人生で初めて、ちっとも嫌じゃない「がんばれ」に出逢った。
子どもの頃オール1でスタートした私の人生は、「がんばれ」の言葉が常に日常にあった。
母親をはじめ色んな人から「がんばれ」とよく言われた。
周りは励まそうと思って言っているのは何となくわかっていたけれど、それを言われるたびに私は「こんなにがんばっているのにまだがんばらなきゃいけないの?」とよく思っていた。
大人になってうつ病という病気が社会の中で広く認識されるようになった頃、「〝がんばれ″という言葉はうつ病の人に言うとさらに本人を追い詰めるから良くない」と言われるようになった。
当時の私は自分がうつでもないのに、いたく共感していた。
大人になってから私の「がんばれ」という言葉にはもう一つ苦手な要素が加わった。
これは最近ようやく気付いたのだけれど。
自分でも自覚があるけれど、私はこれはやりたい!とかやらなきゃ!という気持ちで動くと並々ならぬ集中力を発揮することがある。
それを周りの人から見ると、私は「とてもがんばった人」として映るらしい。
私的にがんばってるつもりはなくて、単に興味があるとかそうしないといけないという責任感みたいなものでやってるだけ。
なのにがんばった人になる。
そしてそれをわざわざ私に「がんばったね!」と言ってくる人もいるわけで、言われると私はなぜかカチンとくる。
「がんばったってどういうこと?私は自分の気持ちに従っただけなのに…」と心の中で毒づく。
自分でも面倒くさい人だと思うけれど、そう自動的に感じてしまうのだから仕方ない。
そんな私が人生で初めてちっとも嫌じゃない「がんばれ」に出逢った。
そしてとっても前向きに「がんばろう」と思えたし、おそらくそれは少しずつ行動化されてきていると思う。
秋晴れとはいかなくてもそこそこ晴れたある土曜日。
秋から冬にかけて着る服を見に60キロ以上離れた大きなショッピングセンターに行った。
大きな国道をはさんで2つあるから、1つ目を見て2つ目を見ようと思った。
1つ目でまずショックな事実が判明した。
そこでお気に入りだったお店がなんと閉店していた。
ただでさえお気に入りの店が少ないのに(片手で数えても指が余る)、そのうちの1つが閉店。
気を取り直して、2つ目の大きなショッピングセンターへ移動した。
お目当ての店めがけて行こうとしたら、その途中であるイベントをしているのが目に入った。
その人を見て感じたままを言葉に書き下ろすというもの。
書いた言葉の例がいくつも額に入って展示されていた。
私は足を止めていくつもの言葉を読んだ。
それらの言葉はいまいち心に入ってはこなかったけれど、妙に気になったのも本当だった。
ちょうど1人和服を着た女性がお客さんで書いてもらっていて、当然書き手の人も見えたけれど、その時もまだいまいち心が決まらずにいた。
高額すぎても困るから、とりあえず価格を確認しようと思った。
確認すると、安いことはなくても高いこともない。
そしてちょうど前日の友達の娘の家庭教師の金額で出せる風になっていた。
友達の娘の家庭教師代は特別なお金だから、私はそれを自分のための何か大切なものに代えている。
そういう意味でこの言葉を書いてもらうのはうってつけだった。
それでも私はまだ迷っていた。
そこで私はぐるっと店の中を回ってそれで決めようと決めた。
回る時、書き手の人と目がかち合ったけれど、にこっとしたのかどうしたか忘れたけれど、そそくさとその場を立ち去った。
10分もしないうちに、「書いてもらおう!」と決めた。
このまま立ち去っても気になるだけだし、それなら期待外れで損してもいいから書いてもらった方がすっきりすると思ったから。
何せ展示の言葉にいまいち引き込まれなかった私は、大きな期待もせずにそれに申し込んだ。
書く内容も私の希望に合わせてもらえるということで、私は「私を見て感じたまま書いて欲しい」とお願いした。
何がくるかわからなかったから。
その人は私の目をじっと見て(これが不思議とまったく嫌な感じがなかった)、それを2~3分したかどうかの時間で筆をとり書き始めた。
最初の一文を書いて、その後もう一度私の目をじっと覗き込んで、何かを手繰り寄せるように見ていた。
そこで出てきた言葉をまた続けて書いてくれて、書き終わると私にそこに込められている言葉を教えてくれた。
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