先日、妹一押しのマッサージ屋さんに行ってきた。
3年位前からそのおじさんの話は聞いていた。
とにかくすごく良いことの報告続きで、どんな人なのか会うのがずっと楽しみだった。
今回3年越しに実現し、噂かねがねそれ以上の実力者でビックリ仰天した。
腕は勿論のこと、人格も素晴らしい方だった。
その方自身が発するエネルギーの気持ち良さに心底惚れ惚れとした。
久しぶりに、自分の見ている世界を隠すことなく言葉にすることができた。
そして相手の見ている世界も見せてもらえた。
普通に世間で口に出したらドン引きされるような話も、その方となら普通に「今日は晴れて気持ち
いい天気だよね」並みに話ができるのだった。
どんな話もありだったしどんな考えもありの、小さな空間なのにすっぽりと全身が包まれる、そんな
雰囲気に溢れ返っていた。
おじさんの所に来る人の中には人生そのものが変わる人もいると言っていたけれど、それはよく
わかる。
本当に人生まで変えちゃうような力を持っている人だった。
この3年位というのは、実に名ばかりの実力者という人にもたくさん会ってきた。
名ばかりの実力者は、実力は疑問符がたくさん並ぶようなレベルなのに、料金は天下一品の
もうどこまでもらうつもりですか?と言わんばかりの高額が付けられている場合が多かった。
もちろんそんな人たちにお金を払うようなことはしなかったけれど(申し込まなかった)、それでも
どうしてそういうよくわからない人たちが次から次へと現れるのか不思議で仕方なかった。
でも、それでも、わたしはどうしても諦められなかった。
絶対に自分の持っているものを素直に提供し、そしてそれに見合う金額を設定していて、さらには
純粋に相手の何か大切なものを引き出す人たちがいるって。
おかしな人たちも多数いるにしても、そうではない少数派の人たちが世の中には必ずいるって。
そしてその1人が、そのマッサージ屋のおじさんだった。
おじさんはこの手の話をわたしにものすごくわかりやすく説明してくれた。
「僕が使っている力は、自然と出てくるものなんだよ。
何か特別なことをしているわけじゃない。
その特別ではないことにもし高額の値段を設定したとしたら・・・
それは言うなれば、お天道様が無償で僕たち人間に日の光を与えてくれているのに、そして
それを僕たち人間は無償で受け取っているのに、そのお天道様の光を有償にして、そして僕たち
人間も有償でその光をもらう、そういうことと同じなんだよ。
もしそうだったとしたら、それっておかしいでしょ?
人間で生きている以上は、多少のお金は必要になってくる。
その分をもらうのは、命を生かすことに繋がるからそれはOKだと思ってる。
でもそれ以上もらうのは、お天道様がお金を払わなきゃ光を与えないぞ!と言っているのと同じ」
おおよそそんなことを言いながら、わたしに大切なことを教えてくれたおじさん。
本当にとっても素敵な本物の人だった。
おじさんパワーなのか。
おじさんと会った翌日から、思いもよらぬ形で色んなことが変化しだした。
送っている日常は一緒。
先週と何一つ変わらない。
むしろ今週の方がさらなる仕事が増えて、負担もどっと増えている。
なのに、何か軽くしてくれるものや軸となるものが自分の中にあって、それにより支えられている。
おじさんいわく、本来ある力が出てくるだけとのこと。
本来ある力をおじさんの手によって出してもらえたのだろう。
見えない部分の心を思い悩ます材料が、昨日からとても軽くなっている。
「誰と結ぶ一期一会」という歌詞のCDを持っている。
今生自分が出逢える人たちは限られているだろう。
その限られている中で、おじさんに出逢えたことはとってもラッキーだった。
おじさんは、わたしが本気で目指したい姿そのものだった。
自分の持っているものをそのまま提供し、そして損得を超えたところでもっと大切な何かを伝えて
くれる。
話は変わるけれど、わたしが持って行った陳腐な名古屋のジャンクフードの代表格インスタントの
味噌煮込みうどんにものすごく喜んでくれた姿には、本気で感動した。
それもおじさんにあげようと思って買ったわけじゃない。
6袋で1パックになっていて、なんとそれが298円という破格値で近所のスーパーで出ていた。
名古屋の味噌煮込みうどんは好きじゃない。
だけど、そのインスタントだったらどうなるのか、それはずっと前から気になっていた。
それでそのお徳用パックを目にした時、2袋を自分用にして、残りの4袋を妹二人と分けようと
考えた。
そして今回おじさんにも会うとなったから、おじさんに会う1時間前、急きょ「そうだ、おじさんにも
1袋あげよう」と決めた。
まさか1袋50円のおみやげとは…。
値段を知っているだけに、値段ではない部分に大喜びしてくれたおじさんに感動した。
言ってみたら良かった、それ50円です!って。
多分それを伝えてもおじさんの喜び方は変わらなかっただろう。
むしろもっと喜んでくれたかもしれない。
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