2020年11月22日日曜日

㊹【おいせさん手帳】志高くー射手座の季節





おいせさん手帳第44回目

担当:ノム


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1120日 

夢を抱くのに、年齢や性別など関係ありません。

射手座を前に

 

志を高く、どこまでも理想を広げる射手座へと入っていきます。

これから年末に向けては、夢を描くことを楽しんでみましょう。

現実的になどと枠を設けず、ワクワクするヴィジョンを想像して!

時期がきたら自然と発芽する植物の成長を見守るように、

描いた夢と気長に付き合ってみること。自分の夢を大切にしましょう。


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占星術を独学で学び始めた頃、私は12星座自体も全て知らなかった。


知っているのは、自分の魚座と妹たちの水瓶座と乙女座だけで、あとは何がどういう順かもわからなかった。


親2人も魚座だから、私の中では魚座と水瓶座と乙女座だけで12星座の存在は完成していた。


乙女座だって「秋の星座」くらいな感覚で、他の星座については順序は全くわからないし、それぞれの性格なんかはもっとわからなかった。


独学2ヶ月目にして、超超超ラッキーなことに、占星術初級講座を取ることができて、そこで初めて私は12星座を覚えた。


余談だけれど、今のコロナ禍や先生のスタンス、そして現在の仕事なんかを諸々並べてみると、当時毎月東京に通って講座を受けられたというのは超特大な奇跡だったとわかる。


幻の初級講座で、そして先生はもう二度と初級講座は開催しないんじゃないかと思う。


世の中にはたくさんの占星術講座があるけれど、先生のクオリティと同じレベルや質の講座は日本全国を探しても限りなくゼロに近いのではないかなと思う。


講座の第何回目かは12星座についての性質を学ぶ回だった。


その時の話を聞いて、いくつかの星座は私の場合、友達の顔を思い浮かべて「あー、この星座はこういう感じなんだ〜」と、星座の質と実在する人物の性格とを重ね合わせて記憶に残した。


射手座はその1つだった。


射手座の相手は3人ほど出てきたけれど、その中でもとりわけMちゃんの印象がとっても強かった。


ノムが紡いだ言葉「志を高く、どこまでも理想を広げる射手座」は、まさにMちゃんにピッタリだった。


Mちゃんは言葉通り、志が高くて理想を持って生きている。


今回のメッセージを書こうとMちゃんが思い浮かんだ時、私は10年以上前の28歳か29歳の頃のMちゃんとのバスの中の会話のシーンが思い浮かんだ。





カリブ海の中でも特に綺麗な秘境の海に行った帰り道だったように思う。


Mちゃんは協力隊の時の同期で、今でこそ仲良くしているけれども、最初は全くタイプが違う上に仲良くなれる気が全くしなかった。


ギャルとは違うけれど、今時の女の子風で女子力高そうで、妖艶な雰囲気と天真爛漫さが重なって同性からはもちろん異性からもモテていた。


自分で今書いてて気付いたけれど、「仲良くなれる気がしない」というのは、私はMちゃんに興味を持ったけれどMちゃんは私に興味を持つ感じは全くしなかったから、自分だけの片側通行的な気持ちだけでは関係が成り立たないという意味で仲良くなれないと最初は思っていた。


ひとたび仲良くなると、Mちゃんはとても気さくではつらつとしているかと思えば、細かいことにも気がついて気遣いをしたり、とても素敵な女の人で、今となってもどうしてMちゃんと私とが仲良くなれたのか不思議でならない。


もし同期でなかったのなら、Mちゃんとは生涯知り合わなかったと思うし、仮に顔見知り程度に出会えても、知り合ってから今に至るまで色んな話をしてきたけれど、そんな風に話をすることもなかったと思う。


「天国」という名前ののんびりした田舎町を出た後、隣りの町から首都行きのバスに乗った、その帰り道だったように思う。


Mちゃんは私に「日本に帰ったら何をしたい?」から始まって、そうした真面目な進路の話をお互いに聞き合った。


その時すでに私の人生は自分の想像した人生とは違う方向に流れ出していた時で、第一希望の日本に帰ったら結婚は絶対にないと断言できる状況だった。


この辺りを細かく書くと、今回書こうとしていることから大きく外れるから今回は書かないけれど、30歳から日本国内で再就職するなんて全く想像もしていなかった現実に向けて舵取りをしていかないといけなくなって、正直何をしていいのか全くわからなかった。


