昨日は友達の娘の英語の家庭教師の日だった。
その子が中1の2学期ぐらいから見てるからそろそろ2年になる気がする。
気付けば今年は受験生になってる。
ちなみにその子は、私の中で友達が産んだ初めての子どもだった。
赤ちゃんの時も何回か会っているし、もちろん抱っこもさせてもらった。
小学生に上がってすぐには「お父さん、お母さんの友達たちに挨拶しなきゃだよ」と言って友達の旦那さんをうちらの前に登場させたりもした。
だから中学生になったその子に再会した最初の日、本当に涙が出るくらいに大きくなったことに感動した。
その子とは別に、1年前2016年度と2017年度の2年にまたがり、東大受験の子の英作文の添削も見てた。
この子は頭が良いだけではなく、礼儀正しく、人当たりもすごく良い。
さらにイケメンでオシャレさんで、私はその子にだけは「ぶっしーさん」と呼ばれると胸がキュンキュンする(笑)←アイドルにときめくおばちゃんと変わらない。
他の誰が「ぶっしー」「ぶっしーさん」と呼んでも全くときめかないけれど、この子だけはもっと呼んで‼︎と自らお願いしたくなるぐらい(笑)。
この2人の子どもたちとの関わりは、本当に私に色んなことを教えてくれた。
まずは、英語はお金をもらってもやりたいことでは全くないこと。
ありがたくお金をいただいてるものの、正直なところ英語の勉強は全然テンションが上がらない。
友達も私に昨日「ぶっしー、別に英語得意じゃなかったよね?」と高校時代を振り返って言ってたけど、本当にその通りで全く得意ではなかった。
全く。
私がどちらの子にも対応できるのは、自分がわからなくて1から勉強したことが役立ってるから。
例えば三人称単数のS、どうしてdoとdoesになるのかとか。
例えばisとdoesがどう違うのかとか。
私はそこからわからない人だったから、当然スタートがかなり低レベルな話から始まる。
そんな私が東大受験した子の添削の時には、こんな風に超できる風になる‼︎
【・avoid stressという言い方は通常しません。日本語だと「ストレスを避ける」というのが馴染み深くても、英語の場合はストレスは避けるよりもストレスを減らすという方がよく使われる使い方です。なのでreduce 又はrelieve stress と表現しました。
・arriving timeという言い方は通常せず、するとしたら時間きっかりに着くと言う時に「arriving on time」って言う位です。「到着する」という感じが強いので、「移動時間を短縮する」と言いたい時は「shortening time for locomotion」の方がより意味が明確に伝わります。
・be decreased…量や数、人口などが減少する時は受け身にせず、普通にdecreaseを持ってきます。decreaseを自動詞として使い、「…が減る、減少する」という感じで使います。
人為的に減らされる時は例文として
The number of the employees was decreased to 100.
