2020年11月17日火曜日

家族の食卓

初日の夜ごはん
香箱蟹は弟がさばいた!!!
マカロニサラダと生姜焼きは私。

泊まった宿の朝焼け
(能登半島)

朝焼けその2

宿の目の前の浜辺

1人バスの金沢駅前


急遽決まった家族の集い。

コロナ第3波と言われ、GO TOトラベルキャンペーン中と言えども県をまたぐ往来は世論的にAll OKとは言えない今、本当に急な形で家族みんなで集まることになった。


妹夫婦は秋の初めくらいに、今の店舗兼住居を兼ね備えた物件を契約して、年明け2月くらいを目処にパン屋を開業する。


今すでに開業のために忙しくなっていて、そしてしばらくはまとまった休みを作るのは難しい。


そしてコロナで色々どうなるかわからない最中、どういうタイミングで会えるのかもわからない。


色んな事情を加味して、土日から火曜日までの時間を前半は父母と、後半は東京の妹と過ごすことが決まった。


家族全員が揃ったのは、月曜の朝2時間弱だけだった。


だけど、たとえ短い時間でも家族みんなで揃ったのは何より良かった。


仕事もちょうど大きい仕事が全て片付いた後で、2日席を空けても問題ないという絶妙なタイミングだった。


とっさに「今しかない」と思って、周りに何やかんやと思われたり言われたりしても、健康であることや周りに誰も陽性者がいないこと、全員のスケジュールがきちっと足並みが揃うこと、そんな千載一遇のチャンスを逃さなくて本当に良かった。





コロナが蔓延する中、今回が初めての遠出且つ家族の集いだったけれども、今回ばかりは本当に「集まる」ことを選択して本当に良かった。


私の生き方は定まらないにしても、妹2人はそれぞれ道と住む場所もある程度決まってきて、もう3姉妹がお互いに近くに住むことは生涯を通じてないと思う。


そこに年老いていく父と母、どんどん自分の世界が広がる姪っ子、となればなるほど、色んなことが難しくなる。


「会う」ということが単純に難しくなる。


そこに加えてコロナがあって、ますます難しさが増す。


コロナ以外のことで不安要素や不確定要素がないなんていうのは、これから先いつになるかわからない。


林先生の「今でしょ!」の言葉通り、今が最善だった。


1人1人それぞれの道の上で生きている以上、同じタイミングに同じ場所に集うというのはとても難しい。


例えば妹なら、本当は日曜の閉店後金沢で合流したかったけれど、お店の事情でそれができなかった。


私もこの月曜火曜なら大丈夫でも、1週間前の月曜火曜なら仕事で2年に一度しか開催されない大型のイベント出展の英訳があって、さすがにそれを知っての休みの申請はできなかった。


立場は派遣でも実質何かあれば一番量をこなさないといけないわけで(実際にそうだった)、立場は弱くてもやることは役員級のことをしないといけない以上、のんきにお休みとはならない。


先週なら私は最小限の時間しかみんなでいられなかったと思うし、そうなると月曜の朝、妹夫婦宅でみんなで朝ごはんを囲むこともできなかった。


炊き立ての白いごはんと味噌汁、茹でたウインナー、あとはご飯のお供のもろもろ以外はとてもシンプルなものでも、家族みんなで囲む食卓はこれ以上ないおかずだった。


7人分のご飯の用意なら普段ならブーブー文句を言ったと思うけれど、今回は全く嫌ではなかった。


みんなで囲むこと、それが一番大事なことだった。





お一人様人生、何のプランも計画していない自分の人生の怖さや不安と言ったら、数え上げたらキリがない。


けれど、今回のような急なタイミングでみんなで会えて、ましてやコロナという全国的な規制まで加わった状況下で実現できて、改めて思った。


自分の中の人生最大順位は「人」だということ。


家族に限らず、自分が大切だと思う人たちと時間を共にすることは簡単じゃない。


気持ちを通い合わせることも、時間を都合つけることも、そのために必要なお金や場所を整えることも、本当に大事だと思い知った。


寂しい部分も必ず避けては通れない1人老後でも、今回みたいな時間が自分の人生に時々でいいから現れてくれるなら、私はなんとなく騙し騙しでも人生生きていける気がした。


住む家とかお金とかも、孤独な気持ちを誰の目も気にせずに抱えていられる自分だけの場所と、それができるだけのお金があれば、それで十分だと思っている、真面目に。


今回少しだけおみやげを買ったけれども、おみやげを買えることさえも私は感動していた。


まずは長いニート生活以来のプチ旅で、おみやげに使えるお金があることに感動して、そしてさらにはあげる人たちも思い浮かべて買えることが嬉しかった。


そもそも今回は本当に極秘で出ているから、そもそもおみやげを買う必要がない。


渡す相手は、私がコロナ禍でも家族と会えたことを何よりも喜んでくれる人に限定していて、こちらもありのまま話せる。


本当に限られた条件を難なくOKにしている人限定で、そういう人を持てることがものすごく嬉しい。


自分の人生がこの先どうなるかなんて全くわからないし、どうしたいというのもあるようでない。


あるとするなら、本当にさっき書いたみたいな、孤独を1人で自分のペースで安心安全に抱えられる場所とお金だけで、その他のことはどんどん人生でオマケのようになっている。


人生の影の部分に対して、自分はその耐性とそれを抱えながら生きることができるのなら、他はもう本当になんとでもなるような気がしている。

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