今朝起きたら、携帯のfacebookのメッセンジャーの方に1通のメッセージが届いていた。
寝る時は、分厚い布の上に携帯を置くから、何かが届いていても気付かない。
めったにそこにメッセージが入ることはないから、誰だろうと思い開いて確認すると、
数年来の友達Aちゃんからだった。
最初にAちゃんとわたしの二人が写っている写真が目に入り、少し画面をずらしたらメッセージも
表示された。
「夜中に昔の写真を漁っていたら、なんだかものすごく懐かしく心に響く一枚に出会ってしまったよ」
とあった。
撮影場所が定かではなかったけれども、たしかに二人でどこか一緒に遠出して撮った1枚なのは
わかった。
撮影した日から、7年8年経過している。
ずいぶんと遠くへ来てしまった、というような言葉があったけれども、全く同感だった。
当時、同じ市内に住み、互いの家を行き来するのに30分あれば良かったと思う。
同じ市内の対角線上に住むような形ではあったけれども、今考えたら近くに住んでいた。
よく二人で金曜の夜~土曜にかけて、飲みに出かけたりテイクアウトしてAちゃんの家に泊まった。
ロール巻や中華、フードコートでもないのにその場でパスタを調理してくれる行きつけのスーパー、
二人で「すごい油の量だよね!でも、なぜか美味しいんだよね、あそこのパスタ」と称賛してた。
飲む量も食べる量もよく似ていて、お互い全く気遣いせずに飲んで食べて語った。
本当に苦楽を共にした同士だから、共通の話題も事欠かなかった。
「よく二人で」と書いたけれども、多分同じところに住んだのは1年半、その中で仲良くなったのは
後半の数ヶ月だったから、お泊りが一体何回できたのか定かではない。
たくさんと思っていても、実際は片手で数える程度かもしれない。
朝寝ぼけた頭で当時のことを色々思い起こし、そしてAちゃんの短いメッセージを数回読み。
すんごい時が経っていても、遠慮せず当時の写真を送り付け、送り付けられ、言葉少なでも
当時の思いを互いに共有できる・・・。
これってすごいことだなぁと思った。
財産と呼んでもいい。
当時は色々ありすぎて笑えないどころか泣く羽目になるようなこともあったけれども、今となれば
すべて「良き思い出」に変わっている。
笑えなかったことは笑えなかったままで「良き思い出」になってる、という感じだ。
そして、そういうことは共有した者同士だからこそ分かり合えるように感じる。
多分、他の人に言ったところで、「ふ~ん」だろうし、ましてや今朝送られてきた写真なんか、
他の人が見ても面白くも何ともない。
でも、それを送ってきたAちゃんやそこに一緒に写っているわたしにはわかる。
そういう言葉にはできない共有財産を持てることって、人生の中で大きなご褒美みたいだ。
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