快晴の今日+満月の今日。
もしかして沈む太陽と昇る満月を同時に見れるんじゃないかと思って、
夕方空のひらけたスポットへ行ってみた。
その場所は近所のごちゃごちゃした様子からは到底想像ができない位に、空がひらけている。
周りには何にもないわけではないけれど、少なくとも180度見渡すことができる。
しかも歩いて行くには辺鄙(へんぴ)な場所で、誰もいない。
今日ももれなくそんな風で、「人間=わたし一人<鳥<とんぼ」の順で人口密度が完成していた。
そこは芝生のような草が敷き詰めてあって、地面に座って夕日を鑑賞するにはもってこいだ。
虫の鳴き声コーラスと目の前を自由に飛ぶたくさんのとんぼ、そして不思議なフォームの低空飛行
をしている鳥たち、あとはわたしだけという絶好のスポット一人占めだった。
残念ながら夕日と満月を同時に見ることは出来なかったけれども、両方ともそれはそれは
きれいなまん丸のものを目にすることができた。
夕日に至っては、とても都会で見ているものとは思えない、きれいなきれいな夕日だった。
そもそも、今日そんなことを思い付いたのは、昔のある体験がもとになっている。
大学1年か3年の時の冬、わたしはこれまでの人生でたった一度だけ沈む真っ赤に燃えた太陽と
これから昇る真っ白くて太陽と同じ大きさの満月を同時に見たことがある。
そこはひらけた土地で、それこそ水平線が見える。
山も建物も何にもない場所で、道と空と水平線、周りは休耕地の畑のみだった。
右手に太陽、左手に満月、という本当に摩訶不思議な光景が繰り広げられていた。
ふとそれが可能なのではないかと思って出掛けてきた。
結局は、たしかに真っ赤に燃えている太陽も真っ白い満月も空には出ていたけれども、
その2つを同時に見るということは叶わなかった。
というよりも、そもそもそんな希少な体験を人生で一度でもできた、ということが奇跡なんだと
今さら悟った。
夕日鑑賞を終え、満月鑑賞に移行しながら家へ戻る道すがら、友達からメールがきた。
おととい共通の友達が赤ちゃんを産んで、会ってきたよ!と写真付きでメールをくれた。
生まれたての赤ちゃんは、本当に神聖で独特の雰囲気をまとっていた。
「幸せのおすそわけ」と言ってメールをくれた友達に感謝しながら、そしてお母さんになった友達
にも感謝しながら、満月を眺めていた。
すべてが奇跡だらけの連続だった。
2015年7月31日金曜日
2015年7月30日木曜日
本のダイエットからの徒然
もう何回目の本の断捨離だろう。
だいぶ少なくなってきたとはいえ、まだまだ手元に残っている。
今回改めて5冊手放す。
今一体何冊あるのか数えてみたら、その5冊を除いて45冊だった。
最終的には30冊を目標にしたいなぁと思ってる。
この2~3年で行った物の断捨離を通して、どうしても手放せないものがあると気付いた。
死ぬ日の瞬間を思えば、本も、断捨離できずに手元にあるものも、何一つ自分と一緒に持って
行けるものはない。
本はなんとなくまだイメージが湧く。
いつかは全て手放すなり欲しい人に譲るなりするだろう。
わたしが手放せないものはそこにストーリーがあって唯一無二のもの、世界にたった1つしか存在
しないものたちだ。
思い出の品の時もあるし、10代の頃に着倒した服の場合もある。
服はもう自分で袖を通すことはなくても、布のデザインが気に入っていて2枚だけ手元にある。
元々60年代70年代の古着で買ったもので、わたしはそれを手にしてから今日に至るまで、
ただの一度も同じデザインの服を見たことがない。
断捨離関係の本を読むと、服にしても思い出の品にしてもそういうものこそ手放しなさいとある。
決して過去に執着しているとかではない。
それらを手放したところで、一瞬は心に隙間風が吹くかもしれないけれど、またいつもの日常に
戻っていくだろう。
書いていて嘘だと思った。
いつもの日常に戻るのは本当。
でも隙間風が吹くでは済まない。
執着しているのとは違って、言うなれば手元に残しているものは日記帳に近い存在だ。
その時その時で書き記した自分は、今の自分がどんなに記憶力を抜群に発揮したとしても、
やはりなれない自分だし戻れない自分だ。
普段はよく忘れるけれど、そしてこのブログを書いている時もそんな風に思うことは一切ない
