2020年3月1日日曜日
⑾【おいせさん手帳】菜の花と小さな幸せ
おいせさん手帳11回目。
担当:私。
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3月1日
あなたの小さな幸せを見つける。
菜の花の見頃
温暖な地域では菜の花が見頃を迎えます。菜の花の花言葉には「小さな幸せ」や「豊かさ」というものがあります。あなたにとっての「小さな幸せ」や「豊かさ」は何でしょう?それはあなたにしか絶対に知り得ない秘密の答えです。今日はその秘密の答えを1つ、自分の日々の暮らしの中に見出してみましょう。
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「菜の花」を思い浮かべる時、必ず思い出すシーンがある。
名古屋に移った最初の年だったと思う。
塾の仕事は本当の本当に色々強烈だったけれど、その中の1つチラシ配りもとても苦手な仕事だった。
どうして午後から教室に入って仕事しなきゃなのに、午前中は別の地域に行ってチラシ配りをしなきゃいけないのか、私には全く理解できなかった。
移動するだけでも大変なのに、行ったら行ったで今度はチラシ配りを3時間ほどして、その後全く好きでもない人たちとお昼を共にして(←超苦痛)、その後自分の担当教室に移動して授業の準備はじめ諸々をする。
本当にしんどいの他の何ものでもなかった。
しかも私は当時担当教室が決まったばかりで、そうでなくてもそちらが不慣れすぎてどうにもならなかったのに、さらにチラシ配りとは会社の配慮のなさに本当に辟易とした。
ちなみにそんな無茶ばかりをしていた頃よりも、平日4日と土曜午前のみの週4.5日の勤務に切り替わって、チラシ配りや会議なんかも全て免除、ただ昼過ぎから教室に行けばOKってなってからの方が、断然売上も上がって安定して、そして契約率もずっと高い数字を維持して、反対に退会数(塾を辞める子の数)は毎月ほぼゼロ、出ても1人とかいう有り得ない数字をずっと出し続けていて(周りは普通に数人単位の退会が当たり前だった)、本当の本当に会社の売上に大きく貢献した。
それはそうと、その一番余裕のない時にチラシ配りをしていた時だった。
ちなみに教室を持ってすぐは私ももれなく大量の退会数を出して(たしか10人をひと月で出したと思う)、そのクレーム対応までしないといけなくて、本当の本当に強烈極まりなかった。
ある日の、それはまだ2月になったかならないかの頃だった。
新潟にいたのなら毎日雪と格闘している頃。
太平洋側の名古屋ではほぼ毎日晴れの天気で、だからこそチラシ配りもなくならないという全くありがたくない天気の恩恵だった。(実際に雨の日は記憶がないけれど、中止にはならなかった気がする。)
今でもはっきりと覚えている。
そこは小高い丘の上で、住宅街の中の小径の坂を登りきったところに辿り着くと、目の前に街路樹的な木の周りにだけ咲くようにして菜の花が咲いているところがあった。
冬なのにもう菜の花が咲くというのが、新潟県民にはこの上なく珍しく、それを見てものすごく感動した。
生きていることさえ本当に嫌になっていたような時で、退職願は受理されない、休みももう何週間もない、仕事はやりたくないこと満載、本当の本当に嫌だった。
社会人した中で、仕事内容だけに限定して言うと、塾の時のクレーム対応が一番強烈な仕事だった。
塾を辞めた後に私はコールセンターの仕事をしたけれども、みんなが嫌がるコールセンターのクレーム対応は私は基本的になんてことない人だった。
なぜなら、塾の時のクレーム対応というのは、対面な上に、私個人に対するクレームなわけで、自分がいかにダメなのか、いかに子どもにとって親にとって色々不適切だったり相応しくないあり方なのかを延々と聞かされる。
自分の存在そのものを否定されてるような、本当にこの上なくしんどいもので、言われた後もしばらくずっと長く長く残り続ける。
最後の方、退会数も少なく多くの保護者の方たちと信頼関係ができた時に、お金を払ってでも私のところに子どもを通わせてくれる親たちには心底感謝しかなかった。
