40社ほど受けて唯一内定がきた仕事の勤務地が名古屋だった。
正直名古屋というのが縁もゆかりもない土地すぎて、すごく迷った。
外国には住めるくせして国内のある都市となると途端に不安だらけになって、もう少し転職活動を延長してもいいんじゃないかと思った。
さらには仕事の福利厚生の面でも不安なところが出てきて、本当にそこに飛び込んでいいものかと思った。
でも私は名古屋に行くことを最終的に決断した。
どうして名古屋にしたのか、今でもその理由をとてもよく覚えている。
私の名古屋行きは2人の人と名古屋のある場所との出合いで決まった。
今振り返ると、その3つの出来事は本当に寸分の狂いもなく起こってくれていて、そのうちの1つでも欠けてたら、もしくは起きたこととは別のことが起こっていたとしたら、私は名古屋に行かなかったと思う。
実際に名古屋行きやその勤めた会社に関して警告を出してくれてた人たちもいた。
だけど私はそれでも名古屋を選んだ。
今日はその3つのことについて書きたい。
1:トモさん(仮名)との出逢い
ドミニカから日本に帰国してすぐ、私は東京に住んでいる妹の紹介でマッサージに行った。
それは池袋の駅から徒歩3分くらいのところのタワーマンションの一角にあった。
看板も宣伝も一切出ていない。
紹介されなければそんなマンションの一室にマッサージ屋さんがあるだなんて誰も知らないだろう。
妹も仕事の人から紹介されたとのことだった。
それがトモさんだった。
本当のプライベートサロン風で、大きな水晶やら名前の知らない石やらが置かれていて、初めて目にするタイプの空間だったけれど、とても居心地が良かったのは覚えている。
私は帰国して3日目前後でどうやら行ったらしく、後から妹からこんなことを言われた。
「史子が最初にトモさんのところに行った時は、史子時差ボケでほとんど寝ていて覚えていないって言ってたんだよ。
そして名古屋の話が出た時に、トモさんにそれとなく聞いたら『名古屋武士俣さんに合ってると思いますよ』って言われて。たった2回しか会ってないトモさんに合ってると言われてそれで決めた史子見て、本当に驚いた」
トモさんにそう言われたことはよく覚えている。
だけど、それで決めたと妹の前で言ったことは一切覚えていなかった。
しかもそれを妹が私に言ってきたのは、名古屋に行ってから最低でも2年か3年経ってからだった。
トモさんにどんな風に切り出したのかも、相談する風な感じで言ったのかも、そういうことは覚えていない。
だけど「名古屋武士俣さんに合ってると思いますよ」と静かにほほ笑みながら言ってくれたことは覚えている。
そして私はトモさんが霊視的なことができる人なのかどうかはわからないけれど、もしかしたらそういうことが多少はわかってた人なんじゃないかなと今になって思う。
少なくともトモさんは、百発百中体の悪いところを毎回言い当てる人だった。
ある時私は本人に直接何でわかるのかを聞いたことがあった。
「お客さんに会うと、その人の痛いところが私も痛くなるんでそれでわかるんですよ」と言っていた。
世の中そんな人がいるんだとびっくりしたと同時に、だからいつも確実にその時に悪いところとか弱ってるところをケアしてもらえてるんだなと思った。
すごい余談だけど、それを最初聞いた時「それすごい!」と思ったしトモさんにもそう言ったけど、まさか自分も名古屋にいる間にそれとは別の体感覚が出てくるようになるなんて当時はゆめゆめ思わなかった。
それもいつかの名古屋シリーズで書いていく予定。
最初に言うと、私が名古屋に行った理由は、そういうあまり聞いたことのないような自分の力に気付いたり、それが当たり前だよということをさらりと言ってくれる人たちに出逢ったり、そういう私をそのまま受け止めて付き合ってくれたり、そうした知恵がわんさかと与えられたり、そういうことのために行ったようなものだと思う。
全く想像もしていなかったことが次々起きて、だからこそ名古屋に行ったんだろうなぁと思う。
2:神社との出合い
2次面接で人生で初めて名古屋に行った時のこと。
その日は朝新潟を出てそれで名古屋に直で行った。
これも全部全部予定調和だったと今だからわかる。
当時私は、就職活動をしつつも、全国あちらこちらと言っても基本的には本州の部分のどこかにいる友達にたくさん会っていた。
本気で自分の生き方に迷っていた当時の私は、色んな人に会ったらいいと思って、暇とちょっとした小金を持っていたから、それらを利用して本当にあちらこちらに出向いて友達に会ってきた。
