私の感覚からすると、多分自分でその機会やそれができる人を探すんじゃなくて、知らぬ間にそういう機会や人に巡り会える、そんな気がしている。

これは私にとってすごく大きな希望になった。

年齢と共に傷が刺激されることも減るだろうけれど、それはイコール癒されたという意味ではない。

癒されない傷のまま単に年を重ねてきたのが今。

でもこれずっと癒したいテーマなのも本当。

癒されないまま年を重ねたいとは思ってない。

ある種の心の爆弾みたいなものだから、そんなのをこれから先もずっと抱えて生きていくのはイヤだなと思う。

で、私が自分のホロスコープから読んだ「傷を癒すこと」が私の人生のテーマの1つであるとするなら、必ず癒しのツールやタイミングがもたらされる。

その後の「2つの異なるものを統合して1つの何かにしていくこと」というのは、傷ついた経験と傷を癒した経験、その2つを組み合わせて何かをする、という風に私は解釈してる。

全くの私独自の解釈だけど、これまでの自分の生き様を見ていたら多分それで合ってる。

私は必ず両極端のことを体験することになってる。

例えば、オール1の子ども時代と世界でトップ3%に入る英語力を知ってる世界。

例えばめちゃくちゃいじめられて孤立無援の世界と大好きで本当に人間的に素敵な人たちと友達になれた世界。

相反するものをとにかく経験しまくって、その両方を知ることでさらに別の視点が手に入る。

古傷に関しても、古傷のままじゃなくて必ずそれを何とかできるようになってる気がする。

そこに私の人生の法則があるなら、それだって例外じゃない。

そんなことを初めて思った。

20代の頃からズルズルと引きずり続けたもの、それを「癒せるかも!」と思ったのは今が初めてだった。

そう思うと、人生楽しみだなぁと感じる。

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