2019年2月20日水曜日

奇跡の果実(15)自分の資質と才能

おじいちゃんのご家族Aさんと会った翌日に、Oさんからそれまで私とやりとりしていた時に溜め込んでいた納得できなかったあれやこれを箇条書きにしたものが送られてきて、それで私が怒った話を前回はした。
(前回=『奇跡の果実(14)愛のプレゼント』)

名古屋にいた頃からとてもお世話になっているSさんに今回も助けられ、そして大切な色んなことにも気付かせてもらった。

今日はもう1つ別の側面で気付かされた大切なことの話をしようと思う。

今回は私の話しか出てこない。

ひたすら武士俣史子分析話になる。

興味がある奇特な方だけどうぞ(♡´艸`)。



Sさんから話を聴いてもらって落ち着いた私は、今度はOさんが言ったことのどの部分が引っかかっているのかを見始めた。

得意のノートを出してきて、私は1つ1つ紐解いていった。

私がなぜに今回そこまで力を入れて動いていたのか、Oさんが言うようにおじいちゃん家族に対して腫れ物に触るかのごとく動いていたのか、その理由を見ようと思った。

書き出してみて驚いた。

驚いた理由は後ほど説明。

以下がノートに書いたこと。

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・今回はスタート地点が違うこと。
→通常ならお客さん側が興味を持ってサービスを申し込んでくるところ、今回は私たち側からの提案だということ。
イコール、相手はそもそも興味すらない状態からのスタートだったということ。
(注:おじいちゃんの霊と繋がったと言い出したのはOさんと私で、ご家族からそういう依頼があったわけでは一切ないところから全てが始まっていた)

・相手は田舎に住む一般的な人たち。
しがらみや保守的な考えも強い地域。
基本的にスピリチュアルな知識もなければ興味もない。

・そもそも私自身が秋にペンジュラムで捜索の手伝いをした時に失敗している。

・さらにはOさんがおじいちゃんの霊視をした際の情報3つと実際のおじいちゃんとが異なっていた。(←家族に会う前にLINEにて確認した)
すなわち、Oさんの霊視も間違えていた、ということだけが家族の記憶に残っている。

・家族は半信半疑どころか、ほぼ疑って話を聞いているだろうことは予想がつく。

・そういう人たちにそもそも興味を持ってもらって、おじいちゃんや家族を繋げる、互いのメッセージ・願いを伝え合う場を確実に作ることが、当面の最大の目標。

・それらを踏まえて、通常の対応ではいけない、まず家族をその土俵に乗せるための特別な配慮が必要。

・おじいちゃんと家族を繋げるためにはOさんの霊視力が必要不可欠。

・家族向けに、Oさんの霊視力を受け入れるための準備が必要。

・Oさんを手段とするなら、そもそもその手段を受け入れられるように配慮が必要。
その配慮の一環として、今回は目で見える紙ベースの「資料」が必要。

・ただでさえ怪しさ満載なところに、余計な不安や疑いをそこに投入したくない。
そういった不安や疑いを極力排除して、本当に大事なこと(=おじいちゃんとご家族が互いにやりとりすること)に集中できるよう、場を整えることが現時点では何より大事。

・相手のことは変えられないから、私たちが相手のレベルに合わせて、要は自分たちを変えて、できることをやっていく。

・Oさんが言われたことは私もそれには同感だし、それでいいとは思っている。但し、それは私たちの考えであって、家族の考えではない。
今回は、家族側の意向に合わせることが大事。私たち側の意見は完全に脇に置いて、相手の望むところを最優先にして対応する。

・腫れ物に触るかのごとく私が対応している件に関して
→他の人たちのケースと比べて大切とか重要ということではなく、ご家族の背景に合わせて特別な配慮が必要だからそうしているだけ。
特別視しているのとは違う。

(注:スピリチュアルな観点から言うと、どんな問題にも優劣はつけないし、誰かのことを特別視することもしない。公平平等のような考え方を基本軸にしている。
もちろん、対応は臨機応変に、特別配慮が必要な時はそれをするのが私からすると当たり前)

