3日前に友達から、友達の友達の死の報告がきた。
友達を介して一度だけお会いしたことのある方だった。
そのたった一度の機会だったのに、その時に彼女の作る彼女の祖国の料理をいただいた。
サバを煮たものとチキン、あととうもろこしか何かの粉を焚いてもちのように丸めたものを食べた。
それらを彼女は一生懸命周りの人に手伝ってもらいながら作っていた。
まさかそれから1年ほどして、こんな風に悲報を聞くことになるとは想像すらしていなかった。
昨日気分転換も兼ねて、市街地へ出た。
秋晴れの昨日は暑くて、額に何度も汗が滲んではつたった。
「生きる」ってこういうことなんだと思った。
今日は暑いなぁとか、足を右左交互に動かして歩くとか、そろそろ葉っぱが枯れてきたなぁとか、
そういうことを感じる日々の生活なんだと思った。
あまりに当たり前すぎるけれども、それが死んだらどれ一つもできなくなることなんだと、
自分の汗をタオルで拭きながら考えた。
歩いている途中、大きな公園の脇を通ったら、遠くから太鼓を演奏する音楽が聞こえた。
太鼓と金属を叩く音のミックスで、それが彼女を弔う音楽のようだった。
アフリカの音楽を友達から聞かせてもらったことがあって、それに雰囲気が似ていた。
これまで100回以上は通った公園なのに、そこで音楽の演奏を聞くのは初めてだった。
何で昨日のあのタイミングであの太鼓演奏を耳にすることになったのだろう。
太鼓の音が胸に響いて、何度も涙がこぼれた。
友達がメールの中で、
「生きてるうちに出会うってのもすごいね」
と書いていた。
本当にその通りなのに、何でそんな大事なことを自分は忘れちゃうんだろうと思いながら、
そんな大切なことを思い出させてくれた友達と友達の友達に感謝した。
誰かの死が訪れても、誰かが病気と闘っていても、わたしの今の人生はわたしのペースで
続いていく。
続いていくことに何の疑問も普段は抱かず、満足も後悔もすべてが薄っぺらい感じで過ぎてく。
そうそんな風だったのに、この数日で真面目に自分の命だとか生き方を考えさせられる場面が
いくつも続いた。
答えを出さなければいけないことも、一歩を踏み出していくことも、気持ちがついていかなくても
そういうものが出てきた。
誰かの死とかお別れは絶対に喜べるものじゃない。
だけどそれらが伝えてくるメッセージというのは、どれほどの影響力があるのだろう。
友達が友達の友達の死と対峙して伝えてくれたこと、昨日は何度も何度もそのメッセージを
読み返した。
2015年9月23日水曜日
2015年9月21日月曜日
切干大根を煮て気分転換
決める必要があることは、今も決断できず宙ぶらりん。
母親に電話で相談するも、思い出したよ我が母、基本は自分のペースで話をする人。
相談どころか余計な言葉が出てきて、電話は終了。
友達からは悲報が届く。
わたしの直接の知り合いの人ではないけれども、友達を介して一度だけお会いしたことのある人。
返答を考えられるような頭の働きも期待できず、とりあえずまだ返事はしていない。
昨日の怒りは収まり落ち着いたけど、自分のことが落ち着かず気持ちも沈む。
今日食べたものがひどい。
おととい大量に作ったカレーピラフ→ポテトチップス→小さなクロワッサン。
クロワッサンにはコーヒーが合うなぁと思いつつも、お湯を沸かすことすら面倒くさくて断念。
またカレーピラフ→ポテトチップス→小さなクロワッサン。
同じものを2回も繰り返す。
出たな過食星人!と思うも、このうまく発散できない色んなものを前にどっと疲れる。
寝て忘れよう作戦を決行。
余計と頭が重たくなるばかりで、解決どころか悪化する。
夕方それはそれはきれいな夕焼けだったけれども、こういう時は感動も薄い。
ここ最近見た夕焼けの中では一番きれいだったけれども、それに響いていない自分。
そんなこんなだったのに、突然「切干大根を煮よう!」と思い立った。
起きてから12時間は経過しただろう。
切干大根は、10年以上も前、友達のお姉ちゃんが作ってくれた切干大根サラダがあまりにも
美味しくて、それ以来ずっと切干大根はサラダしか作ったことがなかった。
今回サラダにはせず煮ようと思ったのは、おそらく1年は経過したと思われる母お手製の
正真正銘の切干大根を使おうと思ったから。
