2017年10月9日月曜日

手紙



9月のある週末、まだまだ暑さが色濃く残る頃、私は1通の手紙を書いた。
 

その手紙は直前まで全く書く予定のないものだった。

 

そして書くと決めてからも何を自分が書こうとしているのか、自分でさえもわからなかった手紙だった。

 

大人になってから書いた手書きの手紙はゆうに100通を超える。

 

もしかしたら、2、3百を超える数の手紙を書いたかもしれない。

 

大半は、仕事で深く関わった人やお世話になった人に向けて。

 

仲の良い友達に書いたものも数十通はあるだろう。

 

付き合ってた人たちに書いたものもあった。

 

だから手紙を書くこと自体は慣れている。

 

慣れてはいるけれど、その週末に書いた手紙は、そのどれにも該当しない相手だった。

 

そして、その手紙だけは、過去に一度も書いたことのないタイプのものだった。

 

あの時の私は「書きたい」とか「書かなきゃ」とか、そうしたことさえも考えたり感じたりする余裕がなかった。

 

体の方が勝手に動いていた。

 

人生の中でそう何度とはない、何かに突き動かされるように勝手に動く、その時がそうだった。

 

手紙を書くと決めてから実際に便箋を買いに出かけるまで24時間と経っていない。

 

そもそも書くきっかけとなった出来事が起こった直後、私はもうそのことから身を引こうとそれは潔く決めていた。

 

これ以上そこに関わっても仕方ない、と自分でもびっくりする位に「もうおしまい」とばっさりと断ち切っていた。

 

だから、「手紙」を思い立つまでは、私はもうその全てから自分の身を引き剥がすように終息に向かっているつもりでいた。

 

その日の夜だったんだろうか?

 

突然、「手紙を書こう」と思った。

 

このままではいけない気がする、伝えるべきことは伝えないと一生それはもう伝わらないことなんだと、明日自分が死ぬ予定みたいな差し迫った感情がどばっと出てきたような気がする。

 

例えば、伝えないという選択をもしあの時にしたなら、一生私の中にだけ生きるストーリーで、尚且つ言葉では到底表現できないような「大事なこと」の一言に尽きるようなものを相手に知らせることがないまま終わっていたと思う。

 

でもそうであってはいけない、そんな感じを感じていたんじゃないかと思う。

 

この辺りは、自分が何を思い何を感じたのかもう今となってはさっぱり思い出せない。

 

それ位、何か激情に呑み込まれるような、普段の自分では絶対に有り得ない色んなものが勝手に溢れ出ていた。

 

人生80年と考えたら、そういうよくわからない手紙を書いて渡す、渡されることがあっても、そんなこと一生に一度と思えばいいじゃないかと自分を鼓舞した。

 

書く内容も書く目的も、「書こう」と思い立った時もしばらくしてからも何も定まっていなかった。

 

まっさらな状態ではあったけれど、「伝えなきゃ」という気持ちだけは前に前につんのめるぐらい前にあって、それにひたすら体が追い付こうと動いていた感じだった。

 


 

その土曜日、私用を済ませた後、便箋を買いに出た。

 

その便箋を持って、日常とは違う空間に行って手紙を書き始めた。

 

午後の遅い時間、夕方になろうとしていたかと思う。

 

いざ真っ白い便箋に向き合うと、何を書いたらいいものか…と一瞬ためらったのち、もう思い付いたまま書き出してみようと書き始めた。

 

5枚目くらいに差し掛かった頃、先が見えない上、そもそもどういうところに着地点があるのかもわからなくなり、不安になって友達にラインで質問した。

 

この友達は過去に一度私からの手紙を受け取ったことがある。

 

今でも忘れられない、友達の思いやりに満ちた行為に私は泥を塗って、でもそれを友達は何てことないという感じにしておいてくれて、そしてもう何事もなかったかのようにその後も普通にしてくれてたけど、私はその後後悔だらけできちんと謝らなきゃと思っていた。

