2020年3月13日金曜日
⑿【おいせさん手帳】心の平和
おいせさん手帳第12回目。
担当:ノム。
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3月13日
世界平和は、自分の心の平和から始まります。
比叡の大護摩
世界の平和や災害被災地の復興を願う法要、「比叡の大護摩」が行われる日。
今日は、1日のどこかで世界の平和を“担って”みませんか?
たとえば通勤電車、お風呂の中、寝る前のたった数分でもかまいません。
目を閉じ、ゆっくりと深く呼吸をして、自分自身を「平和」にすること。
世界平和は、自分の心から始まっているのです。
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ノムが「平和」と言うと、とあるエピソードを思い出す。
今となれば、それこそがノムとミッチーと仲良くなる一番のきっかけだったかもしれない。
去年の7月の初めだった。
ノムから、人間関係について相談されたことがあった。
言葉は忘れたけれど、ノムは最初からきっちりと「相談したい」だったか「話を聞いて欲しい」だったか、具体的に私にヘルプを求めた。
そんなことは初めてで、それは「これから僕たちは仲良くなります」とか、「僕はぶっしーを信頼しているよ」とか、そんな風に言われてるみたいでとても嬉しかったことを今でも覚えている。
その時は、ノムも恋人のミッチーも2人ともがものすごく悩んだ人間関係のあれこれがあって、それについて私がどう思うか、どう見立てるか、実に好き放題におしゃべりした。
当時の電話の時のこと。
途中からミッチーも加わった。
ノムも色々悩んでいたけれども、ミッチーは食べれない、眠れないくらいに悩んでいた。
ミッチーの一言で、私は事の重大さを初めて実感した。
ノムの話を聞いてた時も「それ大変だな」とは思ったけれども、ミッチーの食べれない、眠れない発言によって、それは一気に超重たいものだと知った。
言葉にすれば「人間関係の不具合」になるけれど、受ける側からすれば、自分の健康も日々のリズムも脅かされる、凄まじいエネルギーの大打撃で、それに直面直撃している2人は本当の本当に参っていた。
ノムもミッチーも最初は「大したことない」と思おうとしていた。
単に合わないとか、自分たちの受け止め方がちょっと大袈裟でそんなに騒ぎ立てるものじゃないとか、とにかく2人それぞれのやさしさで最後まで相手ではなく自分たちの感じ方に問題があると思おうとしていた。
だけど、そうしようとしていた2人の心の中は、ちっとも平和じゃなく毎日嵐が吹き荒れていた。
2人それぞれは、自分たちがどれだけそのことで心が掻き乱れて、日常はもはや日常のリズムを失い、本当にそんなことしてまで自分たちは今目の前に横たわっているものを続けたいのか?と問い始めた。
答えははっきりと出ていた。
そこから離れること。
そのことをやめること。
痛みや諸々のことがあっても、それをこれから先もずっと続けていくことの方が自分たちにとってマイナスで、そして今ある日々のしあわせさえも感じる余裕がなくなることの方が大きな痛手だと簡単に想像できて、最後は「おわり」を決めた。
おわりはすなわち「心の平和」だった。
あの時、「心の平和」を選んだノムとミッチーは、今とても健やかに平和に生きているように感じる。
もちろん色々あるだろうし、今は今で悩みや辛さはあると思うけれども、それでも根っこの部分は平和がきちんとあるって思う。
2人とやりとりする時、ノムもミッチーも芯の部分が常に平和でやさしいから、私もその空気に触れるだけで平和ややさしさをもらえる。
自分もホッとしたりほっこりすることができる。
平和ってお金で買えないもののひとつに数えられるけれど、こういう風に自分以外の誰かから分け与えてもらえる平和は、その中でも極上中の極上だといつも思う。
夏の日、電話越しのノムとミッチーが決めたことは、まさかそれから3つ季節を越えたら、おいせさん手帳シリーズに出てくるとは思いもよらなかった。
こんな風に思い出が増えることも、それが当時はとてつもなく切なくて、もしかしたら今だって思い出すとシクシクするかもしれないけれども、それでもそうした瞬間を共有できた思い出は、なんだかとっても嬉しい。
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