2019年5月15日水曜日

大人買いしたノート










最近大人買いしたもの(o´艸`)。

同じ日にノート4冊!!!!

当初は2冊だけ買う予定でいたのが、一目惚れして思わずもう2冊買った。

元々、ホロスコープ独学ノート2冊目になるノート(定価千円以上の超高級ノートv( ̄∀ ̄)v)とホロスコープ哲学メモノートの計2冊を求めていた。

ホロスコープはホロスコープでも独学ノートと哲学メモノートは違っていて、独学は本当にホロスコープの知識や自分のホロスコープのメモ書き専用。

哲学メモノートは、星読みと心やホロスコープならではの人生哲学なんかのみに内容を絞って書いている。

【超高級】独学ノートを買った後、セリアにある小さなノートを哲学メモノート用に探しに行った。

このセリアの小さなノートシリーズは本当に書きやすくて気に入っている。

100冊以上のノートをあれこれ使ってみてわかったのは、本当にメーカーや種類によって使いやすさが全く違うということ。

特に私の場合、紙質にこだわりがあって、書いた瞬間「Love(♡´艸`)♡」となりそうなほど好きなものもあれば、反対に書いた瞬間「うわぁー( ̄ཀ ̄;;)、これ最後まで使うの…?」というのがある。

ちなみにノートほど値段では当たりハズレを測れないものもないと思う。

高ければ使いやすいとも限らないし、反対に安ければ品質落ちということもない。

強いて言うなら、写真の中の紳士なノートみたいに、Made in Japanで値の張るものは確実に良い紙を使っている。

例えば有名な海外ノートの「モレスキン」は、値段は2千円前後したと思うけれど、あの紙質がどうしても好きになれない。

今回私がセリアで買った百円ノートより確実に紙質は下がる。

あれは単にブランド代だと私は思っている。

反対に今回のセリアで買ったノートは、百円とは思えない素晴らしいクオリティーで超絶気に入っている。

さらに気に入ったものでシリーズが出ているなんていう超まれなノートにこの度当たったから、それでセリアに見に行った。

本当は探していた方(水玉模様)がそのセリアには無くて、でも代わりに写真の中の花柄ノートシリーズが新しく出ていて、一目惚れした(♡´艸`)♡。

罫線の太さも紙の厚さも中のデザインも申し分ない。

クルッと後ろを見たら「kyowa」とあった!

このkyowaという会社のノートは本当に使いやすくて気に入っていて、そこが出すものなら大丈夫!と思って選んだ。

何種類かあって、2種類に絞ったけれども、これもまたいつシリーズがなくなるか知らないから、とりあえず2冊買った。

買いながら、それを哲学メモノートにするのはもったいない気がした。

特に黄色い花の方は本気で気に入って、それを別の特別なノートに使いたいなぁと思った。

で、ピンときた。

自分取扱説明書的な使い方をする小さなノートが欲しかった。

少し前、ある占星術家の方がそういうノートを作ることだったか、書くことだったかを推奨していて、「それ良い!!!」と思ってた。

そういうのはまず「形から入る」のが大事な私は、ノートだけは自分が見るだけでテンションが上がるものがいいと思ってた。

今月末に東京で占星術の中級講座があるから、その時に東京で心ゆくまで探し歩いてもいいかなぁとは思っていた。

でもセリアで見て、「これ良い!!!これで自分取扱説明書を書こう!」って決めた。

早速使い始めたのが写真の中の文がつらつらと書いてあるもの。

左のきれいな花柄ノートは去年の占星術講座のいつかの帰り道に東京で買ってきたお気に入り。

このノートこそもっと使い方を考えてから使い出せば良かったと若干後悔したノート。

ちなみに最初は占星術関係のメモで使っていて、今は心のビタミンになる言葉を書き留めている。

しかも超絶こだわりがあって、あの花柄に似合う人たちが発信している言葉に限っている。

今となっては時すでに遅しだけど、このノートすごく気に入っているから、今度からお気に入り度が他のより高いものは、特別なノートにしようと思っている。

話が脱線したけれど、本来探していた水玉模様のノートがなくて、近所のセリアにあったはず!と思ってその後見に行ったらビンゴ!

