人生の不安やら問題やらなんやらかんやら、今どどっと押し寄せている。
常に不安とか常に問題ということではなくても、多かれ少なかれそういうことを考える時間が1日の
中で存在している。
なかなか精神的にストレスも大きいところではあるけれど、それでも続けていることがある。
「書くこと」だけは、ずっとずっと続けている。
今日はもう書けないかも・・・と思っても、結局は何かしら書いている。
「書く」ことだけに関して言えば、これだけは不思議と力が要らない。
とりあえず浮かんだことを1つまた1つと言葉にすればいい。
例えば「不安」や「問題」さえも、書くことのネタになってくれるんだから、ありがたい。
言うなれば、自転車をこぐ感じだ。
自転車をこぐ時に、右足をペダルに乗せて、左足は地面を蹴って、今度は右足のペダルを前に
出して・・・なんていちいち考えずにこいでいる。
勝手に体が動いてしまう。
わたしにとっての「書く」はそれに近い感じがする。
とりあえず書き出せば何かしらの言葉を紡ぐし、読み返して変だったらそこは直すし、でもその
直す行為もあれこれ考えて直すと言うよりも、感覚的に「変」と思ったら直す、というやり方だ。
ベルトの位置とか、靴下の位置とか、新しい靴をはいた時の違和感とか、言葉では言えない
けれど何かしら「違う」と感じる感覚。
ああいう感覚で文章も直している。
食べていくための仕事と書くこととの二重生活を実際に始めてみて、書くことそのものにどんな
影響が出るだろうかとずっと心配していた。
だけど、実際にその生活が始まって、食べていくための仕事は悪戦苦闘しているけれど、書くこと
そのものはこれまでと何ら変わらなくて、拍子抜けした。
そして少しずつ、「書くこと」を自分に与えられた力、という風に認識するようになった。
気付けば今もその「食べる仕事」で悪戦苦闘しながらも、「文章にまとめる力」を一緒に入った方
から評価をいただいた。
自分で得意とは思っていなくても、周りの人から見てそう見えるものならそうなのかもしれない。
「書くこと」これが今後どんな風に広がっていくのか、自分でも楽しみなことの1つだ。
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