2019年4月21日日曜日

ホロスコープ2年生









この4月でホロスコープの読み解き2年生になった♪٩((*⁰▿⁰*))۶♪

最近は難しいマニアックなことよりも、基礎基本に立ち返ってそれを勉強している。

独学2ヶ月目の終わり、それも基礎をかっ飛ばして自分の興味のあることだけをひたすら独学していた頃に、占星術の基礎講座を受講して本当の本当に良かった。

基礎講座を受ける時まで私は12星座すべての名前も言えなければ、順番なんて全然わからなかった。

唯一知っていた順番は、水瓶座→魚座だけ。

牡羊座と牡牛座の区別がつかなくて、私はこの間自分が過去に書いたブログで順番が逆になっていたところを発見して訂正したぐらい( ̄∀ ̄;)。

一応読んでくれてる人がいると悪いから訂正部分を言うと。

占星術には主に2種類の方法があって、地球から見た天体配置と太陽から見た天体配置がある。

私たちが普段12星座と呼んでるのは、地球から見た時の星座。

私なら生まれた時に太陽が魚座にあったから魚座。

ところが太陽から見ると、その星座が真逆になる。

太陽から見た時は、「地球星座」と呼ぶ。

私なら地球星座が乙女座になる。

『ヘリオセントリック』という手法になる。

牡羊座ー天秤座
牡牛座ー蠍座
双子座ー射手座
蟹座ー山羊座
獅子座ー水瓶座
乙女座ー魚座

とそれぞれ真逆に位置する星座が地球星座になる。

これぐらいわかってない状態で講座を受けて良かった、と。

そして私はそんなに基礎が重要だとは知らなくて、自分のヘンテコなホロスコープを読むために基礎がいると思って受けたに過ぎなかったけれど、受講を決断した1年前の自分に超感謝している。

ホロスコープもとい占星術と呼ばれるものは、とにかく基礎が超大事だと知ったのは、この2〜3ヶ月。

講座受けていた頃から先生から何度も言われて知ってはいたけれど、自分の体感として「超大事」と知ったのはこの2〜3ヶ月。

しかも今週に入って、ある占術家の方が「独学の人は誤った覚え方をすると後からそれを訂正するのに本当に大変だから、きちんと基礎を学んだ方がいい」とあった。

講座を受けなくても、例えば「魚座」なら魚座について解説している色んな人たちの文章を読んで、そこから共通したテーマやルールを見出すことが大事だと説いていた。

特に、アセンダント・太陽・月の区別がつくようにするのが大事!とあった。(←現在の調べ物の主なテーマ)

話がマニアックになったから元に戻すと。

今となっては先生には感謝しかないけれど、私は初級講座の第1回目で心が折れた。

あまりにも難しいのと、ただでさえ苦手な理科の授業の延長みたいに、天体がどうだの黄道がどうだのと、図や解説を見ていてもさっぱりちんぷんかんぷんだった。

(「黄道」(こうどう)を「おうどう」と読み間違えてる時点で、色々やらかしまくりだった( ̄∀ ̄;))

第1回目が私には何よりも難しかった。

講座のテキストの表紙に『宇宙と個人のつながり』とあるけれど、私は宇宙につながるよりも前にまずは日本語そのものとしっかり繋がらないととても読解できないレベルだった( ̄ཀ ̄;;)。

