今朝方、友達から子ども同士の写真が送られてきた。
リーダーとG男のそれぞれの息子たちが布団に一緒に入っている写真だった。
(リーダーとG男は、ドミニカ時代の男友達。
参照記事:『九州男児たち』リンク飛びません
https://viva-vivir.blogspot.com/2019/01/blog-post_14.html?m=1 )
自分の小さな変化に気付いた。
そうした写真を本当に喜んで受け入れられるようになった自分に気付いた。
30代、とにかくきつかったことの1つに、「結婚してないこと」と「子どもを持っていないこと」がずっとあった。
結婚願望も強く、なんなら専業主婦への憧れはもっと強く、そして子どもを持つこともずっとずっと望んでいた。
私が結婚にも興味がなく、子どもにも興味がなければ、私の30代はものすごく恵まれた状況だったと思うけれども、私はその逆で、本当に心から願ったことが叶わないとわかった30歳からつい最近、多分2018年の終わりぐらいまでは、本当の本当に自分の中でいつまでも消化しきれない想いが山ほどあった。
そんな風だったから、周りの結婚も妊娠も不妊治療も理解を示す努力はしてきたし、その都度おめでとうと言えたし、心からおめでとうと言えたことも何人かはあった。
だけど、自分の中の叶わないことに対するどうにもできない気持ちには、どう向き合ってどう自分の中で落としどころを作るのか、ずっとずっと彷徨い続けた。
結婚がなくなって、その後ずっと誰にも心が動かなくて、傷を癒して、もういいな、先に進めるかな…と思ったタイミングだったのか、それとも出逢いが先だったのかはわからなかったけれども、ものすごく惹かれる人に出逢えたのが2017年だった。
その時の私は、結婚云々よりもその人と一緒に過ごせるなら形は何でも良かった。
なんなら、ごはんに時々一緒に行くぐらいの仲でも良かった。
だけど、それは上手くいかなかった。
ご飯さえ行けないと言われた。
絶望的だったけれども仕方ない。
相手のあることだから、私は勝手に相手の気持ちを変えたりとか好きでもないのにご飯に無理矢理連れて行くなんてのはできない。
その人が転勤でいなくなった直後、私は薄っすらと自分の人生の流れが分かり始めていた。
何となく色んなことから避けて通れない、やらざるを得ないようなことが今後あるんだろうなぁというのは薄ぼんやりと思っていた。
↓2017年9月28日の日記より
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私はどこに行こうとしてるんだろう…。
自分の人生、その設定の仕方を恨みたくなってしまう。
もう使命とかそういうの、本気でどうでもいい。
誰かと一緒じゃなきゃ幸せになれないって思ってない。1人でも十分幸せなことたくさんあるし、そういうの見つける天才だと思う、私。どんな状況もその中で楽しんだり笑ったりする能力がものすごく高い。
でもそういうことじゃなくて、(どうして)一緒にいたいと思った人ととことんどこまでも別離を体験しなきゃいけないのかと思う。そんなハードルとか修行みたいな試練はもういらない。もう痛いのも、辛いのも、十分すぎる。
期待させるようなシンクロもサインも、それとは真逆に向かってる現実に発狂しそうになる。
人生に怒ったって仕方ないってわかってる。でも怒りたくなる位、なんでこんな強烈なことばかり起こるのかと責めたくなる。何を責めて、どこに文句を言えばいいのかわからない。
本当に限界な位、疲れた。
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その時すでに私は「使命」という言葉を日記に書いていた。
本気で要らなかった。
そんなもの要らないから、自分が大切だと思う人と一緒にいさせてください、と思った。
1回2回じゃない、何千回何万回と思った。
あれから1年半近くが経とうとしている。
想像以上にすごい展開になって、色々とわけのわからないことも日々起きている。
気付けば40歳目前になった。
何歳か年上の女友達が40歳になった時、「やっと40歳になれる!」と喜んでいた。
