2019年2月11日月曜日

奇跡の果実▷ウラ話⑦断ると贈り物が来る

>>>2019/02/09

人からのお願いを断った。

もしかしたらお金になる仕事に繋がるかもしれないのに断った。

もうお金ではどうにもできない、それがはっきりとわかったから断った。

1回100万円ですよ!とか言えば良かったのかな( ̄∀ ̄)←バカ。

断った理由は簡単で、私の具合が悪くなるからだった。

私の感覚が鋭敏になったのか、それとも相手が発するエネルギーの問題なのか、連絡をもらった時点で用件が何かも知らなかったのに、嫌な予感しかしなかった。

一応自分も本当に携わらないとまずいことなら無視するわけにもいかないから、用件を聞いた。←いやらしいったらない。

だけど、嫌な予感しかしないのにこれで普通に連絡して大変なことになったら怖すぎると思って、予防線張るために聞いた。

今さらだけど、自分のこの予感にその後ものすごく感謝した。

私はその返信を返すだけで、8時間働くのと同じぐらいの気力を使った。

本気で超ぐったりした。

最初、自分の感情だけで動いちゃダメだと思って明日の朝に繰り越そうかとも考えた。

けど、これから寝る時間だというのに、私はこの重たいメールを一時保存して、重たい気持ちを持ったまま眠り、さらに翌朝もその重たい気持ちで目覚めるのかと思ったら耐えられなかった。

逃げなきゃ!ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘

逃げなきゃ!というのは、今来ているものから逃げるんじゃなくて、余計な心労しか生み出さないものから逃げなきゃ!と思った。

私は冷たすぎるぐらいにはっきりと言った。

私自身がこのことに耐えられないから、耐えられたとしてもその後の自分ケアがその仕事にかけたエネルギー以上に必要になるから、単純計算して1日対応したらそれを回復するのに私は2日必要で、だから合計3日それに費やすことになる。

しかも最初から最後まで後味悪いだけのことにずっととりかかる。

お金もらってもやだわ、と思った。

なんていうことを、私はなぜか用件も知らない時に気付いて、そしてさっき断って、理由も書いて、とりあえず私がわかる範囲での問題に対してのヒントは書いて、そして今スッキリした╰(*´︶`*)╯。

