覚醒=
自分に気付くこと
自分がどうしたいのか
自分にとって何が大切なのか
何が快で不快なのか
どんなことが喜びでどんなことが悲しみなのか
どんなことが怖いのか
何に対して怒るのか
何に涙するのか
そうした全てで形作られている自分というものに気付いていくこと
そのために内面を見ること
自分の感情を見ること
周りに登場する人物を見ること
その人たちと何を交わしているか
自分と他人を区別すること
本物の人たちに会うことで、その人たちにできること、自分にしかできないことに気付かされていく
みんなすぐに答えや結果を欲しがるけれど、そんなに簡単じゃない。
一朝一夕にできることじゃない。
でもまじめに取り組んだら必ず何かしらはギフトとして贈られてくる。
ギフトは何が来ても基本的に拒否しないこと。
嫌なもの、苦手なものでも、一旦は受け取る。
受け取り拒否してもいいけれど、あとからもっとでかいものくるよ!(爆)
(↑自爆テロみたくなるから勧められない)
でも、きたものきたもの、とりあえず開封していくと、その時には気付けなくてもあとから気付く時がくる。
その時は「ムリーーーーーーー!」となっても、いつかそのことたちが、その出来事たちが自分に寄り添ってくれる日がくる。
それはどんなに辛くて苦しくて自分が下しか向けない、
もしくは目を閉じてなかったことにしたいぐらいのことであったとしても。
そうしたことたちが、いつの日か自分に一番のパワーをくれるし、そしてそれは内容が辛く苦しいものでも、それと同じ位の大きさの大切なものを自分の元へ運んできてくれる。
人生には希望があると知った。
何度も何度もあきらめたくなった人生。
もういつ終わってもいいと思っていた人生。
自分の人生で起こってくることたちに対して、本気でクソくらえ!と思ってた。
何かを恨みたくて、誰かの何かのせいにしたくて、汚い自分、ひどい自分、そういう自分なんかいなくなればいいと本気で思ってた。
逆だった。
そういう自分こそ大切にしてあげること。
世の中から味方が全員消えたと思うような瞬間でも、誰にも頼れないと思って布団にもぐって小さく縮こまってた時でも、自分だけはそこにいた。
ずっとずっとそこにいた。
その時の自分を大切にすること。
もうダメ!と思ったその時こそが本当はチャンスだということ。
自分に出逢うチャンスだということ。
自分と分かち合うチャンスだということ。
やっと自分の方に向いてくれたね!という瞬間であること。
どんなにダメになっても、生きている限り、
自分だけはずっと自分にチャンスを与え続けている。
自分だけは、本当の自分に気付いてくれるようにずっと黙って待ってくれてる。
文句も言わずに、じっと静かに、ひたすら待ち続けてくれる。
だから人生には希望がある。
“人を生きる”ーー自分を生きる限り、それが史上最悪の自分であっても、そこには必ず希望がある。
武士俣史子
2019/02/02 新潟の雪降りそうな空を暖かい部屋の窓から眺めた朝
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