2019年10月13日日曜日
【星のつれづれ】学び8ヶ月目の頃
2019年10月13日
気が向いた時、これまでのブログの下書きを整理することにした。
中でもホロスコープ系のものがいくつかあって、その時は今度からタイトルに何か共通の言葉を入れようかと考えている。
今日この下に貼り付けるのは、2018年12月5日に書いたもの。
当時はホロスコープを学んで8ヶ月経った頃で、ちょうど全部で7回通った占星術初級講座が終わった直後だった。
書いたことは今も基本的にほぼ同じ気持ちでいるから、1年ほど前に書いた感じがあまりしない。
1年半経った今、私の占星術の興味の方向が変わった。
今はもっぱら「サビアンシンボル」と呼ばれる全部で360度分あるシンボルの読み解きをしている。
1度1度にシンボルがあって、そのシンボルの説明を原文である英語で書かれたものを訳している。
冒頭にいくつかのホロスコープの写真を貼り付けたものを見てもらうと、円(360度)の中にいくつか地図記号のごとくマークが入っている。
その記号たちが天体になるわけだけど、それぞれの位置によってサビアンシンボルも違えば、その意味も当然変わる。
そして横の太い線が地平線軸でななめの縦の線が子午線軸になるけれど、それもまた当然ドンピシャな数字があるわけで、そこにもそれぞれサビアンシンボルがある。
こうしたそれぞれを足して見ると、その人その人にしかないテーマというのが見えてくる。
ちなみに冒頭の3枚は、誰かのホロスコープ ではなくて、何か過去にあった出来事で日付+時間+場所までわかるもののホロスコープ 。
今回私がひょんなことから見つけた英語のサビアンシンボル解説は、ものすごい深いテーマを提示してくる。
ほんと、もろに「魂のテーマ」って感じ。
ちょっと話は変わるけれど、私が魂、魂と連呼したり、魂のテーマがどうのこうの…、と言うのには私なりの理由がある。
こんなこと言い出したら元も子もないけれど、私個人は相変わらずそんなにスピリチュアルなことや精神世界のものに対して、受け入れ可能なものと絶対的に無理なものとがあって、受け入れ可能なものは多分世に出回ってる1割以下だと思う。
最近のどハマりブログ傾向に婚活ブログがあるけれど(婚活事情よりも、それ読んで自分はどうしたいのかを探るための材料にもってこい!なのと、個人の人間心理を知るのにこれ以上なく良いサンプル!)、時々婚活イベントとスピリチュアル系や心理系のワークショップのコラボ的なものも見るようになった。
私の考え方がそもそも世間一般とはズレてるから、そのズレた私が見ての感想。
毎回感じるのは、「金儲けとか金ヅルのニオイしかしない」こと。
さらにさらに、すごい型にはまった価値観での心理療法やカード占いや恋愛モテする怪しげなスピリチュアルセッションとか、色々ドン引き極まりないけれど、そういうのは相変わらず苦手で仕方ない。
そんな中、私は今これまた何だかわけもわからずにサビアンシンボルを英語原文で読んで訳して、目指すは老舗ノートメーカーのcampusの30枚ノート6冊分を使って、合計360度全部を訳すこと!
ある種の異常なこだわりをまたこんなところで発揮してるわけで、一体何がしたいんだろう…とも思う。
魂、魂などと言うのは、そちら側の情報を押さえると、ほんの少しばかり私は生きるのが楽になる。
毎度毎度しつこく書くけれど、私は家で器愛でたり、献立考えたり、梅干し漬けたり、雑巾がけしたり、相手さえいればその人に何か尽くすではないけれどその人のサポートをするとか、いわゆる専業主婦と呼ばれるようなことをしたい。
今みたいな意味不明なサビアンシンボルの英語原文を訳すとか、上に書いたようなことが選択肢にあれば、絶対に見向きもしない。
私が今かなりな熱量を使ってサビアンシンボルの英語原文を訳して、さらにそこから自分なりに感じたことをまとめているのは、そこに魂のテーマやそもそもどうして生きているのかを教えてくれる大きなヒントだと感じているから。
そして、そこに深い感銘を受けたり、「これこそ知りたかった!」という衝撃を受けたりするけれど、別にそれは私の場合、魂的なものでなくても良かった。
私は自分がスッキリするならば、やりたくないからやらないけれど、筋トレでもマラソンでも俳句でも盆栽でも、何でも良かった。
魂云々を知らなくても自分が困らないのなら、これまた私は見向きもしなければ、今のように異常なほどの執着を発揮することもなかった。
私にとって不可解すぎる自分の人生や自分自身を知るのに「魂」を主軸にした自分探訪が今のところ一番方法論としてマッチしていて、さらにその具体的手法のナンバー1が今のところホロスコープってだけなこと。
さらにその中でも、超マニアックな英文のサビアンシンボルが私的に大ヒットで、だから今はそこ。
タイトルは【星のつれづれ】を今度からは入れようかなぁと思っている。
星日記じゃないし、つぶやきとも違う。
言うなら「つれづれ」が一番しっくりきた。
