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2019年10月17日木曜日

ペンジュラムと私

ペンジュラムを入れる巾着袋

寝る時のペンジュラムの様子
枕カバーは私の手作り(о´∀`о)

ペンジュラムが教えてくれた両面テープ
売り出し文句通り、超強力でピッタリだった!

ペンジュラムのおかげで手にした戦利品



足のクリームさえ選んでしまえば、あとは家に帰ってお昼だー!!と思いながら、ペンジュラムを小さな巾着袋から出そうとした。

かれこれ多分15年ほど前にもらった、友達のお母さん手作りの和布で作られた巾着袋。

「うん?」

オルゴナイト2つと名刺が入った透明ケースとラリマールのペンジュラムはある。

だけど、どこをどう見ても水晶のペンジュムがない。

私は買い物かごを適当な邪魔にならない通路の一角に置いて、一目散に車の中へと戻った。

これまで歩いた店内の中と歩いた駐車場と自分の車の中と運転席のすぐ外の辺りをくまなく見たけれど、どこにもなかった。

大パニックだった。

さっきまでお腹空きすぎで早くごはん食べたい!なんて気持ちも一気にぶっ飛んだ。

どこにもやっぱりない。

とりあえず、ほっぽってきた(放ったらかした)買い物かごのところに戻って、他にも買う予定だったものをかごにぽいぽいと詰め込んで、レジを済ませた。

頭の中は真っ白だった。

色々買い物を済ませようと、隣りの町に繰り出していた。

その帰りの車の中で、ノム(占星術講座のクラスメイト)とのやりとりを思い出して、さらにはペンジュラムの今後を思った。

ペンジュラムとの付き合い方が変わるかもしれない…、そう思った。

この話は長くなるし別記事に書き途中だから内容はここでは割愛するけれど、これまでみたいに何でもかんでもペンジュラムに聞くようなことは、今後徐々に減っていく、そんな風に考えた矢先だった。