通常スーパーに売られている切干大根は白い。
母お手製のものは、どうしたらこんなに茶色くなる!?と言いたくなる位の茶色だ。
まるで最初から煮込まれたような茶色で、これが果たしてサラダに合うのか疑問だった。
色もそうだけど味がどうなのかわからず、とりあえず煮たら誤魔化せると思って作ってみた。
水で戻したら、それはそれは濃い茶色に水が染まった。
ぎょっとするような色だった。
先ほど煮たら、普通に美味しくできていた。
一緒にさつま揚げも煮たけれども、さつま揚げは今は亡き義理のおじさんの母が勤めていた
加工食品の会社のものだった。
何がどうしたら新潟の加工食品の会社のものが名古屋のスーパーに並ぶのかわからないけど、
昨日買物に出たら「半額」で出ていて2パック買ってきた。
普段見かけないパッケージ+実に立派なさつま揚げでどこのものだろうと見たら、その馴染みの
ある会社名が目に入った。
毎年正月になると、義理のおじさんと母の妹にあたるおばさん夫婦は、その加工食品のカニカマ
をお歳暮で母たちの実家に持ってきていた。
わたしたち子どもはおなかが空くと、仏間の前に置かれたそのカニカマが大量に入っている
段ボールから勝手にカニカマを拝借し、おやつ代わりに食べていた。
あの会社だ、と懐かしくなった。
そんなこんなで切干大根煮ながら過去の記憶巡りなんかをしていたら、ふっと気分が変わった。
相変わらず決められないし、友達から届いた悲報の返信も思いつかないし、食べ過ぎたせいで
おなかも重たいし。
それでも明らかに1時間前よりも気分は楽になって、そして今気付けばこうして書いている。
母親に電話で相談するも、思い出したよ我が母、基本は自分のペースで話をする人。
相談どころか余計な言葉が出てきて、電話は終了。
友達からは悲報が届く。
わたしの直接の知り合いの人ではないけれども、友達を介して一度だけお会いしたことのある人。
返答を考えられるような頭の働きも期待できず、とりあえずまだ返事はしていない。
昨日の怒りは収まり落ち着いたけど、自分のことが落ち着かず気持ちも沈む。
今日食べたものがひどい。
おととい大量に作ったカレーピラフ→ポテトチップス→小さなクロワッサン。
クロワッサンにはコーヒーが合うなぁと思いつつも、お湯を沸かすことすら面倒くさくて断念。
またカレーピラフ→ポテトチップス→小さなクロワッサン。
同じものを2回も繰り返す。
出たな過食星人!と思うも、このうまく発散できない色んなものを前にどっと疲れる。
寝て忘れよう作戦を決行。
余計と頭が重たくなるばかりで、解決どころか悪化する。
夕方それはそれはきれいな夕焼けだったけれども、こういう時は感動も薄い。
ここ最近見た夕焼けの中では一番きれいだったけれども、それに響いていない自分。
そんなこんなだったのに、突然「切干大根を煮よう!」と思い立った。
起きてから12時間は経過しただろう。
切干大根は、10年以上も前、友達のお姉ちゃんが作ってくれた切干大根サラダがあまりにも
美味しくて、それ以来ずっと切干大根はサラダしか作ったことがなかった。
今回サラダにはせず煮ようと思ったのは、おそらく1年は経過したと思われる母お手製の
正真正銘の切干大根を使おうと思ったから。
通常スーパーに売られている切干大根は白い。
母お手製のものは、どうしたらこんなに茶色くなる!?と言いたくなる位の茶色だ。
まるで最初から煮込まれたような茶色で、これが果たしてサラダに合うのか疑問だった。
色もそうだけど味がどうなのかわからず、とりあえず煮たら誤魔化せると思って作ってみた。
水で戻したら、それはそれは濃い茶色に水が染まった。
ぎょっとするような色だった。
先ほど煮たら、普通に美味しくできていた。
一緒にさつま揚げも煮たけれども、さつま揚げは今は亡き義理のおじさんの母が勤めていた
加工食品の会社のものだった。
何がどうしたら新潟の加工食品の会社のものが名古屋のスーパーに並ぶのかわからないけど、
昨日買物に出たら「半額」で出ていて2パック買ってきた。
普段見かけないパッケージ+実に立派なさつま揚げでどこのものだろうと見たら、その馴染みの
ある会社名が目に入った。
毎年正月になると、義理のおじさんと母の妹にあたるおばさん夫婦は、その加工食品のカニカマ