・今回は相手からの依頼ではないから、とりあえず細かいところに関しては、相手の方たちがそこに余計な感情を抱かないようにすることが大事。
どういう在り方だと安心するのかは人によって違うけれども、基本的にそこがわからない時は世間一般的な基準に合わせて身なりや格好を整えることが大事。
(注:「余計な感情」=疑い、拒否、猜疑心、詐欺を疑うなど)

・相手のニーズを見極める。

・私が最大限したいのは、目の前の人たちを大事にすることだけ=生きてらっしゃるご家族に関しては、その人たちの生活を守る、もしくは脅かさないことが私には最大の配慮だと思っている。

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上のことたちにプラスして、もっと細かい今回のケースならではの特殊な配慮や準備が必要だったわけで、ノートにはまだまだ他にもいくつか大切なポイントを私は書いている。

私が驚いたのは、自分自身の気付く力とその量・スピードだった。

私は基本的に、自分は感覚人間だと思っている。

理論的に考えるとか、筋道に沿って手順や順番を組み立てるとかいうことがとても苦手だと思っていた。

実はそうじゃなかった。

瞬間的に、最終ゴールが何かがわかって、そのために何をしないといけないのか、しかも細部に至るまで目が行き届いてどんな細かな配慮が必要なのか、それら全部を感覚で瞬時にわかる体質だと初めて知った。

「私って天才(o´艸`)!」と自画自賛した。

たしかに感覚人間だけど、私の場合は細かなところまでパッと感覚で理解する、でもそれは単なる感覚じゃなくてきちんと理論理屈があってそれを理屈抜きで感覚でキャッチできることに初めて気付いた。

ちなみに上に書いた【ノートに書いた内容】は、時間にして1〜2分ほどで全部をキャッチしていて、当時はそれを軸にして私はひたすら動いていた。

だから、私が感覚で捉えていると思うのも無理がないわけで、まさか私もそんなに深い内容をそんなに瞬時に自分がキャッチしてるだなんて、今回分析するまで知らなかった。

だから相手ができない・気付かないのではなく、私が出来過ぎ+気付き過ぎなんだとわかった。

昔受けた「ストレングスファインダー」というテストの結果が脳裏をよぎって、私はその結果資料をクローゼットの段ボールから探し出して見つけてきた。

『さあ、才能(自分)に目覚めよう』という書籍があって、それを購入すると表紙の内側にアクセスコードみたいなのが書かれていて、それをネットで入力して約180問近い質問に答えると、自分の上位5つの資質がわかるようになっている。
(興味を持った方がいられたら、コードは1回きりしか使えないので、本は必ず新品で買ってください!)

資質は全部で34種類ある。

2010年の12月に受けた当時は、全然自分の強みがピンとこなかったけれども、今回その意味が初めてよくわかった。

私の資質で1番強いとされるのが「戦略性」。

ちなみにそれ以降は、
・コミュニケーション
・共感性
・最上志向
・ポジティブ
とある。

当時、コミュニケーションや共感性よりも戦略性が上なのが私には理解できなかった。

でも、今回のOさんとのやりとりを経て、私は自分の「戦略性」たるものが何を指すのかはっきりとわかった。

そして私自身の中の最大の強みとして出てきただけあって、すごく自然に普段からできてることに初めて気付いた。

「戦略性」の結果より(テスト結果をそのまま引用)

【戦略性という資質によって、あなたはいろいろなものが乱雑にある中から、最終の目的に合った最善の道筋を発見することができます。これは学習できるスキルではありません。これは特異な考え方であり、物事に対する特殊な見方です。
他の人には単に複雑さとしか見えない時でも、あなたにはこの資質によってパターンが見えます。これらを意識して、あなたはあらゆる選択肢のシナリオの最後まで想像し、常に「こうなったらどうなる?では、こうなったらどうなる?」と自問します。このような繰り返しによって、先を読むことができるのです。
そして、あなたは起こる可能性のある障害の危険性を正確に予測することができます。それぞれの道筋の先にある状況が解ることで、あなたは道筋を選び始めます。
行き止まりの道をあなたは切り捨てます。まともに抵抗を受ける道を排除します。混乱に巻き込まれる道を捨て去ります。
そして、選ばれた道ーーすなわちあなたの戦略ーーにたどり着くまで、あなたは選択と切り捨てを繰り返します。そしてこの戦略を武器として先へ進みます。
これが、あなたの戦略性という資質の役割です:問いかけ、選抜し、行動するのです。】

