基本、行列に並ぶことはしない。
記憶にある限り、並んだのはディズニーランドやシーだけ。
しかも、私はただの一度も自らの発案でディズニーに行ったことがないから、職場の旅行とか誘われてとかでしか行ったことがない。
って今書きながら、これ過去のどこかにも同じ文を書いた気がした。
デジャヴかもしれないけれど。
そんな私が今日、田舎町の小さなお店で行列に並んだ。
なんだかんだと1時間くらい並んだ。
このお店で行列に並ぶのは、人生で今日が最初で最後。
そこは町のお肉屋さんで、1年前隣家から貰い火して火事で全焼した。
子どもの頃から何1つ変わらないお店屋さんで、揚げ物系の惣菜が100円以下という、スーパーでさえ提供できない値段で手作りのとても美味しい惣菜を売っている。
今日が1年越しの新装オープンの日で、私は母から頼まれて行ってきた。
普段はうちの父の先輩だというおじさんか、その息子のお兄さんのいずれかしか見たことがなかったけれど、今日は従業員だけで2人の他にもう6人は見た。
しかもみんなお揃いの白と黒のギンガムチェック柄のボタンシャツを着ていて、とにかく人が多くて驚いた。
ばあさん達に混ざって私も並んだ。
初日ゆえ、すごいバタつきで、こんなにパニックになっている現場も初めて見たというぐらいのコミカルな行列だった。
周りはみんな折込チラシを持参しているような方たちで、田舎のばあさん特有の一張羅のマダム風のリュックサック背負ってる。
間違えてもスマホ出して画面見てる人なんて誰もいなかったから、私も行列に同じように並んだ。
時々時間を見て、あまりにも時間がゆっくりでもしっかりと流れていて驚いた。
注文して、今度はレジ側の列に並んだ。
レジ前には、地元の有名どこの味噌や醤油、卵、カレー粉とか、まぁ色々置いてあった。
ふと目をやると、名前発見。
本当にどこでも名前が登場するから驚く。
何かに紐付いているのか、その名前の登場率の高さと言ったらない。
私はその某個人の名前をもう何百回ではなく千回越えで色んな形で見ている気がする。
私はこれまで肉を買っている人を見たことがなかったから知らなかったけれど、見るとなんと3キロとか5キロ単位で肉を買っている人たちもいて驚いた。
飲食店の人なら並ばないはずだから、多分一般家庭の人たちだと思うけれど、肉屋でそんな塊を買う人たちを初めて見たから驚いた。
バラ肉3キロとかどんな料理するんだろう?と思ったり、土木系の作業着を着たおじさんがキロ単位で色々注文しながら、「鶏肉あるかい?」などと聞いていて、「ももありますよ」と見せられてそれも注文していた。
このおじさん、もも肉と胸肉を使い分けてるの?と、大変失礼ながらその風貌からは料理するようには見えなくて、私はその様子をガン見してしまった。
なんだかんだと時間をやり過ごして、そしてレジを終えて店をあとにした。
オシャレなエコバッグももらって帰ってきた。
決して楽しい行列ではなかったけれど、面白い時間ではあった。
帰りに小さな図書館に寄って、2冊借りて帰ってきた。
心がマックス苦しい時は、小説を読むと今回は楽になるとわかって、今そうしてる。
家に戻って、ひとしきりぼーっとした後、心のザワザワなんて通り越して、メンタルがガタッと落ちた。
メンタルの落ち方がすごい変で、もうどうしたらそんなにネガティブ全開になるの?と思った。
原因はわかっていても今すぐどうこうできることはないから、余計と苦しい。
こういう時の必殺技「寝る」。
起きて心の状態がある程度戻ってから思ったけれども、私ネガティブ具合の数値を自分である程度測定できる。
今日はいつぶりかわからない、もう何年もないぐらいのガッツリ落ちる系で、「おかしい」と思った。
今はまたゆるゆると通常モードに戻ってきたからいいけれど、落ち方が半端なく変だと思って、私は速攻で星の情報を探した。
1年社会から離れて生活してわかったことは、私は実はすごい空模様と自分の気分が連動しやすいということ。
新月満月は鉄板、上弦の月や下弦の月、あと天体が私にとって強烈な時、そういう時は大体何かしら体がだるくなるか、心がイマイチということが多い。
しかもこれから2020年まで長期戦でかなり影響がでかいのが続くから、基本は「低温モード」でいこうと思う。
調子良い時を基準にすると、そうでない時が「ダメな自分」みたいな気がしてしまうから、「停滞」ではないけれど、わりかし地中に潜ってます的な時はそこに標準を合わせて日々過ごす方が自分が楽だとわかった。
