色んな人間関係がある。
色んな人間関係がある中で、タイミングよく「繋がる」人というのが必ず存在する。
それは「タイミングよく会える・メールや電話をする」とかいう目に見えてのレベルではなく、
今でなくてはならないというどこか良い緊張感と「会うべく人とは必ずそのタイミングで会える」
という交わりの意味での「繋がり」だ。
時間をかけて行った人間関係の断捨離。
「人間関係の断捨離」なんて言うと失礼な感じもするけれど、自分を守るために距離が必要な
人間関係がいくつかあった。
一緒にいると不愉快になったり傷付いたりする関係だ。
それは、色んなことを教えてくれたけれど、わたしは修復するとか我慢するとかではなく、「断つ」
ことを選んだ。
断捨離がある程度の終わりに近付いた今、元々何かしらの関係はあったけれどすごく頻繁に
やりとりしているわけではない、というタイプの人たちからここ数日で一気に連絡がきた。
単純に「これからも繋がっていける人たちなんだ」と思った。
そして、そういう心ある素敵な人たちと繋がれることが本当に嬉しい。
人間関係の断捨離をしていくプロセスの中で、「自分は何を大事にしたいのか」ということが、
言葉で表すのは難しいけれど、自分では「これ!」ってわかる瞬間がある。
反対に、「これは違う・・・」という瞬間もある。
人間関係の断捨離に関して言えば、わたしが「断つ」と決めた人たちとわたしとの間で起こった
ことは非常に些細なことだと思う。
些細だけれど、わたしの中では「アウト!」の判定だった。
起こったことは仕方ない。
それに対して怒りやら悲しみやら色んな感情を感じた自分もそれはそれでありだ。
だけど、その中で妥協点を見つけられなかった。
妥協点を見つけることを放棄した、という方が近い。
仮に妥協点が出てきても、それ以上に「絶対にされたらわたしの中では嫌なこと」の方が
どうしても勝っている。
そしてその「嫌なこと」は姿かたちを変えて繰り返される。
それは自分の心の中を投影しているというよりも、相手の個性の部分だ。
そんなの「変えろ」とは言えないし、それこそ人格を否定するようなもの。
「自分が受け入れたら変わる」ものでも、やはり大元の人の癖なんかは早々変わらない。
その癖により、自分が心ない発言を受けたり理解不能な理不尽な対応をされては疲れる。
そういうことを自分のわがままではなく、自分の大切にしたい価値観そのものなんだと認める
のに時間がかかった。
そんなこんなの人間関係断捨離と自分の価値観の確認作業を繰り返し、
絶賛おひとり様みたいな状態になって、あぁこれからどうなっていくのだろう?と不安にもなり、
そんな折に「繋がる」人たちからの連絡が相次いだ。
人と人とが「繋がる」のは奇跡に近いと思う。
会う人誰とでも繋がるわけじゃない。
大人になればそれぞれ生きる道も異なるわけで、そう頻繁に一緒にいられない時間の方が多い。
その中でも、繋がりがあるというのは本当にすごいことで、これこそ「一期一会」だと思う。
これからもその「言葉では言い表せない」大切だと感じるもの、それを軸にして生きたいと思う。
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