2020年11月24日火曜日

連休明けの心模様

連休明け仕事に行きたくない、と思っている自分を見て思い出した。

金曜日の時点で一気に色んなことが重なって、それが数時間後から1つ1つ片付けていくことになるかと思うと、やるしかないとわかっていても行きたくない。


仕事の様相もここ2、3週間ほどでかなり色んなことが変わり出して、それのテコ入れ作業に毎回関わる自分を見て、いよいよ本質的なものが仕事の中心に入り込んで来ていると目に見えてわかることが増えてきた。


来月の下旬に「グレートコンジャンクション」と呼ばれる天体の配置、それも通常なら20年に一度のものが今回は600年ぶりだったかに起こるもので、その影響たるや計り知れないし、その影響と思われることが仕事でじゃんじゃん起こっている。


仕方ないと割り切っても、決して行きたい気持ちにはならない。


そんな最中に突然思い出したこと。





3年前の夏、イケメン上司がいた当時の職場に行っていた頃のことが思い起こされた。


当時も本気ですごい!と思っていたけれど、今回久しぶりに思い出して、改めてすごいと思った。


土曜から始まった何連休かのお盆休みは、一刻も早く休みが終わって欲しかった。


そしてさらにその後、私は九州に結婚式兼プチ旅行的なものに行くのに4か5連休取ったけれど、その超楽しいお休みでさえ、休みが終わる惜しさよりも仕事に行くことへの楽しみが確実に上回っていた。


どちらもイケメン上司に会いたくて、それで休みよりも何てことない、別に私でなくていい仕事をするために、超積極的に仕事に行きたかった。


休み明け、あんなにもルンルンで仕事に行くなんて後にも先にもない。


仕事のやりがい度みたいなのを測るなら、当時の仕事は数々やってきた仕事の中で同率ワースト1位の1つと言ってもいいくらい、仕事へのやる気など全くなかったけれども、ただただイケメン上司がいるというだけで私はどこまでも気持ちが上がっていた。


数時間後に始まる仕事の1つにイケメン上司とのやりとりが含まれていたのなら、私は今頃期待で胸を膨らませていたんじゃないかと予想する。


なんなら絡まなくていいから、いてくれるだけで十分で、それだけで仕事に楽しく行けただろうと思う。


思うじゃなくて、絶対にそうだと言い切れる。


当時もすごいことだと思っていたけれど、今になるとさらに一層すごいことだと感じる。


絡みもなく、話すわけでもなく、なんなら挨拶を交わすことさえ怪しいくらいなのに、そんな間柄の人に会うことが本当の本当に楽しみでそれで興味もない仕事にルンルンで行けていたんだから、本当にすごいミラクル満載な時間だったと今でも思っている。


あんなにも明日が楽しみと日々思って生きていた時間なんて他にないと断言できる。


その連休明けの楽しみを目一杯自分の中で堪能していた当時を思い出した。





この1ヶ月もしくはまだ1ヶ月にもなってないかもしれない、心境の変化が出てきた。


イケメン上司と最後会えた時から3年が経過して4年目に突入して今が2ヶ月が過ぎて3ヶ月に入ろうとしている。


先に書いたように、今の仕事の様子が色々変わってきたことも関係しているけれど、自分の中で変わってきたものを感じている。


このままその人のいない世界に生きる人生というものを本気で受け入れ出してる自分がいる。


いつか連絡が来るかもしれない、と私は本気で願って心からそれを望んだ。


ブログを読んでもらえてると確信してからは、その確信がいつからだったか覚えてないけれど、少なくともここ1年近くはかなり確信をしていたと思うけれど、もしかしてのもしかしたらが起こるかもしれない、と大真面目に私は思っていた。


だけどここ最近になって、もうどうやっても交わらないんだろうなぁと思った。


イケメン上司のプライベートがどんなかは知らない。


だけど、そこに他の誰かがいても何ら不思議はないし、いなくてもだからと言って私に連絡するとはならないんだろう、とそのことを受け止めてる自分がいる。


今の仕事で、この1週間近くで目に見えてわかる変化が起こった。


もしかしてもしかすると、創業以来初めてのことかもしれない。


今さっき会社概要を見てきて、創業80年以上経過した会社だと知った。


みんながなあなあにしているものを、私は我が身に降ってくるのが目に見えていたから、私はとうとう奇策に出た。


そうしたらその奇策が当たって、なんと周りをみんな巻き込んでの良い方向に今物事が動いている。


別に会社を良くしようとかいうのではなく、私の仕事を増やさないために、そして不正なものを見逃すと我が身の体の具合が悪くなるからそれを防ぐためにも、私は声を上げるしかなかった。


それがまさか結実して、今本質的に物事がこれまでとは違う流れに入っている。


そういうことを目の当たりにして、やりたくはないけれど、それが今の私が着手すべきテーマなんだと思うし、それは少なくとも来年2月までは雇用期間があるから続く。


仕事はさておいても、別に仕事をしててもちょっとした時間を使って連絡の1つをするくらい普通にできる。


そこまで多忙じゃないし、そして派遣でいる限り、本質的なものに関わっても実質的な部分で責任が取れる立場ではないから、そこまで仕事が自分の時間に食い込んでくることもない。


