2020年7月28日火曜日
㉖【おいせさん手帳】心のお守り
おいせさん手帳第26回目
担当:私
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7月28日
あなたの心のお守りを確かめてみよう。
不動明王の縁日
不動明王の梵名を直訳すると「揺るぎなき守護者」という意味になります。自分にとって心のお守りとなってくれる守護者(物)は何でしょう?パッと思い付いた人はその守護者(物)にありがとうと伝えてみましょう。思い付かなかった人は、いないのではなくまだ出逢えてないだけなので、自分にとっての揺るぎなき守護者と出逢うまで楽しみに待っていましょう。
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今日のこのメッセージのためのブログを書くにあたって、当初3つほど内容の候補があった。
さすがに3つ全部は書けないと思って、あとは直前になって書こう!と思ったものを選ぼうと静かに決めてた。
数日前は3つのどれもが同率1位みたくなっていたけれど、日を追うごとに他の2つは何かもはっきりと思い出せず、気付けば書くことは1つに自動的に絞られた。
ある意味予定通りだなという感じ。
書くのはいいけれど、またこの話題を書くのかと思うと、多少気が引ける。
痛い人と思われようが、頭大丈夫?と思われようが、しつこいと思われようが、それでも書けてしまうけれど、最近特に話題として多すぎやしないだろうか?とは思っている。
仕事の行きと帰りの車の中で思った。
読み手となる本人からして、自分のことをこと頻繁に書かれるってどんな気持ちなんだろう?って。
もう会わないとなれば、別に何を書かれても恥ずかしくもなければ痛くも痒くもないのかもしれないけれど、とにかく頻繁に同じようなことばかりグルグルと書かれて、それってどんな気持ちで毎回眺めるのかな…なんて疑問に思った。
私の書くこのブログってなんなんだろう?どんな立ち位置のものなんだろう?
そういうことも生涯知ることないんだろうなぁ…と最近はすっかりあきらめモードになっている。
だからこそ、今回の話はもってこいな話題だなぁなんて感じてる。
「揺るぎなき守護者」……自分にとって心のお守りとなってくれる守護者(物)は何でしょう?
心のお守りの最高に素晴らしいことは、そのお守りとなってくれる人なり物なりから許可を得なくていいことだと気付いた。
これが例えば「ごはんに行く」となると、相手の許可が確実にいる。
他の何でも、相手を伴うものは基本的に相手の許可が必要になる。
だけど、心のお守りには相手の許可は要らない。
自分の中でひっそりとお守りのようにしていても、相手の迷惑にはならないし、危害や気苦労も与えなくて済むし、相手も相手でそんなこと知ることも基本はないわけで、どこをどう切り取っても良いこと盛り沢山でも悪いことは1つとして思いつかない。
神社に売ってるお守りとかもそうだけど、お守りの許可はなくても、お金さえ差し出せばお守りを持つことができる。
自分側の意志だけで、自由に自分だけのお守りにできる。
お守りってすごい自由度も高ければ貢献度も高いし、そして持つ側は何の遠慮も謙遜もしなくていいのがさらにすごい。
「お守りにしてもいいかしら?」なんて断らなくてもいいし、「私がお守りにするなんてめっそうもない」なんて言う必要も思う必要もないし、ただただ好きに自分の中に持てるのがとっても素晴らしい。
そんな風に勝手にお守りにして早3年。
何が大きかったかと言えば、私の中の芯、軸のような感じで居続けてくれたこと。
生きることに楽しさを見出せず、何で生きるの?と思うくらいローテンションで、自己否定も激しくて、とにかく不具合満載だった私の人生。
そんな中で、いつも中心にあって、そして何があってもそこをいつも心の拠りどころにできたのはとっても大きかった。
思い通りではないこともたしかにたくさんあったけれど、こと心のお守りに関しては、何ひとつ不具合はなかった。
むしろいつも元気やパワーをもらえていた。
本物のお守りだった。
そういうのって、欲しいと思えばまたは言えば手に入るものとは違う。
すごい確率の中をぬって、このように引き合わせてもらえたことは、ものすごく幸運でしあわせだと断言できる。
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