2019年5月4日土曜日
マニュアルと夕空の魂
私基準の感覚が、どの程度大雑把なのか又は細かいのか、はたまた細かいを通り越して神経質なのか、そのあたりはわからない。
生まれた時から自分なわけで、それが私の中の「普通」だから、それが違うなんて考えたこともなかった。
数年前、何のテストなのかは伏せられたまま、ぶっしーもちょっとやってみて!と紹介されたテストがあった。
内容は心理テストや行動の特性テストみたいな感じだった。
私は20数問あった質問のうちの2問か3問以外はすべて「はい」だった。
あとからそのテストを紹介してくれた人に聞いた。
「このテストで【いいえ】ばかりの人っているの?」
聞いて驚いた。
世の中の80%の人は【いいえ】側で、私のように満点に近いスコアを出す人というのは人口の20%程度、5人に1人の割合だという。
このテストによって、私は初めて自分が「HSPーHighly Sensitive Person」ー「敏感すぎる人」だと知った。
ウィキペディアによると、【生得的な特性として、高度な感覚処理感受性を持つ】とされる。
言葉が難しいけれど、要は色々敏感に感じ過ぎてしまうということだと解釈している。
ある人が例えた話でこんなのがあった。
同じ空間にいた時に、HSPの人はそうでない人の20〜30倍の情報を瞬時にキャッチしてしまうとのこと。
本当に良く言えば、「高度な感覚処理」ということになるんだと思う。
真逆の視点から言うと、それだけの情報量を常に自然体でキャッチしてしまう、無意識のうちに感じ取ってしまうから、その分生きづらい部分も出てくる。
ちなみに、満点近いスコアを出す当人からすると、それが日常でそれが当たり前だから、自分が敏感だと言われるまでそんな風に思ったこともなかったし、知ってからも結局それが私の普通だからその感覚を敏感だと未だに認識できていない。
他の人たちがどんな風に感覚を処理しているのかわからないから比べようがないけれど、私の場合、人とやりとりする時に相手の声質や表情、言葉に乗っているエネルギー、周りの空気、そんな辺りを瞬時に察知するところがある。
だから、HSPなんて言葉を知らなかった時からその素質を持っていて、自然と活用していた。
塾に勤めていた時(そろそろ10年前になるのがびっくり!)、毎回子どもたちと顔を合わせる前に子どもたちが入口のところでする挨拶の声を先に耳にしていたけれど、声の感じを無意識のうちに細かく分析するところがあって、「なんか今日変かも」とかそういうのはわりかしすぐにわかっていた。
基本的に気付いてもすっとぼけて、本人が口を開くまでは聞かないし詮索もしない。
さすがに泣いたら聞くけれど(←そういう子も時々いた)、本人もギリギリっぽい時は変に切り込んでも嫌かな…と想像して、普段通りにして見ていた。
電話だともっと如実に出るから、すぐにわかる。
ズル休みしようとしてもバレるし私があれこれ突っ込んでくるから、子どもたちも慣れてくると嘘をやめて本音をそのまま言うようになった。
(「具合悪いから休みたい」から「友達と今日遊べる日だから、塾行く日変えていい?」とかいう感じに変わった)
そんな風だから、そうではない感覚が私にはあまりよくわからなかったりする。
それが私の普通だから、私は塾のエピソードをある時世間話のように話したら、「それみんなできんよ!」と言われた。
それまではみんなもそういうことが普通にできると思っていたから、自分が特異体質だとは知らずにいた。
その辺りを皮切りに、私は徐々に自分が見えない部分の情報や空気感をやたらと過敏に感じ取るタイプなんだと知るようになっていった。
で、そんな性質を帯びた私が今回超マニュアル完備された某ショップに3日間仕事に行って感じたこと。
とにかく、挨拶は超徹底されてた。
人生で短期長期問わず行った先の中で、一番挨拶がきちんとしていた。
全員から超さわやかな挨拶をしてもらって、そこはめちゃくちゃ感動した。