ペンジュラムは今後お守り的な役割を果たすだけで、日常使いは徐々にしなくなるかもしれない…、そんなことを思い始めたこのタイミングで、ペンジュラムがなくなった。

まさかそんなことを心の中深いところで思った直後に本当にペンジュラム本体がなくなるなんて、ありえない!と思った。

どんなに探してもなくて、そしてできるだけ落ち着いて考えて、ひとつ前のホームセンターに行く時までは確実に運転する私の膝上にあったことを思い出した。

じゃあホームセンターの駐車場!?もしくは店内!?と思って戻った。

ホームセンターの駐車場をウロウロし、店内も同じ場所をウロウロした。

やっぱりない。

膝ついて、車の下を見てもなかった。

落とすなら落としたでもいいから、割れた残骸が欲しかった。

姿かたちもないまま、ペンジュラムと突然のお別れ、しかも私の不注意でのお別れは嫌だった。

平日の昼間の空きすぎな駐車場をいいことに、そこでドアをよく開いてくまなく探した。

運転席側や運転席側の後ろにはなかった。

助手席側にあるわけない!と思って、助手席側のドアも開けて見たら、なんと、ドア開けてすぐのドアと助手席の隙間に落ちていた。

一体どうしてそんなところに落ちていたのかは知らない。

心底胸を撫で下ろしながら、ついでに近くの別のドラッグストアにも立ち寄った。

さっき選びそびれて買えなかった足のクリームを買おうと思った。

ペンジュラムもそこ行くよと言うから行くと、そのまま手や足のクリームのコーナーに真っ直ぐ向かった。

20〜30は種類がありそうな中、ペンジュラムは陳列棚の全部にNOと言いながらも「ある」にYESだった。

他の場所にあるということだから、さっと近くを見渡すと、奥の方に値引コーナーがあった。

このドラッグストアは、各コーナーごとに割引ワゴンを置いているから、そこにクリームがあるかもしれないと思って見に行った。

日焼け止めが主流な中、ボディクリームが半額になっていた。

蓋をそっと開けてニオイを嗅ぐと好きじゃない。

でもペンジュラムは買うにYES。

よくよく見ると2種類あった。

もうひとつを嗅ぐと、そちらはすごく好きなニオイだった。

しかも2本買うと言う。

ボディクリームを2本買ったことなんてないけれど、オススメなぐらい体に合ってるんだろうと思った。

そうやってやれやれƪ(˘⌣˘)ʃと思って、2本ともレジに持ち込んで、ようやく家路に着いた。




改めてペンジュラムのことを思った。

生まれてこの方、お守り的なものやアクセサリーをこれまで身につけたり持ち歩いたりしたことがない。

そんな中、ペンジュラムがほぼ24時間体制で肌身離さずまでいかないけれど、近くに置いている。

家にいて起き上がっている時間は、大抵木のテーブルの上に置いている。

寝る時は枕のすぐ横に置いている。

外に出る時もこれまた私は独特で、財布や携帯以外に、まずはペンジュラムをきちんと収納できるか、宿泊を伴うような時はかばんのどこに入れるかを考える。

今回探していた時も、携帯他無くなってもいいけれど、ペンジュラムだけは他に代わりがきかないとわかっていて、それだけは絶対に避けたかった。

外に出かける時、運転中はひざの上にいつも巾着袋こと置いておく。

仕事となれば、かばんに忍ばせて出勤する。

買い物時はかばんに入れるか巾着袋ごと手にして持ち運ぶかする。

今回ももれなくそうだったけれど、買い物の時がある意味一番本領発揮しているかもしれない。

買う買わないもだけど、今日のように種類がたくさんありすぎて選べない時、ペンジュラムがどれがいいかを教えてくれる。

大型の百均に行った時、本来必要なファイルを手にして後にしようとしたら、両面テープが目に入った。

ここ最近、ほぼ毎日愛用中の相棒歴25年の英和辞典の表紙が本体から完全に外れてしまって直さないといけなかった。

そうだ、両面テープが要る!と思った。

まず両面テープコーナーに行って驚いた。

パッと見ただけでも、太さも含めて30〜40は種類がある。

どれがいいのか全くわからなかった。

こういう時はまずは、「買う?」と聞く。

YESが出た。

あまりに種類が多くてパニックだったから、上から順に「この段?」っていう風に聞いていった。

下から2段目のところでYESが出た。

最初目星をつけたのが2つほどあって、でもさすがにそこは人通りが多くてペンジュラムをきちんとかざせないから、2つを手にして、少し人目につかない近くの別の列に行って聞いた。

どちらもNOで、でもペンジュラムはあるという。

そうだ!と思って、私は買い物かごの中でペンジュラムを回した。

数個目のところでペンジュラムがYESを出した。

何が他と違う風にも見えなくて、とりあえず手に取ってよく見てみた。

「布専用両面テープ」とあった。

そう、表紙の内側は、言うなれば一番近い素材が布になる。

そして、改めてコーナー全体を見ると、布専用のものはそれだけだった。

しかも下の目立たないところにあって、ペンジュラムがなければ見つけられなかった。

そんな風に使っている。

ちなみにこれには理由がある。

ペンジュラムは、私のことは何でもいいけれど、人の相談事やメッセージにも使う。

その時に間違いがないように、普段どうでもいい、間違えてもかまわないことで使って、精度の具合を確認するようにしている。

そうやって、とにかくペンジュラムをずっとずっと近くに置く生活をして早3年半。

私にとって、体の一部、本当に絶対に大事なもの、それこそ命の次ぐらいに大事なものなんだと思った。




ペンジュラムを日常使いしてる時点でも現代では変わり者かもしれないけれど、私は実はもっとおかしな想像をすることがある。

2年前の冬に初めてホロスコープ鑑定を受けた時の鑑定士さんから、私は過去世で10歳くらいまでしか生きられなかった男の子で、その時にもペンジュラムを自分の体の一部のようにして大事にしていたことを教えてもらった。

その時の意志が今の私の人生にすごく反映されていると教えてもらった。

鑑定士さんとの事前の打ち合わせのメールの中でこんな風に綴られてきたのが、初めて私がペンジュラムと自分との関係を知った時だった。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

メールを読ませていただいて感じたのですが、 間違いなく過去世でペンジュラムを使われていますね!
その時は、男の子です。祖父母にあたる方が使われていたようで、 家庭のなかに当たり前にペンジュラムがあり、 日常に当たり前に使っていたようです。 祖父母の方が使うのを幼少期からみていて、 自然に使いこなすようになり、 過去世の史子さんにとってペンジュラムは、 かけがえのない自分のお友達であり、自分の一部のような、 一体感になっていたようです。

この男の子は、 残念ながら成人までは生きていないようなんですよね。

この子の思い、志のようなものが、 今世の史子さんに強くいい意味で出ているようです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

私はこれを車の中で読んだけれど、今でも読んだ瞬間のことを覚えている。

読みながら涙がいくつもいくつも出てきて、胸の辺りがブルブルと震えた。

文字通り、震えた。

その時以降、私はペンジュラムを時々見ては「これを持っていた男の子の自分はどんな風に生きていたんだろう…?」と想像することが時々ある。

世の中風に言えば、40未婚無職おばさんがそんなことを時折頭に思い浮かべるなんて、何とも痛々しい構図かもしれないけれど、冗談抜きでそんなことを真面目に想像する。

当時の記憶なんてちっとも思い出せないけれど、唯一ペンジュラムだけが繋がっている、私のこの異常なほどに使いこなせる能力は、間違いなくその子が授けてくれたものだと思っている。