けれど、日記を書く時だけは「今この瞬間しかない自分」をものすごく近くに感じる。
手放せない唯一無二のものたちにも同じ気持ちを抱いている。
別に過去に戻りたいとか、その時のことを今もずるずる引きずっているとかではない。
でも、もうその時にいた自分はそこにしかいない。
今のわたしではないし、未来のわたしでもない。
多分何かとても大きな変換でもない限り手放さないだろう。
それなら「手元に残す」ことを前向きに決断する方が早いかもしれない。
断捨離の本たちはたしかに色んなことを教えてくれたし、実際にそれであれこれ色んなものも
手放すことができた。
でも、それ以上はできないという自分の中の禁断の域がある。
それは手放すことで解決するものではなくて、残すことが逆に解決になるのかもしれない。
今書いていてそんな風に思った。
2015年7月29日水曜日
綿100%
20代の頃はまった某生活雑誌で、時々「綿100%」の特集が組まれていた。
当時は何がそんなに良いのかさっぱりわからず、そして素材にこだわっている人たちをどこかで
面倒くさい人とか、細かいことにこだわる人、という風に捉えていた。
唯一こだわったことは、手入れが面倒かそうでないか位だった。
洗濯の度にごわごわになったり、毛玉が発生しやすかったり、アイロン掛けが必要なんていうのは
それだけで手間がかかり、そしてそういう手間を面倒だと思うわたしには論外の選択だった。
そして綿100%の服を着ていても、その触感の良さには気付かずにいた。
最初に綿100%の触感の良さに気付いたのは、多分今から3~4年前。
1枚の長袖Tシャツだった。
着た瞬間にその肌触りの良さがわかった。
それまでの綿100%が何だったのかと思ったほどに、全く異次元の触感だった。
それから気をつけて見ているけれども、どうも同じ綿100%でも当たりはずれがあるらしい。
加工の仕方が違うのだろうけれど、毎回毎回当たりというわけではない。
この春、定価1万円台という高級ルームウエア的なズボンを1枚母から譲り受けた。
母は服の修整会社に勤めている。
その会社では、一旦完成したもので不具合のあるものを直すことを主に行っている。
扱う製品が、それこそデパートに並ぶような衣類が大多数で、そして最終的に引き取り手がないと
母たち社員に格安で売られたりする。
デパートで買うのが馬鹿らしくなる位の値段で引き取られ、そのおこぼれをわたしがもらった。
綿100%のズボン、値札には5桁の数字が並んでいた。
はじめはブランド製品だからその値段だと思ったけれども、履いてみてそれは素材も高級品だと
わかった。
去年の夏、泣く泣くそれまで愛用していた5分丈の短パンを手放し、それ以来「これ!」というもの
に出会わずにいた。
今回母からもらったものは、長ズボンだ。
夏だから履かないかなと思ったけれども、とりあえず去年の代用品に出会うまでは履こうか、
ということで履き始めた。
繋ぎで履こうと思って履き始めたものの、これがものすごく良い。
長ズボンなのに、風通しが良いし柔らかい。
今の季節なら、その日に洗濯してその日に乾くから、他のものは履かずにそればかりを繰り返し
家で履いている。
すっかり綿100%に開花したわたしは、この間ユニクロで3枚綿100%のノースリーブを買った。
これも大当たりだった。
触り心地がとっても良い。
最近のユニクロで綿100%の品物を見つけるのはけっこう至難の業だ。
そんな中、たまたま見つけた上にしかも夏物終わりで特価で出ていた。
ものすごく良い買物をした。
こういう素材の良さに気付けるようになるのは、実は大人になってからなのかもしれない。
早い人は子どもの頃から気付くと思うけれども、わたしなんかは10代20代の頃は素材よりも、
デザイン重視だった。
大学生の頃だったと思うけれども、年配の人に「若いうちは色々冒険して着てみたらいいわよ。
年を取ったら着れないものって必ずあるから、何でも今のうちよ。」と言われたことがあった。
誰に言われたかも忘れたけれど、たしかにその通りで、原色のものとか奇抜なデザインとか、
とにかく好き放題に服を選んで着ていた。
当時はもう少し大人になったら違うものを好きになったりする自分が想像すらできなかったけれど、
今の自分は当時とはまた違った落ち着いた色を好むようになった。