時間はあるし、気持ちもある。


だけど、イケメン上司側にしたら、私に連絡の1つをする時間は作る意志がないんだと思うし、時間があっても気持ちがなければそんなことして何の得もない。


そういうことを客観的に受け止めようとする自分が出てきた。


ブログを読んでくれることと連絡を取りたくなることはイコールじゃないし、イコールになって欲しいのは私だけであって相手もそうなわけじゃない。


コロナ第3波みたいな今、さらに「不要不急」が今後あちらこちらで言われることになると思うけれど、私なんかはその不要不急の最たるものだし、会うとか普通に無理だなと思う以前に、もうこのまま何ひとつ交わらずいつかの死ぬ時を迎えるんだろう、と思っている。


何がどう作用しているのかわからないけれど、確実に自分の中の受け止め方が変わった。


もちろん完全にじゃない。


連絡が来れば狂喜乱舞するだろうし、そんなことを夢見ていいのなら夢見ます!、願っていいのなら真剣に願います!、って思うけれど、多分そういうことじゃない。


イケメン上司に出逢えたことに始まって、その前後で起こった色んなこと、それは本当に必要があって起こっていたというのは今でも信じている。


この間、過去に書いたブログの一節を読んで思い出した。


イケメン上司に出逢う前の数年間、特に直前1年間は本当に訳の分からない、自分でもどうにもならないことがいくつも起こった。


メンタルはズタズタだったし、私は自分が何をしたと言うんだろう?と運命を呪いたくなった。


すごく変な風が吹いていて、どうにも止まらない負のエネルギーは、自分の日々の積み重ねを全否定してくるぐらいに物事をひっくり返してきた。


そういう苦い時間をいくつも超えた後に、イケメン上司は私の人生に現れた。


冗談抜きで、自分の人生全てが肯定できた。


色んな不具合や不可抗力的な暗黒の闇的なものも、すべて何1つ欠けてはいけないものだったと確信した。


もし1つでも何かが違っていたのなら、イケメン上司には出逢えなかったから。


どんなに苦しくて悔しいことでも、涙流すしかできなかったようなことでも、そのどれもが欠けてはいけなかったんだとはっきりと知った。


「何1つ自分の人生に間違いはなかった。」


それを本気で知らせてくれたのがイケメン上司の存在だった。


だから私はその人に今でもとっても感謝しているし、ガチの魂繋がり、ソウルメイト的な相手だとそこまで見せてもらえるんだとそれは今でも凄いと思っている。


だからもう十分何かをもらって享受して、なのに自分がそれ以上のことを望み過ぎたんだろうなぁとも思う。


それが私のウダウダ具合が想像以上に長丁場になって、その状況でうっかり4年目とかに入って「……」ってなっていたけれど、どうしたことか最近は受け入れようとしている自分が出てきて、少しホッとした。


コロナ最前線みたいなところにいたら余計と「何が自分にとって大事か」みたいな命題がふとした瞬間に浮かんだりすることもあるんじゃないかと勝手に予想しているけれど、そんな自分の人生観や価値観の棚卸しみたいな状況になった時、私はそこにはいないんだろうと思う。


私の人生にこれだけ大きな影響があったから、相手の側にも何かしら影響はあったのかもしれない。


だけど、同じ量や質のエネルギーが流れても受け止め方や感じ方は千差万別だし、私側は明るい方に転じたけれど、相手側は暗い側に転じたかもだし、もしくは奇妙に映ってもそれ以上ではない感じで終わっているのかもしれない。


どうであっても、相手が沈黙を続ける以上は私は何も知ることができないし、逆説的に捉えると知る必要がないからずっと今みたいな状況が続いているのかもしれない。


仕事で創業後初みたいなことが起こるくらいの今はエネルギーが発動されてるんだと思うけれど、それは確実に必要があってそうなってるのがわかる。


一方で、イケメン上司のことは、必要がないから繋がれないし、何も起こらない、そんな気もかなりしている。


上手く言えないけれど、この先何もなくても私は実際にあったことや起こったことを後生大事にして生きていく自信があるし、そのことは自分の中の大切な宝物箱に入れるみたいにして大切に保管していく自分も想像できる。


寂しいなぁとは思うけれども、それが定められた道なら仕方ない。


色んなことがあって、自分の内面も受け止め方もコロコロと変わって今に至るけれど、その人の存在だけは何にも変わらなかった。


そして離れてももはやもう何でもなくても、私はずっとずっとその人の存在に救われてきたんだと言い切れる。


繋がらなくても私のかなり一方的な思い込みかもしれなくても、確実にそれで救われた自分がいる。


もうそれで十分過ぎるくらい私は与えてもらった、そんな風にも思う。


そして、連絡が欲しいなんていうのはもはや欲張り過ぎなのかもしれない。





読み返さずにこのままアップする。


目が開いていてかなり覚醒しているけれども、多分シラフになって頭をシャキッとさせたら恥ずかしくなってアップなんかできなくなりそうだから。


3年前のように、休み明けに仕事に行きたい!!!っていうのが本当に貴重だったんだと改めて気付けたから良かったことにしよう。


あんな風に生きられたのなら、人生本当に楽しいだろうなぁと思う。


勘違いでも1人だけ脳内お花畑みたいでもいい。


そういう瞬間が人生にあったというだけで、本当の本当に恵まれていたなぁと今は思う。

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