2018年2月3日土曜日

名古屋メモリーズ ①転職活動


30歳になった私が本格的に転職活動を始めたのは、2009年の夏だった。

日本帰国=無職確定だった当時の私。

結婚という選択肢が完全になくなった私には、働く以外の選択肢がなかった。

結婚して専業主婦とか、誰かとどこかで暮らし始めるという選択肢がない以上は、もう自分で自分の人生を進んでいくしかなかった。

20代の私は2つの異なる福祉関係の仕事をしていて、そして2つの仕事ともすごく特殊な感じで決まったから、企業に対しての就職活動というのはその30歳の時が初めてだった。

タワーマンションに旦那様と引っ越した絶賛つわり中だった大学時代の友達を訪ねて、人事や面接もしていたその子にまずはどんなスーツを着て行くのかや、面接の受け方、職務経歴書の書き方、その他諸々指導受けながら、まるっきりの手探りで始まった就職活動だった。

40社は受けた。

ガチの就職活動だったから、履歴書はさておいても職務経歴書や志望動機はその都度書き変えて、作業そのものが本当にしんどかった。

しかも「絶対にこういう仕事に就きたい!」なんていう強い思いなど1ミリもなく、まずはどの仕事なら少しは興味を持てるかから検討して探していかなければならないところからのスタートだった。

就職活動はしんどいだけの何ものでもなかったけれど、一つだけ決めていることがあった。

ずっと長いこと心理やカウンセリングをもっと専門的に極めていきたいという気持ちを持っていて、仕事しながら学ぼうと決めていた。

だから私は東京都内の仕事ばかりをひたすら探していた。

東京ならそういうことを専門に学べるスクールがいくらでもあるだろうと踏み、実際に行きたいスクールも見つかった。

記憶にある限り、採用された1社を含め5社の面接に行った。

もしかしたらもう1、2社面接に行ったかもだけど、40社も受けながら面接に行けたのはごく一部だった。

その採用されたところが名古屋だった。

私はその1社からのみ内定をもらった。

1次面接は東京で、なんと妹が当時住んでいたところから歩いて行ける場所にあった。

1次が通り2次面接の連絡を受けた時、次は本社の名古屋ですと言われた。

もちろん名古屋になんかさらさら行く気のなかった私は、1次面接でも東京採用希望ということを熱くアピールしてきたし、それ以外の選択肢なんてまるっと考えていなかった。

名古屋も単に面接のためだけの名古屋と思って行った。

そして面接の後、名古屋採用での連絡を受けた。

全く望まない名古屋採用。

誰も知っている人がいない名古屋。

かろうじて行きたいと思っていた学校が名古屋にも名古屋校として存在していることがわかったけれど、やっぱり不安しかなかった。

それでも行こうと決めた理由は、1つにはもう就職活動が本気で嫌になっていたから。

山ほど不採用通知を受け取り、とにかくどこでもいいから就職したいという気持ちでいっぱいだった。

安易にとりあえず働きながらまた考えればいいとも思った。

でもその先が名古屋というのはどうにも解せなかった。

本当に嫌なら、すぐに辞めて帰ってきたらいい、親もそれに対しては全く反対しなかったから、それで名古屋行きますと返事した。

でも本当に名古屋行きを決めた理由はもっと別の理由だった。

当時面白いことが3つほどあって、その3つが一番の決め手であったことはまた別の回で書きたいと思う。

当時の私は、いつでも辞める覚悟で、1週間程度の旅行に出るようなスーツケース1つに最低限の着替えと茶碗と箸だけを持って名古屋に向かったのだった。

住民票も新潟に置いたまま、当時は国民保険だったからそれも新潟の市町村のまま、それで名古屋に行った。

それが2009年の11月のことだった。

 

今日(2017年12月6日)、仕事帰りの車の中で1つ思い出したことがあった。

その就職活動の真っ最中、仲良くしている友達からお見合いの話を持ってきてもらったことがあった。

友達は仲良くしている年配のご夫婦から、そのご夫婦のエリートサラリーマンの若いお友達の嫁候補がいたら紹介して欲しいとお願いされていた。

条件は、①外国で暮らしたことのある人、そして②結婚したらとりあえず今は中東勤務だから中東のどこぞの国に住むのがOKな人、の2つだった。

その条件ならぶっしーいけるでしょ!と思って、そしてその友達は私が常々「夢は専業主婦♪」などと言っているのを耳にタコができるぐらい聞いていたから、だからその話を持ってきてくれたのだった。

当時、いつまでも決まらない仕事にやりたいこともわからない自分に、現実逃避したいことは山ほどあった。

とりあえずの嫁ぎ先が中東というのももちろん引っ掛かったけれど、私は即決でその話を断った。

仮にとんとん拍子に話が進んで本気で中東に行くことになったとしたら、私はそこで何をするんだろう?って思った。

もちろん憧れの専業主婦だったとしても、「それは私の道じゃない」ってはっきりと感じた。

色々整理できない気持ちも常に自分の中にあったし、今は結婚とかそういうことではないと思った。

結婚はしたくても、なんか今じゃないし、きちんと理由は言葉で説明できなくても何かが確実に違うのはわかっていた。

名古屋行き自体も相当な迷いの中で選んだことだったけれど、名古屋行きは選べてもその縁談話は選べなかった。

今思うと、名古屋に呼ばれていたと思う。

どの会社を受けるかも選べないような感じだった私が、その縁談話だけはものすごくはっきりと「NO」の答えが出せていた。

そして私が名古屋に行くと決めた3つの理由は、実に不思議な流れで運ばれてきたものばかりだった。

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