3日しかいない、もしかしたら人によっては1日しか会わなくても、本当にきちんと挨拶をわざわざしてもらって、きちんと教育が為されているんだとわかった。
これは超持論だけど、マニュアルが徹底していればしているほど、マニュアル以外の部分が「あれっ?Σ((( ̄O ̄;))))) 」ってことになり兼ねない。
マニュアルで管理されてるところはいいけれど、仕事だから当然マニュアル以外のところも出てくる。
マニュアル以外のイレギュラーな対応は、当然そこには載ってこない。
そんな時、マニュアル以外のことがいくつか重なった。
先に言い訳すると、文句を言いたいのでもないし、批判したいのでもない。
でも個人的に気になってしまう。
性格、気質みたいなものだから、気付いてしまう。
最初は、イレギュラーな仕事を頼まれたことに始まった。
イレギュラーゆえやったことがなく、どうやるのかがわからなかった。
わからなくてもやらないわけにもいかず、近くを通ったスタッフを捕まえて、どうやるのかを聞いた。
説明は1分で終わる。
超多忙な時間なのは重々承知していた。
だけど、私とてぼーっとするわけにもいかない。
最初に仕事を振ってきた人も最小限の説明だけで、その後最終段階の説明がなかった。
だから、誰でもいいから聞いて時間内に終わらせる必要があった。
余裕がないのは最初からわかっていた。
そこを承知の上で尋ねたけれど、返ってきたものは想像以上だった。
言葉は超丁寧だけど、イライラしているのが声に出ている。
隠せないぐらいに出ていて、何だかなぁと思った。
マニュアルを徹底しているだけあって、組織の規模も動くお金も大きい。
そしてお客さんからはきちんとしたものを求められるから、失敗も許されないような状況なのもわかる。
だけど、そんなにも余裕がないほどに何を最終的にこの組織は求めているんだろう…?と思ってしまった。
余裕がないスタッフ個人の在り方よりも、そこまで色んなことに追い込まれている組織そのもの、そしてその組織のトップ陣営の人たちの考え方が気になった。
こういう余裕のなさは、小さなことだけど、絶対にでかいことに繋がっていく。
普段は数秒のことだから適当に見過ごされてしまうけれど、これが積もりに積もって爆発した時が怖い。
今はとりあえず何となくで済んでも、爆弾に成長しつつあるものは至るところにあるんだろうなぁと感じずにはいられなかった。
そう感じた直後、今度また新たな「あれ?」と思ったことが出てきた。
退社する時だった。
挨拶に行った。
私は「今日も1日お世話になりました。ありがとうございました。次回何日またよろしくお願いします」とごくシンプルな挨拶をした。
その時に返ってきた言葉が、私が最後にしていた仕事の進捗具合の確認だけだった。
確認は必要だからわかる。
だけど、それで終わりなのが私には驚きだった。
労いの言葉が欲しいとかいうのではない。
私は労働を提供する代わりにお金をもらうわけだから、きちんと契約は成立している。
でも、そういうことじゃない。
一言、お疲れ様でしたでもありがとうございましたでも次回もお願いしますでも、何か言葉が他にないのかな…と思った。
たった一言、言葉があるだけで気持ち良くやりとりできるのになぁ…と思ってしまった。
そんなのマニュアルには絶対にない。
だけど、そのマニュアルにはないけれど、すごく大切なものなのになぁ…と思ってしまった。
最終日も最終日で色々あったけれど、最後は事なかれ主義に徹することにした。
3日しかいない私が状況を察することでは本来ないと思うけれども、そうでもしないと回らない状況だった。
察した私側がすっとぼけて聞く、見てないところで作業できるように段取りを組むとか、本当に何だこれ状態だったけれども、完璧マニュアルの超弱点がモロに出てしまった感じだった。
完璧マニュアルは、人から察する力とか考える力とか不測の事態対応力とかを奪ってしまうもののようだった。
1人1人は本当に心の綺麗なところも持っている。
例えば、最終日に行ったら、その日のシフト表に私の名前のところにだけわざわざ「ありがとうございます」の一言が添えられていた。