本当に今日のうちにやっておいて良かった。

2019年は、自分に合うものを取捨選択することが大きな1年のテーマとしてスピ界隈でもホロスコープ界でも言われている。

私が感じるのは、取捨選択の時に必要なのは、決断力もそうだけど、それ以上に必要なのは【断る力】だと思う。

そしてもっと言うと、読んだことないけれど、売れた本のタイトル通り【嫌われる勇気】がさらにはいる。

断るのは相手から嫌われるかもだし、なんなら関係を切られる可能性がある。

そうした諸々を含めて、【嫌われる勇気】を持って【断る力】を発揮して、初めて【自分に合うものを取捨選択できる】と思う。

自分で書いていて「天才♡」と思った(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎

ちなみに、今日すごいシンクロだったんだなぁと今頃気付いた。

名古屋でお世話になってたSさんと電話していた時のこと。

Sさんはその時外にいた。

電話をそのままにして、「ちょっとぶっしーちゃん待ってて」と言いながら、誰かは知らないけれど、誰かと話し始めた。

電話の向こうでSさんは頼まれ事をされていた。

だけど、珍しく「ごめんなさい。できないの。他あたって」とか言ってる。

Sさんはその会話が終わると電話に戻ってきた。

詳細は省くけれど、Sさんは見知らぬ人から突然頼まれ事をされてた。

普段なら引き受けるけれど、「今回はなんか変な感じがして、私にとって良くないと感じたから断ったの」と私に説明してくれた。

よくよく考えたら、Sさんとの電話中にあんなの聞くこと自体初めてで、不思議な感じはした。

それこそSさんは、今「断る練習」を一生懸命しているから、だからそれがお試しの機会として来たんだと思うと言っていて、私はまるで他人事として聞いていた。

まさか同じことを数時間後に自分も体験する、その予告だなんて思ってもいなかった(O_O;)。

なんかすごいシンクロと言うかすごい繋がり……( ̄ཀ ̄;;)。

良かったのは、Sさんが毅然と断ってスッキリされてたのを電話越しに聞いていたこと。

断る姿を見ていたから、だから私も、そうだそうだ自分がどうしたいのかを優先しよう!と思えた。

話は違うことだけど、同時にこれを書いていて思い出した、1年半近く前の時のことを。

私が断られたのも、同じ原理だったのかもしれないなぁと。

私といると耐えられず、それで心の具合が悪くならないように、自己防衛のために断った。

こういう嫌なエネルギーを私も相手に渡してたのかもしれない。

今さらだけど、申し訳なく思った。

そこに手紙プラスとか、相手もさぞかし心労極まりなかっただろう…。

そりゃ「できません」って言うか…。

もちろん内容は全く別物だけど、今頃になって相手の気持ち、断らなければいけない相手の気持ちの重さも少しはわかった気がした。

私は自分の気持ちだけを一方的に押し付けていただけなんだなぁと思う。

でも相手が断ってくれたおかげで、相手が自分のことを守れたとするなら、それは良かったと本気で思う。

たられば話になってしまうけれど、相手がもしあの時本当は断りたいのに断らなかったなら、私が相手にもっともっと心労を与えたのかと思うとそれはとても困る。

それはしたくない。

させてももらえなかったけれど、だけど、本当にその人に余計な心労とか苦痛を与えるようなことだけはしなくて済んで本気で良かった。



>>>2019/02/10

上の話には続きがある。

そして、私が何年もずっと取り組んでいる試みを紹介。

一応断ってスッキリはしたものの、100%スッキリ気分爽快とはいかなかった。

モヤモヤは多少は残る。

ましてや、引き受けるより断る方が自分にとっての正解であったとしても、断るにも力が要るし心は確実に揺れて穏やかとはいかない。

そんな時にしていること。

まずは、自分の気分を明るくする、もしくは気分を変えるために、全く違うことをする。

昨日はあの後風呂に入って、大好きな吉本ばななさんのエッセイ本を読んだ。

読んで本当に驚いた。

数ページ、ばななさんのごはんにまつわる思い出を読んだだけだった。

特別なごはんではないし、特別な非日常のような話でもない。

だけど、読んでいるだけで心が軽くなって、なんなら私は読んでて泣けてきた。

ばななさん個人の思い出話と私の何かが交錯して、なぜか泣けてきた。

そして、ばななさんが本に込めているエネルギーを本当の本当に感じた。

いつかどこかのエッセイか小説のあとがきに書いてあった。

ばななさんが目指している本への想いのようなものでこんなエピソードがある。

例えば今これから自殺しようと考えていた人がいたとする。

その時にたまたま自分の本が目に入って、そしてその時にその人がばななさんの本を開いて少し読む。

その読んだ時間の分だけその人の生きる時間を少しでも延ばすことができたのなら…。

そういうことを自分の本を通じて発信して相手の心に届けられたらいい、たしかそんなようなことを言っていた。

私はその言葉を読んだ時もすごく心に残ったけれど、その感覚が本当の本当にわかったのは昨日のそのお風呂での数分間だった。

死にたいのとは違っていても、心はグッタリとしていた。

そんな時にものすごく簡単にひょいと気持ちを上げてもらった。

ばななさんの発信した言葉から、私は自分の落ちていた気持ちをひょいと上げてもらった。

本当に感謝している。

そして、ばななさんのすごさがますます増した。

風呂から上がって、今度は携帯で、あるカードの探し物をしていた。

そうしたら、画面上の方にメールが来たことをお知らせする通知が出た。

1つか2つ前のウラ話の中で、友達の1人が「武士俣姓」の知人の方に会った話を教えてくれた、と書いたけれど、その人からだった。