「停滞」だと言葉が痛々しいから「低温」という言葉を取り入れた、自分のために。
話が逸れすぎた。
天体の話。
今日4/25の昼過ぎ、2時前後なのか何時かは具体的にわからないけれど、調べてわかったこと。
超強烈な天体配置が重なって、影響を感じている人も多いはずとあった。
ちなみに詳細は、太陽と天王星が重なって、月と土星と逆行を開始した冥王星がピタリ賞。
やっぱり!と思った。
自分の感覚で「なんだかわからないけれど、ありえないぐらいに気持ちが落ちてく」みたいな感じで、それが例えば自分の日々の悩みとか長期の悩みとかから出てるだけとは思えない落ち方だったから「おかしい」と感じた。
私はこういう感じを実はすごい大事にしている。
自分でもわかるけれど、私は人といる時と1人の時とでテンションが全く違う。
1人の時はすごい静かだし、その時こそ一番素の状態に近いと思う。
人といる時はそれに合わせて、社会仕様の自分でいく。
1人の時は、とりあえずいつもと様子が違う時は、なるべく丁寧に見るようになってきた。
特に今日みたいな感じになったら、天体を調べる習慣を持つようになって、2ヶ月3ヶ月は経ったと思う。
徐々に回復してきた私は、心を毛布とかでくるんでもらえるような言葉を見つけて、それをノートに書きながら、そして書いてたらこのことをなぜか書きたくなって今に至る。
これから徐々に社会との接点もまた増えていく生活に移行していくと思う。
そして、自分の中の小さなプロジェクトも少しずつ始動しようと、実際にすでに始動してるのかしてないのか、何もしてないわけではないから「始まった」と言ってもいいと思うけれど。
小さなプロジェクトはこれから生涯かけてやるようなことだから、ここは焦らず自分で三歩進んで二歩下がるでもいいから、なんなら三歩進んで四歩下がるでもいいから、とにかくゆっくりやろうと思っている。
スパッと決めてすぐに動き出す、というのは今回はその気分じゃ逆にもっと動かなくなるからやめた。
気が向いたままに動いていく。
自分で決めれる自由はとても恵まれたことではあると思う一方で、ものすごく怖さや不安もモリモリ付いてくることがわかった。
今回本気で救われているのは、その怖さや不安を感じるのが当たり前だし、それをないことにするんじゃなくて寄り添うこと、形ばかりの行動じゃなくて見えない部分を大事にしようと唱える人たちの文章に触れられていること。
何かが変化する時・新しく始める時は、絶対にどこかに負荷はかかる。
これまではそれを吹き飛ばすかのように行動してカバーするとか、不安や自分の中の固定観念を見てそれを変えるとか、私からすると非常にやりにくい形が謳われることが多かった。
実際に私には合わなかった。
そうじゃなかった。
変化や始動の時は、めちゃくちゃエネルギーを使う。
だから、自分を急かすんじゃなくて、それでもなんとか息をして休みながら進みながら止まりながらそれでも自分といられる自分の中の安全なスペースや安心できるペースを確保するのが大事だとわかった。
自分の弱さを無視しない限り、多分自分は協力してくれる。
そんなことを知りながら今にいる。
お肉屋さんの様子を1時間観察していて、「はじめてはこれでいいんだよ」というのを教えてもらえた気がする。
本当にもう少し方法はないの?と思った人もいたと思うけれども、私も最初「何で注文を受けないんだろう?」と思ったけれども、よくよく見てるとそのみんなが不慣れな中で1つ1つできることをこなしている。
その姿にやたらと感動した。
書いてて思い出した。
色んな方法があっていいということ。
『奇跡の果実(25)愛という名の果実』の中に出てくるNさんから感想を今朝もらった。
これまでもらったことない奇想天外な方法での感想だった。
こんな伝え方が世の中にあるんだ!ととにかくビックリした。
ちなみにNさん自身もこんなことしたの初めてと言っていた。
約10日前にアップして、何人かから素敵な感想をもらって、それはまたいつかのタイミングで公表する予定でいるけれど、その時にそのNさんの感想も紹介したい。
マックス蛇行運転のような文章になってる気がするけれど、こんな風に書けることも珍しいから、もうこのままアップしようと思う。
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