誰が作っているのかは知らないけれど、その気遣いにほっこりさせてもらった自分がいる。
さりげなくフォローしてくれる人もいる。
本当に良くもしてもらったし、それぞれのシーンの人たちだって余裕があればまた別の在り方だったのかもしれない。
私は時々、自分のこの重箱の隅をつつくようなところが本気で嫌になる。
目を伏せたらいいのに見えてしまう。
100点の人なんてこの世に誰もいないし、私だってそんなの望まれたらめちゃくちゃ苦しくなる。
だけど、見えてしまう、気付いてしまう、そういう自分の性質はどこまでも自然に発動してしまう。
そういうことに鈍くいられないのはもう仕方ないから、この小姑のような自分の一部分を私は本気でそれも自分の一部なんだと、それで良いんだって本気で思えるようになりたい。
なんなら、そんな部分を本気で愛でることができたらもっといい←理想はどこまでも高い 笑。
【つぶやき】
今日ネットに出ていた広告の中に『不幸から抜け出す』みたいなキャッチフレーズがあった。
それを見て、「私は今少なくとも不幸ではない」と即座に思った。
不幸ではないけれど、じゃあスッキリしないのは何なのかと言えば、「自分の中で『これで良い!』と言えない気持ち」だと思った。
その部分はどんどん話が深まってしまうからここでは書かないけれど、とりあえず「不幸」の部分にだけスポットを当ててみた。
ある種の特技認定してもいいけれど、私は自分が不幸だとは多分人生で一度も思ったことがない。
大変なことや何でこんな目に遭うのか?と思ったことは数知れずあっても、不幸とは思わずにここまでこれた。
天性の明るさというか「仕方ない」と割り切れるところは、私が生きていく上でかなり自分自身に助けられたところの1つだと思っている。
あきらめとかとも違っていて、もう起きたのは仕方ないとか、そうなったのは仕方ないとかって良い意味で受け止めつつあきらめつつみたいなことは、子どもの頃からの繰り返しでできるようになった。
そして、それがあるからこそ「不幸」だとは思わない自分がいることに気付いた。
【つぶやき 2】
最終日、昼休憩の時車の中にいたら、ちょうど見える位置に2台車が立て続けに入ってきた。
1台は八王子ナンバーで、いかにもゴールデンウィーク!という雰囲気を醸し出していた。
学生カップルみたいな2人が出てきた。
その斜め後ろには311のナンバープレートで、「来たーーーーー!!!」と思った。
3日間の仕事で、合計3台の誕生日ナンバーを見た。
勝手に「あの女性も3月11日が誕生日なのかもしれない」と思った。
帰りの車の中でのこと。
義弟とは17年18年の付き合いで、義弟の人生の半分は知っていることに気付いた。
妹たちの付き合いの長さに感嘆の声が出そうになった時、ふいに高校の時のワンシーンが出てきた。
何でそんな繋がり方をしたのかは知らないけれど、突然思い出したシーンだった。
私は人生の中でたった1人、全く同じ生年月日の人に出くわしたことがある。
それは高校の教室の中で見つけた。
自分のクラスだったのか、隣りの教室だったのかまでは覚えていない。
今はなきわら半紙に刷られた名簿が教室の後ろに貼られていた。
多分自分のクラスじゃない。
だって特定の名前の人物と一度も同じクラスになったことがないから、あれは自教室じゃない。
隣りの教室、それも1年生の時の教室。
季節的に夏だったと思う。
なぜかその名簿には誕生日まで記されていて、何気なく見ていた。
誕生日を見たいとかでも何か気になるとかでもなく、友達と話しながらぼーっと眺めていたような気がする。
そこに「3月11日」と書かれた人を見た。
「同じ誕生日の人だ!」と何だか嬉しくなって、3月11日の人が誰なのか確かめたくて、視線を横に流した。
「あ!サッカー部の小川くんだ」
と思ったシーンが突然よみがえってきた。
私は小川くんとは同じクラスになったことがなかったけれど、同じクラスのサッカー部の人と仲良くしていたから、それでなんとなく知っていた。