をお歳暮で母たちの実家に持ってきていた。
わたしたち子どもはおなかが空くと、仏間の前に置かれたそのカニカマが大量に入っている
段ボールから勝手にカニカマを拝借し、おやつ代わりに食べていた。
あの会社だ、と懐かしくなった。
そんなこんなで切干大根煮ながら過去の記憶巡りなんかをしていたら、ふっと気分が変わった。
相変わらず決められないし、友達から届いた悲報の返信も思いつかないし、食べ過ぎたせいで
おなかも重たいし。
それでも明らかに1時間前よりも気分は楽になって、そして今気付けばこうして書いている。
2015年9月20日日曜日
怒らずにはいられない
怒って頭が痛くなるなんてあるだろうか。
久しぶりにカチンときて、怒り心頭となった。
事の発端は、ちょっとした尋ね事をされた。
尋ね事は一言だけれども、それを返答するわたしはそれに答えるのに1時間弱の時間かかった。
変なことは書けないし、少なくとも自分が招いた事態だったから真面目に答えようと思った。
「時間を返してくれ!」と言いたくなる位に、相手はさらりと受け取って終わった。
しかも尋ね事は、ものすごく専門的な内容だ。
はっきりと「本来なら有料です」とも伝えた。
ただわたしの最初の伝え方がまずくて起こったとも解釈できることだったから、できるだけ丁寧に
返事をしようとは思った。
なのに、なぜそんなにさらりと終われるのか。
ものすごい感謝して欲しいとかではない。
でも少なくとも、1時間コースの力作回答に関して、何かしら言葉があってもいいだろう。
思い付きで聞いてきたのかはわからないけれども、本気でむかついた。
聞かれたことに対して、それはそれは丁寧に返答した。
ありとあらゆる可能性の答えを並べた。
これ参考になる、というものも紹介した。
そこまでして何もないというのは、もう相手の人間性を疑いたくなる。
というか、もう金輪際関わりません、と速攻で決めた。
「裏切るのも人なら、救ってくれるのもまた人」という友達の名セリフがある。
友達も誰か年輩の人から教えてもらったらしい。
わたしも今はその言葉を念仏のように心の中で唱えて、怒りを鎮めようとしている。
久しぶりにカチンときて、怒り心頭となった。
事の発端は、ちょっとした尋ね事をされた。
尋ね事は一言だけれども、それを返答するわたしはそれに答えるのに1時間弱の時間かかった。
変なことは書けないし、少なくとも自分が招いた事態だったから真面目に答えようと思った。
「時間を返してくれ!」と言いたくなる位に、相手はさらりと受け取って終わった。
しかも尋ね事は、ものすごく専門的な内容だ。
はっきりと「本来なら有料です」とも伝えた。
ただわたしの最初の伝え方がまずくて起こったとも解釈できることだったから、できるだけ丁寧に
返事をしようとは思った。
なのに、なぜそんなにさらりと終われるのか。
ものすごい感謝して欲しいとかではない。
でも少なくとも、1時間コースの力作回答に関して、何かしら言葉があってもいいだろう。
思い付きで聞いてきたのかはわからないけれども、本気でむかついた。
聞かれたことに対して、それはそれは丁寧に返答した。
ありとあらゆる可能性の答えを並べた。
これ参考になる、というものも紹介した。
そこまでして何もないというのは、もう相手の人間性を疑いたくなる。
というか、もう金輪際関わりません、と速攻で決めた。
「裏切るのも人なら、救ってくれるのもまた人」という友達の名セリフがある。
友達も誰か年輩の人から教えてもらったらしい。
わたしも今はその言葉を念仏のように心の中で唱えて、怒りを鎮めようとしている。
2015年9月19日土曜日
雑巾交代
3日前、とうとう台所専用の雑巾の一部が破けた。
そろそろ次の雑巾をおろさないといけないかなぁと思ってからそんなに経たずにその時を迎えた。
今のアパートには掃除機がない。
当初から物を増やしたくなかったのと、掃除機は場所も取るから余計と手を伸ばさなかった。
結局この6年、ほうきと雑巾だけでほぼ全ての掃除をまかなっている。
トイレや風呂場のような水回り系だけは、それ専用の別のブラシやスポンジがある位。
台所に関しては、最初から雑巾を使っていたわけではなかったと思う。
キッチンタオルを使った時もあったような気がするし、掃除用のスポンジで拭いていたこともあった