2010年に受けた頃は、「?」が頭に浮かんだけれど、今読むとすっごいしっくりくる。

学習できるスキルではない、というのはよくわかる。

なんなら、本人ですら、そんな細かな配慮をしながら瞬時に判断して道筋を組み立ててその通りに動いていたなんて知らなかった。

そして、絶対にそのように動くよう、余計な邪魔とかが入らないように、隙間を縫うようにして作戦を立てる。

だから、Oさんからの指摘のおかげで、私はこれまで当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではなく、むしろ人よりも秀でてできていることに気付いた。

これは大きな発見だったし、そして約8年前に受けた強み発見テストの結果の意味をようやく理解・自覚できるところにまで来た。

このOさんの指摘により、他にも気付けた強みは下の通り。

・何が大切かを見極める目
・先を見通す力
・相手のニーズに合わせて対応できること
・(上に合わせて)相手に合わせたオリジナルの資料が作れること
・相手のニーズを最優先にして動けること(=自分の考えや価値観はその場でいくらでも捨てて、相手に合わせた対応ができる)



上の強みとは別に、今回の一連のことをSさんに相談したことで、私の長年の大きなコンプレックスも解消された。

「ぶっしーちゃんはね、一般の人たちをずっと相手にしていたでしょう?それがあるから、ぶっしーちゃんのその対応ができるんだよ!」

Oさんから指摘されたことは、別にOさんは間違っていないし、むしろ私がおかしいのかと思ってしまったりもした。

どちらが良い悪いということではなく、Sさんは私だからこその強みを教えてくれた。

Sさんいわく、私が誰かと向き合う時、その接し方や距離の取り方、話し方、見通しなんかがすごく良いとのこと。
(もう少し別の言い方をSさんはしてくれたけれど、何せ1ヶ月も前のことだから言葉を忘れた( ´Д`;)←それよりも「1ヶ月も経って今ここまでしか書けてない」ことに気付いてガックシ( T_T))

それは、私がずっと一般の人たちを相手に仕事をしてきたからこそ培われたものだとも言ってくれた。

私のコンプレックスの1つに、スピリチュアルな分野に携わるのはいいけれども、そういう分野でのキャリアがあまりにもないことだった。

有料で受けてもらえたお客さんは両手で数えるほどしかおらず、そしてこれまでだっていくらでも始めようと思えば始められたはずなのに、その間私は何をしてたって派遣の仕事を転々としていた。

ちなみに今は、本当に中途半端に始めなくて良かったと思っている。

けれども、32〜39歳(2018年)の秋までの間、ほぼずっとそれは気になっていて、さらに言えばOさんの方がそういう仕事のキャリアとしては断然長いし上なわけで、私は自分の在り方が間違えているのかもしれない…、と最初は思った。

でも、Sさんの一言、「一般の人たちを相手にしてきた」でハッとした。

私の場合、カウンセリングでもコーチングでもない、本当に何をどうしたらこんなことになる?というような内容のものによく当たっていた。

対面・電話問わず、本当によく当たっていた。

塾の保護者懇談の時に、本当に子どもの勉強のことだけを話していた家庭は半分以下だったと思う。

家庭内の様々な事情に始まり、「そんなことってあるんですか?」というような話は後を絶たず、しかも保護者からしても私から先に話が誰かに伝わる心配がないから、ぶっちゃけトークをされていく傾向が全体的に強かった。
(色んな教室を巡回する上司いわく、私が担当していた教室は色んな意味でかなり特殊だったらしい)

