これが私のペンジュラム。
昨日2月8日、ぼこぼこの雪道を朝運転している途中に思い付いて車内で撮影した。
仕事にも連れていくし、どこでも一緒に行く。
仕事中はさすがにかばんの中で待機してもらってるけれど、とにかく寝る時も枕元に置いておく。
何なら夜中にふと何か聞きたくなったら、ねぼけまなこのままペンジュラムに質問して答えを聞いている。
私にとってペンジュラムは、のびたでいうところのドラえもん的な存在に近い。
のびたが困ると「ドラえも~ん!」と半泣きになりながらドラえもんに頼って何とかしてもらおうとする、あれにかなり近い。
今日2月9日の仕事からの帰り道、モーグルかと思うようなこぶ地獄の雪道をゆっくりゆっくりと走りながら、このペンジュラムのストーリーを書くにあたり、色んなことを回想していた。
気付けばペンジュラムが本当にたくさんのことを繋げてくれた。
それが自分の人生そのものに繋がる壮大なストーリーになってるだなんて、今日振り返るまで気付かなかった。
ものすごい影響を与えてくれてるのは本当だけれど、自分が思っている以上のものが与えられている。
それをこれから1つ1つ紹介していきたい。
~ペンジュラムとの最初の出合い 2012年夏~
その日も毎週恒例となったSさんの素敵なマンションにお泊まりした。
当時Sさんと私は、心理系のワークショップを共同で開催していた。
場所はSさんの住むマンションから車で10分程のところだったから、私は毎週その都度Sさんの家に泊まらせてもらっていた。
Sさんとは本当に色んな話をしたから細かいことは覚えていないけれど、じゃあちょっとペンジュラムに聞いてみましょうとなって、Sさんは自分のペンジュラムをどこかから出してきた。
何を質問したかも、Sさんのペンジュラムがどんな色でどんな形だったのかも全く覚えていないけれど、唯一ペンジュラムそのものにものすごく惹かれたことだけは覚えている。
人に対して一目惚れしたことがないからわからないけれど、それに近いと思う。
とにかく一目見て存在そのものに強く惹きつけられた。
Sさんはとてつもなく大きなパワーストーンを持っている。
その値段が婚約指輪ですかと言わんばかりの値段だったことは何となく覚えていて、ペンジュラムもそこまでじゃないにしてもさぞかし高額なものだろうとなぜかその時信じ込んだ。
欲しいけれど、そんなに高いお金を出してまで買うものでもない、そんな風に思ったことも覚えている。
だから私はその後から実際に自分の今手元に来たペンジュラムと出逢うまで、ペンジュラムをネットで探すことは一度もしなかった。
心理系・スピリチュアル系のワークを提供している会社から、ワークの案内と共にペンジュラムをはじめそういう類いの世間では怪しいとされるグッズを掲載したカタログが年に数回届いていた。
そこに載っているペンジュラムは、たしか1万円前後で、これはいつかの本当に必要な時に買うなら買おうかなとは少し思ったけれど、高額すぎてそこがひっかかる点でもあった。
だから取り扱いをしている店はわかっても(ちなみにVOICEという出版社)、私は値段を理由に買わずにいた。
欲しいは欲しいでも、何かいつもどこか決定打が自分の中で欠けていた。
~ペンジュラムとの出逢い 2016年5月~
あれから4年近く経ち、私はとてもひょんな形でペンジュラムと出逢うことになった。
その年の4月末に実家の新潟に帰ることを決めた。
仕事は決まらないわ、経済的にかつかつだわで、もう親を頼るしかないところまで来ていた。
理由が理由なだけに、私は本当にお世話になった人たちを限定して、名古屋を離れる前に会うことにした。
要は、自分がその理由をはっきりと伝えられる人たちにしか会いたくなかったし会いづらかった。
その中で3人のとてもお世話になった人たちにはどうしても何かを渡したかった。
1人は私が好き好んで使っていた器たちを中心に色々欲しいということだったから、それをそのままプレゼントという名の引き取りをしてもらった。
それはペンジュラムを紹介してくれたSさん。
残りの2人は私に色んな世界を紹介してくれた心の恩師・人生の先輩のような人たち。
2人とも男性で、そしてプレゼントはいいけれど予算はがっつりとは組めず、あれこれ考えたところ「しおり」にすることにした。
2人とも読書家で過去に私に本を数冊プレゼントしてくれたことがある。
絶対使ってもらえるのはわかったし、予算的にもものすごく懐にやさしいものだから、一石二鳥だった。
それでしおり探しを始めた。
しおりを自分で買ったことがなかったからその時まで知らなかったけれど、今しおり自体そんなにたくさん売っていない。
ましてや気に入ったデザインのものを探そうと思ったら本当にびっくりする位ない。
最初は書店や文房具屋、雑貨屋あたりを探したけれど、とにかくない。
あまりにもないから、少しでもありそうなお店…と思ったら片っ端から入るようにした。
それである時に入ったのがアジア雑貨のお店だった。
大型の商業施設とかによく入っているあの手のタイプの店。
興味がないから入らないけど、色々変わったものを置いているのは知っていたから、もしかしたらしおりを置いているかもと思った。
「しおり」を探したことが良かったと思う。
しおりってどのお店でも基本的に「こんなところに置いているんだ!」というところにあるから、店内を練り歩いて隅々まで見渡さないと在りかがわからない。
その時もいつものように店内をぐるぐる回ってしおりを探していた。
そうしたらそこにまさかのペンジュラムが置いてあった。
まさかこんなところでペンジュラムに遭遇するとは思っておらず、私はびっくりした。
ハガキサイズぐらいの大きさの紙にペンジュラムの使い方が書いてあった。
そこにあるのは本当に最低限の使い方で