そしてデザインも、飽きずに繰り返し着れるもの、色んな服と組み合わせられるものを選ぶように
なってきた。
そこにプラスして今は素材、特に触り心地も選ぶ際の大事なポイントとして入るようになった。
ちなみに、唯一変わらないのは、手入れが簡単であること。
これはやはり年を重ねようが、元来の面倒くさがりな性格はそのまま引き継がれ、衣類管理の
ストレスを極力減らすことには相変わらず余念がない。
当時は何がそんなに良いのかさっぱりわからず、そして素材にこだわっている人たちをどこかで
面倒くさい人とか、細かいことにこだわる人、という風に捉えていた。
唯一こだわったことは、手入れが面倒かそうでないか位だった。
洗濯の度にごわごわになったり、毛玉が発生しやすかったり、アイロン掛けが必要なんていうのは
それだけで手間がかかり、そしてそういう手間を面倒だと思うわたしには論外の選択だった。
そして綿100%の服を着ていても、その触感の良さには気付かずにいた。
最初に綿100%の触感の良さに気付いたのは、多分今から3~4年前。
1枚の長袖Tシャツだった。
着た瞬間にその肌触りの良さがわかった。
それまでの綿100%が何だったのかと思ったほどに、全く異次元の触感だった。
それから気をつけて見ているけれども、どうも同じ綿100%でも当たりはずれがあるらしい。
加工の仕方が違うのだろうけれど、毎回毎回当たりというわけではない。
この春、定価1万円台という高級ルームウエア的なズボンを1枚母から譲り受けた。
母は服の修整会社に勤めている。
その会社では、一旦完成したもので不具合のあるものを直すことを主に行っている。
扱う製品が、それこそデパートに並ぶような衣類が大多数で、そして最終的に引き取り手がないと
母たち社員に格安で売られたりする。
デパートで買うのが馬鹿らしくなる位の値段で引き取られ、そのおこぼれをわたしがもらった。
綿100%のズボン、値札には5桁の数字が並んでいた。
はじめはブランド製品だからその値段だと思ったけれども、履いてみてそれは素材も高級品だと
わかった。
去年の夏、泣く泣くそれまで愛用していた5分丈の短パンを手放し、それ以来「これ!」というもの
に出会わずにいた。
今回母からもらったものは、長ズボンだ。
夏だから履かないかなと思ったけれども、とりあえず去年の代用品に出会うまでは履こうか、
ということで履き始めた。
繋ぎで履こうと思って履き始めたものの、これがものすごく良い。
長ズボンなのに、風通しが良いし柔らかい。
今の季節なら、その日に洗濯してその日に乾くから、他のものは履かずにそればかりを繰り返し
家で履いている。
すっかり綿100%に開花したわたしは、この間ユニクロで3枚綿100%のノースリーブを買った。
これも大当たりだった。
触り心地がとっても良い。
最近のユニクロで綿100%の品物を見つけるのはけっこう至難の業だ。
そんな中、たまたま見つけた上にしかも夏物終わりで特価で出ていた。
ものすごく良い買物をした。
こういう素材の良さに気付けるようになるのは、実は大人になってからなのかもしれない。
早い人は子どもの頃から気付くと思うけれども、わたしなんかは10代20代の頃は素材よりも、
デザイン重視だった。
大学生の頃だったと思うけれども、年配の人に「若いうちは色々冒険して着てみたらいいわよ。
年を取ったら着れないものって必ずあるから、何でも今のうちよ。」と言われたことがあった。
誰に言われたかも忘れたけれど、たしかにその通りで、原色のものとか奇抜なデザインとか、
とにかく好き放題に服を選んで着ていた。
当時はもう少し大人になったら違うものを好きになったりする自分が想像すらできなかったけれど、
今の自分は当時とはまた違った落ち着いた色を好むようになった。
そしてデザインも、飽きずに繰り返し着れるもの、色んな服と組み合わせられるものを選ぶように
なってきた。
そこにプラスして今は素材、特に触り心地も選ぶ際の大事なポイントとして入るようになった。
ちなみに、唯一変わらないのは、手入れが簡単であること。
これはやはり年を重ねようが、元来の面倒くさがりな性格はそのまま引き継がれ、衣類管理の
ストレスを極力減らすことには相変わらず余念がない。
2015年7月28日火曜日
理解できない日本語