彼女はキャリアウーマンとなってそのうちその専門分野では知らない人がいないんじゃないかというようなところにまで今や上り詰めているけれども、本当はのんびりと専業主婦をして子育てをしたかった人。
自分の好きな人を支えてその人との子どもを産んで育てる、そうしたかったと何回かお酒を飲みながら話していた。
40歳になる時、もう周りも結婚だの子どもだのといよいよ言わなくなるからすごい楽になったと言っていた。
私も似たような気持ちがある。
あきらめたとかそういうことではなく、世間が40歳だと放っておいてくれる、そういう域に行けるのがちょっと楽な部分があるなぁと。
実際は色々頼りない怪しげな人生40年目に突入していくわけだけど、もう周りの声は適当に流して自分の声だけを聞いて動ける体制に少しずつ整い始めてるのが嬉しい。
この1年くらいのことだったと思う。
久しぶりに高校時代の同級生から連絡が来た。
子どもの報告だった。
そこまでなら私も流せたと思う。
その子は「元気?」と聞きながら、次のLINEにはすごい頼み事を私にしてきた。
Eテレの乳幼児世帯では視聴率100%に届きそうな某冠番組に我が子と参加したくて、その参加というのが抽選方式で、その抽選に自分だけで応募してもなかなか当たらないから私にも応募して欲しいというような内容だった。
私はそれ見た瞬間ブチ切れた。
この人は人のことを何だと思っているんだろう?と。
私がお気楽な独身を謳歌して、結婚もしたくないからしなくて、子どもも欲しくないから持たなくて…とでも思ってるの?と。
っていうか、もしかしたら私が不妊治療してるかもとか、そういうことは思わなかったのかなとか。
あまりのデリカシーの無さに私は既読にもせず(待受画面に出ていた3行ぐらいだけ見た)、そのまま放置した。
子育て中の妹に、そういうお願い事は子育て世代には当たり前なのかと聞いたら、妹も絶句して、私は史子たち家族でも頼まないと言っていた。
それっきり連絡も来なくてホッとしてる。
この年になるといよいよ周りも結婚していてもしていなくても子どもがいてもいなくても、色んなことが人生において出てくる。
相手の状況は聞かないし、安易に変なことも口走れない。
キョンキョンが不倫してるとスクープされた時、私は相手の男の人の会見に好感を持ったけれど、それを何も考えずに既婚者の人と喋ったら地雷を踏んだ(滝汗)。
ちなみに好感を持ったのは、不倫云々ではなく、もう自分でもどうにも止まらないぐらいにキョンキョンのことが大好きなんだろうなぁという感じの部分。
うんと後から、実は旦那さんが不倫して離婚寸前までいったと知って、ものすごく申し訳ない、配慮の足らないことを言ってしまったことに気付いた。
男の人同士はどうなのかはわからないけれど、女同士はやはりそこはかなり気を遣う。
相手の状況や背景はわからないから、口は災いの元だと常々思うから、そういう個人の話を私は振らないし自分からは聞かない。
相手が話してきた時もウンウンと聞いたり、一緒に怒ったり泣いたりするぐらいにとどめる。
そうした気遣いをいっぱいしてきた30代、そして自分も無駄にあれこれ気持ちが傷付いた30代。
40代がそういうことがなくなるということではないけれど、ピリピリした感は少しは落ち着く気がする。
ちなみに日記を書いた当時と今とで変わったのは、私の自分の人生への向き合い方だと思う。
あの時は上手くいかないあれこれを嘆いて、自分の何だかよくわからない強烈な人生の流れを心底恨んでいた。
たしかに相手は高嶺の花だったけれども、私が願ったことはそんなにもはちゃめちゃなことじゃない。
その人といる時間が欲しかった。
ただそれだけだった。
そしてその頃から本当に異常なほどのシンクロやその人を表すサインが至る場面で出始めた時で、それらも私をとても混乱させた。
現実は全く交わる気配もないのに、なんなら断られ無視までされてる風なのに、そうではない部分ではその人を表すものがどんどん来るわけだから、何をどう理解していいのかもわからなかった。
しばらくは本当にきつかった。
しばらくとか言ってるけれど、本当に今ぐらい楽になってきたのはつい最近、年明けたぐらいだと思う。
あの頃と比べてもサインたちは相変わらずやって来るけれども、大きく変わったことがある。