ような気がする。
今となっては記憶が定かじゃない。
台所にも雑巾をデビューさせたのは、ある年配のお友達に母特製の雑巾を譲ったことがきっかけ
だった。
うちの母は戦後生まれの人によくある「物を大切にする」精神の強い人だ。
物がない時代を生きた人だから、とにかく物を捨てれない。
顔や手を洗った後に拭くタオルもすぐには捨てず、それを雑巾にする。
母の雑巾作りの手伝いをした(させられた)ことがあるけれども、ただそのまま縫うのではなく、
タオルの縁の三つ折りに縫われている部分を最初ほどく。
数えられない位の回数を洗濯機でごいごい洗われたものだから、簡単にほどける。
その後はミシンや手縫いで雑巾にしている。
何せ雑巾を毎回大量に作るから、私にも数枚単位で母は渡してくれる。
でも、そんなにたくさん雑巾を使うわけではないから、ある時その年上のお友達に譲ったのだ。
話の途中でその雑巾の話になり、相手から「余っているなら欲しい!」と言われたのが最初。
その方は雑巾を見るなり、「これ絶対に良い雑巾よ!」と言われた。
それからしばらくして相手のおうちに遊びに行った時、至る場所で雑巾を使ってくれているのが
よくわかった。
もちろんキッチンでも使ってくれていた。
その時に
「この雑巾ね、使いこまれたタオルだからすごく柔らかくていいのよ。
新品のタオルで雑巾を作っても、雑巾としての柔らかさはないからかえって使いにくいのよ。
でもこれは柔らかくて握力のない私でも十分に雑巾を絞れるし、本当に重宝しているのよ。」
と言われた。
今まで雑巾なぞどれも同じと思っていたからびっくりした。
言われてみてから再度家でも使ってみると、たしかに柔らかいし、どこを拭くときも拭きやすい。
雑巾があまりにも普通に有能に働いていてくれてたから気付かなかったけれども、
言われてみれば本当にその通りだった。
それからはわたしも大量にある雑巾の1枚を台所でも使うようになった。
使ってみて、本当にあちこち遠慮なく拭き取れるし、汚くなっても気にならないし、床だけではなく
台所全般にも使い勝手が良いとわかった。
そして何代目かわからない雑巾がこの度限界に達して、雑巾交代の時を迎えた。
捨てる前日の夜、それは丁寧にガスコンロ周りを中心に掃除した。
最後のお役目となるだろう雑巾を最後の最後まで使いこんだ。
多分雑巾にとってもそれが本望だろうと思えたから。
昨日の朝、まだ乾ききっていない雑巾ではあったけれどもナイロン袋に入れて心で「ありがとう」と
唱えゴミに出した。
余談だけれども、わたしの中で「雑巾=臭い」だとずっと思っていた。
それは子どもの頃、学校で使う雑巾はいつも臭かったから。
牛乳をこぼして拭こうものなら、ものすごい悪臭が何日も続いて嫌だった。
でも、この雑巾生活にしてから、それはたった1つの手間で解決されるとわかった。
要は、使い終わったら石けんや食器用洗剤をつけて軽くごしごし洗う、そして干す、それだけで
臭いが全くなくなった。
再度雑巾を使う時、雑巾を濡らしても臭いは出ない。
こうして丁寧に使えば雑巾も長持ちするし、気持ち良く使い続けることができる。
そろそろ次の雑巾をおろさないといけないかなぁと思ってからそんなに経たずにその時を迎えた。
今のアパートには掃除機がない。
当初から物を増やしたくなかったのと、掃除機は場所も取るから余計と手を伸ばさなかった。
結局この6年、ほうきと雑巾だけでほぼ全ての掃除をまかなっている。
トイレや風呂場のような水回り系だけは、それ専用の別のブラシやスポンジがある位。
台所に関しては、最初から雑巾を使っていたわけではなかったと思う。
キッチンタオルを使った時もあったような気がするし、掃除用のスポンジで拭いていたこともあった
ような気がする。
今となっては記憶が定かじゃない。
台所にも雑巾をデビューさせたのは、ある年配のお友達に母特製の雑巾を譲ったことがきっかけ
だった。
うちの母は戦後生まれの人によくある「物を大切にする」精神の強い人だ。
物がない時代を生きた人だから、とにかく物を捨てれない。
顔や手を洗った後に拭くタオルもすぐには捨てず、それを雑巾にする。
母の雑巾作りの手伝いをした(させられた)ことがあるけれども、ただそのまま縫うのではなく、