離婚、家庭内不和、病気、障害、裁判、遺産、軽犯罪、家庭内暴力、失業による生活苦…、と本当に色んな話を聞いていた。

おかげで、色んな人たちの色んな人生を聞けるようになっていた。

その時その時の私がどんな風に反応したのかなんてもう全部忘れたけれど、多分黙って話を聞くことしかしなかったと思う。

せいぜい何か言ったとしても「それは大変でしたね…」ぐらいなもので、あとは子どもへの配慮が必要そうなものは「私の方で何か普段気をつけること、気にかけた方がいいことはありますか?」ぐらいだったと思う。

そして名古屋にいた頃は、特に周りの人たちの男性率がかなり高くて、私は定期的に会う3人の女性以外はみんな男性ばかりということも手伝って、ますます普通の会話や普通のコミュニケーションが大事だった。

年齢も職業も色々だったから、とにかくその時その人に合わせて話をすることがとても大切だった。

いつかはコーチングの練習のために30人ほどの人たちからマンツーマンで自分の人生を語ってもらった時があって、そういう時に出てくる話の多様性とそれぞれの人たちの人生の大切なものを教えてもらえた。

表には出てこないその人だけの人生の物語がある。

本当に聞かなければわからないことばかりだった。

派遣で4つのコールセンターと1つのすごい特殊な電話担当とを経て、それらも私の想像していた電話の仕事とはだいぶ違っていた。

中には人生相談並みの内容が含まれていたこともあったし、命からがら系の状況下にあって超特殊な対応が必要だったり。

あくまでも、ごく一般的なコールセンターで、「命の相談電話」的な電話とは全く違う。

だけど、なぜかそういう電話にやたらと当たって、当然そんなのマニュアルにはないから毎回その時その時の上司のところに走って対応の仕方を相談した。

私が表面上対応するものは、電気系の修理受付、クレジットカード関連、車のローン、国管轄の申請書であって、命の相談電話じゃない。

だから、一般的な対応力は育まれたけれど、スピリチュアル系のことはさっぱしだった。

色んなスピリチュアルやコーチング系の人たちのブログを見ては、自分は何をしてるんだろう?とよく思っていた。

何かをやろうとしない自分、派遣に逃げ込む自分…、そんな風に当時は思っていたから、本当に苦しかった。

途中からは「私はそういうことをやらない人なんじゃないか」と思った時期も数年あったから、別の道を探さないといけないなぁ…と思った回数も数知れずだった。

そこにプラスして、「30代+独身+不安定な仕事」という肩書のおかげで、社会からの冷たい視線や腫れ物に触りますみたいな感覚にかなりな回数耐えた。

普通なら結婚して子育てをしている、もしくはキャリアを積み上げてる頃なわけで、それらに逆らっているとしか思えない私の生き方は異端なんてものじゃなかった。

途中ニートしたり引きこもりもしたりするから、より一層周りの人たちの腫れ物に触る感は半端なかった。

そういうことを気にしない素晴らしい人たちももちろんいたけれども、一般的な社会では完全にアウトローで、色々とやりにくさや居心地の悪さはおなかいっぱいになるほど体験した。

そんな風だったから、おかげで「一般社会」の感覚は相当鍛えられた。

そして、今思うのは、その一般社会の感覚を身につけておいて本当に良かったということ。

これは私個人の持論だけど、現実的な職務だろうが、スピリチュアルな内容だろうが、相手は人に変わりないから、あくまで人相手だということ。

今回の山で行方不明になったおじいちゃんとその家族とのやりとりを経て特にそう思った。

相手は人なんだということを絶対に忘れちゃダメだということをものすごく学んだ。

そして相手の状況や状態は千差万別だから、やっぱりそれをきちんと見極めて対応するのが大事だと思った。

これは福祉の勉強と現場でよく言われていたことだけど、とにかく「状況査定・人物調査」を徹底すること、それを基に1人1人に合わせた対応を組み立てること、個別化を図ることの大切さをずっと教えられてきた。