その時のこともいつかは書くかもしれないけれど、今は割愛。
そんなことを同時進行でしていた私は、一度面接のために新潟から遠くへ行く時は、一気に色んな予定を詰め込んだ。
だから面接も自宅から行く時もあれば、どこか友達の家から行く時もあった。
名古屋の時は自宅から直で行って、おそらくその後色々と予定を詰め込んだと思う。
その日は自宅から行ったものだから、母親が朝弁当をこしらえてくれて、それを持たせてくれた。
母はスーパーやコンビニの弁当の容器を取っておいて、そこに詰めてくれる。
だから弁当は食べたら適当なゴミ箱に捨てればいい。
その日もからあげや卵焼き、おにぎりの入った弁当を持ちながら、そしてスーツケースを持ちながら、会社の本社に行った。
面接の前なのか後なのかは忘れたけれど、その弁当を食べるにあたり私は場所を探さないといけなかった。
本社のある駅に着くと、ビルビルビル+アスファルトだけという場所に圧倒された。
弁当を食べる場所なんてとても見つけられそうにもなかった。
自力で見つけるのは無理だから、人生で最後になるだろうガラケーの地図を開いて、近くに公園とかがないかを探してみた。
GPS機能を最初に開発した人には心底お礼を言いたい。
1つ神社がヒットした。
本社から徒歩2分もあれば行ける。
弁当を広げられるかどうかはわからないけれど、とりあえず行ってみようと思って地図を頼りに行った。
その神社に行って驚いた。
私が子どもの頃よく遊んでいた近所の社ととても雰囲気が似ていた。
のちのちよく見ると、その神社のような厳かな雰囲気は私が遊んでいた神社とは似ても似つかない気がしたけれど、それでも足を一歩踏み入れた瞬間、「本町に住んでた時のあそこと一緒だ」と真っ先に思った。
それは懐かしさだけじゃなく、安心感のような安堵する気持ちも同時にもたらした。
そして私はそれを見て「名古屋でやっていけそうな気がする」と直観で思った。
何の根拠もないけれど、その場所に立ってそこの空気を吸った時に、「大丈夫」と思えた。
ちなみにこれは後から会社の人たちに聞いて知ったことで。
本社から徒歩2分の場所にも関わらず、その神社は駅を背中にしたら本社とは真逆の方向にあって、本社が左側にあるなら2つの大きな幹線道路をはさんで右側にその神社はあった。
しかも神社は幹線道路から脇に1本入った道に入らないと見えないようになっていて、その脇道も用事がなければ絶対に通らない道だった。
だから会社の誰に聞いても「そんな近くに神社があるなんて知らなかった」と皆が言っていたのも無理はない。
そこは私だけの秘密基地みたいで、私は実際に仕事に行ってからもよく1人で通ったし、そして仕事を辞めてからもそして最後名古屋を出る時も本当に何度も何度もその神社には通った。
なんなら、去年のお盆休み、当時三重に住んでいた妹夫婦+姪っ子を訪ねに行った時、名古屋にも立ち寄ってその神社に行ってきた。
とにかく、母親が持たせてくれた弁当のおかげで私はその神社に行くことができた。
もしあの日友達の家から名古屋に向かっていたら…
もしあの日母親に荷物になるから弁当とか絶対にいらないと言っていたら…
もしあの日母親が弁当を作ろうと思い付かなければ…
たられば話になってしまうけど、本当の本当に全てのことがぴったりと重なり合わないと絶対に出合えない場所であったことは確かだった。
3:ハローワークのおじさん
仕事が内定してからも私は名古屋に本当に行くかどうかをずっと迷っていた。
それはトモさんの言葉の力も、偶然出合えた神社の存在さえも帳消しになるぐらい、不安の方が大きかった。
というより不安しかなかった。
そこに追い打ちをかけるように、年上の友達の友達からアドバイスをもらって、それをその通り会社に聞いたら、曖昧にしか答えない会社に余計と不信感を募らせた。
友達の友達は企業にお勤めの方で、福利厚生に関してとても詳しかった。
20代の私は採用のされ方も特殊であれば、日本の学生がする就職活動をしてないから福利厚生の言葉すら知らずにいた。
ましてや企業の福利厚生なんてもっと知らなくて、それで友達の友達が入れ知恵をしてくれた。
私は会社に電話をかけて、有給・退職金・年金あたりについて問い合わせたと思う。
これは無知だったから本当に良かったことで、これが普通に福利厚生についてきちんと知識があったのなら私は100%その仕事を断っていた。
とにかく歯切れが悪く、的を射ない答えが返ってきた。
ここでどうこう聞いてもらちが明かないと判断した私は、数日後今度はハローワークに行って相談した。