ようやく最近、その時の説明が少しずつ理解できるようになったぐらい(←本当に単純に理科が苦手過ぎるんだと思う)。

正直、2回目は「行かない」とまで思ったぐらいに私には理解できないし面白みのカケラもなかった。

クラスメイトたちとも仲良くなれそうにもないし、東京まで行くから交通費や食費もあれこれかかる。

2回目以降は行かない!と思ったら、これはなんと全6回のセットでの講座で、行かなくてもあとからテキストと音声をもらう代わりに受講料を払うシステムになっていた。

それなら、通った方が絶対に良いと判断して、それで2回目以降も通い続けた。

そういう強制力のおかげで、私は投げ出さずに最後まで通えたし、そして頭に一向に入る気配のない基礎を徹底的に先生に教えてもらえた。

投げ出す気満々だったところを引き止めてもらえて、おかげで私はその時のことが今とっても役立っている。

そして、どうにも面白みに欠けているとしか思えなかった基礎が本気で大事だと1年経った今わかって、やっと基礎の勉強を始めたのが最近。

もっと言うと、基礎こそ難しくて私はどの本も基礎は読めずにいたけれど、今は基礎ができてきたからようやく最近、難解な専門用語たちを難なく読めるようになってきた。

先生お手製のテキストは、一生の財産だと感じている。

本当にこれ以上ないぐらいわかりやすく、そして超大事な基礎をひたすら押さえた素晴らしいテキストになっている。

同じ内容を受けようと思ったら、30万ぐらいが相場と知って驚いた((((;゚Д゚)))))))。

私はその内容を5000円掛けることの6回で3万円で受けてきた。

色々有り得ないラッキーなことが重なって私は必要な情報をもらって来れた。

そういえば、先生も先生のサポートに回る運営の先生(←この方も占術家)も口を揃えて「基礎が何よりも大事!」と何回も言っていた。

私も今その意味が1年越しにわかるようになった。

何事もそうだとは思うけれど、普通は初級、中級、上級と進むにつれて難しくなる。

ただ、ホロスコープは中級だろうが上級だろうが、まずは「基礎・初級」の徹底を言われる。

それがないと、本当に先の上級編はもっと太刀打ちできない。

先生いわく、中級・上級の方がある意味覚えることも少ないし把握するポイントがかなり限られてくるから、初級より楽だと言っていた。

初級=基礎の部分が何よりも難しい、2人の先生は口を揃えてそう言っていた。



講座の先生からもそれとなく言われたし、去年の夏受けた鑑定の先生からはもっとはっきりと言われたけれど、私の生まれた瞬間のホロスコープは「扱いにくい・生きづらい」ものに入ると言われた。

そう言われる理由は、おそらくだけど、あまりにも相容れない真逆のものをたくさん持っていたり、トランスサタニアンと呼ばれる天王星・海王星・冥王星が強く影響していたり、あとはアスペクトと呼ばれる天体同士で結ぶ角度がやたらとマニアックで超がつく特殊なものが多くて…ということからだと思う。

余談だけど、この間「嫌いなアスペクト」とかいうタグが付いたツイッターを見つけて、投稿されていたものを見たら…。

何人かの人たちが挙げていたそれぞれ別のタイプのアスペクトを、自分はいくつも持ち合わせていることに気付いた( ̄∀ ̄;)。

1つでも嫌とされるものを、そんなに何人もの人がそれぞれ嫌と感じるものを併せ持った私のホロスコープがなんだか可哀想になってきた( ̄∀ ̄;)。

反対に「好きなアスペクト」タグも見て、そこに通常は「嫌われアスペクト」に入るものを挙げていた人がいて感動した!

私もその「嫌われアスペクト」を持っていて、その誰かが好きと言っているのを見て希望を持てた。

私もそう言えるようになりたい!!!と鼻息荒く決意した( ̄∀ ̄)!

90数%の占術家からは歓迎されないタイプの要素をあまりにもたくさん持ち過ぎな私は、もう逆をいくことにした。

あまりに強烈だから、それがどう活かされるのかを見る方向に変えた。

ちなみにそれは講座の先生も鑑定の先生もそこは何度も何度も丁寧に伝えてくれたことだった。

たしかに扱いづらいし生きづらさもてんこ盛りと言わんばかりにやたらと多いけれど、それらが私を作っているもので、そして自分の道が見つかった時にそうしたものが私にとってかけがえのないものになると教えてくれた。