最初なかったけれど、よーく見たらノートの合間に挟まっていて、最後の1冊をゲットした。

だから、ノート探しに3軒も店を回って、合計4冊それぞれ探し求めていたものを手にして大満足した。



家に帰ってきてから気になって「kyowa」という会社を調べてみた。

愛媛県にある協和紙工株式会社という会社で、私はこの会社にあれこれ世話になってるんだなぁなんて思った。

初めてホームページ内の「リクルート」なるページまで見て、私このノートなら営業本気で興味持ってやれそうと思った( ̄∀ ̄)。←営業の募集があった。

ホームページ開いて社名まで調べたのは今回初めてだったけれど、私にとってちょっとした偶然が重なって嬉しかった。

そもそも私はこのノートに出会うもっと前に、このkyowaという会社の別の文具を使った。

ある夏の日、私は自分の頭の中にある計画を形にするためにセリアに行った。

名刺サイズのメッセージカードが欲しくて、それを探しに行った。

当初からシンプルなデザインと決めていて、余計な装飾なし、茶封筒的な色の茶色で…と思っていた。

で、カード側の方は見つかったけれど、どういうわけか封筒がない。

それでよ〜く陳列棚を見たら、写真にある武士メモとセットになっている茶封筒を見つけた。

武士メモは何の役にも立たないどころか今後も使う予定もなかったけれど、封筒はどうしても欲しくてそれを買った。

武士メモ渡せる相手なら普通に武士メモをおふざけ又は愛嬌で使ったけれど、そういう用途には相応しくない相手だったから、封筒だけ使うために武士メモセットを買った。

茶封筒の1つはなんと九州にも一緒に旅した。

茶封筒を大切にかばんにしまって、そしていざ本当に必要な場面になってかばんから封筒を出して、お目当てのものとうまい具合に大きさがフィットするかを確かめた。

ドンピシャすぎて、この自分の着想といい、お目当てのものを事前調査してまで狙いを定めたことといい、何もかもピッタリのものだったんだと嬉しくなった。

九州の旅でのラストを飾るに相応しい思い出となった。

茶色の名刺サイズのカードも武士メモ用の茶封筒も何の意味も為さずに時は過ぎ、秋が深まったある日、私は武士メモを捨てようと思ってそれを手に取った。

今後も使わないと思ったから、捨てる気満々だった。

ところがその時に袋に印字された「kyowa」という会社名とそしてよくよく見たら「武士」のデザインであることに初めて気付いて、他の人には全く意味がわからない内容でも、私には息を呑むぐらいにハッとした偶然だった。

用途に合うものを選んで買ってきただけだった。

メーカー名も武士のデザインも全く関係ないもので、その時はスルーどころか気付くこともなかった。

なのに、まるでその計画を応援するかのように、その計画に相応しいものがそこにはあった。

茶封筒は確かに必要としていたけれど、別にメモは「武士」のデザインじゃなくても良かった。

だけど、私がイメージする名刺サイズの茶封筒は選択肢として武士メモセットしかなかった。

メーカー名そのものは何の意味もないけれど、それと色んなことが重なることで新たな意味が加わる。

意味は為されなかったけれども、きちんと色んなことたちが「それで良かったんだよ」と言わんばかりに揃っていた。

それに気付いたから、私は武士メモを捨てることをやめた。

思い出として残すことに決めた。

一生使わないものでも、なんか忘れられないものになったから、取っておきたくなった。

いつか捨てたくなったらその時に捨てればいい、そう思った。

それからいくつもいくつも季節が巡ってついこの間初めて「kyowa」のホームページを見て、それが協和紙工株式会社という会社が作ったものだと初めて知った。

気になって、茶色のメッセージカードのメーカー名も一緒に調べた。

それは全く違う会社だった。

あの時は無我夢中だったから何にも気付かなかったけれど、きちんとパズルのピースとピースがカチッとはまるように色んなことがきれいに揃っていた。

いくつも季節が巡って、最近はもう意味を為した為さないはどうでもよくなった。

たしかに意味は為さなかった。

私はそうしたものたちがどうなっているのかも知らないし、もう灰になってこの世には現物さえないのかもしれない。

でも私の生きる世界ではものすごく意味があったし、それで私にはもう十分だった。

満たされないものはそのうち何かの糧になるか昇華されてきれいに終わるかすると思う。

それでも、その瞬間がない人生と意味は為さなくてもそれがある人生なら、それがある人生の方が比べ物にならないぐらい素敵で素晴らしかった。

武士メモが灰になっても、その素敵で素晴らしい世界は消えることがない。

未来のノートの中にkyowaの文字を見つける度に私は武士メモのことを思い出すと思う。

不器用だったけど一生懸命だった人生の時間を思い出すと思う。

協和紙工株式会社のノートのクオリティーがあまりにも自分好みだから、これからもお世話になりそう。

そして今回、そのお気に入り紙質ノートで「自分取扱説明書」を書けるのは粋だと感じている。

いつもいつも心の深いところにある言葉。

小説家の吉本ばななさんがどこかのエッセイで言っていたこと。

死ぬ時に持っていける唯一のものは思い出だよと。

だから私たちは生きている間、ずっと思い出作りに精を出すんだと。

意味の有る無しよりも、思い出となるものを大切に思える自分で本当に良かった。

そういう自分に自分が救われている。

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