そうした1つ1つの積み重ね、当時にしたら「これして何になる?」と思っていたことたちが、今ここに来てとても役立つようになった。

仮に私がこれから活躍できたとしても、とても遅咲きなのは間違いない。

それでも、私はこの40歳になるまでに重ねてきた1つ1つには、今となればもう感謝しかない。

焦らず見切り発車しなくて良かったし、さんざん一般社会でやりとりをしていたから、最初に書いた戦略性なんていうのもすごい鍛えられた。

今はもう後悔していない。

後悔どころか、これで良かったと思っている。

そして、今回のSさんの一言が、私に本当の自信を与えてくれた。

一般社会で積み重ねてきたものは、普通にスピリチュアル業界でも通用する。

むしろそれがないと、とても痛い人になってしまう。

だから、そうしたものたちを長い時間をかけて一歩ずつ一歩ずつやってきたことに、今はそれで良かったんだと心から思えるようになった。

最初はOさんの指摘に激怒していたけれども、結果的に自分の強みを知って、さらには自分のコンプレックスだったものも解消されていった。



この『奇跡の果実』シリーズを通して私が学んだことの1つに「自分の才能に気付くこと」と「自分の才能を受け取ること」が挙げられる。

自分のことは常にそうだから、「みんなもできるでしょ?」とか「こんなの普通」とか「できて当たり前じゃない?」となりやすい。

普通に見過ごす。

見過ごすどころか、そういうことが才能だとも思わない。

挙げ句の果てには、無駄に周りの人たちにイライラする。

無駄に人にイライラするというのは、自分の中ではそれが普通で、それができないもしくは気付かない人を見て、自分と同じレベルのものを求めてそれでそうできない・気付かない人にイライラする。

才能は持っている本人が気付かずにいるのはもったいないのと、そして何より自分が悲しんでいる気がした。

自分の才能たちが「気付いてね」とずっとコールを出してる、そんな感じがする。

そして気付けば気付くほど、自分の持っているものはさらに伸びていく。

がんばって伸ばすのではなく、気付く力が増すから自然と伸びていく、そんな風に私は見ている。

そして、自分の才能に1つ気付くと、また別の才能や資質にも気付けるようになってくる。

そう、私が自分を受け入れ始めたから、それに伴って才能や資質たちにも目が行きやすくなったり、気付きやすくなったんだと思う。

そして、私のこの気付きは本当に大切で、この後私が自分ができることを知ることにより、それが他の人たちの役にも立つということを経験することになる。

1つ前のブログにも書いたけれど、この件に関しても、最初は不都合が生じていた。

私はOさんから言われた諸々のおかげで怒りを爆発させ、手の付けようがなかった。

Oさんの指摘は私からして全く筋が通ってなくて、何を言っているのかと思っていた。
(ちなみにOさんから見ても、私の言っていることは過剰過ぎておかしかったと思う)

でも、色々と冷静に見て、ノートに細かな分析も書き出し、そしてSさんに相談したことで最終的に私が得たのは、自分の強みと資質、私が人生で一番大切にしているものだった。

ちなみに私が人生で一番大切にしているのは、「人」。

だから、私の中にある基準値において、相手が私や私の大切にしている人たちを大切にしてくれてないと感じると、私はブチ切れる。

Oさんとの間に生じた不都合は、自分の才能や資質、人生で一番大切にしているものに気付くための大切なプロセスに生まれ変わり、それらを受け取った先には、さらに別の人たちに届ける大切なメッセージが待っていた。

別の人たちに届ける大切なメッセージはまた次回以降詳しく書く。

この話、どこまで引っ張る!?と言わんばかりに、まだまだ話はこの後も続いていく。

不都合というか不快でしかなかったものは、それらに向き合ったら特大のプレゼントに姿を変えて私の前に現れた。



久しぶりに風呂の中で読書をした。

吉本ばななさんの『人生の旅をゆく 3』、多分もう図書館への返却日は過ぎてる気がするけれど、まだ返さずに読んでいる。

「その人たちがそのままでいるお店がいちばん楽。
その人はその人しかいないから、つまりその人を極めたものが店…」
(159ページより引用)