他愛ないやりとりでしかなくても、それがどれだけすごいことなのかに気付かされた。

読んで少しホッコリする。

相手も悩みながらも元気なんだな、1週間前と今日とでは別の日常の中にいるんだなと思った。

その短い文章の中で、その友達は自分が今直面している課題に対して、それをどうしたかという報告をくれた。

実は私がこの書いているブログのある一節の中に、その友達が直面している課題のヒントが書いてあったとのこと。

それを1週間前に見つけて、そして1週間経った今、早速そのヒントを元に行動した内容がその短い文章の中には記されていた。

もちろんその人に向けたヒントでは一切なかった。

だけど、思わぬ形でシンクロが起こって、それもその友達には全く関係のない九州と新潟間でやりとりしたことがヒントになっている。

この明るくて陽気で楽しい、でもどこかぬけてる言葉が、また軽々しく舞い上がって、全く別の誰かの元に飛んでいった。

とてもホッコリした。

もう1通のメールはそのまた1時間後ぐらいに届いた。

今度は名古屋にいた頃の先輩からだった。

午前中、珍しく新聞のテレビ欄を見ていたら、「堂本光一」の文字が目に入った。

デビュー当時からずっとファンで今もずっと熱狂な光一ファンの先輩で、それで今日の夜テレビに出ること知ってそうとは思ったけれども念のため連絡を入れた。

その返信が来た。

未だかつて見たことないぐらいのハートの絵文字オンパレードな返信が来て吹き出しそうになったけれども、これもこれでまた気分が明るくなれた。

その2通のメールを見て、「これで大丈夫だよ」のサインだと私は認識した。

今回みたいに、本当にそうすることが正解なのかどうか自信がなくてもとにかく決断して行動しなきゃいけない時、私はその後に起こることを見る。

当人との間がきれいなら一番わかりやすいけれども、毎回そうとも限らない。

昨日の断りメールの相手からは丁寧な返事が来たけれども、相手のお願いには答えなかったわけだから、ひっかかりゼロとはいかなかった。

これがどうでもいい相手なら私は後腐れなくいられたけれど、今回は超絶世話になった人のお願いをむげに断るという、結構厄介なものだった。

恩を仇で返すみたいで、偽善者みたいだけど、さすがに悪いとは思った。

相手のお願いに快く応えられない自分の心の狭さも実はセットであって、自分を守るのとは引き換えに別の負の感情も同時に自分の中に湧くという、気持ちの良い終わり方をするにはかなり難しいものがあった。

そういう時、私はその後に何が来るのかを見る。

武士俣姓の知人を持つ友達と光一ファンの先輩、2人とのやりとりにはもちろん最初から重いものはなかったにせよ、そのタイミングの時に返ってきたということが大きかった。

友達とは2日間が空いていたし、先輩に関しては去年の4月以来に連絡してるから、本当にタイミングを狙ったのとも違う。

なのに然るべきタイミングで2人から返信をもらって、そして2人それぞれの内容、先輩に至ってはひたすら光一愛を語るための真っ赤なハートのオンパレードなものに、私が救われた。

そうやって明るいものが来た=自分の選択で合っていた、自分の選択を祝福されている、そんな風にして私は解釈している。



>>>2019/02/11

カードリーディングの動画にはさらにハマり続けて、昨日数えたらこれまでに18本視聴していた。←平均1本あたり1時間、長いのは2時間超え。

そしてとうとう私はカードの購入を考え始め、そのための絵柄調べを始めた。

私は他の人たちがどんな風に調べ物をするのかは知らないけれど、私は気になると自分の気が済むまでひたすら検索する。

そして私の調べ方は、特にネットの時の調べ方はかなり特殊なのかもしれない。

私は気になるワードを見つけたら、今度は脱線してそれを調べ始めるし、反対に気に入った文章に出会うと今度はその書き手の人のブログを調べ物そっちのけで読み続ける。

で、今回のカードの絵柄調べの時にとても勉強になることがあった。

私はそもそもカード占いに興味があまりなく(ゼロではないけれど、まぁまぁあるよ程度)、今回の18本見た動画も占いではなくその動画の方の考え方や視点が大好きすぎてそれで見ている。

相変わらずメロメロになっている(o´艸`)♡。

だから、私は今回絵柄探しのために動画を見るまでは、【私の中のスタンダード=その素敵な方】だったから、私の頭の中ではそれが普通になってた。

買う前に絵柄を確認のために見ることもその人が動画で世間話のごとく言っていたのと、その後別の人のブログかな?で同じことに触れられていたから、それで私も探してみた。

もう1人の方の絵柄探しのポイントはすごく参考になって、もはやそのポイントのみにターゲットを絞って私は絵柄をひたすら探した。

ちなみにポイントは、どのタイプのカードであっても必ず含まれている女の人が描かれているカードを見て、それを自分と置き換えた時に自分がどう感じるかだった。
(注:購入者が男性の場合は、男性のカードを自分に置き換えてどう感じるかを見る)

探すまでは何にも思わなかった絵柄たちが、その一言によりいきなり意味のあるものになり、ひたすら女の人を中心に絵柄を見るようになった。

で、ある1枚のものに惹かれて、それで今度はその惹かれたカード全体を見たくて、それで画像や動画を探し回った。

とっても幸いなことに、なんとそのカード全てを見せてくれてる5分ほどの短い動画を見つけた。

私はカードの絵柄を見るためにその動画を間隔を開けて2回見たけれども、実はその5分でさえも見るに耐えない感じだった。

メロメロ(o´艸`)の方のものが人生で初めてのカードリーディングの動画だった私には、それが普通なのかと思って全く気付かなかったけれども、実はその方の方がとても特殊なんだと今回気付かされた。