 

そのお詫びとお礼の両方を兼ねた手紙だった。

 

当時も同じような便箋で8枚も書いた相手でもあった。

 

その友達に、ネットで見ると長い手紙は良くないとあるけれど、あれこれ書いたら長くなってきてしまった、長いのまずいかな?みたいなことを聞いた。

 

正直、この友達からの返信は1ミリも期待していなかった。

 

というのも、過去にこの友達が私ともう一人の友達の分もまとめて飛行機のチケットを取ってくれたのはいいけれど、その飛行機の時間を聞いても、1週間以上平気で放置プレイをするような人だ。

 

仕事の休みの申請もあるから早く返信が欲しいのに待てど暮らせど来ず、本人いわく自分の気が向いた時が返信時のようだった。

 

仕事の休みの申請に支障が出てもおかしくないレベルのものを1週間以上放置されたから、手紙の長さについての質問なんかもっとどうでもいい話で、返信は期待せず、でもできたら何か答えが得られたらいいなぁぐらいの気持ちで出した。

 

そうしたら1時間後、携帯がブルッと反応した。

 

なんと友達からだった。

 

≫そういう手紙をぶっしぃが短く書けるはずがないので、「長すぎるかな」と考えたところでそれ以外はないよ。長さは気にせず思うように書けば良いと思うよ。

 

と返ってきた。

 

基本的に72時間以内に返信がないのが当たり前の友達なのに、この時だけはどういうわけか1時間で返ってきた。

 

確実にこれは味方がついていると思える流れだった。

 

多分手紙を書くことは間違いではない、ととてもポジティブに捉えてまた書き続けた。

 

土曜日何時間かけてその手紙を書いていたのかはわからない。

 

13枚にもなった手紙を私はその後翌日曜日の昼までに10数回は読み返した。

 

国語の教科書を読むみたいに途中からは飽きてはいたけれど、相手に差し出す以上は誤字脱字はもちろんのこと、きちんと伝わる内容を書きたいと思った。

 

最初で最後の手紙ならなおさらだった。

 

書き足したり言葉を少し変えたりしながら、どうにか完成形と呼べるぐらいにまでなり、日曜日また場所を変えて今度は清書した。

 

手が震えそうになりながら1枚目を書き出した。

 

一文字一文字それはそれは気を遣いながら書いた。

 

自分のひらがなの癖に気をつけながら、読める字を書こうと心掛けた。

 

3分の2を書き終える頃、少しずつ寂しくなってきた。

 

終わりが近付いていることがわかっていたから、それが寂しさを連れてきた。

 

書き終えた時は達成感とは別に、「終わっちゃったな」と思った。

 

そこではたと気付いたのは、下書きよりも清書の方が枚数をオーバーしていて、当初使う予定でいた封筒には収まらないことだった。

 

急いで閉店間際の百均に行き、封筒を探した。

 

紙の厚さの関係上、選択肢は1つしかなかった。

 

これまでの100通以上の手紙には一度も使ったことがない封筒だった。

 

一言で言えば、ださい。

 

要は普通の事務用の茶封筒で、そんな封筒で私的な手紙を人に渡すなんていうのは過去に一度もしたことがなかった。

 

でも背に腹は代えられない、これしか入る封筒がないんだから仕方ない、と割り切って、もう二度とは使い道がなさそうな24枚入りの封筒を手に店を後にした。

 

何せ無計画で書き始めた手紙だけあって、私はそれを一体いつどのタイミングで渡すのか考えていなかった。

 

手紙を書き終えてから、一体いつがいいんだろう?と自問自答した結果、先延ばしせずすぐに渡そうと決めた。

 

そこから2つ目のミラクルがまたやってくるとは、想像もできなかった。

 

「手紙を書く」と決めた翌朝のその土曜日から、私はお墓参りを始めた。

 

具体的にいつとは覚えてないけれど、いつからかもう自分の思考では到底想像できないようなことがたくさん起こり出していた。

 