今日このブログのページをネットで開いたら、何やら重要なお知らせが出てきた。
『欧州連合(EU)諸国におけるCookieに関する通知』というもの。
正味1ページ位の長さで、日本語で書かれている。
だけれども、何が言いたいのか、何を意味しているのか、じゃあわたしは何をすればいいのか、
そういうことがさっぱりわからない。
インターネット用語がばんばん使われていて、まるで知らない外国語の文章を読んでいるようだ。
最初の「Cookie」だけ意味を調べて、あとはもう読むことを止めた。
読んだところでわからない。
インターネットやパソコン関連の用語はいつもそうだけど、あまりにも馴染みがなく、さらにどこかで
学んだこともないので、さっぱりもってわからない。
そういう文章を読む時、いつも思うのが、その文章の作成者は「自分がわかる」レベルで書いて
いるのだろうなぁということ。
新聞がたしか小学校高学年だったか中学生だったかが読めるものを書く、というのが業界の
ならわしなら、インターネット・パソコン業界もそうしてくれないだろうか、と思う。
しかも、発展のスピードがめざましい業界だけあって、出てくる用語もどんどん増えていく。
増えていくけれども、一般人には馴染みがないから、結局今回のようなお知らせがきたところで、
解読不能に近い。
これとは関係ないけれど、パソコンの諸々の操作に関しても似たようなことが言える。
何せ1から独学でパソコン操作を覚えたから、操作そのものはできてもその「操作名」を知らない。
パソコンスキルのテストをこれまで必要に応じて受けたけど、毎回ひどい点数をはじき出す。
そう、問題の「操作名」と「操作」が一致しないから、わからない。
「で、何をしたらいいわけ??」となる。
まぁどちらも困ってはいないから、結局このままで通すだろう。
今は全然困っていないし、わたしのように流して終わりの人も他に多数存在すると思うけれど、
こういうことってある時信じられない位の大規模な問題に発展するのでは・・・と思うのはわたし
だけだろうか。
『欧州連合(EU)諸国におけるCookieに関する通知』というもの。
正味1ページ位の長さで、日本語で書かれている。
だけれども、何が言いたいのか、何を意味しているのか、じゃあわたしは何をすればいいのか、
そういうことがさっぱりわからない。
インターネット用語がばんばん使われていて、まるで知らない外国語の文章を読んでいるようだ。
最初の「Cookie」だけ意味を調べて、あとはもう読むことを止めた。
読んだところでわからない。
インターネットやパソコン関連の用語はいつもそうだけど、あまりにも馴染みがなく、さらにどこかで
学んだこともないので、さっぱりもってわからない。
そういう文章を読む時、いつも思うのが、その文章の作成者は「自分がわかる」レベルで書いて
いるのだろうなぁということ。
新聞がたしか小学校高学年だったか中学生だったかが読めるものを書く、というのが業界の
ならわしなら、インターネット・パソコン業界もそうしてくれないだろうか、と思う。
しかも、発展のスピードがめざましい業界だけあって、出てくる用語もどんどん増えていく。
増えていくけれども、一般人には馴染みがないから、結局今回のようなお知らせがきたところで、
解読不能に近い。
これとは関係ないけれど、パソコンの諸々の操作に関しても似たようなことが言える。
何せ1から独学でパソコン操作を覚えたから、操作そのものはできてもその「操作名」を知らない。
パソコンスキルのテストをこれまで必要に応じて受けたけど、毎回ひどい点数をはじき出す。
そう、問題の「操作名」と「操作」が一致しないから、わからない。
「で、何をしたらいいわけ??」となる。
まぁどちらも困ってはいないから、結局このままで通すだろう。
今は全然困っていないし、わたしのように流して終わりの人も他に多数存在すると思うけれど、
こういうことってある時信じられない位の大規模な問題に発展するのでは・・・と思うのはわたし
だけだろうか。
2015年7月26日日曜日
舌の記憶
事の発端は、冷蔵庫の中にあった使いかけの「シュウマイの皮」。
使い切れなくて、保管していたことをすっかり忘れていた。
おそるおそるサランラップを剥がし、中の様子を伺うと、なんと使った当時のまま!