2人の先生が示してくれたヒントはものすごく大切で、最近「こういうことかも!」と思ったことがあった。



『奇跡の果実』がわかりやすかったけれど、あれは私にとって癒しをもたらすものでもあった。

巷では「恋愛の星」などと呼ばれる金星。

私はその金星と魂の傷なんかを表すキロンという天体とが、1度程度の差で90度(占星術用語で「スクエア」と呼ばれる)になっている。

角度差が小さければ小さいほど(1度はとても小さい)、影響は大きく出る。

90度という角度は角度を想像してもらったらわかりやすいかと思うけれど、相容れない同士がぶつかる。

「私は真っ直ぐ縦に進むから!」
「いや、あなたが真っ直ぐでも私は横に突き進むから!」
とお互いに譲らず、相手を否定しながら突き進む。

当然緊張感が高く、安心感とか皆無( ̄ཀ ̄;;)。

単純に読み解くと、「金星ーキロン=恋愛・愛に対してガンガン傷付く」となる( ̄ཀ ̄;;)。

金星は女性性の象徴とも言われていて、こちらももれなく傷付きまくり( ̄ཀ ̄;;)。

しかも私の金星は水瓶座で、水瓶座というのは「変わり者」と若干不名誉な名前まで付いている( ̄ཀ ̄;;)。

変わり者の部分も愛されるよりも攻撃の対象、恋愛においてもガシガシと傷が飛んでくる…みたいな、オーソドックスな読み解きの例としてはそんな風になる。

今調べてヒットしたものたち↓( ̄∀ ̄;)。

愛する人から過去世で何度も傷付けられた、恋愛に超絶苦手意識、容姿にコンプレックス、自分を醜いと思う、恋愛全般に対して自信ない、だって( ̄ཀ ̄;;)。

「私そんなことない!」と全力で否定したいところだけど、ヒットする過去盛りだくさんみたいな( ̄ཀ ̄;;)。

もう少し私個人の場合として深く読むと、自分の美的感覚や価値観、しかも自分の五感から導いた感覚が傷付きやすい、自尊心を育むのに横やりが入りやすいとか、そんな風にも読める。

ついでに、私は目に見えない世界のこと全般に対して苦手意識が異常に強め、近寄りたくないのもキロンが関わってくる。

そして自分が見えない世界のこと、例えば心とか潜在意識のことに対して、自分が一生懸命積み重ねたものを赤の他人から余計なことを言われるのも苦手。

まぁそんなの私じゃなくても、自分が真剣に取り組んだものに第三者が茶々を入れるなんて普通に嫌だと思うけれど。

いずれにしても、明るい読み解きは難しい。

だけど、その【金星ーキロン】の痛々しいところに、私は
・助っ人その1:火星
・助っ人その2:水星
を持っている。

火星は行動してなんぼみたいな感じだし、水星はコミュニケーションや知性使いまくってなんぼみたいな感じ。

私の火星は、弱い部分に寄り添うことにものすごく意欲的だし、私の水星は「言葉が降ってくる」感覚で何か言葉をキャッチして表現をするのが得意。

『奇跡の果実』62記事を通して、何が起きたかと言うと。

自分が五感や心で感じたこと、オカルトワールド要素も余すことなく、言葉で表現しまくった。

私の場合は、それが自分の癒しに繋がる。

言葉だけ読むと他の人たちには理解できないとは思うけれど、たしかに私にはその行動が自分をとても癒した。

特に秘密にしたかった自分のオカルト的な部分を堂々とそのまま表現できたのは大きかった。

そしてそういう自分を周りからも受け入れてもらう体験もしたわけで、より一層心に癒し薬を届けられることとなった。

私みたいに書くのも苦にならなければ、家にこもるのも苦にならない、ずっと同じことをしていても好きなものなら基本飽きない、とかいう色んな性質も互いに協力し合って、癒しがもたらされた。

それが恋愛についてもいきなりすごい癒しがもたらされたとかにはならなくても、自分の持っているものを肯定する材料にはなったから、そこを受け取るにはものすごい良い体験になった。

恋愛の癒しと呼ぶのはかなり抵抗があるけれど、過去世から持ち越した人間関係は『奇跡の果実』を通して1つ癒しが生まれた。

自分が望んだ形とは違っていても、きちんと見守ってもらえてるというのは書いている途中からわかった。

それは私の場合は、書くことでしか得られないものだったから、しかも書くものは自分の中でも自分の本質に相当迫ったもので、その部分を静かに見守ってもらえたことはとても大きかった。

「傷」「傷」と連発しまくりだけど、私が傷に対して思うことは、傷は教えてくれることもたくさんあるということ。

痛みは色々出てきても、傷の本当の正体は大切な何かを教えてくれるものだと思っている。

だから、それが魂の傷でも恋愛や愛の関わる分野からもたらされた傷でも自尊心が傷付く傷でも女性性に関しての傷でも、それは痛みと同時にそれを癒す方法も癒せる可能性も伝えてくれる。