内定をもらったけれど、その会社の福利厚生について不安があるから相談したいと受付で言って、それで自分の番号が呼ばれるまで待った。
細かい質問は忘れたけれど、まず最初に聞いたのは「週休制ってなんですか?」だったことは覚えてる。
週休2日制という言葉しか見たことなかったから、「週休制」という意味がわからなかった。
おじさんがそれは週に1日の休みという意味で、労働基準法的には違法にはならないと説明してくれた。
まずはそれだけで心が折れた。
「えっ!?週に1日しか休みないの?」とそれはそれは驚いた。
これも余談だけど、ドミニカで私がいたところというのは、「南の島の大王はその名も偉大なハメハメハ」のハメハメハ大王の歌にあるように「雨が降ったらお休みで」という職場だった。
嘘じゃなくて本当で、朝雨が降ってそのうち小雨になってから仕事に行った最初の日のこと。
行ったら同僚から「フミコ、何で来ちゃった!?今日は雨だから誰も来ないよ。休みなんだよ、こういう日は」と説明を受けた。
それにも驚いたけれど、私は続けて聞いた。
「今日みたいに朝雨降ってても途中で止んだりした日はどうしたらいいの?」と聞いた。
すると同僚は「そういう日は僕に電話して!フミコ僕の番号持ってるでしょ?聞いてくれたらいいよ。じゃないと、来るのだって交通費がかかるんだからお金がもったいない」とまで言われた。
「とにかく雨が朝降ったら来なくて大丈夫だから!」と念を押された。
だから私はその日以降、朝雨が降ったら本当に仕事は連絡もせず休んだ。
最初は違和感があったけれど、そのうち味をしめて「明日雨が降りますように」という実にアホな願い事をするようにまでなった。
(ドミニカ人の名誉のために言うと、こんな職場ドミニカでも珍しいです)
いつだったかは、日本人の友達と飲みがメインなのか麻雀がメインなのかわからない休日を過ごした日、帰る頃大雨となって帰れなくなり、私は翌日晴れ渡っているにも関わらず職場に電話して「昨日○○という町に来て雨で帰れなくなったから(←これは本当)、だから今日は移動するだけで終わっちゃうから仕事休むね」と電話をした。
「OH、NO!それは大変だね。フミコ気を付けて帰ってくるんだよ」と言ってもらい、しれっと休んだ日もあった。
そんな生活をして日本でも転職活動という名のニート生活を半年ほどして、その後いきなりの週1の休み…。
もうやっていける気が0%どころかマイナス100%だった。
その後も福利厚生のことについてハローワークのおじさんからあれこれレクチャーを受けた。
ぱっと見、定年間近のおじさんだったと思う。
それもこの道最低30年は国家公務員というおじさんだったと思われる。
そのおじさんが、色々私が聞いてそして説明してくれた最後、私にこう言った。
「武士俣さんが大丈夫と思ったら大丈夫ですよ」
もう1回言う。
国家公務員のおじさんが、安定第一のようなおじさんが、
「武士俣さんが大丈夫と思ったら大丈夫ですよ」と言ったのだった。
しかもおじさんは安易に言ってるのではなかった。
それは福利厚生とかそういうことじゃなくて、私の人生そのものに対してのアドバイスみたいだった。
それを聞いて、私はとりあえず大丈夫だと思った。
そしてダメならすぐに戻ってきたら良いんだ、と気を楽にして名古屋に向かった。
私は今でも思う。
トモさんが「名古屋武士俣さんに合ってると思いますよ」と言ってくれたこと。
面接の日、母親が弁当を持たせてくれたおかげで自分が子どもの頃よく遊んでいた社と雰囲気が似ている神社に巡り合うこと。
ハローワークのおじさんが「武士俣さんが大丈夫と思うなら大丈夫ですよ」と言ってくれたこと。
そういうことって後にも先にもそれ1回きりで、そしてそれらの出来事がなければ私は名古屋に行く決心が絶対につかなかった。
人生の巡り合わせには不思議なものがある。
ハローワークのおじさんにはそれ1回きりしか会っていない。
担当者は毎回違っていたし、そんな相談はそれ一度きりしかしなかった。
トモさんは今もトモさんにしかできない癒しをどこかでしてると思うけれど、その数年後日本を離れて海外で施術を始めた。
だからもうあのサロンに行ってもトモさんはいない。
神社はあの通り、会社の人で知ってる人は他に誰もいなかった。
すべては巡り合わせで、それは今思うと、私が名古屋で必要な出逢いと必要な体験をするためには私が選択を誤らないように私の人生に現れてくれたんだと思う。
~名古屋メモリーズ~
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