2016年2月28日日曜日

ひと手間の味

昨日の夜は、半額で買ったものたちを食卓に並べての晩酌になった。


半額の16種のスパイスで味付けしたと言われるチキン、半額のカツオの刺身、人生初の半額で

購入した宮城県産ほや、大阪の鶴橋にあるコリアンタウンのキムチと銘打ったこれまた1パック

128円に値引きされたもの、そして発泡酒。

左下のれんこんと人参のきんぴらは自分でさっと切ってさっと炒めて作った。

何よりもきんぴらが一番おいしかった。

そして体の奥底に染み渡る感じがあったのも、このきんぴらだけだった。

刺身もチキンもお店の人のひと手間がかかっている。

だけど、自分で作ったきんぴらのような体に訴えるようなものは何もなかった。

そしてこちらが今日のお昼ごはん。


久しぶりにきちんとした和定食のようなごはんが食べたくなった。

魚は、昨日の半額たち同様に半額で手にしたかますの開きと鮭のネギ味噌漬。

普通においしかったけど、一通り食べて思ったのは、その主菜が一番のごちそうではなく、他の

3品、白いごはんに友達からもらったはちみつ漬の梅干し、豚汁、マロニーで作った中華サラダの

方がうんとうんとごちそうだった。

温かさももちろん関係していたと思う。

湯気が立つ程の豚汁に白いごはん、それだけですごいごちそうだったりする。

ごはんは米を研いであとは炊飯器任せにしても、中華サラダも豚汁もそこそこ手間がかかる。

手間と言っても、野菜や肉を切って、マロニーは茹でて、いり卵作って、あとは豚汁はすべてを

鍋にぶちこんで煮ただけ。

味付けなんかは1分で終わる。

一番手間だったのは、こんにゃくを手でちぎることだった。

実際には15分も台所には立っていない。

あとは炊飯器がガスがおいしくしてくれる。

炊飯器とガスが働いている間、わたしは自分のことをして過ごした。

たったひと手間だけど、そのひと手間をしたごはんは確実においしい。

本当に適当な感じでしか料理をしないわたしだけど、適当は適当なりに体はそのひと手間かけた

ごはんに慣れている。

そしてその慣れ親しんだものがなくなると、途端に体も心も元気を失う。

びっくりする程にわかる。

さらに言うと、その手のものを食べないと、わたしの場合は食べすぎる傾向がある。

昨日の夜の晩酌は、決して栄養価は高くないのにカロリーは高い。

そういうものは食べても食べてもおなかになぜか溜まらない。

食べてるのに空腹感がちょびっと残る。

そしてその空腹感を満たすために新たな食べ物を摂取するという悪循環が始まる。

片や今日のお昼ごはんは、上の量で充分だった。

豚汁はもう少しだけ足したけど、それはあまりにおいしくてもう少し食べたい!という欲から盛った

ものだった。

健全な食べ方だなぁと自画自賛した。

豚汁に至っては、大根は1ヶ月ほど冷蔵庫の中に放置したもの、肉と薄揚げは冷凍庫で長らく

待機していたもの、えのきはそろそろご臨終しそうな状態のもの、最後に乗せたゆずは冷凍して

ずいぶん経っている。

そういう材料でできていて、決して高級食材などない。

だけど、体に大切な何かが染み渡る感触がある。

素材で言えば、昨日のカツオやほやの方が上だし、栄養価も高い気がする。

でもそういうことではなくて、もっと根本的なところ、自分の手で自分のために何かを作るという

手間が、大したことない料理を一気に体や心を元気にさせる威力のある一品に仕上げる。

これは絶対にどんなに良い素材であっても、このひと手間料理には勝てないような気がする。

もちろん良い素材にプラスひと手間があれば、もっとおいしいものができるとも思う。

ジャンクフードもお菓子も相変わらず好きだけど、こと最近はこういう体の奥から元気にさせて

くれる手料理特有の良さにものすごく敏感になってきた気がする。

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