自分の傷を1つ1つ自分のペースでゆっくり見てそこに対して色んなことをしていくうちに、例えば手に入れた1つは「自分に対する信頼感」だった。

自分のためなら、私は何かきちんとする人なんだとわかって嬉しかった。

自分のことを無視しない、傷付いたら傷付いた自分を休ませる居場所を作る、自力で癒せる部分は自力でがんばる、そういうことの繰り返しが本当に自分に色んな変化とプラスのものをもたらした。

自分の中でも嫌だと思うもの・苦手と感じるものを自分が受け取るというのは、最初こそキツイけれど、慣れてくるとそういう行動をしている自分に対して親しみや安らぎみたいなのを覚える。

元々、心の癒しを大きくテーマとして取り組んできたけれども、そこに加えてテーマ10年目の節目にホロスコープがやってきたことはとても大きかった。

それまでは掴みどころのないものに全て体当たり状態だったのが、ホロスコープの知識を得たことで体当たりの前にヒントを得られるようになった。

ゲームの攻略本みたいなもので、この面をクリアするには…って調べる感覚に似ている。



(#つぶやき:毎回のことではあるけれど、今回も思いついたものを順に書いていたら、話がバンバン飛んでる。次からまた違う面へワープ( ̄∀ ̄;)。
言い訳みたいだけど、無意識や心の深いところを探求する知的好奇心が旺盛なのもホロスコープに出ている…。恐るべしホロスコープ!)



1年前2018年の2月、人生で初めてホロスコープ鑑定を受けた時に
「ホロスコープはアカシックレコード、
すなわち【魂の青写真】【魂の設計図】」
と教えてもらって、度肝を抜かれた。

たしかに20枚に及ぶ鑑定書には、私という人間の性質が色んな側面から語られていた。

その後1年かけて自分で自分のホロスコープを読み解くようになって、本当にその通りだとますます思っている。

もちろん全部なんて意味がわからなくても、色んな切り口で自分というパズルのピースを集めている。

私は自分のピースを集めれば集めるほど、自分というものが客観的にわかって、そして安心できる部分が出てきた。

私の人生の設計図は、世の中の価値観とは大きく異なる。

だけど、設計図通りに生きている感じはする。

世の中の反逆児みたいな生き様でも、周りの人たちが普通にできてることが私はそれらがまともにできなくても、それでも自分のホロスコープの通りに生きて進んでいる。

ホロスコープは教えてくれる。

それで大丈夫だよ、と。

この間子育てコラムみたいなものを見て、唸りそうになった名言があった。

子どもに与えるものとして大切なのは「愛情」ではなく「安心感」だということ。

すっごい納得した。

両親から大切にされたとか愛されたという感覚はあっても、それと安心感とは全く別物で、私はいつも根っこの部分の不安感が半端なく高いまま大人になった。

自分の両親を責めるつもりは一切ないけれど、私が子どもの頃から何がそんなにも不安に駆られまくったのかと言えば、【安心感がなかった】の一言に尽きる。

両親だけのせいということは全くなくて、両親が目指したのは、社会で生きていける子どもだったと思う。

そして、両親の中であった基準は、「社会の基準」だったと今振り返って思う。

ただ、私はことごとくその「社会の基準」から外れまくっていたから、それに合わせようと両親は両親で必死だったこともわかる。

そのための訓練は日々色んな場面で行われて、おかげで今ぐらいの知能と知性と努力する才能は手に入ったけれど、その裏側では「常にダメな自分」の称号もしっかりと意識に深く刻まれた。

自己否定と自己卑下は無意識のうちに超絶得意になって、私は自己否定してることすら30代に入るまで気付かない有り様だった。

私は常々ありのままではいられないと思って、自分を良くしなきゃみたいな脅迫観念とか、そのままの自分じゃダメだから自分を出せない自信のなさとか、それら諸々がミルクレープのように積み重なって、やがて巨大な不安感の塊ももれなく出来上がった( ̄∀ ̄;)。