カビが生えてるんじゃないかと思ったけど、大丈夫だった。
ちなみに保管方法は、袋に入ったままのシュウマイの皮を袋ごとサランラップで包み、それをタッパ
に入れていた。
それで丸2週間きれいに保てた。
ということで、その皮を使い切ろうとアレンジを考えるため、クックパッドを開いた。
シュウマイは作る気になれず、かと言ってスープにしたり何か別のものを巻いて焼く気もなく。
クックパッドはそういう時に大いに役立つ。
そこに「ラザニア」がヒットした。
ラザニアはいいかもしれない。
若干手間はあるものの、そこまで大変じゃないし、スープや焼くよりも全然いい。
その流れでラザニアを作ることになった。
大学時代、ラザニアはわたしの中で定番料理だった。
数え切れないぐらいの回数作った。
ただ当時は、ミートソースのみを使ったラザニアで、ここ最近見かけたラザニアのレシピで、
「ミートソース+ホワイトソース」
という2段仕様もあることを知ってそれを試してみたかった。
両方作るのはあまりにも手間すぎる、ミートソースだけは市販のレトルトを使って楽をしよう、
そう決めて、おそらく人生で初めてレトルトのミートソースを買った。
結果から言えば、このレトルトのミートソースが全ての味を台無しにした。
食べれない味ではないし完食したけれども、とにかく市販のミートソースの不味さにびっくりした。
冷凍食品もレトルトもあれこれ食卓に並ぶ家で育ったけど、気付けばミートソースは母がいつも
手作りしていた。
そしてミートソースは手作りするもの、というのが定着しているから自分でも普段は作っている。
何をどうしたら今日口にしたレトルトのような味になるのかわからないけれど(材料はそんなに
自分が作るのと変わらない)、全く別物だった。
この舌の記憶は実に不思議で、例えばシュウマイなんかはわたしはつい最近まで「自分で作る」
なんていう発想は一切なく、常に出来合いのものを買ってレンチンしていた。
実家も同じで、母なんかはシュウマイを一度だって手作りしたことない人だと思う。
味噌汁のだしは、顆粒だしの代表「ほんだし」だ。
だから何でもかんでも手作りにこだわってもいないし、楽できる物は楽をしている。
ただ、子どもの頃からずっと慣れ親しんだ「レトルト」はOKでも、手作りで通してきたものは今さら
舌の方が受け付けないらしい。
そんなこと考えて食事を日々取っていたわけではないけれど、いつの間にか自分の舌には好み
が生まれていて、「レトルト」でもおいしいものとそうでないものがある。
ちなみにわたしが大いにはまっているコロッケは、スーパーで1個18円で売っているものだ。
値段も魅力的だけど、味がすごく好きだ。
実家ではそんなのは出てこなかったけれど、これももしかしたら冷凍コロッケの名残なのかも
しれない(冷凍コロッケはどんなに少なくても1ヶ月に1回は食卓にのぼった)。
食事は毎日のことになる。
基本的に食べることが大好きだし、好き嫌いもゼロではないけれど限りなくゼロに近い。
ただ、「舌」の方は知らず知らずのうちに「この味は好き」「この味はいまいち」というのを記憶
していて、今日みたいな「レトルト」に当たると、食べ慣れていないせいか不味く感じる。
反対に、食べ慣れたものであれば、レトルトでも美味しいと感じる。
その基準が何なのかはわからないけれど、それは間違いなく母が日々手掛けた食卓が大きな
土台となっている。
使い切れなくて、保管していたことをすっかり忘れていた。
おそるおそるサランラップを剥がし、中の様子を伺うと、なんと使った当時のまま!