こういう時は受け身に。人が手を加えてわざと減らしてるので。反対に、自家用車を使わないことで結果的にフロンガスが減るみたいな感じの、何かの作用で減る時は自動詞のdecreaseで対応します。
うまく説明できないけど、◯◯くんに伝わったかな⁇
・supportは意見を支持するという時にはほとんど使わず、誰かをサポートする行動そのものを指す時に通常は使います。意見を支持する時は「agree with」が一般的です。】
↑私超がんばったよアピール終了(笑)。
こんな細かな添削、発狂レベルだった。
ちなみに人生で初めて東大の入試問題をこの子を通して見たけれど、東大というのは、学力はあって当然の前提だから学力を二次試験では問わない。
東大の二次試験では、考え方や発想力なんかを見ている。
だから答えに正解はないし、より表現力や思考力が英作文に求められてた。
ということに、何十問という添削をしてようやく気付いた←凡人にはわからない世界。
ちなみにこちらは完全なるボランティアでしてたけれど、正直私でいいのかと思った。
まず天下の東大で、入試のシステムや過去問の動向さえ知らない私でいいのかと思った。
金銭的な問題もあったにしても、仮にお金が払われたとするなら余計と私でいいの?という感じだった。
だからその子が私に2年連続でお願いしたいと言ってきた時は、するのはいいけれど本当に私でいいのかは聞いた。
「ぶっしーさんにお願いしたいんです」とイケメンの可愛い男の子にお願いされた私は、英語は嫌だけどその子からのお願いというだけで引き受けた(理由が不純)。
で、英語はここまでできるようになるのに膨大な鍛錬を積んだから、相当数な場数をこなしてる。
必要に迫られてしたけれど、私の場合ただの一度も楽しいと思ったことはなかった。
わかるようになって楽しいなんて思う暇もなく、ひたすら目の前のことをこなすという感じだった。
だから今現在も必要に迫られない限り、自ら英語の調べ物や勉強は絶対にしない。
興味がない、の一言に尽きる。
でもおかげで私には対比させる材料があったから即わかった。
本当に興味があることならとことん調べるということ。
しかもやっていて楽しい。
ホロスコープはまさにそうだし、スピリチュアルな世界の学びもそうだった。
31歳の私がスピリチュアルな読み物を紹介されて、そこから多分200から300冊のスピ系の本は読んだと思う。
私は丸っと素人だったから、本当に精神世界の内容は1からの勉強だった。
今振り返ると、私が読んだ多くのものは、自分の内面を見つめるための手法だったり考え方のものが中心だった。
そういうものが必要だと感じたからだと思う。
そしてスピ系の教えの中に、私は「もしかしたら自分がこれで楽になれるかも」という一種の救いみたいなものを見出してた。
実際にスピの教えの中には今でも使っているものもたくさんある。
それは何もサイキックな能力を引き出すとかじゃない。
生きていたら納得のいかないことや、他人とのやり取りで何でそうなるの?なんていうのが必ずある。
そのヒントというか、そういうのに対応する力をつけることができたから、それで私はそうした本たちから色々学んだ。
私はどんなものでも使えなきゃ意味がないと思ってる。
例えば携帯を持っていても携帯の使い方がわからなければ単なる物でしかない。
英語の辞書を持っていても引き方がわからなければ何の意味もない。
それと同様、スピ系の教えも知ることや知識を蓄えることが目的じゃなくて、それをいかに現実の日々の生活に用いて自分のために使えるかどうかだと思ってる。
だからそんなこと知らなくても楽しく明るく生きる術を持ってる人にはいらないものだと思ってるし、全員が必要だなんて一切思わない。
だけど私はそれで楽になる方法を知って実践して本当に楽になれたから、それを必要と感じる人がいるならいくらでも喜んで情報は流してる。
塾の仕事の時、私の恩師ゴリラが「子どもたちに『何で勉強するのか』と聞かれたらこう答える」という話を教えてくれた時があった。
私はさすがにゴリラとは呼べなかったけれど、ゴリラの教室の子どもは全員もれなく「ゴリラ!」とゴリラを呼んでいた。
保護者さえも「ゴリラ先生」と呼んでいて、こんなにもすごいあだ名の先生は人生で初めて見た。
ゴリラは中学生ぐらいの子どもになるとはっきりと伝える。
「お前たちが今してる勉強のほとんどは、社会に出たら使わない。
古文も因数分解も化学式も使わない。
社会に出てからも使うのは、読み書きと算数の計算、そして小学校の算数で習う単位や時間ぐらいなものだ」