ひとしきりそんなことを考えていたら、私は
「あーーーーーーっ!!!!!!!!」
となった。

過去のブログを探した。

出てきた。

目の前にはいない生きている人から死んでいる人、風景まで、とにかく様々なものが霊視できるヒーラーのOさんとやりとりした時のこと。

Oさんは、ペンジュラムのエネルギーを読み解いて
【この世のものではないものと繋がっている】
と私に教えてくれた。

ずっとずっと何だそりゃ?と思っていたけれど、私は今になって、その「この世のものではないもの」というのは、もしかして過去世の私なんじゃないかと思った。

私というか、その男の子というか。

そんな細かな霊界エネルギーを私は読み解けないからわからないけれど、もう今は生きていない者なら、色んなことがお見通しでもおかしくない。

しかも、Oさんは最初にペンジュラムのエネルギーを読み取った時、私にこう言った。

「アメリカ人の10歳ぐらいの金髪の男の子で…
そばかすがあって…
ペンジュラムを使ってるのかな…
使ってるというよりペンジュラムで遊んでる感じですねー、
そんなのが見えます」

この話を聞いて、私は瞬時に思った。

多分Oさんが感じた映像は、その1年前にホロスコープの鑑定士さんが感じた映像とおそらく同じだろうこと。

とにもかくにも、その男の子の意志が本当に強く出ているんだろうって思った。

ずっとおかしな妄想だと自分でも若干思わなくもなかったけれど、そしてそれが当たっているのかどうかなんて知る由もないけれど、恐る恐るな気持ちの中で妙にしっくりくるものだった。

Oさんに「この世のものじゃない」と言われた時、私はとっさに「地球外生命」などと勝手に想像したけれど、なんなら宇宙人?とか、〇〇星人とか?とどこまでも妄想だけが暴走した形の想像を一瞬したけれど、そんなのは何でもいいと思ってそのままにしていた。

でも、多分だけど、「この世のものじゃない」はその男の子なりその男の子にまつわる何かだと思う。

これは当たっても外れててもいい。

私の中で「魂が設定したもの」に近づくのに、思い込みでも何でもいいから、自分がそう思えることで楽になれたり心に力をもらえたりするなら何でもいい。

さすがにここまで来て、そしてこの4ヶ月ほどのノムとのやりとりのおかげで、私の人生は私が思っている以上におそらく色々ぶっ飛んでいて、何だか知らないけれど何かを強く願ってまたは意図して今回生まれてきているだろうことも受け入れつつある。

そんなの誰でもそうだろうけれど、私の場合、自分が望んでいるありきたりな生活、なんなら夢は専業主婦などと言う人が、それからは程遠い世界のことに関わるような人生であることを受け入れ始めてる。

その程遠い世界のことを私はまとめて「魂の設定」としている。

言葉は何でも良くて、要は私が受け入れられるかどうかが大事だったりする。

そうだとした時に、魂の設定を今を生きる私が少しでも頭で理解できた方がいいわけで、ノムの言葉を借りると「左脳で理解する」になる、そのような状態が好ましい。

その「左脳で理解する」のに、ペンジュラムを見て、過去世の男の子の存在に想いを馳せるというのは、私にとってある意味気持ちがふっとゆるんで、遠い自分と繋がるみたいな感覚がうっすらないわけでもない。

だから、そんなことをずっとしてたんだなぁ…と思った。




近いうちに書き上げてアップしたいと思っているけれど、この度ノムのおかげで、ペンジュラムなくても私はきちんと情報をキャッチできることを知った。

但し、何でもかんでもではなく、第三者からのメッセージに限る。

布用の両面テープとか、半額のボディクリームの在りかなどは到底キャッチできない( ̄∀ ̄;)。

そちらは相変わらずペンジュラム頼りだろうけれど、人からキャッチするメッセージに関しては、少しずつペンジュラム無しでキャッチしたままを伝えることをこれからはするようになると思う。