カビが生えてるんじゃないかと思ったけど、大丈夫だった。
ちなみに保管方法は、袋に入ったままのシュウマイの皮を袋ごとサランラップで包み、それをタッパ
に入れていた。
それで丸2週間きれいに保てた。
ということで、その皮を使い切ろうとアレンジを考えるため、クックパッドを開いた。
シュウマイは作る気になれず、かと言ってスープにしたり何か別のものを巻いて焼く気もなく。
クックパッドはそういう時に大いに役立つ。
そこに「ラザニア」がヒットした。
ラザニアはいいかもしれない。
若干手間はあるものの、そこまで大変じゃないし、スープや焼くよりも全然いい。
その流れでラザニアを作ることになった。
大学時代、ラザニアはわたしの中で定番料理だった。
数え切れないぐらいの回数作った。
ただ当時は、ミートソースのみを使ったラザニアで、ここ最近見かけたラザニアのレシピで、
「ミートソース+ホワイトソース」
という2段仕様もあることを知ってそれを試してみたかった。
両方作るのはあまりにも手間すぎる、ミートソースだけは市販のレトルトを使って楽をしよう、
そう決めて、おそらく人生で初めてレトルトのミートソースを買った。
結果から言えば、このレトルトのミートソースが全ての味を台無しにした。
食べれない味ではないし完食したけれども、とにかく市販のミートソースの不味さにびっくりした。
冷凍食品もレトルトもあれこれ食卓に並ぶ家で育ったけど、気付けばミートソースは母がいつも
手作りしていた。
そしてミートソースは手作りするもの、というのが定着しているから自分でも普段は作っている。
何をどうしたら今日口にしたレトルトのような味になるのかわからないけれど(材料はそんなに
自分が作るのと変わらない)、全く別物だった。
この舌の記憶は実に不思議で、例えばシュウマイなんかはわたしはつい最近まで「自分で作る」
なんていう発想は一切なく、常に出来合いのものを買ってレンチンしていた。
実家も同じで、母なんかはシュウマイを一度だって手作りしたことない人だと思う。
味噌汁のだしは、顆粒だしの代表「ほんだし」だ。
だから何でもかんでも手作りにこだわってもいないし、楽できる物は楽をしている。
ただ、子どもの頃からずっと慣れ親しんだ「レトルト」はOKでも、手作りで通してきたものは今さら
舌の方が受け付けないらしい。
そんなこと考えて食事を日々取っていたわけではないけれど、いつの間にか自分の舌には好み
が生まれていて、「レトルト」でもおいしいものとそうでないものがある。
ちなみにわたしが大いにはまっているコロッケは、スーパーで1個18円で売っているものだ。
値段も魅力的だけど、味がすごく好きだ。
実家ではそんなのは出てこなかったけれど、これももしかしたら冷凍コロッケの名残なのかも
しれない(冷凍コロッケはどんなに少なくても1ヶ月に1回は食卓にのぼった)。
食事は毎日のことになる。
基本的に食べることが大好きだし、好き嫌いもゼロではないけれど限りなくゼロに近い。
ただ、「舌」の方は知らず知らずのうちに「この味は好き」「この味はいまいち」というのを記憶
していて、今日みたいな「レトルト」に当たると、食べ慣れていないせいか不味く感じる。
反対に、食べ慣れたものであれば、レトルトでも美味しいと感じる。
その基準が何なのかはわからないけれど、それは間違いなく母が日々手掛けた食卓が大きな
土台となっている。
2015年7月25日土曜日
土用干し
「土用干し」という響きだけで酔いしれてしまいそうだ。
梅雨が明けたと思ったら一度天気が大崩れ、ようやく毎日太陽マークの晴れを天気予報で確認。
待ちに待った?梅干しの土用干しをした。
この土用の時期に、2、3日梅干しを天日干しする。
条件はとにかくからっからに晴れていること。
去年の記録を見たら、丁度同じぐらいの時期に土用干しをしていた。
去年漬けた梅干しは味はOKだったけど、果肉部分と皮の硬さがどうしても気になる出来だった。
ネットで調べていくうちにどうもこの土用干しが梅干しの硬さ・柔らかさに関係することがわかり、
今年はなんとしても柔らかい梅干しを目指したいと鼻息荒く思っている。
梅干しの漬け方も色んな方法が出回っていて、何が正しく何が違うのか素人にはわからない。
いくつかの信用できそうな情報を掛け合わせて、あとは実験のようにやって結果を見るしかない。