とりあえず、わけのわからないこの自分の人生を受け入れ始めた。
今はそこから逃げようとは思わないし、一生を懸けてそこに向き合っていこうという覚悟は決まった。
覚悟が決まったと言うとカッコいいけれど、内実は違う。
逃げるともっと強烈な出来事が起こりうるとわかってきて、それが嫌だからそれなら向き合う方がまだマシ!という、全く前向きではない理由から向き合っているだけ( ̄∀ ̄)。
10年ぐらいを過ごして、逃げるともっともっと大変になるのはよくわかった。
嫌なままでもいいから受け入れた方がいい。
やっと10年ぐらいしたら、そこだけは理解できるようになった( ̄∀ ̄)。
『奇跡の果実⑧覚醒』の中で、
【嫌なもの、苦手なものでも、一旦は受け取る。
受け取り拒否してもいいけれど、あとからもっとでかいものくるよ!(爆)
(↑自爆テロみたくなるから勧められない)】
と書いている部分がある。
あの文章も余裕が出てきたら解説を書きたいと思ってるぐらいだけど、あの中にある「自爆テロ」とはまさに私が言うところの【逃げるともっと強烈な出来事】に該当する。
そういう意味で肝が据わった。
そして1年半くらい経ってみて、高嶺の花だった当時のイケメン上司についても私の中で意味合いが変わってきた。
本当の本当に、高嶺の花イケメン上司は、魂の転生の中で再会した、すごい結びつきの強い人だということ。
それだけは疑いようのない事実だと悟った。
前はもしかして…という程度だったものが、いや、転勤でいなくなった当時なんかはそれをポロッとスピリチュアルなことを知ってる友達に言ったら「そんなことある?」ぐらいなことまで言われて、あぁやっぱり私の思い違いかも…と思ったりもしたけれども。
この1年半、何度もそう思っては打ち消し、そう思っては打ち消しを繰り返したけれども。
今はそちらはほぼほぼ確信、100%の確信と言ってもいい。
今後再会できるかどうかなんてのはわからないけれども(←もはや死者の霊魂が現れるぐらいの人生だから、何があってもおかしくない)、再会せずに今生死ぬことになっても、その人は私の人生においてなくてはならない存在には変わらない。
さすがに死者の魂からもその人についての話が勝手に出されるぐらいだから、もうそういう特殊な存在なのは確定。
偶然として片付けることは無理だし、何にも関係のない人だとは、ここまでくるとさすがに言えない。
私の勘違いだとも思わない。
そして、至る場面、特に重要だったり大変な場面で毎回救世主のごとくサインが来るから、本人の気持ちとかはさておいても間違いなく時空さえぶっ飛んでお互いの何かが結びついているんだろうなぁと思う。
まぁそんな見えない形じゃなくて、普通に顔を合わせて再会させてください!と思う( ̄∀ ̄)。
私はそんなところまで非現実的なオカルト色を求めていない( ̄∀ ̄;)。
相手からしたらそんな関係性の強い人が私でガックシでも、私からしたらそんなイケメンで仕事もできる素敵な人が自分の人生の中で魂的な繋がりがある人だというのは単純に嬉しい。
私からもたらされたものが迷惑とか負担とかそういうものだったとしても、相手側から私にもたらされたものは良いもの満載だったから、それでその人はその人自身の役割を果たしたのかもしれない。
今思うと、その人が私を無視みたいなことしてたのは、その人自身も色々意味がわからない強烈な何かがあって逃げたかったのかもしれないなぁなんて思ったりもする。
ペンジュラム使ったり宇宙の話とかに興味を持って聞ける私でも「変」に感じたことが満載だったから、そんな知識多分ゼロだろうその人からしたら「変」を通り越して「危険人物」だったのかもしれない、私が。
だから、その人を責めることもないし、なんなら「大変だったでしょう?」とさえ思う。
今は必要があれば、またお互いの人生がどこかで交わるのかな…と思っている(正しくは超期待している( ̄∀ ̄))。
でも、それが相手の結婚を風の噂で聞くとかは絶対に嫌だから、そういうことだけは間違っても今後起きませんようにと、もう私も大概の苦しいことは経験済みだから、これ以上強烈なことはやめて下さいと思う。
相手が結婚する可能性は高くても、そんなことは私は知りたくない。
それなら、会えなくてもいいから、代わりに何も知らずに余生を生きたいと願う。