矛盾した風に聞こえるかもしれないけれど、私は社会の基準ではなく真新しい基準を持って生きることも人生のテーマに含まれているから、そのような体験も必要だったと思う。

だって、そこそこ社会の枠の中で楽しく生きられたなら、私は今こんなにホロスコープやら心のケアやらに自分の時間を費やすなんて絶対にしなかった。

本当に驚くぐらい、ホロスコープの中にある色んなテーマをそつなく、そしてこぼすことなく完璧に体験している( ̄∀ ̄;)。

余談だけど、【安心感が得にくい】こともホロスコープには出ている。

しかも強烈にその部分が私の場合は強く出ている。

これもまた別の質問をした時に、先生から教えてもらったことだった。
(先生に質問すると、いつも質問からは到底想像できない答えが返ってきて、毎回度肝を抜かれまくりだった( ̄∀ ̄;)。)

先生によると、私の場合は2つも3つも特殊な要素が重なってしまって、「【安心】【安全】への飢餓感」といったものが強い傾向にあって、「居場所のなさ」もまた異常に拡大しやすい天体配置があるとのこと。

先生は専門的に色々分析したものを伝えてくれた上で最後に
【心から安全だと思える場所を探すことに鍵がある】
とヒントをくれた。

自分でも難しいと思ったけれども、1つわかったことがある。

自分でもその安心感や安全に対する飢餓感が異常に強いのはやっとこの半年ぐらいかけて自覚できるようになってきた。

元々飢餓感が強いというのは、同時に安心・安全を必死で求めるから、私は長いことあらゆる手でその安心安全を得ようと画策している。

異常な不安の強さは、それを否定するとか不安を消す方法ではなくて、どんなに不安を膨らませてもいいから、それを補うぐらいの安心安全ポイントを自分のために見つけてあげることだった。

これが私にとっては大事なんだってわかった。

私は自分の不安体質で好きなところがある。

本当に不安だから、その不安を少しでも解消できるなら、その不安を肯定して受け止めるためのヒントを超必死で探すこと。

執念に近くて、私は自分が心休まるヒントに行き着くまでいくらでも探す。

私のこの心の癒しだとか不安との付き合い方のヒントとかを探すための集中力は半端ない。

そして、最近わかったのは、私は自分のやり方に堂々としていたらいいんだとわかった。

周りの人たちにではなく、私の中でということ。

自分の色んな方法や体質、考え方が世間とは大きくズレてることはよくわかった。

ズレてるからこそ生きづらくてそれに合わせようと長く頑張っていたけれど、やっとわかってきた。

自分を変えるなんてそれほど大変なことはないから、自分はそのままにして、外から来る心にグサグサと来るものに対して、きちんと自分なりの判断と咀嚼をしようと。

本当にピンときたら、ありがたく言葉を受け取る。

だけど、ピンとこないとか自分の中に暗い影を落とすとかだったら、それは相手の考え方で自分の考え方じゃない、という視点を自分のために持つ。

その大切さがわかるようになってきた。

これも全部【不安感の強さ】によってもたらされた素晴らしい視点だった。

こうした色々を紐解いていくと、ホロスコープが魂の設計図だというのがよくわかる。

そして、生まれた時に一緒に持ってきた課題もあるけれど、それを乗り越えるための力も一緒に授けられている。

そのヒントを求めたら、色んな形でもたらされる。

そして、私が大事にしているのは、心で感じること。

頭で正しいと思っても絶対にダメで、心で感じること。

そして、心に響くのは、自然に勝手に響く。

意図して響かせてるものは、思考や意識レベルで無理矢理してるから、結局何も変わらない。

だけど、心でスッと吸収できたのは、勝手にやっているから、深いところで自分が癒される。



安心感とか書いていたら、その後風呂の中で読んだ本の中に出てきたv( ̄∀ ̄)v!