「なのに何で勉強するのか」
ゴリラの答えは凄かった。
「お前たちが学んでるのは、『勉強の仕方』なんだよ。
お前たちが大人になってから何になるかはわからない。
何になるかはわからないけれど、何になったとしてもその分野での勉強は大人になってからも必ず必要になる。
その時に活かせるように、今色んな勉強をして、それは得意なことだけじゃなくて不得意なこと、わからないことも含めて勉強することで、そういう時のやり方を身につけてる。
それは大人になってからもずっとずっと活かされることだからな」
そうやって教えてくれた。
その言葉は心に響いたし、本当にその通り!という感触は感じたからそのまま私も自分の教室でも引用してたけれど、実体験を伴ってその教えがよくわかったのは本当にここ最近。
英語もスペイン語も私は本気の素人で、しかも人よりも理解力が乏しかった。
英語は長文読解にまずはつまずいた。
あの色んなことの集大成である長文読解は、高校の時の一番のネックだった。
あれは総合力を求められる。
単なる文法の理解や語彙力だけでは太刀打ちできない。
しかも私はその基礎の文法や語彙力さえ落ちこぼれてた。
じゃあどうしたかと言うと、私の攻略法は少し変わってた。
とにかく長文全てを細かく区切った。
2つから5つぐらいの単語数で、自分でもそれならギリギリ訳せそうという長さに全てを区切った。
だからまずはその小さな区切りたちを1つ1つ訳して、それから文全体を意味が通じるように訳した。
それを高3の1年間徹底してやった。
それは大学に入ってから大いに役立った。
ちなみに友達の娘にも同じやり方を伝えて、その子はこの2年弱で長文読解のセンスは抜群に良くなった。
このやり方は大人になってからも、そして今もものすごく役立ってる。
例えば今月から始めたホロスコープの読み解き。
12星座さえ全て言えなかった私がしたことは、わからないことはまず徹底的に調べてる。
基本的な理解がないとその後の発展的な内容はさらにちんぷんかんぷんだから、まずは土台の部分というか知ってて当たり前的な大前提のところを理解するようにした。
それから全体を見るようにしている。
まだまだ読み解きは十分ではないけれど、知ったかぶりで読むよりはマシだと思ってる。
そう、このやり方はあの英語の読み取りを相当数こなしたことで身に付いた方法で、私にとても合ってる。
ゴリラが言ったように、勉強の仕方を学んだ。
今はそれが自分の興味関心の方向に使えてる。
多分英語をあそこまで徹底してやらなかったら、私は今のホロスコープの読み解きもできなかったと思う。
英語で身に付けたことは、英語そのものよりもそのわからないものに対してどう取り組むと自分が一番理解しやすいかのやり方の方だった。
さらにあの苦痛な勉強のおかげで、苦痛ではない、むしろ楽しくて面白くて仕方ない勉強も世の中にはあることを知った。
それはスピ系の本にもよく書かれてる通り、自分の感覚が教えてくれる。
はたから見たら何がそんなにも面白いのかわからないと思う。
でも私にはものすごく面白い。
そしてこの面白い勉強は私という1人の人間がどんな人間かを教えてくれる。
色々もがき苦しんだ日々のことをそれで良かったんだよと、その道で合ってたんだよと優しく肯定してくれる。
そしてその土台にはあの意味不明だった英語の勉強が大いに役立っている。
人よりもうんと学力の劣っていた私だからこそ得られたやり方だった。
ペンジュラムを使うことでそれはよくわかった。
難なくできることは、いちいちわかるようになるまでの下準備をしない。
反対にわからないことは、わからないからわかるようになるまでひたすら「わかる」ポイントをいくつも積み重ねる。
「わかる」ポイントが貯まってようやく全容が見えてくる。
人よりもわからない点が多いから、そんなことまで⁉︎というレベルまで落とし込む。
調べまくる。
わかった気でいると足元をすくわれるから、怪しいと思ったものはとりあえず調べる。
その繰り返しの作業は必要でやっていたから、私はその繰り返しが基本的には苦じゃない。
できない・わからない方が困っていたから、繰り返すことでそれらを解決できるなら何てことなかった。
だからゴリラが言っていた「勉強の方法を身に付ける」ということが、私は今になってよくわかるようになった。
「人生に無駄なことは1つもない」本当にその通りだと思う。
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