福祉はもうしばらくは「やらない」と決めていた。


その理由は、30代の自分は結婚や出産があるだろうと当時は想定して、とにかく長く勤め続けることが難しいことがある以上は、人相手の仕事はできないと思った。


それは今も同じで、人と深く継続的に関わるものは自分の身が安定していない以上難しい。


今の英訳の仕事はいつでも辞められるし、私でなくてもいいとそれはいつも思っているけれど、子どもの施設にいた頃はそんな風に思わなかった。


私より優秀な人も適した人も世の中にたくさんいるけれど、そうではなく、同じ人が継続してそこに居続けるということがその仕事の場合本当に大事なんだといつも思って見ていた。


人と人とが知り合って関係を作るのに大切なものの1つが「時間を重ねること」なんだと、その時本当に学んだ。


だからそれができるのかできないのか定かではない30代は福祉の仕事は「私はできない」と結論付けた。


だからこそ、Mちゃんに日本に帰ったらどうする?と聞かれて、上手く言葉が紡げなかったことも、ようやく1つだけ言えたのは「自分は企画から始める仕事は向いていないから、そういうのはあまりやりたくない」だった。


「企画から始める仕事」というのは、協力隊の時の私の状況がまさにそうで、今思うと向いてる向いてないよりも「やる必要があったからそうなっていた」と思うけれども、当時は何でその資質もないような私がそんなことをしてるのか不思議でならなかった。


当時はもうやりたくない!と思うくらいに嫌になっていたから、そんな風に答えたことを覚えている。


Mちゃんが何を言ったかは忘れたけれど、Mちゃんはその時もすでに真っ直ぐ自分の人生を見つめて、自分の人生の可能性に賭けている人だった。


射手座の特徴の1つだと思うけれど(これは習ったことだったのか、自分の身近な人たちを見て思ったことかは忘れた)、射手座の人たちは自分の理想や志のためならその実現に必要な努力や労力をいとわない。


能力的なものを天性の能力で突破するよりも、そのためにコツコツと努力する、小さなことを弱音を吐かずに積み重ねていける、その力の持ち主だと私の目には映る。


だからMちゃんも、世の中の1%未満の人が持つような天才性やずば抜けた能力というよりも、本当に自分が信じたものに対して粘り強くコツコツとやり続けて確実に形にしていく人、という印象の方が強い。


Mちゃんはこの後、最初は自分の専門と海外での仕事とを掛け合わせて仕事をして、しばらくしたら今度は大学院に行って、そしてその後もさらに専門性を高めて、今はどこかのアジアの国で国か国に近い機関から派遣されて専門職に就いている。


Mちゃんとあの帰りのバスの中で話した時からは、どちらも想像できない今にいると思うけれど、少なくともMちゃんは自分が思い描いた未来を確実に自分のものにしている、そんな風に私には映る。


そして、それに対して私はただただ尊敬の念しかない。


羨ましいとか自分が卑屈になるとかは一切ない。


その後もMちゃんとは1年か2年に1回くらいの割合で会っているけれど、いつの時も本当に頑張っていて、なんなら大学院の頃の論文提出で激務な時も家で会ったりしてその様子を目の当たりにしているから、今の現状に至る努力が並大抵ではないこともわかって「羨ましい」とか自分がダメなんだなんて思えない。


そのことを一心にやり続けているMちゃんが本気ですごいと思うし、常に志強く自分の力を集めて物事に真摯に取り組む姿は、良い意味で「自分もがんばろ!」と思わせてくれる。





名古屋にいた頃、Mちゃんは途中から京都の大学院に通うために大阪に引っ越した。


その時もそうだったし、最後会ったのは多分3年前で、その時は仕事で東京に引っ越していたけれど、いつの時も話の中に「将来の展望」がある。


大阪でもう1人の友達と3人で会った時、Mちゃんが「みんなでビジョンを語らおう!」と大胆に、でも自然な流れの中で言った時は忘れられない。


その時の私は塾勤めで神経すり減りまくりではあったけれど、その提案はストンと自分の中に落ちて、何の気難しさや抵抗もなくすんなりとその流れに入っていけた。


基本的に何を言っても自由で、否定がない。


一度だけ否定というか「それって難しいんじゃない?」と言われたことがあるけれど、今は逆にそれを難しいと言ってもらって良かったと思っている。


言ったことを否定したのではなく、それを実現することが世間一般的には難しいとはっきりと言ってもらえたことが大きかった。


内容や私の想いではなく、そのことの実現度が社会的に難しい、それをMちゃんは言っていた。


でもそれは否定ではなく、本当に色んなことをやってきてそこで色んなものを見てきたMちゃんが言うからこそ、適当に言ったのではなく、本当に実直な感想や考えとして言っていたことがわかる。