タオルの縁の三つ折りに縫われている部分を最初ほどく。
数えられない位の回数を洗濯機でごいごい洗われたものだから、簡単にほどける。
その後はミシンや手縫いで雑巾にしている。
何せ雑巾を毎回大量に作るから、私にも数枚単位で母は渡してくれる。
でも、そんなにたくさん雑巾を使うわけではないから、ある時その年上のお友達に譲ったのだ。
話の途中でその雑巾の話になり、相手から「余っているなら欲しい!」と言われたのが最初。
その方は雑巾を見るなり、「これ絶対に良い雑巾よ!」と言われた。
それからしばらくして相手のおうちに遊びに行った時、至る場所で雑巾を使ってくれているのが
よくわかった。
もちろんキッチンでも使ってくれていた。
その時に
「この雑巾ね、使いこまれたタオルだからすごく柔らかくていいのよ。
新品のタオルで雑巾を作っても、雑巾としての柔らかさはないからかえって使いにくいのよ。
でもこれは柔らかくて握力のない私でも十分に雑巾を絞れるし、本当に重宝しているのよ。」
と言われた。
今まで雑巾なぞどれも同じと思っていたからびっくりした。
言われてみてから再度家でも使ってみると、たしかに柔らかいし、どこを拭くときも拭きやすい。
雑巾があまりにも普通に有能に働いていてくれてたから気付かなかったけれども、
言われてみれば本当にその通りだった。
それからはわたしも大量にある雑巾の1枚を台所でも使うようになった。
使ってみて、本当にあちこち遠慮なく拭き取れるし、汚くなっても気にならないし、床だけではなく
台所全般にも使い勝手が良いとわかった。
そして何代目かわからない雑巾がこの度限界に達して、雑巾交代の時を迎えた。
捨てる前日の夜、それは丁寧にガスコンロ周りを中心に掃除した。
最後のお役目となるだろう雑巾を最後の最後まで使いこんだ。
多分雑巾にとってもそれが本望だろうと思えたから。
昨日の朝、まだ乾ききっていない雑巾ではあったけれどもナイロン袋に入れて心で「ありがとう」と
唱えゴミに出した。
余談だけれども、わたしの中で「雑巾=臭い」だとずっと思っていた。
それは子どもの頃、学校で使う雑巾はいつも臭かったから。
牛乳をこぼして拭こうものなら、ものすごい悪臭が何日も続いて嫌だった。
でも、この雑巾生活にしてから、それはたった1つの手間で解決されるとわかった。
要は、使い終わったら石けんや食器用洗剤をつけて軽くごしごし洗う、そして干す、それだけで
臭いが全くなくなった。
再度雑巾を使う時、雑巾を濡らしても臭いは出ない。
こうして丁寧に使えば雑巾も長持ちするし、気持ち良く使い続けることができる。
2015年9月17日木曜日
繕いもの
「繕(つくろ)う」という漢字がとても好きだ。
分けて考えると、「糸で善くする」で「繕う」になる。
繕いものをする度に、まさに字の如くだなぁと思う。
今回も久しぶりに繕いものをした。
今回の主人公は、A4書類も楽々入る大きな布製のトートバッグ。
今回も思ったけれども、毛糸はいかようにも誤魔化せるから、多少の失敗もわからなくていい。
図書館からモチーフ編みの本を借りてきて、2時間位で完成させたと思う。
毛糸の図案とか、根性で読解している。
普段の生活では見られない集中力を発揮する。
モチーフをバッグに糸でくくり付ける時も、適当にやって適当になるから助かる。
素人ゆえ、きちんとした方法なんかわからない。
だけどとりあえず思い付いた方法でやれば何とかはなる。
「繕いもの」の作業、好きだなぁと思う。
針と糸持って、縫ったり補強したり、あの無心になれる感じも好きだ。
今回のバッグは、1泊程度の泊まりにも使えるし、大きな荷物を運ぶ時も活躍するし、ちなみに
明日ノート数冊を持ち運ぶ予定があってそれでようやく繕った。
繕いものが増えるのは困るけれども、次の繕いものが楽しみ。
分けて考えると、「糸で善くする」で「繕う」になる。
繕いものをする度に、まさに字の如くだなぁと思う。
今回も久しぶりに繕いものをした。
今回の主人公は、A4書類も楽々入る大きな布製のトートバッグ。
写真の通り、服とこすれ合う部分に穴が開いてしまった。
反対側はきれいなまま、いつも体と接触する内側の部分だけがとほほな状態になった。
最初布をあてようかと思ったけれども、手持ちの布で合うものがない。