【安心……これさえあれば、人はまた今日を生きる流れに乗っていける。】


引用元:『吹上奇譚(きたん)第二話 どんぶり』
吉本ばなな



冒頭の写真にある『未来事典』は、私が人生で初めて買ったホロスコープの本。

先日友達に紹介して友達も超気に入って買おうとしたら、なんと絶版になっていて通常の3倍近い値段で現在出てるとのこと。

この本は東京の吉祥寺にあるスープカレー屋さんで見つけたのが最初だった。

まだその頃はホロスコープを知らなかった。

私があまりにも食いついて見ていたから、女店主さんが「近くにコンビニがあるから、良かったらコピーしてもらってもいいですよ」と言ってくれて、それで本当にコピーした。

最初は「とにかく当たる!」と思って気になった本だけど、まさかそれがホロスコープと関連していて、そして私の場合は【サビアンシンボル】と呼ばれるものこそ一番ホロスコープを読むのに役立つなんて、思ってもいなかった。

【サビアンシンボル】の存在を知ったのは、それから2ヶ月後のことだった。

人生で初めてのホロスコープ鑑定を受けた時に事前に鑑定書をデータでもらって、その中に見覚えのあるフレーズがあった。

もしかして!?と思って、吉祥寺のコンビニでコピーした紙を出してきて見たら、言い回しが少し違うものの、中身は一緒だった。

本気で驚いた。

単に「当たる」と思ってコピーしただけだったのに、まさかそれがホロスコープに関連したもので、もう一度意外な形で再会するなんて思ってもいなかった。

今でも大活用していて、週に1〜2回は開いて使っている。

本当に縁のある本だったことがわかる。

余談だけど、その時の鑑定士さんにサビアンシンボルの調べ方を聞いた。

ネットでの調べ方と有名なサイトを教えてもらった。

有名なサイトは今も調べ物でよく見るけれど、今度はそのサイトの方を別の形で紹介されることになった。

占星術初級講座は、講師の先生と運営の先生と2人で共同開催されている。

運営側の先生が年に3〜4回ほど、今後開催する講座の案内をメールでくれる。

その中にそのサビアンシンボルのサイトの方が出てきて、あまりのピンポイントでの繋がりに驚いた。

運営の先生に直接聞いたら、「ご縁があって繋がった方なのよ〜」とさらりと説明してくれた。

還暦近いお年のはずだけれど、「私『変わり者』と言われるの、ふふふ」って言えるのが本当に素敵な先生。

今ほど占いもスピリチュアルも世に浸透していない頃から活躍されて、時代背景的にも大変だったとは思うけれども、その中で変わり者呼ばわりされても笑えるその強さがすごいなぁと感じた。

見た感じはすごい可愛らしい、少女のまま大人になったみたいな方だけど、本当に素敵な年の重ね方だなぁと感じる。

そうやって、色んなものを運んできてくれた『未来事典』。

つくづくご縁のあるものは、いつも不思議な感じで人生に登場してくる。



何かしらホロスコープの調べ物をしていたら、海外在住の日本人の方で占星術をされてる方のブログに行き着いた。

その方は海外で占星術に触れたから、全て英語で本を読んでるようだった。

その方いわく、日本語の占星術の書籍は内容にかなり偏りがあったり、言葉の説明が著者の主観的なものだったりするらしい。

いくつかその方のブログを読んで、たしかに言わんとすることはわかるような気がした。

その方の文章は学術的な説明が多くて、私が夏に受けた鑑定の先生の切り口と似てるなぁなんて思った。

海外書籍との差を知って、自分が当たった講座の先生がどれほどフラットに論理的にホロスコープの基礎を教えてくれたかがものすごくよくわかった。

読み解き方は無限大にあるし、占術家が100人いたら100通りの解釈がある。

私はあちこちから色んな情報を引っ張ってくるけれど、それが今できるのは初級講座のおかげだとわかる。

元々、ブログから情報を引っ張ってくる時の目が養われていたこともあるかもしれないけれど(料理レシピから心理ワークまで色々試したから、良し悪しが感覚的にすぐわかる)、占星術に関しても書いている方の知識の深さとか偏りの具合とか、なんとなくわかる。

私の先生は、個人の主観や価値観ではなくフラットにホロスコープを読む方法を徹底して教えてくれた。

最後の課題は、ASKAと中森明菜のホロスコープの読み解きだったけれど、その時も言われた。

「社会に出ている情報を参考にされてもいいですが、あくまでも見るのはホロスコープで、そして表には出てこないそれぞれの個人の人の特徴をホロスコープから読み解いて下さい。芸能人だからどうしても話題に出てくる部分ばかりがクローズアップされますが、そこではなく表には出さないだけで本人が持っているもの、そういうものをみなさんの目で見つけて来てください」