そうであっても、ペンジュラムは私にとって私の一部のような存在感には変わりないし、お守り的に持つだろうことも変わらない。

仮にこれから死ぬ時まで何十年と共にあるのなら、一番それがいいなぁと思っている。

2018年3月24日土曜日

次に試したいこと

ペンジュラムが私の元へ来てから1年10ヶ月。

今さらペンジュラムの動画を初めて見た。

普段見たいとは思わないけど、ふと余裕があって見てみたくなった。

怪しげな風貌のおじさんが画面の向こうにいて、私に言われたくないとは思うけれど、本当に「怪しい」と真っ先に思った。

人は悪くなさそうだけど怪しい、この一言に尽きた。

それ見て、自分自身も同じくらい第三者から見て怪しい人に映るのでは…と思った。

ぱっと見だけでも怪しくならないように服装や身に付けるものには気をつけようと誓った。

怪しい風貌でも紹介されてる内容はきちんとしていた。

そして何の解説もなかったけれど、人体の各パーツを区分けした図表のようなものの上でペンジュラムを回してる場面があった。

それは一瞬でまたすぐに場面は変わったけれど、その様子は即座にひらめきをもたらしてくれた。

今金沢の妹のところに遊びに来ているけれど、来る前日の夜に1冊の本が届いた。

「チャクラ」と呼ばれる体と心の両面から自分自身を見ていくためのオールカラーの図解入り解説書。

その本とペンジュラムを組み合わせて、自分自身の体と心のチェックをすることを思い付いた。

この1ヶ月くらいの間で私は体のマッサージと心のマッサージ的なものを合計3回受けた。

3回ともに共通してたのは、とにかく体と心がものすごく密着してお互いに影響し合ってることだった。

心と体は連動しているというのはよく言われるけれど、実のところ私は体の感覚について言えばかなり鈍感な方だと思う。

のどが痛いとかお腹の調子が悪いとかそういうことは気付けても、日常的にさして困ってない無自覚のものは全くわからない。

なんなら、指摘されても無自覚過ぎてわからない始末。

私は正直、困ってないし痛くもかゆくもないことに関しては特別にケアが必要だなんて思ってなかった。

それが今回体のエキスパートと心のエキスパートのそれぞれのプロの方から施術してもらって、その無意識の部分がいかに自分の性格や思考パターンにまで影響を及ぼしているかを知ることとなった。

そこをケアしたり強化したりしたら、私の中で好ましくない思考パターンも変化するかもしれないと思った。

個人的に思考パターンや性格を変えたいと思ったら、一番手っ取り早い方法はそういう自分を受け入れることだと思ってる。

手っ取り早いけれども実際には一番難しいのもそこだと私は自分で色んなことをしてきて思う。

それとは別に、そうした体の側面から働きかけるのも面白そうだなとそのペンジュラムの動画を見ていて思った。

心のケアはそれなりにして来たからわかっても体のケアや体と心をセットにしてのケアはほとんどしていない。

私の場合、体は痛みや違和感が出るまで基本的に放置する。

その無自覚の部分は、今いきなり自覚しろと言われても難しい。

痛くもかゆくもないものはやっぱりわかりにくい。

そこでそのチャクラや人体の図解表を使って、ペンジュラムでそれぞれのチャクラや臓器の状態を聞いていくというのをやったら面白いなと思った。

本はパラパラっとしか見てないけれど、確か各部位に対する日常的なケアの方法も書かれていたと記憶している。

わからないことは、せっかくペンジュラムがあるからペンジュラムに聞きながら体の声は聞いていったらいい。

その先の具体的なケアは本やネットで調べていったらいい。

そういうことをこれからもっともっと知っていく勉強する実践する、それに興味がある。

ちなみに今、姪っ子メイの鼻風邪がなぜかのどの風邪菌として私にもたらされ、ここ何年も縁のなかったのどの強烈な痛みに襲われている。

昨日すぐに異変に気付いて(あまりに痛いから)、得意ののどに塩を巻いて、そして今回はそこにプラスして、オルゴナイトも一緒にのどに巻いてる。

医学的に根拠はないとはっきりと看護師の友達から指摘を受けたけれど、現実的にここ15年近く私はのどの痛みは塩を巻いて治してる。

嘘みたいな話だけど、本当に重症化せずに塩で炎症を抑えてもらってる。

洗濯洗剤のスプーン1杯くらいの塩、カレー用の大きいスプーンなら2杯強、大さじだと3〜4杯ぐらいの塩をティッシュでくるんで、そのティッシュを手ぬぐいとかハンカチで包んでそれをのどに巻く。

のどの辺りに丁度塩が当たるようにする。

やることはそれだけだけど、どういうわけか私はそれでのどの炎症が治まる。

昨日はお茶を飲むだけでのどが痛かったから、ふとオルゴナイトものどに当てたらもっといいかもと思って、実験的に試してる。

一夜明けて、少なくとも昨日よりはのどの痛みが引いた。

龍角散の飴も舐めたけれど、実際に何が功をそうしてるのか不明だけど、とにかく塩を巻くのは私的に超オススメ!

とにかくこれからは体のケア&体と心の両面のケアというものを始めていく。

2018年3月19日月曜日

ペンジュラムと器


3月15日の小春日和な日、家から60km離れた珈琲店でモーニングを皮きりに、その後も色んな楽しい用事を思い付くままに詰め込んで目一杯遊んだ(☆)
日も暮れた最後の方に、本来の目的だった洗顔ソープを買う予定がなんと在庫切れ。