話があちこちに飛びすぎたけれど( ̄∀ ̄)。
女友達ではなく男友達ではあったけれども、月曜の朝出勤前なのか、出勤して少し時間があった時なのか、その時に2人の子どもたちのツーショット写真を送ってくれたことは本当の本当に嬉しかった。
それは私が初めて、結婚とか子どもとかいうものに対して、真っ直ぐに相手の気持ちを受け止められた瞬間だったかもしれない。
リーダー(=男友達)が送ってきたものは、自分たちの大切な宝物の写真。
そして、自分たちの宝物を自分の大切な友達と共有したい、ただただその気持ちで送ってくれたのがよくわかった。
自慢したいとか見せつけたいとかそういうことじゃない。
私に遠慮もしていない。
ただただ、自分たちの大切にしているものを私にも見せてくれた、そういうことだとすぐにわかった。
自分がそういう気持ちを素直に受け入れられたのも嬉しかったし、リーダーの気持ちもとても嬉しかった。
週明けで忙しいだろうに、そんな時に1枚写真を送ってくれる、その手間は時間があるだけではできない。
気持ちがなかったらやれない。
それが本当の本当にわかったから、とても嬉しかった。
10年前、リーダーと他2人の同い年の友達と4人で三十路会を祝った。
私には毎年誕生日にだけ書く日記帳がある。
20歳の頃から付け始めた。
30歳の時、リーダーはそこにこんな風に書いてくれた。
「“ママになったんだね”ってブッシーに言える日を心から楽しみにしています。」
リーダーは子どもが生まれて1時間もしないうちに、ツーショット写真を私に送ってきてくれた。
リーダーは自分の人生の大切な節目の時には必ず私に連絡をくれる。
そういう人だから、今回のG男の子どもと自分の子どものツーショット写真を送ってきてくれた、そう思ってる。
リーダーは写真に一言添えていた。
「世代を超えて。」
>>>2019/02/26
新しい調べ物にハマり始めた(((o(*゚▽゚*)o)))
前々から気になっていて心の中でひっそりと狙っていたもの。
オラクルカードやルノルマンカードでレア物のカードが欲しかった。
Sさんから1ヶ月早い誕生日プレゼントとして人生で初めてのルノルマンカードをプレゼントしてもらって以降、自分の好みというのがわかってきた。
人も持っているというものには基本あまりときめかない。
そうこうしているうちに、海外のルノルマンカード取扱店のサイトに行き着き、その前後で世界中の手作り作家さんが出店されてるみたいなネットショップを見つけて、そこでどハマりして探している。
(etsy.com←このサイトの正式ジャンルは知らないけれど、私はそこでひたすら手作りのオリジナルカードたちを検索している)
10月に母方のおばから、電車の駅まで送った際お小遣いをもらって、それは絶対に生涯を通じて使えるものに変えようと決めていて、それでその類いのお金が今3000円まで貯まったから、カードがいいなぁと元々思っていた。
おばはその時に私が生まれたばかりの時の話をしてくれた。
自分がこの世に誕生したことを手放しに喜んでもらえた当時の話は、そうそう聞けるものじゃない。
その話は多分私は生涯で一度しか聞くことはないと思う。
そういう思い出が入ったお金だから、きちんと意味あるものに変えたい、できれば生涯ずっと長く使えるものにしてそれを見るたびにおばとの思い出を思い出せるようにしたい、ずっとそう思っていて、そしてとうとう候補となるものたちが最近現れてきた。
それがそのネットショップに色々あって、私は超ルンルンで調べまくっている。
Sさんからプレゼントしてもらった方のルノルマンカードはまだまだ解読途中だけど、自分でわかったこと。
・絵が色々あって解釈の自由度が高いものが好き
・英語のガイドブックの方が解釈を広げやすい
それこそこの間手元にある、これまたSさんから数年前にもらったオラクルカードを見て、すごいことに気付いた。
カードリーディングをされる方の動画でよく「日本語訳がまずい」というボヤキが出ていた。
どうまずいのかはいまいち視聴者の私にはわからなかったけれど、その人がまずいと言う時は本当にまずいんだろうなぁと思ってはいた。
この間、私の手元のカードの日本語訳も英語から日本語に訳される道中で意味が変わったものを発見した。