一緒に暮らしている時は何とも思わなかったけれど、母は毎年梅干しを漬けている。
何の興味も湧かなかった当時は、梅の諸々の作業も横目で見ていた。
時々その手伝いを頼まれると、面倒くさいとすら思っていた。
だから細かな作業の手順とか、梅干しの様子だとか、目の前に大先生がいるのに観察すらも
しようと思わなかった。
今になってよく見ておけば良かったと思っても時すでに遅しだ。
だけど、たった1つだけ覚えていることが今回の天日干しで判明した。
天日干しをすると、梅干しとはまた違った特有の匂いが発生する。
独特の匂いだけど、それがまさに実家の梅干しを保管している場所とおんなじ匂いだ。
去年もやったはずなのに、全然その匂いに対して既知感も懐かしさも湧かなかった。
でも今年はどうだろう、その匂いが鼻についただけで、「うちのあの匂いだ」とすぐに思った。
そしてそれは子どもの頃から繰り返し嗅いできた匂いだ。
物置で母の梅干しは保管されているけれど、物置は基本的に年がら年中その匂いがする。
それがイコール梅干しの天日干しの時の匂い、という風にこれまでならなかったけれども、
今回の天日干しですべてが明らかになった。
嗅覚は人間の最古の才覚とどこかで聞いたことがあるけれど、本当に一瞬ですべてが繋がる。
匂いの記憶ほど強く体の中に残るものはないような気がする。
大袈裟かもしれないけれど、これから自分がどこに住もうと梅干しはずっと漬け続けたいと思った。
この匂いの記憶は、多分これから年を重ねれば重ねるほど希少さが増す。
それは自分の子ども時代だとか母の手仕事だとかを思い出す1つのカギだ。
こういう思い出の重ね方もいいなぁと思った、今年の土用干しスタートだった。
梅雨が明けたと思ったら一度天気が大崩れ、ようやく毎日太陽マークの晴れを天気予報で確認。
待ちに待った?梅干しの土用干しをした。
この土用の時期に、2、3日梅干しを天日干しする。
条件はとにかくからっからに晴れていること。
去年の記録を見たら、丁度同じぐらいの時期に土用干しをしていた。
去年漬けた梅干しは味はOKだったけど、果肉部分と皮の硬さがどうしても気になる出来だった。
ネットで調べていくうちにどうもこの土用干しが梅干しの硬さ・柔らかさに関係することがわかり、
今年はなんとしても柔らかい梅干しを目指したいと鼻息荒く思っている。
梅干しの漬け方も色んな方法が出回っていて、何が正しく何が違うのか素人にはわからない。
いくつかの信用できそうな情報を掛け合わせて、あとは実験のようにやって結果を見るしかない。
一緒に暮らしている時は何とも思わなかったけれど、母は毎年梅干しを漬けている。
何の興味も湧かなかった当時は、梅の諸々の作業も横目で見ていた。
時々その手伝いを頼まれると、面倒くさいとすら思っていた。
だから細かな作業の手順とか、梅干しの様子だとか、目の前に大先生がいるのに観察すらも
しようと思わなかった。
今になってよく見ておけば良かったと思っても時すでに遅しだ。
だけど、たった1つだけ覚えていることが今回の天日干しで判明した。
天日干しをすると、梅干しとはまた違った特有の匂いが発生する。
独特の匂いだけど、それがまさに実家の梅干しを保管している場所とおんなじ匂いだ。
去年もやったはずなのに、全然その匂いに対して既知感も懐かしさも湧かなかった。
でも今年はどうだろう、その匂いが鼻についただけで、「うちのあの匂いだ」とすぐに思った。
そしてそれは子どもの頃から繰り返し嗅いできた匂いだ。
物置で母の梅干しは保管されているけれど、物置は基本的に年がら年中その匂いがする。
それがイコール梅干しの天日干しの時の匂い、という風にこれまでならなかったけれども、
今回の天日干しですべてが明らかになった。
嗅覚は人間の最古の才覚とどこかで聞いたことがあるけれど、本当に一瞬ですべてが繋がる。
匂いの記憶ほど強く体の中に残るものはないような気がする。
大袈裟かもしれないけれど、これから自分がどこに住もうと梅干しはずっと漬け続けたいと思った。
この匂いの記憶は、多分これから年を重ねれば重ねるほど希少さが増す。
それは自分の子ども時代だとか母の手仕事だとかを思い出す1つのカギだ。
こういう思い出の重ね方もいいなぁと思った、今年の土用干しスタートだった。
