さっきe-mailの方のメールを100通削除した。
この数ヶ月で色んなメルマガを取ったまでは良かったけど、もう自分で処理しきれなくなっていた。
5月に入ってから2つメルマガを解除して、かなりすっきりとした。
そのうちの1つは、なんと朝晩と1日2通もメルマガが来る仕組みで、心底うんざりしていた。
申し込んだ時は、まさかそんな頻度でくるとは思ってなかったからびっくりした。
そして気付くと、発行者の言葉使いも好きではないと気付き、余計と嫌になっていた。
なかなか配信停止の手続きを踏まなかったのは、今のわたしに必要な情報だと思ったから。
今も必要なのは同じだけど、あの手に負えない数のメール数や言葉使いの不快度の方が、
いつの間にか上回っていたからだから配信停止の手続きをささっと踏んだ。
不快な感じは、必要性よりもわたしに訴える力が強い。
ストレス削減のためにも、情報はあきらめた。
さらに気付いたのは、情報がなくても何ら困っていない自分だった。
情報に関して言えば、わたしの場合は、「受け取る」方式よりも従来の「自ら探す」方式の方が
合ってる感じがする。
受け取るのは、受け取ってから取捨選択すればいいけれど、但し「受け取る」手間がある。
自ら探す方式は本当に自分に必要な情報しか受け取らない流れになってるから、
そちらの方がなんとなく性に合ってるし、気持ちが楽ちんだ。
今回何年振りかにメールの断捨離をしてみて、このバーチャルな世界にしか存在しない
メールというものが、実際に削除してみると「すっきりする」ことに心底驚いた。
家の中にある「物」は、目に見えてすっきり感が伝わるけど、メールは違うだろうと思っていた。
普段からe-mailに関して言えば、不要なメールはその場ですぐ削除するからあまり溜まらない。
断捨離の本で、メールなんかも処理することを勧められるけど、削除するものがなかった。
だから、本当に今回久しぶりの大型削除になった。
目に見えるものでもないし、バーチャルのポストを開けない限り存在しないメール。
されど、気付かぬうちに結構な負担になっていたんだと今回わかった。
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