まず5分の方のものが耐えられなかった一番の理由は、カードの扱いが雑だったから。

カードを「物」としてしか扱ってなくて、そしてそれが本当に雑なのが伝わってくる。

名古屋にいる頃、同い年の男の人で超博識で深いレベルの読み解きができるカード占いの人に何回か会ったことがある。

その人は小学校の頃からカード占いが大好きで、離島育ちの人ゆえカードなんてどうやって手に入れたのかは知らないけれども、とにかくその頃からだから私が出会った時にはすでに20年以上のカードリーディングの実力を兼ね備えていた。

私も目の前でパッと見てもらったりカードの意味も教えてもらったりしたから、目の前でどう扱うのかも見たことがある。

何せ常に数セットを持ち歩いていた人だったから、色んなカードをマジシャンのごとく使いこなし、その使いこなし方の洗練された様子はもう言葉にならないほどの美しさだった。

2人のカードの読み解き方はそれぞれ超オリジナルで全く違うけれども、それでも共通して2人ともカード愛に溢れている。

カードが大好きなのがよく伝わってくる。

他にも私に初めてオラクルカードと呼ばれるものを教えてくれプレゼントしてくれた方(ちなみに名古屋でお世話になったSさん)のカードの触り方も見たし、もう2人他にも目の前でしてくれた人が少なくともいたからその方たちの触り方も見ている。

今回みたいな違和感をものすごく感じたのは他になかった。

ましてや対面じゃなくて動画で編集できるものなのにも関わらず、その短い時間ですべて物語っていた。

その5分の方は、カードの扱い方を間違えてるとさえ思った。

読み解きはまぁきちんと勉強したのかなと思った気がするけれど、とにかく触り方が本当に見ていて超不快レベルだった。

話の内容も何も入って来ず、絵柄を確認したいから致し方なく見たけれども、そうでなければ見たくないものだった。

対面はさておいて、そうではない動画の場合、編集できるからこそもっと実はその人自身が出てしまうことにも気付いた。

私はずっと逆だと思っていた。

対面の方がもっとその人自身が出ると。

たしかに普段ならそうではあるけれど、今回の私みたいに「絵柄を見たい」なんていうマニアックな目的で動画を見ると、突然余計な情報が遮断されるから余計と人柄なんかが際立ってしまう。

どういうことかと言うと、動画は編集できるから、基本的に内容に重きを置いて、もしくは視聴者を意識した内容になって、それに相応しくない余計な部分はカットされる。

そう、余計なところはカットされる。

でも代わりに絶対にカットできないのが、普段の仕草とか癖、言葉の使い方、独り言の部分だったりする。

それらは完全に無意識の領域だから、ましてやこんな私みたいに意地悪い視聴者もなかなかいないだろうからみんな意識的に気にする人もそんなにはいないと思うけれど、どうやってもそこは編集できない。

そして撮っている本人もそんなことより他のことに気に取られてしまうだろうから、そこは見ないと思う。

見たところで自分のことだから気付けないだろうし。

でも、もう固定された動画の中では、どんなに頑張っても仕草とか言葉遣いは変えられない。

地のその人が出てしまう。

それはどんなに有能な編集者でも編集できない。

だから、その部分に不快なものが含まれるというのは、私からして致命傷なわけで、もうカード云々ではないところにその人柄が見え隠れするようだった。

そんなのおまえに言われたくないレベルの話だけど、もう感じちゃうのは仕方ない(←自分のことは棚にあげる( ̄ཀ ̄;;))。

そこまで見えて、初めて私は自分が当たったカードリーディングの方が超大当たり、大物に当たっていたことに気付いた。

その方が話すと、独り言も失敗も本当に可愛くて可愛くて仕方ない←恋(o´艸`)♡。

超真面目な解説をしてる時なのに、カードの絵柄のピントが合わないと、カードを動かしながら平気で「ピント、ピント、ピント来い!、来た!」とか言ってる←私のツボ(o´艸`)。

棺(ひつぎ)のカードが大好きな人で、何せその人が何回も「コフィン(=棺)好きの女」と連呼して、私はそれが最初何の意味かわかってなくて、しかも絵柄もそんなには暗すぎなかったから余計とわからなくて、なんかわからないけれど悪いものじゃないんだなぁぐらいに捉えてた。