1:YESの動きをペンジュラムに聞いてみましょう
2:NOの動きをペンジュラムに聞いてみましょう
3:念のため、自分の名前を言ってみてそれでYESに回るかを確認しましょう
4:自分の好きな質問をします
こんな程度だったと思う。
私はさっそく1つを手に取りその通りにしてみた。
他のペンジュラムもそうなるのか、すべて触ったし試した。
私はその場にどれだけの時間いたのか覚えていないけれど、かなり長い時間そこにいたと思う。
値段は見てみると1000円ちょっとだったと思う。
破格の値段だというのは今ならわかるけれど、当時は本当に1円単位で計算して引っ越しの費用からその他の費用まで賄わないといけなかったから、ペンジュラムにものすごく惹かれたけれど、買うか買わないかかなり迷った。
それでその日は買わず、また数日後そのお店に行った。
今度はまっすぐペンジュラム売場に行って、また一通りすべてのペンジュラムを回してみた。
やっぱり数日経っても欲しいは欲しい物で、そして一度買えばそれは一生モノだというのもわかっていたから、それでようやく腹を決めて買うことにした。
若干、商業施設ゆえ色んな人に触れているだろうことと、値段がこれまで見てきたペンジュラムの10分の1のような感じで本当に威力があるんだろうかということと、その2つが気になったものの、まぁ合わなければ今度もっときちんとしたものを買えばいいと思った。
(パワーストーンの石なんかは、人がたくさん往来する場所にあると色んな人の気(邪気)を吸ってしまうからあまり良くないと言われてる)
そして私は全部で20ぐらいあったペンジュラムに1つ1つ聞いて回って、「私と家に帰る」とだけ聞いて、それで唯一YESに回った今のペンジュラムを持ち帰ってきた。
これが私とペンジュラムとの出逢いだった。
私はペンジュラムを探しに行って見つけたんじゃなく、しおりを探してる道中でペンジュラムと出逢うことになった。
そしてペンジュラムは実に絶妙な時期に私の元へやってきてくれた。
新潟に帰るというのは、私にとって単なる未来の不安だけじゃなく、名古屋で知り合った人たちと離れる不安も並々ならぬ量であった。
私は名古屋でスピリチュアルな世界を色んな人から教えてもらうことになったけれど、当然新潟にそんな人は誰もいない。
唯一長年の友達の1人が私の影響でそういうものに興味をものすごく持つようになっただけ。
あとは他に誰も知らない。
名古屋で私に色んなことを教えてくれてた人たちというのは、そういうことの情報も知恵もものすごくたくさん持っている人たちばかりだった。
最初は自分にそもそもの知識がなかったから誰もがみんなすごく見えていたけれど、実際に自分も知識を深めるにつれて、名古屋で知り合った人たちというのが並々ならぬ情報、それは質も量も、持っていたということがよくわかった。
そうした環境からいきなりゼロの環境へ行くというのは、本当に怖かった。
ましてや当時からそもそもの自分の人生が、もうすでに自分で舵取りができるような状態ではない、どこに向かわされているのかもわからないけれど不可抗力的な力みたいなのが働き出してるのも薄々気付いていたから、そんな時に本当に近くに頼れる人がいないのはとても不安だった。
しかもスピリチュアルとか言って、世間では眉唾物で到底受け入れられる人口の方が圧倒的に少ないのはわかっていたし、さらには新潟という非常に保守的な地域柄もっとそういうことをおおっぴらにできないのはわかっていたから、余計と不安だけが募った。
そんな時に私の人生にやってきたペンジュラムだった。
当時はそのペンジュラムが今2018年の2月の私のところまでたくさんのストーリーを連れてきてくれるだなんて、1ミリも想像をしていなかった。
買った当時唯一覚えているのは「新潟に帰ります」という質問に対し、必ずYESに反応してくれたことだった。
それだけが私にとって唯一の新潟に帰ることへの肯定的材料だった。
ペンジュラムの動きは決して大きくはなかったけれど、それでも帰らないという方にはYESにならなかったから、それで大丈夫だろうなぁと思った。
~2018年2月 立春後~
今回私が急ピッチでペンジュラムの話を書いているのには理由がある。
まだ書いていないけれど、何よりも書きたいことが1つある。
それを書くにあたり、どうしてもペンジュラムのことは書かないと話の流れとして全く通じないだろうことは肌で感じていた。
そして実はすでにいくつかの記事を下書きし終えているけれど、やっぱりペンジュラムのことを書いて良かったと思う。
これまでずっとペンジュラムのことは隠してきた。
少なくともこのブログ上では公開せずに書いてきた。
実はこのブログの中にも、ペンジュラムが関与したものはけっこうある。
けっこうあるけれど、それを公表する勇気どころかそういう考えすらも全くなく、とりあえず誤魔化すなりそこは触れないようにして書かずにきた。
だけど、その書きたいことを書くには、もう何が何でもペンジュラムを公表しないとおかしなことになる。
ペンジュラムがその話の中に絶対に欠かせない存在としてあるから、それを抜きにして語ることはできないと悟った。
両てんびんにかけて、ペンジュラムを隠すよりも公表していくことの方が自分が楽だとわかり、それで今急ピッチで書いている。
書けば書くほど清々しい。
私なんかは本名でこのブログを出しているから、もう隠す術がない。
変な人と思われようと、危ない人と思われようと、それはもう仕方ないと良い意味であきらめが出てきた。
でもわかってくれる人たちが現実に存在してくれてるのと、もうそういうのも含めた自分として今後は表現していきたいという気持ちがものすごく強くなったのとで、それで今回
公表することを決断した。
0 件のコメント:
コメントを投稿