2015年7月24日金曜日
夏を彩るおすもうさん
どうも今、相撲の名古屋場所らしい。
徒歩圏内に名古屋場所の会場があるというのも、名古屋在住歴6年目の今日初めて知った。
涼しい風が時折吹く中、おひさまが一番高い位置にある時間に外を練り歩いた。
バスの停留所に2人のおすもうさんがいた。
ピンクの浴衣と水色の浴衣を着ていた。
両方とも、「ここはハワイですか?」と言わんばかりの濃いピンクと水色だった。
ちなみにどちらに行かれるつもり?と聞きたい方向で、一人で勝手に「もしやこれから合コン?」と
想像した。
そのバスの進行先は名古屋市郊外に向かうもので、はっきり言って地元民しか使わない。
ピンクの方のおすもうさんの耳にイヤホンがささっていて、そこはすごく今時なのに、自分の荷物は
浴衣の裾にしまうという昔ながらの作法で、そのギャップに目は釘付けだった。
さらに歩いたところで、平日なのに満車に近い駐車場とやたらと賑わっている人混みと相撲用の
大きなのぼりが見えて、それでようやく今が名古屋場所なんだろうと理解した。
そこにもまた一人派手なピンクの浴衣を着たおすもうさん。
今度のおすもうさんは、スマホをすいすいと操作し、手首にはパワーストーンのブレスレット。
時代は平成27年、「スマホ」という言葉が国民に浸透する位だから別におすもうさんが使って
いても不思議はないけれど、目の当たりにするとびっくりする。
おすもうさんの日常を見るなんてなかなかないから、思わずがん見で観察してしまった。
というか、この3人のおすもうさん達は、こんな風に外で油を売る時間なんてあるのだろうか。
観客と思しき人たちは、これからの観戦に向けて会場目指しているのに・・・。
まったくもって余計なお世話な思考を働かせながらおすもうさんたちを眺めていたけれど、
3人ともとても格好良く浴衣を着こなしていた。
普段から着ているだろう着こなし感と、きゅっと結んだ帯が全体に締まりを生み出していて、
粋だった。
男の人の浴衣姿なんてまず目にすることがないから、それだけで「夏」を感じた。
夏の風物詩を見たようで、暑い中の練り歩きも愉しかった。
徒歩圏内に名古屋場所の会場があるというのも、名古屋在住歴6年目の今日初めて知った。
涼しい風が時折吹く中、おひさまが一番高い位置にある時間に外を練り歩いた。
バスの停留所に2人のおすもうさんがいた。
ピンクの浴衣と水色の浴衣を着ていた。
両方とも、「ここはハワイですか?」と言わんばかりの濃いピンクと水色だった。
ちなみにどちらに行かれるつもり?と聞きたい方向で、一人で勝手に「もしやこれから合コン?」と
想像した。
そのバスの進行先は名古屋市郊外に向かうもので、はっきり言って地元民しか使わない。
ピンクの方のおすもうさんの耳にイヤホンがささっていて、そこはすごく今時なのに、自分の荷物は
浴衣の裾にしまうという昔ながらの作法で、そのギャップに目は釘付けだった。
さらに歩いたところで、平日なのに満車に近い駐車場とやたらと賑わっている人混みと相撲用の
大きなのぼりが見えて、それでようやく今が名古屋場所なんだろうと理解した。
そこにもまた一人派手なピンクの浴衣を着たおすもうさん。
今度のおすもうさんは、スマホをすいすいと操作し、手首にはパワーストーンのブレスレット。
時代は平成27年、「スマホ」という言葉が国民に浸透する位だから別におすもうさんが使って
いても不思議はないけれど、目の当たりにするとびっくりする。
おすもうさんの日常を見るなんてなかなかないから、思わずがん見で観察してしまった。
というか、この3人のおすもうさん達は、こんな風に外で油を売る時間なんてあるのだろうか。
観客と思しき人たちは、これからの観戦に向けて会場目指しているのに・・・。
まったくもって余計なお世話な思考を働かせながらおすもうさんたちを眺めていたけれど、
3人ともとても格好良く浴衣を着こなしていた。
普段から着ているだろう着こなし感と、きゅっと結んだ帯が全体に締まりを生み出していて、
粋だった。
男の人の浴衣姿なんてまず目にすることがないから、それだけで「夏」を感じた。
夏の風物詩を見たようで、暑い中の練り歩きも愉しかった。
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