ということで今回は、こんな風に繕ってみた。
繕う前
さらなるほころびを防ぐために周りを糸でくくる
モチーフ編みしたものを糸で固定する
完成
全体図で見るとモチーフが浮いた感じになるけれども、とりあえず穴を塞いだから満足。
今回も思ったけれども、毛糸はいかようにも誤魔化せるから、多少の失敗もわからなくていい。
図書館からモチーフ編みの本を借りてきて、2時間位で完成させたと思う。
毛糸の図案とか、根性で読解している。
普段の生活では見られない集中力を発揮する。
モチーフをバッグに糸でくくり付ける時も、適当にやって適当になるから助かる。
素人ゆえ、きちんとした方法なんかわからない。
だけどとりあえず思い付いた方法でやれば何とかはなる。
「繕いもの」の作業、好きだなぁと思う。
針と糸持って、縫ったり補強したり、あの無心になれる感じも好きだ。
今回のバッグは、1泊程度の泊まりにも使えるし、大きな荷物を運ぶ時も活躍するし、ちなみに
明日ノート数冊を持ち運ぶ予定があってそれでようやく繕った。
繕いものが増えるのは困るけれども、次の繕いものが楽しみ。
2015年9月16日水曜日
書ける喜び
今月に入った辺りから、アメブロの方に停滞期がやってきた。
書く気にならないのと、ネタはたくさんあってもどれも言葉にする作業を面倒に感じたのと、そんな
こんなの気持ちがしばらく続いた。
今も100%抜けたわけではないけれども、ここ数日のひどい状態からは抜け出せたと思っている。
多分停滞期の一番の理由は「なぜ書くのか?」がわからなくなったこと。
何かしらの動機がないと、途端にやる気がなくなる。
そしてアメブロはやらなくてもいいものだから、余計とやる意味がわからない。
もう止めてしまおうかと思ったこともあった。
ここに来て、少しだけ変化した。
とりあえず、その日思いついたことをそのまま言葉にすることにした。
言葉使いも、書く内容も、てんでばらばらだけれど、それでいいことにした。
若干、本来の方向性やスタイルとずれてると思ったりもしたけど、まぁいっかと開き直った。
そんなこんなを繰り返すうちに、また書くようになった。
無理矢理奮い立たせるのではなく、とりあえず淡々と綴っている。
しばらくは「今日は書かなくていいことにしよう!」を合言葉に奮い立たせてた。
それをしなくても、昨日や今日は書いていた。
自分でもどこでスイッチが入れ替わって、今の状態になれたのかはわからない。
だけど書けている。
久しぶりに「書ける」ことに喜びを感じている。
書く気にならないのと、ネタはたくさんあってもどれも言葉にする作業を面倒に感じたのと、そんな
こんなの気持ちがしばらく続いた。
今も100%抜けたわけではないけれども、ここ数日のひどい状態からは抜け出せたと思っている。
多分停滞期の一番の理由は「なぜ書くのか?」がわからなくなったこと。
何かしらの動機がないと、途端にやる気がなくなる。
そしてアメブロはやらなくてもいいものだから、余計とやる意味がわからない。
もう止めてしまおうかと思ったこともあった。
ここに来て、少しだけ変化した。
とりあえず、その日思いついたことをそのまま言葉にすることにした。
言葉使いも、書く内容も、てんでばらばらだけれど、それでいいことにした。
若干、本来の方向性やスタイルとずれてると思ったりもしたけど、まぁいっかと開き直った。
そんなこんなを繰り返すうちに、また書くようになった。
無理矢理奮い立たせるのではなく、とりあえず淡々と綴っている。
しばらくは「今日は書かなくていいことにしよう!」を合言葉に奮い立たせてた。
それをしなくても、昨日や今日は書いていた。
自分でもどこでスイッチが入れ替わって、今の状態になれたのかはわからない。
だけど書けている。
久しぶりに「書ける」ことに喜びを感じている。
2015年9月15日火曜日
予言ノート
過去に書いた色んな備忘録を読んでいて驚いた。
「●年後、こんな風になっていたらいいなぁ」という妄想とも言うべき色んな夢を書いていた。
どれもこれも実現度は非常に低い感じが否めなく、まぁ誰も見ないからいいだろうと開き直って
書いただろう自分が容易に想像できる。
その中の1つが、今本当に叶いそうな状況になりつつある。