写真は、ホロスコープ たるものの例と、360度全てを訳すことを目指したサビアンシンボル専用ノートたち。
ノートの真ん中にあるのは、「アストロダイス」と呼ばれる占星術専用のサイコロたち。
自分で言うのもなんだけど、改めてホロスコープ を見て、あんな暗号みたいなのを解読するなんてマニアック過ぎだなぁと思う。
これもまたかなりどうでもいい解説だけど。
3個のホロスコープ のうち、真ん中の赤い線で正方形ができているやつ、他にも直角三角形や二等辺三角形がゴロゴロと隠れているやつ、それが他の2つと比べても際立ってそうした形が出ているもの、これはまさに魂的なものが関わっている時のホロスコープ。
ホロスコープ の中でも、そうした正方形だの三角形だのができるのは特殊なわけで、その特殊さも条件満たさないとできないから、それができあがるというのはやっぱりそれ相応の何かが背後にあるなぁと感じる。
ちなみにそれは、春先に私が捨て身の覚悟で出したショートメールの下書きを書いた時のもので、パッと見ただけで「うわぁ…強烈!!!」と感じる。
もちろんそんなこと意図してないけれど、星たちまでもが「これ、強烈だからね!」と言ってるみたいだった。
パンチ効きすぎてる感が出すぎだったけれども、それは単に自爆テロのようになって終わった。
ほんと、破壊力抜群な配置だったりするわけだけど、それが現実のものになるなんて、下書きしてる時は思ってもいなかった。
そのすごい破壊力を私本人ではなく、もっと私が望む方向に発揮してくれないものかな…と思わずにはいられない( ̄∀ ̄;)。
2018年12月5日
ホロスコープを学び始めて8ヶ月。
私にとってのホロスコープとは何かや、今振り返った時に何でホロスコープを学んだのかその理由を書いてみたい。
ホロスコープはすなわち、「私の人生の計画書兼私の取扱説明書」、だと思っている。
最初は取扱説明書の色の方が強かったけれども、見方のポイントを知り得る度に「人生の計画」的なものも垣間見えるようになった。
これは私が勝手に感じていることだけれど、このタイミングで知ることが大事だったと思う。
30歳の時に初めて占い師さんを頼って自分の人生を見てもらった時に始まり、その後も自分の強みの診断テスト各種や性格テスト、数秘と言って生年月日から割り出す性格や人生の流れ、自分の心の中も相当専門的な手段を使って見て、とにかく色んな方法で自分自身や自分の人生を見つめてきた。
特に心理的なワークは、本当に自分を客観的に見るための基礎体力や土台作りとして大貢献してくれて、そのおかげでキツイことや思い出したくもないエグいことなんかも思い出して自分なりに消化できるようになった。
親子関係や異性関係も気持ちと実際を切り離してそれぞれ見れるようになったし、仕事やお金というような生活に付随することも色んな形で分析しまくったし、普通の人は
( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)
ってなるようなこともとにかくたくさん見た。
だけど真髄にはなかなか到達できなかったし、そんなのは歩いた部分が道になるわけだから知らなくていいことなのかもしれない…、そんな風に思っていた。
そんなところにやってきたホロスコープだった。
知れば知るほど、ホロスコープから色んな情報をもらえた。
そして、今だからその情報を静かに受け取れるというのにも気付いている。
例えば、ついこの間、父と母のホロスコープと私のホロスコープを重ね合わせて見えたものがあった。
その情報だけを見ると強烈過ぎる上、人生色々大変じゃないですか?と言いたくなるようなものだった。
それを見た時の私は、「もうこんな配置なら仕方ない」と実にあっさりとしていた。
もし私が自分を見つめることをしてこなければ、親を恨んだかもしれない。
自分の人生の不具合なところを全部挙げて、それは親と私の相性が強烈だからと言って片付けたかもしれない。
でも、自分の色んなことや色んな気持ちをたくさん見てきたおかげで、そもそもそういう行き過ぎた感じのことを体験しやすい人生だとわかって、逆にホッとした。
そう、ホロスコープはこれまでの体験の答え合わせみたいな側面もあって、誰からも理解が得られなかったようなこともホロスコープには出ていて、それで「自分の感覚で合ってたんだ」とホッとする。
ホロスコープが今のこのタイミングで出てきた理由もなんとなくわかった。
2つ理由がある。
1つは、自分の人生の計画を知ること。
もう1つは、自分のこれからの流れを知ること。
この1年は、色んなことが明るみになって、自分自身をより知ることになった時間だった。
その自分自身は、これまでの自分とはちょっと違っていて、私は自分が出来ることが何かを知った。
眠っていた部分がムクリと起き上がって、実はこんなこともできるんだよ私、というのを目の当たりにした。
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