今回購入を検討する中で調べまくった時に、そのカードの中で棺カードは普通超敬遠される、むしろ嫌われてるカードだと初めて知った( ̄∀ ̄)。

その人が読むと、すべてが良く見える♡。

恋する盲目状態に近い 笑。
(「恋する乙女」と書こうとしたけれど、さすがにその言葉を言う自分が気持ち悪くてやめた)

いや、もちろんその人もキツイこともネガティブなことも言うけれども、それらも1つ1つ本当に丁寧に説明してくれる。

その人が他の人たちと全く違うのは、そういう内容の時の表現の仕方。

必ずそのことに対して、明るい側面、そこにしか宿っていない希望を伝えてくれるところ。

だから、棺なんて死だの終わりだの暗いイメージがつきまとうけれど、例えばその方はこんな風に言う(私の頭の解釈だから、実際の言葉はもっときれい(o´艸`)♡)。

「コフィン来ましたね!これまで続けていたことで終わらせたいと願っていたことが終わりを迎えるんじゃないですかね。
もしくは、終わらせなきゃいけないのに続けていることがあれば強制終了がかかるかもしれません。
ただいずれの場合も、今とは違うステージに行くために、もう今ある状況は終わりで次に行きますよのサインだと思います」

これ言葉足らず、人生の経験不足、人への配慮不足の人たちが言うと、大げさな例を言えば「棺=不吉なことが起こる」なんて読み解く。

人ってどんな時も、特に超スーパーメンタルが弱りまくっている時は、希望が欲しい。

少しでも明るい何かが欲しい。

武士俣統計によると、99%の人は確実に希望や明るいものを欲しがる。

そんな時に、「不吉なことが起こる」なんて言うプロの人がいたら、私は叩きたくなる。

これは私も超気をつけているけれども、弱ってる渦中にいる人には、空回りな励ましはしないけれども、代わりに本当に小さくてもそれにすがれるような明るい部分を伝えるようには心がけている。

物事には、必ずどんなものでもどんな時でも、暗い面ばかりじゃなくて明るい面もある。

暗すぎて絶望感たっぷりすぎてその時にはわからなくても、実はわからないその時さえも明るい側面がきちんと存在している。

私は修羅場だの修行並みの強烈な体験だのを数積んできただけあって、そういう時の物の見方はかなりトレーニングされた。

存在にさえ気付かない小さな光でも、必ず明るい側面がある。

そして、私は色んな人や色んなものたちから、その明るい側面を教えてもらってここまできた。

そして小さな希望の種をもらった。

とりあえず今日1日だけ生きる、その元気をもらってた。

それを山ほど体験させてもらったおかげで、そこだけは見るのが上手くなったv(^o^)v!

だって、ただでさえ駄目な時にもっと駄目出しされたら、辛いのがもう10倍辛くなる。

私など本当に厳しいことも平気で言うところがあるから、そうではない良いことも言わないと本当に大変なことになる(汗)。
(言い訳すると( ̄∀ ̄)、厳しいと言っても、自分で自分を苦しくさせるパターンを持っている人にはそれを指摘するとか。もちろん言い方は考える)

とにかく、そうやって辛い時ほど、少しでも明るくなれる何かが本当の本当に欲しいその気持ちは嫌というほどに知っている。

だからそういうネガティブなものに明るいポジティブな面を見せる、それを言葉にして表現できるその方にめちゃくちゃ憧れて仕方ない。

そして、その方のメッセージに目が♡♡(ハート)になりながら、全身全霊で耳を心を傾けている(o´艸`)♡。



ーーー22時過ぎ

今日、なんと1ヶ月早い誕生日プレゼントが届いた╰(*´︶`*)╯♡╰(*´︶`*)╯♡

今目の前にある♡。

まさかの、すぐ上に書いてた「カード購入検討」とか言って狙っていたカード、例の5分見るのもしんどかったけれど絵柄チェックのために動画を見ていたあのカードがプレゼントされた!!!!!!!☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

ということで、カードの読み解きに忙しく、なんなら英和辞典出してまで読み解いてるから、超忙しい(((o(*゚▽゚*)o)))♡

だから、多分明日あたり、本編の話はまた保留したまま、このオンタイムの1ヶ月早い誕生日プレゼントの話を書くと思う!

順番がはちゃめちゃだけど、この1ヶ月早い、しかもちょうど誕生日まで1ヶ月の今日届いたこのプレゼントも、『奇跡の果実』の話に繋がっている。

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