それはガイドブックには「与えることと与えられること」とある。
ところが、正しくは「与えることと受け取ること」になる。←カード本体に記されている英語の武士俣訳
私のマニアックなこだわりだけれど、「与えられること」と「受け取ること」は全く別物になる。
「与えられる」という行為は、自分は誰かからもらうのを待つ、要は受け身の姿勢でいることになる。
反対に、「受け取る」という行為は、自分自らが受け取ると決めて、意思をはっきりと示して、自分からもらいに行くことを指す。
与えられるのが受動的なら受け取るのは能動的になる。
全く別物だということがわかる。
そして、今手元にあるルノルマンカードに関しては、ガイドブックは全文英語だから、私がそれを直に訳して解釈する。
そして、すごく良いのが、日本語が自分の中で怪しいものは一言一句全て辞書を引く。
辞書を引くと、まぁ細かい解説が色々あったり、日本語訳も数種類あったりする。
それらを私は自分の好みで絵柄とマッチする言葉を拾い出すやり方を採っている。
だから、ますます私のオリジナルガイドブックは、私独自の解釈になってすごく素敵な仕上がりになっている。(←以前買っておいたスヌーピーのノートが、私専用のルノルマンカードガイドブックになっている(^-^))
例えばこの間も1つあったこと。
「責任」という和訳になる英単語が英語のガイドブックの方に出てきた。
「責任」と一口に言っても色々ある。
親としての責任とか、会社の責任者とか、何か個人的なことに対して責任を負うとか。
この責任は違う。
辞書には「(信頼から生じる)責任」とあった。
どういうことかと言うと、そのカードの絵柄の中では犬と象が出てくる。
英語のガイドブックによると、2人は親友同士という設定になっている。
お互いがお互いを大切にし合う、特に危機的な状況において自分が不利な状態になっても、相手を信じること、その信じることに対しての責任を謳っているものだった。
何この素敵な解釈&和訳☆*:.o(≧▽≦)o.:*☆と思った。
という細かいニュアンスの違いもわかれば、そこからまた私があれこれ色を付け足して意味を広げることもできる。
多分、これ日本語のガイドブックが出ているなら「責任」の一言で終わっていると思う。
(たしか日本語版のガイドブックもあったはず)
今回こうした体験をしたことで、私の中で俄然「英語のガイドブック」が付いているカードに目がいくようになった。
自分が訳すから、自分がピンとくる言葉を使えるのと、主語が何になるかで意味合いがガラッと変わることもわかるし、とにかく純粋に言葉をおろせるのがいい。
ギフテッドのAくんの東大入試の英作文ですら私は全く萌えなかったけれども(Aくんとやりとりするのは萌えても英語は別物で萌える材料には一切ならない)、カードの和訳における英語の勉強はめちゃくちゃ楽しい♪
人生で初めて英語の勉強が楽しいと思った!
苦節27年28年、まさか生きているうちに英語の勉強が楽しい♪٩((*⁰▿⁰*))۶♪なんて日が来るとは思わなかった。
私は友達に言ったことがあるけれども、「言語を勉強する時の一番良い方法は『楽しめること』」だと私は絶対にそうだと思っている。
言語の勉強が楽しい!となってる人は、もうそれだけで私からすると【才能】だと大真面目に思う。
私は英語もスペイン語も、大学の時の単位の一部で取った中国語も、もうどれもこれも全部苦痛の他の何物でもなかった。
二度と触りたくない、それぐらい楽しくない記憶しかない。
色々楽しめる方法を試したらいい、なんてビジネス書なんかには書いてあるけれど、私はそれは違うと思う。
やっぱり好きじゃないものは好きじゃないし、私は元々勉強が嫌いで何を習得するにも人の倍以上の時間を要するから、それだけで苦手要素満載すぎる。
だから大人になってからも人に英語の何かを頼まれるのが、実は毎回超苦痛だった。
嫌味みたいな話だけど、能力があるからできても好きにはならない。
そんな私が嬉々として英語の辞書を開いて調べる、しかも細かいところまで見るなんて、これまで一度もなかった。
ましてや一言一句調べまくる、辞書になければネットの英和辞典でも調べるという徹底ぶり!