大量の退会数を出していた頃の私とその後安定経営になった頃の私とではっきり言って何も変わってなんかいなかった。
手際も悪いままだったし、子どもにもよく怒っていたし、子どもたちも何を好きこのんで私のところに通ってくるのかよくわからなかった。
そこは塾の激戦区とまでいかなくてもいくつか大手から個人まで競合他社が多くて、別に私のところじゃなくても他にも塾の選択肢はいくらでもあった。
成績が上がった子もいたけれど、そうではない子もたくさんいた。
それでも通い続けてくれたのは本当の本当にすごいことだったし、何人かの保護者からは「子どもがここが良いと言うんで」ということも言われた。
成績のことは絶対によく思ってないのは知っていたけれど、子どもがどういうわけか塾を辞める気はない、あそこに行き続けると言ってくれてたことで首皮1枚で繋がっているようなものだった。
最後の方は、手際が悪くてもそこは全部子どもたちがフォローしてくれるまでになった。
私が手際良くなるんじゃなくて、手際の悪い私に子どもたちが合わせて、私の足らないところは子どもが根回しして動いてくれたり配慮してくれたりするという、どっちが大人で子どもかよくわからないことになっていた( ̄∀ ̄;)。
今となっては、本当の本当に貴重な仕事をさせてもらっていたと思っている。
チラシ配りはやりたくないし、毎日ヒヤヒヤしながら数字や子どもの親に向き合うなんてもう二度としたくはないけれど、それでも本当に大切なことをたくさん教えられて、私の中の基礎力みたいなのも付いた感じがする。
当時長く見た子どものことは今でもはっきりと覚えているし、時々ふと元気なのかな…なんて思い出すこともある。
「菜の花」を見ると、当時の真冬の菜の花を思い出す。
そして、本当の本当に生きてるのが嫌になっていたのに、その時だけは生きてることの良さみたいなのを感じていた。
その心の風景と共に、小高い丘の上の住宅街の中にポツンと咲き誇っている菜の花の黄色が毎年菜の花を見かけるたびに思い起こされる。
時は変わってあれから10年。
「小さな幸せ」や「豊かさ」について最近思ったこと。
つい昨日も仕事のことで遠く離れた友達というか、友達というには少し遠慮してしまうような、だけど思いついたら連絡できる人に連絡をして、それで聞いてみた。
私は今のやってる仕事があまりに色々とありえなさすぎて、他業種と言えども商品カタログを作っていたことのあるその人に、カタログやもし取説なんかも扱っていたのならどういう風にやっているのかを聞いてみた。
少しのやりとりだったけれども、それだけでどれだけありえない内情にいるのかがよくわかった。
「海外で事故がおきたり訴訟になったりしないと変わんないかもですね」
そうまで最後に言わしめた状況なんだと知って、状況はわかったから、自分は今自分のやれることをするしかないと気持ちを新たにした。
ふとそのやりとりの後に、私は自分が今手にしているものの凄さを思うと同時に、それを手にするだけのことを自分自身もずっとがんばってやってきたんだということにも気付いた。
私はたしかにどこでどんな仕事をしていても人には恵まれている。
これは本当にそうで、必ず誰かに助けてもらったり気にかけてもらったりと、とにかく良くしてもらっている。
今も色々あるけれども、やっぱり周りから色々助けてもらっている。
そして長い付き合いの友達になればなるほど、私はそんなにも何か良きものを差し出せるような人とは違うけれども、それでもなんだかんだとみんな絡んでくれる。
それの大元は、やっぱりそういう人との関係において、私も私で相手に対して誠意を持って関係を作ろうと努力しているからだと思った。
たまたまラッキーが重なって今も関係が続いているんじゃなくて、相手にしても「関係を続けたい」と思ってもらえるような人間であろうとする努力を私も少なくともしている。
それは今の仕事で色んな人たちとやりとりしたことで気付かされた。
数えてはないけれども、私は少なくとももうすでに20人は越えたと思うけれども、そのくらいの人数の技術者たちとやりとりしている。
相手を信用できるできないという価値基準は、本当に小さなことだとわかる。