今となっては顔さえも覚えていないけれど、あのグループの中の1人なら絶対に温厚なのは間違いないから、誕生日が一緒の人がそういう人で良かった!と思ったことも覚えている。
私が通っていた高校のサッカー部はけっこう強くて、部員数は名門の野球部みたいにストレッチの時に二重で円陣を組むぐらい多かった。
私たちの学年のサッカー部には大きく分けて2つのグループがあって、1つは目立つタイプだけどガラ悪い感じで、もう1つはそちらに比べたら目立たないけれど女子の間でイケメンと評される男の子たちがいるグループだった。
サッカー部のマネージャーの子と仲良くなってから、たしかそちらのグループの人たちは率先してマネ業を手伝ったりフォローしてくれて助かると聞いたことがあって、だから小川くんがそちらにいる=良い人だと私の中で勝手に計算式が成り立った。
3年間一度も同じクラスになったことがないからサッカー部の小川くんが実際にどんな性格の持ち主かは知らないけれど、私が人生で出くわした唯一の同じ生年月日の人が小川くんだった。
だから何だという意味はないけれど、今思うと間接的に知ったとは言え、なぜか私はその名簿を見たシーンをものすごく鮮明に覚えている。
数多くのシーンは記憶から消え去っているのに、そこだけは切り取ったかのようにものすごくはっきりと覚えている。
40歳に辿り着いて1つわかったことがある。
過去の何てことのないシーンで強烈に記憶に残るものは、その時はわからなくても後年になってからそれがとてつもなく意味のある何かと結び付いているから記憶に残るということ。
「生年月日が全く一緒のサッカー部の小川くん」
言葉にすると何の特別感もないけれど、あのわら半紙で見た光景はいつかの未来予測だったんだと今になって知る。
ホロスコープの独学を始めた1年前でも良さそうなのに、今になって思い出した。
そうだ、思い出した。
妹と義弟の付き合いの長さを振り返っているうちに、それって生まれてから高校卒業するぐらいまでの長さだと気付いて、なぜか昼休憩で見た八王子ナンバーと誕生日ナンバーの車のシーンがそこで出てきて、そして「そういえば同じ誕生日の人に会ったことがないな…」なんて思っていたら、例の高校の教室の風景を思い出して、「そういえば1人だけいたじゃん!」と思って、それがサッカー部の小川くんだった…
という感じで記憶が繋がった。
個人的に、サッカー部の小川くんが大人になってからどんな人生を送っているのかを知りたい。
隣りの市で生まれていたのなら緯度経度も大きく変わらないから、ホロスコープの天体の配置もさぞかし似ているんだろうなぁとわかる。
確実に2つは同じ特徴を持っているのはわかるから、それが小川くんの人生にはどう出たのかな…と思う。
小川くんも人の大切な瞬間に居合わせる人間交差点的な役割が多かったり、何か1つ形にしてもそれをリセットしてまた新しい何かを始めざるを得ない状況が続いたりするのか、その辺りは特に気になる。
(ホロスコープは生まれた時間が変わると中身も変化するけれど、1日を通してほぼ何も変わらないものもあって、小川くんとはその何も変わらない部分で特徴的なものが2つ同じだったりする可能性が非常に高い。)
何がすごいって、学年で360人いて、その中の1人と誕生日が一緒だと知るってどれだけの確率なんだろうと思う。
しかも、何でそんな名簿が貼ってあったのかもわからないし、さらにはよそのクラスの名簿なわけで、何でそんなの見たんだろうと思う。
記憶違いでなければ、私はそのクラスに入っていけるほど仲の良い友達はそのクラスにはいなかった。
放課後だったのか夏休みだったのか、誰か一緒にいた友達と私しかそこにはいなかった。
必死で卒業アルバム探してきて名前を見てみた。
顔見てもピンとこなかったけれど、名簿を見たら学年で小川くんは1人しかいなかった。
やっぱりあの日誕生日が同じだと思って見た名前は小川くんだった。
