快晴の今日+満月の今日。
もしかして沈む太陽と昇る満月を同時に見れるんじゃないかと思って、
夕方空のひらけたスポットへ行ってみた。
その場所は近所のごちゃごちゃした様子からは到底想像ができない位に、空がひらけている。
周りには何にもないわけではないけれど、少なくとも180度見渡すことができる。
しかも歩いて行くには辺鄙(へんぴ)な場所で、誰もいない。
今日ももれなくそんな風で、「人間=わたし一人<鳥<とんぼ」の順で人口密度が完成していた。
そこは芝生のような草が敷き詰めてあって、地面に座って夕日を鑑賞するにはもってこいだ。
虫の鳴き声コーラスと目の前を自由に飛ぶたくさんのとんぼ、そして不思議なフォームの低空飛行
をしている鳥たち、あとはわたしだけという絶好のスポット一人占めだった。
残念ながら夕日と満月を同時に見ることは出来なかったけれども、両方ともそれはそれは
きれいなまん丸のものを目にすることができた。
夕日に至っては、とても都会で見ているものとは思えない、きれいなきれいな夕日だった。
そもそも、今日そんなことを思い付いたのは、昔のある体験がもとになっている。
大学1年か3年の時の冬、わたしはこれまでの人生でたった一度だけ沈む真っ赤に燃えた太陽と
これから昇る真っ白くて太陽と同じ大きさの満月を同時に見たことがある。
そこはひらけた土地で、それこそ水平線が見える。
山も建物も何にもない場所で、道と空と水平線、周りは休耕地の畑のみだった。
右手に太陽、左手に満月、という本当に摩訶不思議な光景が繰り広げられていた。
ふとそれが可能なのではないかと思って出掛けてきた。
結局は、たしかに真っ赤に燃えている太陽も真っ白い満月も空には出ていたけれども、
その2つを同時に見るということは叶わなかった。
というよりも、そもそもそんな希少な体験を人生で一度でもできた、ということが奇跡なんだと
今さら悟った。
夕日鑑賞を終え、満月鑑賞に移行しながら家へ戻る道すがら、友達からメールがきた。
おととい共通の友達が赤ちゃんを産んで、会ってきたよ!と写真付きでメールをくれた。
生まれたての赤ちゃんは、本当に神聖で独特の雰囲気をまとっていた。
「幸せのおすそわけ」と言ってメールをくれた友達に感謝しながら、そしてお母さんになった友達
にも感謝しながら、満月を眺めていた。
すべてが奇跡だらけの連続だった。
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