今のところそのお店でしか売ってるところを見たことがなく、泣く泣くあきらめて店を後にした。

色々詰め込んだけれど、本来一番の目的はその洗顔ソープだった。

その一番のことが達成できず、ドッと疲れが出た。

ましてや色んなことをやり終えた後で、1日フル稼働だった体はもう限界に近かった。

90kmは運転し、これからまた70kmほどの運転も待っていた。

本当はもう1つの大きなショッピングセンターにも行きたかったけれど、体は休みたかったからそれも止めた。

こういう時、念のためにペンジュラムに「今から家に帰ります」と聞く。

ペンジュラムはNOを出してきて、例のもう1つのショッピングセンターに行くことを示した。

ウソでしょ?と思った。

私疲れてますけど!とペンジュラムを見て思った。

何度聞いても、そのショッピングセンターに行くがYES、行かないについては単なるNOではなく絶対的なNOを最初から出していた。

はっきり言って、その大きなショッピングセンターに私は用事がない。

買うものもない。

広いけれどどうしても見たい店もない。

それでもペンジュラムはYESしか出さなかった。

ここまでくると何かあるとしか思えず、老体に鞭打ってではないけれど、疲れた体を引っ張ってとりあえずそのショッピングセンターへ移動した。

私には何の目的もなかったから、極力動かなくて済むようにペンジュラムにいくつか車の中で質問をした。

行くのは1階だけでOKか?→YES。(2階や3階に上がる体力も気力もなし)
服を買うのか?→NO。(うん、買う予定最初からないよ)
もしかしてそこに洗顔ソープが売ってる(期待大)→NO。(ガーン)
別の何かのために行くのか?→YES。

1階のお店を思い浮かべる。

私が行く店はカルディ含めて5つほど。

だけどどれも今欲しいものは1つとしてない。

どこも用事がない。

そしてカルディ以外については気に入ったものがなければ絶対に買物をしない店たちばかり。

カルディだって基本的に必要なものしか買わないし、今家のストックが切れてるものは何もない。

ほんと何しに行くんだろう?と思って店内に入った。

服の店はすべてパスで、普段入りもしない化粧品屋に入って一応洗顔ソープがないか確認した。

案の定ない。

広すぎる店内は歩くだけで疲れるから、相当気になるものがない限りどこにも寄らずひたすらまっすぐ進んだ。

食器だけは見るのが好きだから、服屋に置いている食器売り場だけちょっと立ち寄った。

私は食器を見るのも好きだけれど、もしその食器を手にしたら…という妄想の時間も好きだ。

食器の妄想は毎回どこまでも行きすぎで、それを友達の前で何回か話したら大爆笑されるか冷ややかな目を向けられるかの毎回どちらかでしかない。

今回もここにケーキを乗せたら…とか、夢の結婚生活の食卓の朝食風景では…とどこまでも妄想が広がった。

そんなことしてる場合じゃなかった、疲れてるんだった!と我に返ってまた先へ先へと進んだ。

212kitchenという台所用雑貨店に入った。

ここも基本的に見るのは好きだけれど、いまいち趣味が合わないから、相当ピンポイントで必要なものがないと買物をしない。

名古屋時代も含めてこのお店には数十回通っているけれど、買ったのは弁当用の木のはし&はし入れと木製のお茶っぱなんかのさじみたいなのだけだったと思う。

器は量産的なものが多くてデザインや形があまり好きじゃないのと、そして値段もやたらと張るから買ったことがない。

だから今回も何の期待もせずに店の中に入った。

疲れてるから、私はセール品コーナーを見つけてまずはそこを見て、その後はまっすぐに食器コーナーに行った。

驚いた。

まさかまさかの昼間に買った器と同じ器が売られてるとは!

実はその昼間に買った器には全く別のストーリーがあった。

そもそも昼間に買った器は全く買う予定のものではなかった。

そしてもっと言うと、そのお店は偶然見つけた雑貨屋さんだった。

私はその日の昼、ずっと行ってみたかったシンガポール料理のお店に行った。

そのすぐ近くで、例の在庫切れだった洗顔ソープが売っている雑貨屋と同じ系列の店舗をたまたま見つけた。

だからそこで洗顔ソープがあれば、わざわざいつも買う店の方は行かなくて済むと思って寄った店だった。

洗顔ソープはなかった代わりに、器があった。

実は名古屋にいた頃から私はもう何年にも渡って、1人分用の煮物を盛り付ける中鉢が欲しかった。

1人分の肉じゃがとかそういう類いのもの。

ちょっと汁も一緒に盛らないと絵にならない、又はおいしくない、そういうものを盛るための器が欲しかった。

それに関しては相当探し回った。

ほぼ1日かけて大阪の千日前道具屋筋商店街で食器を探した時も、瀬戸焼で有名な瀬戸の町を1日かけて回った時も(それも数回)、東京の合羽橋でも、全国陶器市やドームで開かれたテーブルウェアフェスティバルの時も、とにかくどんなに探してもなかった。