「もうこれは流れに委ねるしか基本的に方法はない」と自分の中で感じたそのタイミングと手紙の発想がほぼほぼ似たような時期にやってきていた。

 

そこで私は「お墓に手を合わせて、ご先祖様に守ってもらおう」という、実に自分の都合だけを押し出した墓参りを始めることとなった。

 

手紙を渡そうと決めた日の朝もまずはお墓に寄った。

 

その時はクリアケースに手紙を入れて、お墓の前に持って行って願掛けをした。

 

頭を冷やして冷静になってから、「ところでこれどうやって渡すんだろう?」とずっと思っていた。

 

渡すタイミングが見当たらなかった。

 

まず渡す相手と私が2人きりになるなんてことはない。

 

さらに万が一そんな状況が生まれたとして、タイミング良く手紙を私が持っているのかというと、それも微妙だった。

 

無理な理由はいくらでも思い付いても、渡せる状況は1つも思い浮かばなかった。

 

それもあって、お墓の前に手紙を持参して「これを無事に渡せるようになんとかよろしくお願いします」的なことを祈る他なかった。

 

お墓を後にしたその直後、私は手紙を渡す相手の名字が書かれたとてつもなく大きな看板を目にした。

 

そこは元々事務所を経営していたところだったけれど、経営者の方が亡くなられて普通の民家になったタイミングで、なぜか看板に名字だけを大きく書き替えて残すということをされたお宅だった。

 

その看板を見た時に、何の根拠もなく「大丈夫」と思えた。

 

そしていざその場に行ってみると、千載一遇のチャンスが転がっていた。

 

先に言ったように、まず2人きりになど絶対にならない。

 

特にその時間帯はならない。

 

記憶の限りなったことがない。

 

だけど本当に一瞬、時間にして1分もあったかないかだろう。

 

完全に空間に2人きりになった時間が突如生まれた。

 

何がどうなっていたのかさっぱりわからないけれど、本来いる人たちが1人残らず全員席を外していて、普段いない人たちも一瞬いたけれどまたそれぞれが自分の用事を足しに出て、気付けば手紙の相手と私だけしかいなかった。

 

今しかないと思って慌てて封筒を持って行った。

 

余計なことを言い足せる状況でもなかったから、これお願いしますとしか言わなかった気がする。

 

相手も「はっ?」と思ったのかは知らないけれど、何も返事しなかった。

 

あまりに変すぎて、返事が返ってこなくても不思議じゃなかった。

 

史上最強にヘンテコな手紙の渡し方だった。

 

その日1日を終えた頃、ふと茶封筒を思い出した。

 

手紙を書き終えた時は、単に封筒に入りきらないと思って急遽変更した封筒だった。

 

だけど、結果的に、茶封筒だったおかげで他のものと一緒に持っていても何ら違和感なく風景に溶け込めるようになっていた。

 

紙2枚?3枚?くらいのあんな薄さが封筒を変更しなくてはいけない状況を生み出したのかと思うとすごい。

 

最初用意していた封筒は、風景にはなじまない。

 

それもシンプルなデザインだけど、若干浮いてしまう。

 

10数回の読み返しも無駄にはならなかった。

 

そのおかげで長さが若干伸びたのだから。

 

長さが封筒を変えるきっかけを作ったのだから。

 

そしてお墓参りにも驚いた。

 

本当にお墓参りが功を奏したのかは知らない。

 

だけど、渡せない状況はいくら思い付いても渡せる状況は思い浮かべることができなかった。

 

もうここは神頼みしかないぐらいのレベルで、手紙をささっと渡す状況なんて普段なら絶対の絶対に有り得なかった。

 

そうしたら、手紙を渡せる状況が一瞬にして生まれた。

 

今振り返ってみても、もうあの時と同じ状況はあれが最初で最後だった。

 

それぐらい何かに守られるかのように動き出していた。

 

 

~手紙にまつわるanother story

 


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