そんな風に指示を出されていた。

他にも著名人の方のホロスコープを何人か例として見たけれど、名前は伏せられたままホロスコープを読むと面白いことがわかった。

特徴は読み解けるけれど、それが現実的にどういう出方をするかはわからない。

ホロスコープが教えてくれるのはあくまで傾向で、その傾向がどんな風に実生活で表現されるかは未知数。

普段の鑑定で謎の人物のホロスコープを読むことはないけれど、それぐらい外からの情報ではなく目の前のホロスコープを見て、そこからその人物の持っているものをフラットに見つめること・読み解くことが大切だと先生は教えてくれた。

先日、性犯罪・ドラッグ・交通事故等を引き起こした芸能人たちのホロスコープを読む方のブログをたまたま見た。

「Aさんが性犯罪を犯したのは、ホロスコープの天体でこれこれこんな配置を持っていて…」

こういう説明になっていた。

絶対に違うと感じた。

たしかにそういう出方の可能性もあったのかもしれない。

でもそうではない別の読み解きもある。

「犯罪を犯したのは、こういうホロスコープだから」というスタイルに私は違和感を覚えた。

そして、そういう物事の見方をしないように、先生は何度も何度もフラットに見ることの大切さを説かれていた。

海外在住者の方ではないけれど、本当に理論理屈を持って、良い悪いではなくあくまでも傾向として読む方法を早い段階で習って良かった。

危うく独学で変な癖がつくところだった。

ちなみに先生からは常々、「武士俣さん、主観的ではなく客観的にホロスコープを読み解くといいですよ!」と言われていた( ̄∀ ̄;)。



色々書いたけれども、私もどうしてそんなにもホロスコープにどハマりしたのかは正直よくわからない。

自分の答え合わせみたいなところもあるし、単純に自分を知れるのが面白いというのもある。

けれど、ここまでハマらなくても…と思うぐらいにハマっている。

ちなみに占星術の一番好きな考え方は、
「みんな違って、みんなそれぞれが良い」
というところ。

本当に1人として同じものがないから、同じである必要がない。

好みも強みも課題もテーマも弱みも傷もみんな違う。

それをものすごく客観的に伝えてくれるツールだと私は思っている。

それがある限り、自分のことに集中できる。

外の価値観ではなく、それぞれ固有の価値観を持って生きることが正解、そんなメッセージが聞こえてくる。



(つぶやき#何回かに分けて書いたら、ものすごく話が飛んでいて、自分でも驚いた!(◎_◎;)
「ホロスコープ」だけが共通項で、内容は一貫性がない…Σ(꒪◊꒪; )))) 。

余談だけど、どういう方たちが私のブログを読んでくれているのか、一度話を聞いてみたい(o´艸`)。こんなまとまりのない文章にお付き合いしてくれるぐらいだから、超心の広い寛容な方たちなんじゃないかと思ってる(о´∀`о))



【写真】

・初級講座のテキストの表紙。
クラスメイトの1人が色ぬりをしているのを見て、私も家で色鉛筆出して塗った!

・未来事典と人生初のホロスコープ鑑定書

・千円以上する超高級ノートは、ホロスコープ専用学びのノート。1年前に人様の善意のお金で買わせてもらって、この度1冊目が終わった。(96枚)
すごい書きやすかったから、次も同じノートにする予定。

・上のノートの1枚目。
同じようなシールが並んでるのは、前の職場で仕事中に(←えっ?)テプラで12星座の絵柄とマークを見つけて、それで打ち込んで印刷してきた( ̄∀ ̄)!
(職権濫用…( ̄∀ ̄;))
本当は700だのRDだのと打たないといけないのに、仕事するフリして違うことしてたv( ̄3 ̄)v
記念すべき1ページ目にピッタリなシール!
残り3枚も2代目以降のノートの1ページ目に貼ろうと目論んでる( ̄∀ ̄)。

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