何百どころか何千という単位の器を見ているけれど、どうも今の日本の食卓事情に合わないのか、ほとんど中鉢と呼べるようなものが売られていない。

いいなと思っても、重さがとか、値段がとか、触感がとか、デザインがとか…とにかく「これだ!」と思えるものがない。

いつだったか器の作家展のようなものに立ち寄った時、店番をしていた陶芸家の方に煮物を盛れるような器がなかなかないと言ったことがあった。

そうしたらその人がまさに私が見て回って得た感想と同じことを言っていて、今の日本ではその手のサイズの煮物の器をあまり積極的には作っていないのだそうだ。

ないわけではないけれど、数としてはかなり少ないとのことだった。

作っても業務用なんかの大量発注系が多くて、個人宅で使う用には出回る数も作られる数も相当少ないらしい。

そんなにも探しに探した器を、なんと予定もなかったその洗顔ソープを探すために入ったお店に置いてあった。

値段も650円とかわいくて、そして何より一目惚れだった。

しかも軽い。

私は重たい食器が好きではないし、普段使い&お手入れするのに異常なほどの緊張感を強いられる食器も好きじゃない。

それら全てをクリアしていた。

ただ1つだけ残念だったのは、その器がラス1(ラスト1)だったこと。

お店の人も出ている分だけという風に説明された。

この食器だけに関しては、2つ欲しかった。

ぱっと見て、まぁいつもの妄想と何が違うのかよくわからないけれど、なんとなく2つ持つイメージが出てきて、そしてそれを誰かと共に囲むというのが頭に浮かぶ器だった。

その誰かもいないのに、ましてや今後ますますお一人様生活の可能性濃厚なのに、どうしても2つ欲しいと思った器だった。

別に気に入ったら私は1つでも買うし、いつからか本気で1人で生きていく気がすると思ってからはもうどうでも2つもいらないわと開き直り、本当に1つしか買わないことが習慣づいていた。

しかももう長いこと食器を買っていない。

実家に住んでからは、実家の全く好きではないヤマザキのパン祭りの皿を中心に使っている。

名古屋から持ち帰ったものたちは、いつかの1人暮らしなり奇跡的な結婚を遂げた場合の時用に大切に保管している。

だから食器を買うこと自体もものすごく久しぶりだった。

多分3~4年ぶりだと思う。

そんな私が一目惚れした器で、そして珍しく2つ買いたいと思った。

だけど数は1つしかないから、もうそれはあきらめるしかないと思い、そしてペンジュラムに聞いても「買う」と出るから、あぁこれはすぐには使わないにしても買っても良いものなんだと思って買った。


という昼間の出来事&過去の色んなことが一気に浮かび上がり、それがまさかその212kitchenで同じものが売られてるとは、なんという偶然だろうと思った。

ちなみに212kitchenはどんなに行かなくても2ヶ月に一度は行っている。

そこのレギュラー化したお皿たちもよく存じ上げている。

イレギュラーで入ってくるものも毎回目にするけれど、どれ1つとして惚れたものには出合ったことがこれまでに一度もなかった。

基本的に趣味が私とは違う店なんだと片付けていた。

だからまさかその日に一度は2つ買うことをあきらめた一目惚れした器と同じ器が売ってるだなんて、天変地異もいいところだった。

そしてこの器のさらに高ポイントなところは、1つ1つ手作りゆえに色も表情も質感も全く違っている。

だから2つとして同じものがない。

今手元に2つあるけれど、2つとも全然似ていない。

さらに和が強すぎるわけでもなく洋でも普通に使える。

シチューでもサラダでもなんでもいける。

本当に素晴らしい出合いだった。

奇跡はまだ続き、レジに行った時のこと。

ちなみにショッピングセンターとはイオンのことだけれど、イオンのカードの提示を求められたことはこれまでにも多数あったけれど、一度も「ポイントを使われますか?」と聞かれたことはなかった。

なのに昨日は「92ポイントございますが、使われますか?」と聞かれた。

こんなこと初めてだった。

ますますラッキー♪と踊りたくなるぐらいに思い、そうしてくださいとお願いした。

ということで、この2つめの鉢は税込610円で購入できた。

これで一気に疲れが飛んだ。

ペンジュラムは何を知っていたのだろうと思う。

そりゃ行け行けと言うわけだと納得した。

本当に毎回毎回ペンジュラムには驚かされるけれど、今回もとびっきりの夢を1つ叶えて
くれた。


2018年3月9日金曜日

カーナビデビューした日のこと


ペンジュラムがカーナビデビューした日のことはとてもよく憶えている。

しかもその時はペンジュラムにそんなすごい機能があるとは一切知らずにいて、結果的にペンジュラムがカーナビ的な役割を果たしてくれて、それで私も初めてそのすごい機能に気付いた。

2017年の年末、1人反省会を休みの初日だったか2日目に決行した。

1人反省会自体はとても楽しかった。

とても楽しかったけれど、1つだけいつまでも悶々としていることがあった。

ちょうど休みに入る前の日、私はある人の恒例の年末のスケジュールを別の人から聞かされることになった。

相手も教えようと思って教えたわけじゃないし、私も聞きたくて聞いたわけじゃなかった。

その教えてくれた人の理想の年末のスケジュールの話から話が飛んで、その知りたくもなかった別の人の恒例の年末の過ごし方まで耳にすることになった。

この年末もそうするなんて言ってるわけじゃなかったし、ましてやこんな又聞き状態で情報の信ぴょう性もわからない。

だけどどういう過ごし方が恒例で、そしてそのイベントの際どういう人と一緒にいるのかまで知る羽目になった。

本気で要らない情報だったし聞きたくも知りたくもなかった。

そのたった1つの情報で私が悶々とするには十二分な威力と破壊力があった。

そういう時の想像力というのはとどめを知らない。

本当に余計な想像を働かせ、自分もそれでますます落ち込み、年末だというのに負のループ始動という怖ろしいことに発展した。

 