その部分を読んで、気付いた。

私は私を極めるしかないということ。

誰かの真似ができないように、私は私に与えられているものをひたすら極める、それしかないんだということ。

私は私でしかないし、それ以上にもそれ以下にもなれない。

その私を残りの人生でひたすら極める、それが私が私にしてあげられること全てなんだと思った。

評価は他の人たちに任せておけばいい。

私のことを良いと思ってくれる超奇特な人たちもいれば、私が絶対にダメだという人たちも当然いる。

それは私が勝手に決められることじゃないから、そんなところを気にすることに力を割いても仕方ない。

私はひたすら私を極めていくしかないし、私に内蔵されてるこのマニアックなものたちは私しかそれの取扱説明書を持っていない。

その取扱説明書も書面では存在してなくて、ひたすらトライ&エラーで自分で探っていくしかない。

私だけがそうなんじゃなくて、本当はみんなそうなんだと思う。

まだまだ色んなことを決めかねていてフラフラしているけれども、それを読んでより一層覚悟が決まった。

自分を生きること
自分を極めること
自分を知ること

もうそれしか人生でできることはないんだって。



最後に超余談だけど、私個人としてはとっても大事なこと(T ^ T)。

書いていて感じたこと。

私のその天才的な才覚や感性は、とても限定的な場面でしか発揮されないということ(T ^ T)。

ふと思った。

それだけの見通しが一瞬で立つ、そういう力があるにも関わらず、例えばこれが恋愛や結婚とか、お金の運用とか、そういった現実生活に役立つ分野では丸っと力が排除されたかのごとくなくなる( ̄ω ̄;;)。

例えば、100%同じ量でくれ!とは言わないから、せめて10%ほど恋愛に向けられてもいいんじゃないかなと思う( ̄∀ ̄)。

そうしたらもう少しうまく立ち回れたかもしれないし、今頃私は人並みに家庭を持ち専業主婦をしていたかもしれない( ̄∀ ̄)。

あれだけ計算できるくせして、これが誰かをごはんに誘うとかいうことになると、この目利きみたいなことは全く働かず、むしろ元々のできないところや不器用さがさらに目立って玉砕みたいな(T_T)(T_T)(T_T)。

一生に一度、しかももしかしたら残りの人生で二度とはやらないかもしれないごはんに誘う作戦、あのたった1回にこの力が少しでも加わらなかったのかと思うと残念で仕方ない。

当時の自分を振り返るとよくわかる∑(゚Д゚)!

あの超スピーディーな頭の回転は一切なくて、私は3週間ぐらいああでもないこうでもないと悩んで、人にも相談して、何かもうすべてがおかしいと思ったけれども、もうどうにもできない私には計算などなくそのまま行くしかなかった。

こういう時に計算して動ける女の人たちが本気で羨ましい。

こんなこと暴露するのもどうかと思うけど。

当時、家が建て替え中で仮住まいにはプライベートなスペースがなかった。

小さなメモを相手に渡すことを考えた私は、その下書きを図書館でした。

帰ろうと車に乗って、一応「下書きあるよね」という軽い気持ちで大きな筆入れの中を見たら、あるはずのものがなかった。

((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))
((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))
((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))

顔面蒼白でカバンの中身を全部出して見てみたけれども、どこにもなく。

まさか!?とは思ったけれども、あんなメモ用紙を落としてきたらシャレにならないと思って、意を決して図書館に戻ってカウンターの人に聞いた。

「あのぉ…、小さなメモ用紙で個人情報とか書いてる紙とか届いてないですか…?」

目は間違いなく泳いだ。

図書館の人がニコニコしながら「あ、届いてますよ」と言われた時のぶっ倒れそうな感覚は今思い出しても具合悪くなりそう( ̄ཀ ̄;;)。

相手には全く関係ない話だけど、その人は自分のところに回ってきたものがそんなすごい黒歴史を持ったブツだとは想像さえしていないだろう…(T_T)。

本当に、どうしたらあの抜群の戦略性が私の中から引き出されるのか、私自身も不思議で仕方ない。

というか、その100分の1でいいから、肝心要なことに、私の個人の人生に回してくれーーーー!!“(°ω°;;)੭ꠥ⁾⁾と思う。

とにかく、気付いたことは、私の最初に書いたような能力は、人相手の時、しかも仕事限定にしか働かない模様Σ(゚д゚lll)。

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