卒業アルバムを見ていたら、同じ中学だった女の子も同じ高校だと今初めて知ってビックリしたけれども、他にも名前見ても知ってる人はほとんどいなかったけれども、そのよその教室で誕生日が同じの人がいてそれがサッカー部の小川くんだったということだけはよく覚えている。
あの時の衝撃が、誕生日が一緒だという理由よりも、あの時にはわからなかった未来の自分からのお知らせ的な意味合いの理由だったのかな…と思う。
高校生の私は自分の今がこうなるなんて一切予想していなかったけれど、あのいつかの高校の教室でハッとした時の感覚は、魂からのお知らせみたいなものだったと思う。
魂の暗号を紐解くための情報に行き着いていたからこそ、強烈に記憶に残ったんだと思う。
そんなことはずっと忘れていたけれども、帰りの車の中でその時のことを思い出した瞬間、心臓が口から飛び出すかと思ったぐらいにビックリした。
体感覚で20年以上も前のあの時の衝撃も思い出したし、その意味が今ようやくわかってその驚きも凄かった。
魂の暗号の解読に20年も要するのかと思うと、死ぬまで色々間に合わないじゃん!?とか思ったけれど 苦笑、それぐらい魂の設定はわからないようになっているのかもしれない。
だけど、高校生の時と違うのは、今は「知りたい」と思っているから、その知りたいが故にもう少し時間短縮で気付けるかもしれないなぁなんて期待している。
高校の時は、今を100とするなら、当時は限りなくゼロに近いスピリチュアル的な知識や感覚の状態だった。
けれども、冒頭に書いたHSPのことを思えば、魂レベルの反応だったサッカー部小川くんと誕生日同じ事件は、通常よりもさらに強い情報量を瞬時にキャッチしていたのかな…と思う。
あと今回思ったけれども、魂レベルで感応していることは、文字とかで記録に残さなくてもきちんと残る。
アルバム探しをした時に、当時の手帳が出てきて、顔から火が出るかと思うほどの自分の内面を切々と書いていたけれど、文字に残ってることは忘れてる。
読んでも思い出せないものもたくさんありそうだった。←あまりにも内容が気恥ずかしくて、すぐに読むのをやめた。
だけど、
「生年月日が全く一緒のサッカー部の小川くん」
の存在を知った時のことは、体で覚えてる。
当時にしたら物珍しさはあってもはっきり言ってどうでもいい情報だから、そんなこと書き残してはないはず。
それでも、体できちんと覚えている。
全身全霊で未来のヒントをあの時は受け取っていた。
15歳だった私が魂の設定なんて知るはずもなく日々生きていたけれど、あの名簿を見た瞬間のことは魂の呼応と呼べる代物だった。
そして25年後、何の繋がりもない事柄たちが頭の中で連想ゲームのように繋がっていった時、当時のシーンがよみがえって、それが25年越しに意味のあるメッセージへと生まれ変わった。
魂からのメッセージは、時空を超えてでも本人の元へ届けられる。
それというのは、「届いて欲しい」と切実な願いが込められたもののように思えてならない。
だから、身体中の細胞で反応するように仕掛けられていたと思うし、その時は気付けなくても然るべきタイミングが来たら気付けるようにもなっている、そんな気がする。
魂からしてみると、25年前の教室の中で知った、生年月日が全く同じサッカー部の小川くんは、今生における重要なミッションの1つを表すヒントだった。
私にしかわからない、でも私には確実にわかる、体の内側から湧き起こる感覚を伴ったヒントだった。
[写真]
文中のくだり
【「そういえば同じ誕生日の人に会ったことがないな…」なんて思っていたら、例の高校の教室の風景を思い出して、「そういえば1人だけいたじゃん!」と思って、それがサッカー部の小川くんだった…】
を思い出した後に車から見えた空。
赤信号で止まった瞬間、急いでシャッターを切った。
泣きたくなりそうなぐらい、心に染みた夕空の色。
本物の一期一会だった。
空じゃなくて、記憶を辿った先に出てきたものが。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