私は別に何も超完璧な説明とか、わかりやすい説明を求めてるのとは違う。
そりゃわかりやすいことに越したことはないけれども、そもそも技術的なことをど素人に説明することにどの人も慣れてないだろうから、たまに超わかりやすい人に当たる時、それこそが超絶ラッキーなだけで、そうでなくても大して気にはならない。
だけど気になるのは、お願いしたことを守ってもらえないこと。
そもそも相手側が依頼してきていて、何かあったら聞いてねのスタンスのはずなのに、いざ聞きに行くといなくて、手書きのメモをそういう時は置いておく。
誰のデスクの上でも、私は自分以外の人が手書きのメモを置いてるのなんて見たことがない。
だからそれだけで目立つのはわかる。
そのメモのやりとりの時、とにかく必ずすぐに返してくれる人とそうでない人とがいる。
各自の事情はもちろん知らない。
なんだけど、どんなに役職が上でも返してくれる人はいつもすぐに返してくれるし、反対に役職なんかなくてもルーズな人はルーズで何も返さない。
メールも同様で、返す人返さない人とがいる。
冗談抜きで技術者でなければ顧客の注文の細かな仕様なんてわからないのに、その確認を怠るとは何事かと思う。
この間、私はパソコンの不具合の修理をお願いしていて、その担当者が忘れてしまった時があった。
その担当者は私のところに来るなりまず第一声は「忘れててごめんね」だった。
なんて清々しいのだろうと思った。
何せ周りの人たちの仕事の忙しさを私は知らないから、忘れてるだけなのか忙しいのかその差がわからない。
別に忘れたなら忘れたで、私は仕方ないと思っている。
だけどそうした時にいかに誠意を持って対応できるかどうかじゃないかと思っている。
相手に100%の非があるにも関わらず、謝らないどころか無視するとかは、そんなのはもう自らが信用失墜行為に精を出しているとしか言いようがない。
私は自分が実際にどうしていたかはわからないけれども、少なくとも約束は守ること、遅れたり守れない時は謝ってきたと思うし、とにかく誠心誠意対応するしかバカの一つ覚えのようにできないから、そうしてきたわけだけど、結果的にそれが良かったと思う。
私が今ある人間関係とか、その人間関係の上で手にできた情報なんかは、間違いなくそうした日々の積み重ねだと思う。
さらに愚痴のような話になってしまうけれども…( ̄∀ ̄;)。
今の仕事である人から「大変なら話を聞くよ」と言われたことがある。
最初はすごく嬉しかったし、心強いと思った。
ところが私はそう言ってくれた人には1つも話をしていない。
なぜなら、その人は噂好きで自分が直接関わっていなくても変な話を聞けばそれを周りに吹聴するという人で、人として全く信用できない。
さらに気分屋さんと噂には聞いていたけれども、私も先日その洗礼を受けて、本当に驚いたのと嫌だったのとで、この人とは付き合えないと思った。
基本的に裏表がある人、良い意味ではなく悪い意味での裏表がある人は苦手で仕方ない。
そういうことを目の当たりにすると、とにかく全てはいかに誠実に相手と付き合うかが全てな気がする。
そこさえクリアしていれば、大概のことは上手くいく気がする。
反対に、どんなに能力が高くて色々できても、人の部分がいただけない人は(もちろんそれは私の主観だけど)、やっぱりそれ相応の対応になる。
ちなみにこれは私の個人的な統計だけど、そもそも人柄も良しな人は仕事もできる。
そして仕事がものすごくできてもそれを鼻にかけないし、自分を大きく見せたりもしない。
淡々とやっているだけでもオーラがまるで違うから、なんとなく「この人できる」感が滲み出ている。
訳の分からない話になってきたけれども、とにかく私なんかは提供できるものに限りがあるから、とにかく誠心誠意、誠実に対応するしかできないなぁと思う。
ある種打算的ではあるけれども、誠実に対応した分だけ基本的に人間関係も円滑にいくと思っている。
だから今後もそこだけは手抜きせずにやっていきたいと思っている。
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