年末の1人反省会、途中で美味しいケーキ屋さんでお茶をしながら日記を書いて、今度はそこから日帰りの天然温泉を目指すことにした。

iPhoneのマップで経路を確認した。

そんなには難しくなく、普通にきちんと着けるだろうと思って、画面を開いたまま時々現在地を確認しつつ曲がる場所を確認しつつ行けばいいなと思って運転した。

ところが私はそのマップの経路通りに行っているつもりでも、なんと4~5回道を間違えて、そして大雪が降り出し始めたせいで道も悪い中何度もハンドルを切って狭い道をUターンしなければいけなかった。

地図を読めない自分が悪いとは思えず、iPhoneのマップがわかりにくすぎる!とiPhoneのせいにした(苦笑)。

温泉に入って少し気持ちがすっきりとした。

悶々度100とするなら、温泉から出て悶々度80くらいまでは下がってくれた。

少し気持ちが落ち着いた私は、なんとなく肉まんが食べたい気分だった。

帰りにコンビニに寄ろうと思った。

その時パッと思い浮かんだコンビニが1つあった。

その道を経由して帰るのが実は近道かもと思ってそちらを目指そうと思った。

でもそこまでの行き順もわからなければ、そのコンビニをどうやってピンポイントで検索していいのかもわからなかった。

そこでふと「ペンジュラムに聞いて行ったら面白いかもしれない」と思った。

万が一間違えてもその時はそれこそマップをiPhoneで見たらいいし、そして途中からは何度も通ったことのある道に繋がるのはわかってたから、そこに出るように検索したらいいんだと思った。

そうやって運転を始めた。

運転を始めるとさっきまでのすっきり感は一瞬で消えて、またもやあの要らぬ情報が頭を駆け巡り出した。

忘れたいのに忘れられない。

ましてや今年もそういう過ごし方をするのなら、これから数日の間でそのようになる。

もちろんそんなの私が実際に知ることはないのだけれど、世界のどこかでその予測した出来事が起こっているんだと思うとそれだけで私は嫌だった。

ものすごく嫌だった。

ごちゃごちゃ考えつつも運転に集中しなきゃと気持ちを切り替えてひたすらペンジュラムが指す方指す方を進んだら、見知らぬ住宅街の中に入ってさらにはどんどん道も細くなっていった。

途中は本当に車1台通れるレベルの細さだった。

とうとうペンジュラムも狂ったのかと思った。

私の心の状態がすごい不安定で思考もばんばんネガティブな方に引っ張られて、だからペンジュラムもそれに同調するように狂ってる!?と思った。

大真面目にそう思った。

あまりにも変な道をペンジュラムが案内するから、途中で私はもう本当に訳の分からない道に出ることになったらその時はiPhoneを開いてマップで現在地を検索してそこから軌道修正しようと決めた。

とにかく何でもいいから大きな通りに出たかった。

しばらくペンジュラムが指す方にひた走ると、数百メートル先に信号が見えた。

しかもその信号は大きな国道とかに繋がりそうな交差点で、そこでようやく道を正せるかもしれないと思った。

信号の前に着いて驚いた。

なんとその交差点は、私が肉まんを買いたいなと思ってじゃあコンビニに寄ろうと思った時に「あのコンビニがいいかも」と思った、まさにそのコンビニが角にある交差点だった。

本気でびっくりした。

温泉からコンビニまでも多分最低でも10kmある。

下手したら15kmぐらいある。

その間私はほとんどよくも知らない民家の間の道をペンジュラムが指すままに突き進んでいて、だから通った道もその近隣の町も全く土地勘がなかった。

全く土地勘がないのにも関わらず、私のひざの上にあったペンジュラムは迷うことなく右だの左だのと私に指示を出していた。

交差点が出てくる度に私はペンジュラムを右手に持ち、次はまっすぐなのか右なのか左なのかを都度都度聞いていた。

ペンジュラムそのものは水晶で石だから、当たり前だけど喋るわけじゃない。

だけど私が質問すれば方角を教えてくれる。

友達に言わせると私は極度の方向音痴らしいから(←自覚がないのがもっとやばいと言われた 汗)、もうどこをどう走っていてもどの方角に自分がいるのかもわからない。

さらには夜で真っ暗で街灯もとても少ない集落ばかりを通過していた。

もしくは農道と思しき道か。

ペンジュラムよ、どこからその情報を持ってきてる!?と思いつつも、私はそのコンビニが角にある交差点に着いた時に思った。

ペンジュラムから「心配しなくて大丈夫!」「不安にならなくて大丈夫!」「信頼して大丈夫!」それを伝えてもらってるんだと思った。

 

