今にも雨が降り出しそうな空ではあるけれども、強行突破で洗濯物をベランダに干した。
冬場はどうしても洗濯物が増える。
単純に寒いから、1枚また1枚と重ねて着る=洗濯物が増えるの図はどうしても避けられない。
洗濯物を干す作業は元来あまり好きではないけれど、今日はとっても楽しく感じられた。
何がそんなに楽しいんだろうと思った。
しわ伸ばしたり、ハンガーにかけたり、タオル類は洗濯ばさみがたくさんついてるリング?のような
洗濯干しグッズに1つ1つ取り付けたり。
普段なら100%面倒くさいと思っている作業。
でも今日はなぜか楽しい。
手はせっせと動かしながら楽しいの理由を頭の中で追求した。
ぱっと出てきたのが、「自分のペースで動けること」だった。
わたしは自分の鈍臭さを自分でものすごく認めている。
基本的に何か「動き」のあるものをさせると、とにかく遅い。
無駄な動きが多くて遅い時もあるし、全体の作業のペースが遅い時もある。
もちろん全部が全部ではないけれど、数少ない自分の得意分野以外は基本遅い。
数少ない得意分野(?)は、書くことと料理の献立決めと料理の全体の進行、この3つ位だ、多分
人並みにテンポよくやれるのは。
残りは要領が悪過ぎてとにかく遅い。
今行っている仕事は、スピードも求められる。
スピード+判断力+思考力+俯瞰力+コミュニケーション力+事務力、と実に多岐に渡って
色んなことが同時に求められる。
週に何回言われるのだろう?要領良くやって下さい、と。
そもそも慣れない仕事に、1つとして同じようなものがない仕事に対し自分の少ない知識を使って
判断して仕事の段取りや見通しを瞬時で決定し、そして1つ1つこなす…。
お手洗いに行く時間も、茶を1口2口飲む時間も確保できない位にマックスで動き通している。
色んなことがストレスではあるけれど、その1つが自分のペースではないペースを強要させられる
ことだと思っている。
もちろん仕事だから自分のペースですべて進めていいというわけではない。
ただ、細かなところを自分のペースで進められないというのはストレスだけではなく、当人に
とっても変な力、緊張が加わって仕事をするから、個人的にその強制的な方法はものすごく効率
が悪いと思っている。
学習塾で働いていた時、わたしは日々塾に来る子どもたち1人1人のカリキュラムを作っていた。
例えば同じ学年の同じクラスの子が来ていたとする(←実際によくあった)。
学力も大して変わらないとしても、1人1人の進むペースが違うものだから、それぞれに合わせて
わたしの見立てた学習量を計画して子どもが自分で見るノートに書いていた。
勉強だから余計ということもあったけれど、本人に合わない量、多くても少なくても、そのどちらでも
子どもの力は存分に出ない。
中にはオール5の子どももいたけれど、その子は実にゆったりとした自分のペースで勉強を進める
タイプで、学習量はとかく他の子より少なかった。
量は少なくても、1つ1つの勉強に対する洞察力みたいなのが凡人にはない深さがあって、それ故
天才型の学力を有していた。
一度通常よりも多めに量を出したら、その量をこなせないことを本人がとても気にして自分を
責めたことがあった。
あぁこの子は多く出しては折角の力が出せないタイプだと判断し、それからはその子が本領発揮
する量を出すようにした。
話がどんどん逸れたけれど、自分に合わないペースであれもこれもと仕事を持たされ、さらには
残業も打ち切りで次の日へ持ち越し・・・などと言われても、余計と大変さだけが増し、どうにもこう
にもそれこそ要領が悪いと、指示を出す人を見て思う。
今日の曇り空の洗濯干しは、何にも縛られず、とりあえず自分のペースで1つ1つ干した。
途中、母から電話があり、それにも応じた。
しばし馬鹿話をした後は洗濯干しに戻り、そして今こうして自分のペースで言葉を綴っている。
ものすごく心地良い。
わたしにとって、自分のペースで動けることというのはものすごく重要なんだとわかった。
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