まじめに、冗談かと思った。
わたしは基本的に「目標設定」することがすっごく苦手だ。
自己啓発なんかによく「1年後、3年後、5年後の目標を書いてみましょう」なんていうのがある。
コーチングを習っていた時もしたし、何かのセミナーやワークショップでもしたし、本を読んで自分
で試したこともある。
ただいつの時も毎回手が止まり、空想というか妄想というか、そんな感じで書くしかなかった。
現実味も帯びてなければ、何とも言えない違和感を毎回味わって終わるのが常だった。
当時書いたものもそうだ。
さらにそういう先々の目標設定の時にたいがいセットになっている、
「そのために今からできることは何でしょう?」
というものにも、わたしは各目標につき1個だけ書いていた。
これもまた適当加減満載だったけれども、なんとその今からできることをわたしはやっていた。
書いてすぐにはしなかったけれども、数ヶ月後、突然エンジンがかかってやり出していた。
そしてそれを延々ダラダラとやり続けていた。
すべてが点と点でしかなかったことだったけれども、突然「線」らしきものが出てきた。
そして今過去に書いたことが本当に起こりそうになっている。
それは行動したからでしょう!と言えばそれまでだけれど、夏休みの宿題にはじまりこれまでの
色んな仕事をぎりぎりでやっていたわたしからしたら、何か1つのことを継続したこともすごいし、
それが形になりだしていることも前代未聞に近い。
これ予言ノートじゃん!と一人で勝手に思ってしまった。
もちろんその書いたことが本当に実現するかどうかはわからない。
一応わたしが返事をすれば実現するところまでは来ている。
書いた瞬間に色んなことをすぐに忘れてしまうけれども、本当に大切なことだと自分の中にいつも
ひっそりこっそり残っているのかもしれない。
意識に上ってこなくても、無意識の中でその方向に動いているのかもしれない。
「●年後、こんな風になっていたらいいなぁ」という妄想とも言うべき色んな夢を書いていた。
どれもこれも実現度は非常に低い感じが否めなく、まぁ誰も見ないからいいだろうと開き直って
書いただろう自分が容易に想像できる。
その中の1つが、今本当に叶いそうな状況になりつつある。
まじめに、冗談かと思った。
わたしは基本的に「目標設定」することがすっごく苦手だ。
自己啓発なんかによく「1年後、3年後、5年後の目標を書いてみましょう」なんていうのがある。
コーチングを習っていた時もしたし、何かのセミナーやワークショップでもしたし、本を読んで自分
で試したこともある。
ただいつの時も毎回手が止まり、空想というか妄想というか、そんな感じで書くしかなかった。
現実味も帯びてなければ、何とも言えない違和感を毎回味わって終わるのが常だった。
当時書いたものもそうだ。
さらにそういう先々の目標設定の時にたいがいセットになっている、
「そのために今からできることは何でしょう?」
というものにも、わたしは各目標につき1個だけ書いていた。
これもまた適当加減満載だったけれども、なんとその今からできることをわたしはやっていた。
書いてすぐにはしなかったけれども、数ヶ月後、突然エンジンがかかってやり出していた。
そしてそれを延々ダラダラとやり続けていた。
すべてが点と点でしかなかったことだったけれども、突然「線」らしきものが出てきた。
そして今過去に書いたことが本当に起こりそうになっている。
それは行動したからでしょう!と言えばそれまでだけれど、夏休みの宿題にはじまりこれまでの
色んな仕事をぎりぎりでやっていたわたしからしたら、何か1つのことを継続したこともすごいし、
それが形になりだしていることも前代未聞に近い。
これ予言ノートじゃん!と一人で勝手に思ってしまった。
もちろんその書いたことが本当に実現するかどうかはわからない。
一応わたしが返事をすれば実現するところまでは来ている。
書いた瞬間に色んなことをすぐに忘れてしまうけれども、本当に大切なことだと自分の中にいつも
ひっそりこっそり残っているのかもしれない。
意識に上ってこなくても、無意識の中でその方向に動いているのかもしれない。
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