そんな風にして、色々ざっくばらんに話せたことが、今のこの年齢になってすごく貴重なんだとわかる。


他の人と比べたこともないし比べるようなことでもないからあくまでも自分の感覚でしかないけれど、「これからどうしたい」とか「どうありたい」とかいう話を私は相当な数の人たちと交わしてきたように思う。


自分の中の影やネガティブなことを話すのは難しいってずっと思ってきた。


でも、もっと難しいのはもしかしたら夢や希望、展望の方ではないかと思った。


ネガティブなものはある種共感を生みやすい。


そして、私なんかは「この話なら相手もわかってくれるかも」とかいう計算まで働かせるところがあるから、ガチなものでなければ内容の程度を選んで話すことも多い。


「この人はここまでならOK」「この話題はこの人NGなんだな」とかいうことが話していると結構わかってしまう。


傲慢と言われても仕方ないけれど、それがわかると私はそれに合わせて話をする。


聞くのは基本的に耐えられないというのは数としてかなり少ないけれど、話す方はかなり選ぶ。


そして、ネガティブなものよりも希望や展望を口にすることの方がうんと難しい。


これは年を重ねるとさらに顕著で、小さな希望すら口にしづらい空気になる人たちも確実にいる。


夢や希望、自分の想い、未来に向けての展望を話すというのは、実はすごい勇気が要ることだと思う。


はなからそういうものを否定するタイプの人もいれば、共感してる風に見せかけておいて毒を吐くというかどこか否定じみた反応を示す人もいる。


年齢が上がれば上がるほど、そういうものを目の当たりにすることがなんとなく増えてきたように思う。


だから、ネガティブ寄りなものよりも、明るいというか前を向く話の方がもしかしたらこれから先の年齢域ではますますそれを共有できる人が少なくなっていくのかもしれない。


そうした中で、Mちゃんというのは夢や希望、展望を話せる貴重な存在なんだと改めて気付いた。


この1年くらい話してない気がするけれど、何て言うんだろ、とにかく基本的に否定がなくて前を向いていて、それは単なる前じゃなくて苦しいことや思い通りでないことも内包した上で前を向いてる、そういうタイプの前で、それをMちゃんはとても自然にやってのける。


占星術講座で習った射手座の特徴とMちゃんの性格とが重なったのもそこが大きい。





射手座の話とは関係ないけれど、Mちゃんの話ですごく印象に残ったことがある。


協力隊の時、中間報告というのと最終報告という名の報告会があって、1人15分の持ち時間でパワーポイント使って何をしたかを関係者に発表する時があった。


オール自前、スタイルや方法は個人の自由で、もちろん話す内容も活動に関することなら自由だった。


最終報告は2年間の活動の総まとめとして発表する。


その時のMちゃんの発表が忘れられない。


Mちゃんは国の予算をあてがわれた某一大プロジェクトに配属されていて、普段は小さな町の事務所に行っていた。


某一大プロジェクトは本当に大掛かりなもので、私はその内容を聞けることを楽しみにしていた。


普段活動の話なんてほとんどしていなかったから、余計と何しているのか気になっていた。


そこでMちゃんが最初にしたことは、斜め横どころか想像もしていなかったことだった。


「事務所の中の人間関係がギスギスしていて、それじゃあ何をしても絶対に上手くいかないって思ったので、最初はひたすら風通しが良くなるように、風通しを良くする運動に1人で励んでました」


冗談抜きでMちゃんはそれを最初にしていて、そして最終的にはプロジェクトの内容を事務所や地域で実施できるところまで持っていった。


Mちゃんのその目の付け所も本当にすごかったし、そして何したかは忘れたけれど、Mちゃんは本当に専門的なことは全部後回しにしてまずは人間関係の構築を最優先したところがめちゃくちゃ素敵だった。


Mちゃんの専門分野は日本全国誰が聞いても一目置かれるものだし、普通ならその専門分野で役立つことをしようと考えると思う。


でもMちゃんは全然違っていて、何よりもまず人間同士がやりやすくなるようにそこに注力をした。


専門職であるけれど、専門性の前に人間性、仕事よりも気持ちの良い人間関係を大切にするMちゃんは本当に素敵だった。


それは射手座ゆえの性格なのかと聞かれるとわからないけれど、是非とも見習いたい視点だなぁと思っているし、10年以上経った今もものすごく強く印象に残っている。





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本当は2日前のメッセージだったけれど、バタバタして今日22日のアップになった。


中途半端に変なものを出すよりも、書きたいことを書ききって表に出したかったから、日にちよりも気持ちを優先した。


気持ちを優先させる方が今回の場合は自分が気分良くいられるとわかった。

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