ペンジュラムはコンビニの中に入ってからも面白いことを教えてくれた。

入るまでは「肉まん」と思っていたけれど、実際に中に入るとレジ脇に置いてある他のお総菜が割引になっていてそちらに惹かれた。

定価では買わないけれど、割引セール中の値段なら試してみたい。

こういう時私は人目につかない適当な棚の前に行って、ペンジュラムにどうするかを聞く。

ペンジュラムはお総菜NO、あくまでも肉まん推しだった。

3回は聞いたと思うけれど、絶対に肉まんにしかYESと言わなかった。

初心貫徹しろということだろうか?などと煩悩まみれの私の頭は考えた。

まぁ肉まんを食べたいと思って入ったコンビニだから、ペンジュラムが言うように肉まんにしようと決めた。

肉まん1つだけ買って車内で一口食べてびっくりした。

これまでの人生においてコンビニで買った肉まんの中で、いっちばん美味しい肉まんだった。

コンビニにはそうそう行かない私だけれど、毎年冬になると肉まんを色んなコンビニで買うぐらい肉まんは好きでよく食べている。

でも一度として肉まんがすっごく美味しいと感じたことはない。

寒い冬の夜にはふはふしながら食べるあの雰囲気が好きなだけというところも否めない。

だけどその時の肉まんは、本当に本当に味がおいしくて、ふっくら具合もアツアツ加減も全部が全部百点満点だった。

ペンジュラムが肉まん推しした理由もわかった。

なぜそんな情報をペンジュラムが知ってるのか相変わらず私は知らないけれど、そんなことどうでも良くて美味しい肉まんに引き合わせてくれたペンジュラムにただただ感謝するばかりだった。

 

すっかり気を良くした私は、ある秋の日の仕事の昼休みに立ち寄った静かな場所へと車を走らせた。

その場所でその秋の日、私は賭けごとをした。

その賭けごとは絶対に100%起こらないとわかりきっていたことだった。

だから私は起こるわけないことに対して、賭けごとをした。

色々あきらめるつもりだった。

もうこれ以上面倒なことを自ら引き起こしたくなかった。

大人なんだからもう少し理知的になろうよと思った。

何をどう考えてもそっとしておくのが一番だった。

もう面倒なことも傷付くことも嫌だったから、それ以上首を突っ込むつもりはなかった。

だから私は、次なる行動を起こさないつもりで賭けごとをしていた。

もしその絶対に起こらないことが起こったら、それは本当に動けということだから、その時はそうしようと、起こらない体で私は賭けごとを始めた。

目の前で絶対に起こらないことが起こった時の驚きようと言ったらなかった。

嘘かと思った。

まさかのまさかで天変地異が起こった。

ものすごい混乱したけれど、多分私はGOサインが欲しかったのかもしれなかった。

私はまさかのことが起こったことで、その後本当に行動に出た。

それらの本当の意味を知る手がかりを得たのはそれから5ヶ月も経った頃だったけれど、当時は何が何だかわからないままに動いていた。

そして年末のその日も私にはまだ何が起こったのかよくわかっていないままその場所へ行き、その日から数えて3ヶ月ほどの時間と年末の悶々とする情報とを頭の中に思い浮かべながらしばらく車を止めて目の前の景色を眺めていた。

その賭けごとの時もペンジュラムに背中を押してもらっていた。

あの秋の日、なんとペンジュラムは私に全力で色んなことを伝えていた。

ペンジュラム自体は言葉を持たないから、ペンジュラムはそれまで一度も見せたことのない動きを目の前で始めた。

そんなの見たことなかったから驚いた。

ペンジュラムが何を一生懸命伝えようとしてくれてるのかは半分以上わからなかったけれど、とにかくもう色んなことが普通ではなかった。

何かが確実に動いていたし、それを信じて動くことが大切なんだろうと思った。

その時のことや、その年末のその時にペンジュラムが不安になっていた私に道案内をしてくれて「すべて大丈夫」というサインを見せてくれたこと、それらを振り返って私はペンジュラムにとにかく感謝した。

 

ペンジュラムがカーナビデビューを飾った日は、私はそんなこと1ミリも期待も予想もしていなかった。

実際にパーフェクトに道を案内してもらうまで、ペンジュラムにそんな機能があるとは私は知らずにいた。

だけどよくよく考えてみたら、昼間明るい時にiPhoneのマップ見て何回も道を間違えた人が、夜暗くなってからペンジュラム頼りで運転してただの一度も間違えることなく目的地に無事着いたのだから、本当にすごい。

ペンジュラムは私のカーナビにもなってくれるし、他の色んなことも教えてくれる。

いつかこのブログでペンジュラムは私にとってドラえもんみたいな存在だと書いた記憶があるけれど、それはそのカーナビデビューを飾った日、それまでで一番強くそう思った。

ちなみに3月になった今、ペンジュラムはもっともっとドラえもん化している。

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