「好き」ってすごいんだなと思った。
それだけでやる気を自動的に供給してくれる、すごいパワーの源なんだとわかる。
話ついでに、英語と日本語では全く捉え方が違っていて、すごく参考になった話があるからそれを紹介。
例えば、日本語の「不安になる」とか「心配する」という、そうなった時に基本気持ち良く過ごせないタイプの感情がある。
これ英語圏のヒーラーさんが動画で話しているのを聞いていた時に、全く違う表現になっていて「これは良い!」となったのがある。
英語では、【それがあなたの邪魔をする】と言っていた。
不安なら不安があなたの邪魔を、心配なら心配があなたの邪魔をすると。
日本語の「不安になる」とか「心配する」という言い方は、自分と不安や心配が一心同体になっていて、逃げ場がないみたいな感じで余計苦しくなる。
でも、英語だと自分と不安や心配はそれぞれ別の存在で、私は私、不安は不安、心配は心配、とそれぞれが独立している。
だから、私を邪魔する不安や私を邪魔する心配、そういう感じになる。
自分と切り離してそれらを捉えられるのがすごく良いなぁと思った。
この捉え方は役立つなぁと思って、私は今もよく使う。
ついでにもう1つ。
これは何かのブログかメルマガで知ったもので、時々遊んだりしてるけれど。
例えば、「怒り」、「不安」、「怖れ」というネガティブ感情の代表選手たちがいる。
それらにあだ名をつける。
「怒り」なら「いかりん」とか。
「不安」なら「ふあさん」とか「ふっしー」とか。
「怖れ」なら「おそくん」とか「おそれんれん」とか。
ふざけたこと言ってるみたいに見えると思うけれど、これ本当に使える!!!
それまで重たさが100とするなら、90とか80、上手くいけばアホくさくなって深刻ぶっていたものが笑えたりする(^-^)!
これも私のお気に入りのネガティブ対処法の1つ。
私事だけど、2月20日の満月の時、超具合が悪くなって、今日26日下弦の月も体だるくて午前中は布団で二度寝。
ホロスコープ見たら、私の生まれた時の4天体が今日の空の4天体と重なっていた。
自分でも、月の節目節目に相当影響が強く出るのがわかってきたからいいものの、やっぱり渦中はいいなんて思えない。
全部天体のせいにするつもりはないけれど、突然意味不明な体調不良を引き起こす人がいるなら、月のリズムとか天体の動きとかに注意するといいかもです。
《今後の節目となる部分》
・3月6日…天王星が牡羊座から牡牛座へ
・3月7日…魚座で新月
・3月14日…蟹座で上弦の月
・3月21日…春分の日、天秤座で満月
・3月28日…山羊座で下弦の月
ホロスコープ系のブログを読んでいると、3月の春分までは相当浄化のエネルギーが強く働くらしく(今年は特に)、毎年春分の日は鬼門の私にとって、かなり気をつけないとまずいなぁとは思っている( ̄∀ ̄)。
個人差があるし、ならない人はならないし、体調不良が本当の病気のこともあるから、これはあくまでもいち情報としてお使いください。
【写真】
1年前の3月に、2歳の姪っ子と繋いだ手。
1年前の春分の日の体調不良は、彼女によってもたらされた( ̄ཀ ̄;;)。
子どもの菌って何であんなに強いんだろう?と思う。
だから、有給取って金沢にいる間、ほとんど体調不良だった私((((;゚Д゚)))))))。
そして、姪っ子の黄色い服、あれはなんと私たち三姉妹のおさがり∑(゚Д゚;)!
墓参りに着たゆかたもおさがり、家で着るはんてんもおさがり、姪っ子用の布団(←私の保育園時代の昼寝布団)もおさがり…、母の捨てられない症候群もここまで来ると才能だと思う( ̄∀ ̄)。
姪っ子をいつも見ていて思う。
私たち家族にしあわせをいっぱい運んできてくれる存在だなって。
エンドレスお店屋さんごっことか拷問かと思うけれど( ̄ཀ ̄;;)、それでもその小さな手はいつもたくさんのものを私にプレゼントしてくれる♡╰(*´︶`*)╯♡。
パートナーにも子どもにも恵まれなかった30代、そうしたことに関して心はどこまでも荒(すさみ)まくっていた30代の中で、私は姪っ子の誕生だけは本当に純粋に嬉しかったし、こんなに素晴らしいものを天は授けてくれるんだと心底感動した。
いつか姪っ子が大きくなって人生に迷うようなことがあった時、おばが私にしてくれたように、私も姪っ子が生まれてどれだけみんなが喜んでいたのかを伝えたい。
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